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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ここの職員は何人?
夜になると冴えて饒舌になる親父・・・・
「ちょっとお尋ねしますが・・・」と尋ねてきた。
ほら、ほら、始まった・・・拙者のことを施設の職員と思い込んでいる・・・・(大汗)
「はい、なんでしょう?」
「ちょっとお尋ねしますがね・・・」
「はい」
「ここの職員は何人いるんですか?」
「はぁ?」(苦笑)
「何人いるんでしょうか?」
「え~と・・・私1人です!」
途端に親父が驚いた顔をして・・・
「えっ!1人?」
「そう、1人ですけど・・・」
「1人ではマズイでしょう・・・そりゃイカンなぁ~・・・1人では大変だなぁ・・・なにか考えないと・・・」
「そうですよ、大変ですよ」(苦笑)

相変わらず、言っていることの半分はマトモなんだよなぁ~(大笑)

日記 | 20:40:43 | Comments(0)
平均寿命、全国平均以下!(大汗)
厚生労働省が「2015年・都道府県別生命表」というのを発表した。
これは出生や死亡の統計データを基に5年ごとに作成されているものだそうである。

で・・・
我が茨城県の場合、男性の平均寿命は80.26歳、女性は86・33歳だそうで、男性は全国34位、女性は45位だそうである。
いずれも全国平均を下回っているという。
だからどうした・・・と突っ込みを入れたくなるが・・・(大笑)

この「平均寿命」というのは、0歳児の平均余命が「平均寿命」を意味しているのだそうだ。
よくわからない話なのだが・・・(苦笑)
ということは・・・今、0歳の赤ん坊が、何歳まで生きるか?・・・という話?
ん?・・・それじゃ、我々には関係ない話じゃないか?(苦笑)
ある意味、どうでもいい統計ではなかろうか?(大笑)

こちらが気にするのは、自分があと何年生きることが出来るか・・・ではなかろうか?
つまり、「余命」である。
で・・・余命を調べてみた・・・(笑)
公開されている「生命表」は平成22年時点のものである。
ということは・・・この時点で、私は50歳だったので・・・・
平成22年に50歳だった男性の平均余命は31.42年である。
ということは・・・81歳ぐらいまでしか生きられないということになるか?(大笑)
「平均」だから、それ以上生きることもあれば、それより早くこの世を去ることもあろうが・・・
ちなみに、親父の余命を調べてみた。(大笑)
平成22年時点で、親父は81歳である。
81歳の男子の場合、余命は7.89年だった。
ということは・・・親父は88.89歳で死ぬ・・・(苦笑)・・・ということになるわけで・・・
そろそろか・・・(大汗)
う~ん・・・私は80歳でこの世を去ることを前提に生きるか・・・
貯金も80歳までに使い切ろうか・・・(大笑)

しかし、万が一、平均余命以上生きてしまった場合が悲惨である。(大笑)
ちなみに、今年100歳になる方2人から「今年100歳になります!」の年賀状を戴いているのだが・・・
この方々を調べてみたら、平均余命でいうと、95.62歳までしか生きられない世代なのである!
それが100歳まで生きているわけで・・・・
それはそれで非常に目出度く嬉しい話ではあるのですが・・・
これほどの“誤差”が自分に当てはまるとなると・・・困る・・・(大汗)

こうなると、余命など知っても、個人的には何の意味もなさそうである。
(社会的には意味はあるでしょうが・・・)
「平均寿命」も同様だな・・・
一喜一憂しても個々人としては意味はなさそうである。

エッセイ | 21:47:58 | Comments(0)
『シンガポール戦記』


マレー進攻開始
   動きだした第25軍
   開戦
   第18師団主力の虎門出港
   シンゴラ上陸
   マレー半島縦断

ジョホール水道渡河
   シンガポール攻略命令
   渡河準備
   深夜の渡河作業
   敵前上陸
   牟田口師団長、猪野参謀の負傷

テンガ、ブキテマ戦
   テンガ飛行場へ
   飛行場占領
   不可解な命令変更
   130高地の不期遭遇戦
   大いなる錯誤

あいつぐ失態
   西方要塞に向かう
   第5師団長の敵情判断
   近衛師団の苦闘
   投降勧告文投下

西方要塞攻略
   白昼の砲撃
   200高地の死闘
   西方要塞にせまる
   シンガポール島南岸に到達
   海岸高地攻略

シンガポール陥落
   「敵降伏せり。前進待て」
   はやる木庭連隊
   第5師団の停滞
   軍命令にふりまわされた近衛師団
   山下軍司令官の苦悩
   英軍降伏

転進
   スマトラ先遣隊
   慰霊祭と敵性華僑の掃滅
   新たな戦場へ

付録資料
   マレー作戦参加部隊一覧
   関係部隊主要人名一覧

あとがき


今年の読書:61冊目



読書 | 02:02:31 | Comments(0)
放射線治療終了!(喜)
今日で“20日間”の親父の放射線治療が終了した!(大喜)
放射線治療というのは、すごいものだ・・・
あの“お岩さん”状態になっていた瞼の腫瘍が、みるみるうちに小さくなり、ごく普通の瞼の状態に近くなった。
かすかに瞼の間から眼球が見えるようになった。
瞼は少し変色して、日焼けしたような跡が残ったが、当初言われていた後頭部の脱毛は発生していなかった。
放射線が瞼を突き抜けて後頭部から抜けるので、そこの部分が円形脱毛症のように脱毛するかもしれないと言われていたのである。
多少のハゲが出来たとしても、瞼の腫瘍が消えてくれるのであれば何の問題はない。
どうせ、親父の後頭部の話で、拙者の後頭部がハゲるわけではないのだから・・・(大笑)

毎日、タクシーに乗って通院していたので、タクシー会社の配車センターの女の子と“知り合い”になった。
拙者の声を聴いただけで、すぐわかるらしい。(笑)
「病院ですね!今日はちょっと遅いですねぇ~(笑)、5分ほどで伺います!」などと言われる。
病院からの帰りの時も、「終わりましたか!じゃ、すぐに向かわせますので少々お待ちください!」と言われる。
会ったことはないから、どんな人かわからないが・・・・
声や話し方というのは表情が見えないだけに大事なことだと思う。
そういう意味では、彼女の声は本当に楽しい。
昔からよく知っている友人に頼んでいるような親近感を感じる。
その彼女の声も、もう聴くことはないだろう。
ちょっと寂しい気がするなぁ~(笑)
親父の治療なんかより、彼女のとの“会話”が楽しみだったのだが・・・(大笑)

「実は、こういうわけで親父を病院に連れて行っていたんだ」と最後に事情を明かして最後の“会話”・・・・
通院が終わってホッとして気が抜けたのか・・・・
それとも彼女の声が聴けなくなって気が抜けたのか・・・(苦笑)
う~ん・・・なんとも複雑な気分である。(大笑)

日記 | 17:16:54 | Comments(0)
『台湾 高砂義勇隊 その心は今もなお・・・』


序に代えて   あけぼの会
編者門脇朝秀氏とあけぼの会
編者の言葉

副題によせて
1、ヤマトダマシイ
2、戦後50年

まえがき
①昔の日本と台湾
②清王朝と台湾
③清国が割譲した後の台湾
④霧社事件から大東亜戦争勃発まで
⑤大東亜戦争より日本敗戦迄

第1篇 高砂義勇隊記念碑(台北県烏来郷)
今ごろなぜ烏来に記念碑が・・・・

今頃なぜ烏来に記念碑が
①慰霊碑正面碑文(日本文)
②嘆願書
③記念碑建立趣意書
④記念碑落成式挨拶
⑤林源治酋長の碑(中国文)
⑥武田義治(ターナ・タイモ 林源治)さんの戦歴
⑦本間雅晴中将
⑧高砂挺身報国隊から義勇隊、特別志願兵、徴兵迄
⑨高砂族分布図その他資料
   〇墨矢和彦さんの手記(一)
   〇映画サヨンの鐘
   〇少女サヨン
   〇私の父
   〇山の人たち
   〇墨矢和彦さんの便り(二)

第2編 フィリッピン戦線

①フィリッピンを攻略した日本軍
②高砂挺身報国隊
③田中静壱中将
④高野さんの報告内容
⑤川野栄一(ルデラン・ラマカウ 高栄利)さんの手記
⑥台湾高砂族第一次高砂義勇隊 野口太吉(アルツウツ・ラバ 林徳政)さんの談話

第3篇 ニューギニア戦線

1、フィリッピンよりニューギニアへ
①ニューギニアと高砂兵
②ニューギニアとアメリカ兵
③川野栄一(ラデン・ラマカウ 高栄利)さんの手記(パイワン族)
   〇ニューギニアに上陸
   〇撤退命令
④野口太吉さんの手記
⑤再び川野栄一さんの手記
   〇特別決死隊
   〇台湾帰還
   〇帰郷後
   〇野口太吉さんとのやりとりの中から
⑥大本営の夢のまた夢 モレスビー攻略
   〇陸路モレスビー攻略作戦
⑦東部ニューギニア戰
   〇横山独立工兵第15連隊
   〇歩兵第41連隊(福山)(第5師団)
   〇歩兵第144連隊(高知)(第11師団)
   〇歩兵第237連隊(水戸)(第41師団)
   〇歩兵第239連隊(宇都宮)(第41師団)
   〇歩兵第66連隊(宇都宮)(第51師団)
   〇歩兵第12連隊(水戸)(第51師団)
   〇歩兵第115連隊(高崎)(第51師団)
   〇歩兵第229連隊(岐阜)(第38師団)
   〇歩兵第78連隊(竜山)(第20師団)
   〇歩兵第79連隊(竜山)(第20師団)
2、中野学校と高砂特別義勇隊
①斎藤特別義勇隊
   〇第二義勇隊長小俣洋三氏50年目の感想
   〇斎藤特別義勇隊 小俣隊
②義勇隊関係資料
   復員者名簿
   死没者名簿
   内地送還者
   生死不明者
③中野校友会誌より
3、戦後50年
①宮川忠男さんを訪ねて(台東県成功鎮)
②米川信男(ワリシピープ 高成桂)さん(南投県霧社)を訪ねて
③ニューギニア戦の回想 東京都 鈴木正巳(元第18軍軍医少佐)さん
   軍戦闘指令所の進出
   帰還
   ニューギニアを訪れて
   鈴木正巳さんの戦歴
④ニューギニア遠征行歌(第18軍軍歌)
⑤ニューギニア戦の回顧 渡辺哲夫さん(元海軍陸戦隊軍医)
   〇ニューギニアでの負け軍
   〇高砂兵
   〇台湾への旅
   〇アミ族の人たちと
   〇別離
   〇再会
   〇九段の母
資料
①青津喜久太郎 少将
②大東亜戦争全史其の他より
③蕃刀
④強い印象

第4篇 モロタイ島戦線

1、残されていた戦闘記録
①輝第2遊撃隊の足跡
②石井中将表彰状
③阿南大将感状
2、輝第2遊撃隊名簿
①終戦時 生存者名簿(高砂兵)
②終戦時 戦没者名簿(高砂兵)
③終戦時 日本人戦没者名簿
④終戦時 生死不明者名簿
⑤1992年高砂兵名簿
⑥輝第2遊撃隊出身地別小計 終戦時
3、50年後の証言者たち
①中野 愛三(マデ 蔡建昌)さん(タイヤル族)
②宮田 武男(タケオ 高昌敏)さん 大正10年生(アミ族)
③吉田 稔(パコル 葉文発)さん 大正12年生(アミ族)
④村中 長吉(ソコラム 黄明徳)さん(パイワン族)
⑤秋元 武二(アットルタウキン 林宣木)さん(タイヤル族)
⑥松山 幸吉(タダオ・ノーカン 施文佐)さん(タイヤル族)
⑦田島 俊伸(ラーベ 陳俊伸)さん 大正12年生(アミ族)
⑧坂本 次男(ツグウクラス 蔡文通)さん(アミ族)
⑨宮田 信一(ナゴイ 陳栄輝)さん 大正13年生(アミ族)
4、終戦時の在台湾部隊
①台湾歩兵第1、第2連隊
   〇台湾歩兵第1連隊
   〇台湾歩兵第2連隊
②大戦末期台湾に駐屯した陸軍部隊
   〇第66師団歩兵第249連隊 宜蘭
   〇第50師団歩兵第301連隊 屏東
   〇第50師団歩兵第302連隊 屏東
   〇第50師団歩兵第303連隊 屏東
   〇第66師団歩兵第304連隊 宜蘭
   〇第66師団歩兵第305連隊 宜蘭
③高砂義勇隊について 加登川幸太郎さん(当時の方面軍参謀)談

第5篇 アメリカ大統領と2人の太平洋軍司令官
        何故アメリカは台湾に上陸しなかったのか・・・

1、米軍の蛙飛び作戦
①一点集中攻撃
②ミッドウェイ海戦後、転落の途へ
   〇出過ぎた釘
③モロタイ島
   〇第2遊撃隊
④海軍ニミッツと陸軍マッカーサー両司令官
   〇ペリリュー、モロタイ島へ
⑤台湾かフィリッピンか
   〇蛙飛び作戦(カートホイール作戦)
   〇ビアク島
   〇硫黄島攻略
   〇硫黄島戦
⑥米軍の対日進攻と台湾
2、朝鮮戦争
①1943年の蛙飛び作戦(カートホイール)
②1946年の米大統領とマッカーサーの解任

第6篇 戦後50年、今も山に息吹く東風(こち)

1、高砂族の女性たち
①アミ族の歌と踊り(台東)
②アミ族の義勇隊員とその妻たち
③烏来の武田義治さん一族(タイヤル族 武田夫人 林牡丹女子)
④田島俊伸夫人(パネイさん)
⑤文化財の老女(霧社 タイヤル族)
⑥日本の歌(霧社 タイヤル族)に集まる人々
⑦中野愛三夫人(さち子)さん(タイヤル族 霧社)談
⑧戦没者田中国夫さんの妻
⑨爆弾を抱えて運んだ少女
⑩母子孫三代の女性(パイワン族)
⑪バイクの女性(タイヤル族 霧社)
⑫車中行きずりの女性
   (1)アミ族の姉妹
   (2)タイヤル族の家族
⑬鈴木沢子さん(アミ族 台東県トーラン)
⑭野口太吉(林徳政)さんの家族(パイワン族)
⑮下山番さんの家族
2、ほのかな回想
①信じられないこと2件
   1、信じられない数字
   2、ペリリュー島(パラオ群島)の戦後
②私の宝もの
3、あとがき
①花蓮県瑞穂郷にて
②はげまし
③「ジャワは天国 ビルマは地獄 生きて帰れぬニューギニア」
④取材した人たち
   烏来
   モロタイ島(アミ族が主)
   来義(パイワン族)
   仁愛郷(タイヤル族)
⑤アメリカ便り
⑥「編輯後記」


本書は、偶然にも古書店で見つけた本・・・
編者の門脇朝秀さんは、2年前に私が台湾へ「霧社事件」の跡を見に行くときに現地の方への紹介状を書いて下さった方である。
103歳というご高齢にもかかわらず、日本語と中国語で紹介状を書いてくださった・・・
まさか、その門脇さんの本に出会うとは、これも何かの縁か?
本書が出版されたのは平成6年、今から24年前である。
ということは、門脇さんが現地に取材に行ったのは80歳ぐらいの時のことか?
霧社でお会いした、役所の邱課長の若かりし頃の写真も載っていた。
思わず嬉しくなった。

本書は「台湾 高砂族義勇隊」とは銘打っているが、戦記物ではない。
門脇さんが現地人(高砂族)の人たちとの交流の記録が主となる、いわば資料集のようなものである。
本書の構成には、ちょっと難があるような気がする。
高砂族に興味のない人にとっては、かなり読みづらい本かもしれない。
話も結構、あちらこちらに飛ぶところもあるから尚更なのだが・・・
門脇さんの意とするところは、わかる人にはわかる・・・という本だと思う。


今年の読書:60冊目



読書 | 00:27:16 | Comments(0)
認知症が5千万人!
WHO(世界保健機構)によると、世界の認知症患者は推定で約5千万人いるという。
うちの親父もその中の一人である!(苦笑)
大したものである・・・・5千万人の中に入るとはねぇ~・・・・

毎年約1千万人が新たに発症し・・・
2030年には8200万人、2050年には1億5200万人に達する可能性があるという。

2050年には、私は90歳になるから・・・・
この1億5200万人の中の一人となるかもしれない。(大汗)
2050年には世界の人口は96億人になるだろうと国連では推計を出している。
96億人のうち認知症患者が1億5200万人というのは、「高齢化社会」というわりには、ちょっと少ないような気がしないでもない。(苦笑)
2050年には「高齢化社会」から脱して若い人たちが多くなるというのならわからないでもないが・・・
今のまま平均寿命がドンドン伸びて高齢化が進んだら、1億5200万人では済まないような気がしますが・・・(苦笑)
どうなんだろう?

それでも、90歳の私が認知症を発症したら、それはもう”快挙”というしかあるまい。(大笑)
96億人の内のたった1億5200万人の認知症患者の中の一人となるわけだから・・・(大笑)
嬉しいような悲しいような・・・

エッセイ | 21:55:28 | Comments(0)
アメリカの民主主義ってなんだろう?
アメリカ合衆国のトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認定し、テルアビブにある米大使館をエルサレムに移転する方針を決めたらしい。
これに対し、パレスチナが猛反発し、中東情勢が混乱するとトランプ大統領が、かなりの批判を浴びているらしい。

が・・・・おかしい・・・
1995年に米国議会は、エルサレムをイスラエルの首都とし、大使館移転を政府に求める法案を可決しているのである。
トランプ大統領が突然、勝手に決めたことではない。
議会が23年前に可決した法案なのである。
ところが、その後の歴代大統領は、半年ごとに実施を延期し続けてきたのである。
つまり、議会が決めた法案を23年間も歴代大統領は無視してきたことになる。
“議会が決めた”ということは、これは米国民の”民意”ということである。
ということは・・・歴代大統領は、民主主義を無視してきたことになるのではなかろうか?(大汗)
いいのかねぇ~
たとえ“悪法”であったとしても、法は法である。
法案が可決された以上、実行しなくては民主主義に反するんじゃなかろうか?

だいたい、1995年に法案が可決された時に、そんなに大騒ぎした記憶がないのだが・・・
なんで、トランプ大統領が法に従って実行するという“まともなこと”をしようとすると、大騒ぎして反対するんだろう?
間接的であろうが、“自分たちで決めたこと”なのに・・・
これでは、自ら民主主義を壊すことにならないか?

今まで、議会で可決した法案を実行に移さないで放置し続けてきたことの方が問題ではなかろうか?

トランプ大統領は就任以来、何かと非難され続けているのだが・・・
この人は、民主的に選挙で選ばれたんだよね?(苦笑)
自分たちで選んでおきながらボロクソにこき下ろすっておかしくないか?
自分たちの意にそぐわない人物が当選してしまったというのであれば、これは大統領選の選挙制度に問題があるのだから、早急に選挙制度を改革すべきではなかろうか?

1995年に可決した法案に問題があり、実行してはいけない法案ならば、議会はこの法案を廃案にする決議をすればいいわけで、なぜ議会はそれをしないんだろう?

米国の民主主義って、ちょっとおかしいんじゃあるまいか?(苦笑)

エッセイ | 21:54:13 | Comments(0)
「お父さんのことが好きなんですねぇ~」だって?(苦笑)
毎日、親父を病院に連れて行くと、そのうち他の常連の患者さんとも挨拶をするようになる。
で・・・
「よ~くお父さんの面倒を見て、すごいですねぇ~」なんて言われる。
で・・・
「お父さんのことが、よっぽど好きなんですねぇ~。お父さんは幸せですねぇ~」とまで言われる。(苦笑)
へぇ?・・・・である。(大笑)
「いや、親父のことは大嫌いでなんですけど・・・」(苦笑)
と言ったら、呆れた顔をされた・・・(苦笑)

「何言ってるの?・・・この人・・・」と言わんばかりの顔をされてしまった。(大汗)
でも、正直に言ったまでのことで・・・・
本当に、親父のことが嫌いなのである。(大笑)
これは他人には理解してもらえないかもしれない・・・・
嫌いなのに面倒を見てるって、どういうこと?・・・・ということになる。
大いなる矛盾である。(笑)
自分でも、どうしてなのかよくわからない。(大汗)

拙者の知人で父親を見棄てた男がいる。
父親のことが大嫌いで、自分の父親のことを「あのクソ野郎」と日頃から口にしていた男であるが・・・
父親の面倒を見ず、父親は失意のどん底(?)でお亡くなりになった。
普通、親父のことが嫌いならば、こういうパターンになるのであろうが・・・(汗)
なんで、親父の面倒をみちゃうのか、自分でもよくわからない。(笑)
価値観も性格も全く正反対なので、親子でなけりゃ、絶対、こういう人間とは付き合いたくない、口もききたくない、顔も見たくないというくらい嫌いなのだが・・・(苦笑)

これは他人にどう説明しても理解してもらえないんだろうなぁ~

日記 | 22:12:26 | Comments(0)
親父がセンサーを避けた!(驚)
1階の親父のベッドの降り口の下に徘徊防止用のセンサーマットを敷いてある。
親父が起き出して、ベッドから降りようとして、このマットを踏むと、2階の拙者の部屋に置いてあるセンサー受信機からメロディが流れ、親父が起き出したことを知らせてくれる。
これを聞いて、急いで階下に降りると、ちょうど親父がベッドから立ち上がろうとするところ・・・というタイミング。
そこで、半分寝ぼけているのか、足腰がよわったせいか、フラフラしている親父を“取り押さえる”のだが・・・(笑)

今晩は、センサーが鳴らない・・・
おかしい・・・と思っていたら、階下でドタン、バタンと大きな物音がする。
慌てて駆け下りたら、廊下に親父が立っていた!(驚)
なんで!(大汗)

本人はトイレに行くつもりらしいが、トイレの入り口がわからず廊下の壁を撫でまわしていた・・・(唖然)
いつものように手を引いてトイレに連れて行ったが・・・
どうしてセンサーが感知しなかったんだろう?
ほぼ90%ボケている親父に試しに尋ねてみたら、驚いたことにまともな答えが返ってきた。(大笑)
「ここから降りたんだ」と指さした場所は、枕もとのわずかな隙間・・・
ベッドには柵があるが、完全にベッドの周りを巡らしているわけではない・・・(苦笑)
ベッドに附属されているのは転落防止用の2つの柵・・・
ベッドの両側にそれぞれ取り付けるのだが、それだけでは不十分・・・
そこで介護用品のレンタル業者から据え置き用の手すりを2つ借りて、ベッドの柵代わりに設置している。
が・・・それでも隙間は出来てしまう・・・
枕元に隙間が出来ても、そこから降りることはないだろうと思っていたのだが・・・
まさか、そこを突いてくるとはねぇ~(大汗)

しかし、枕元から降りたとしても、ベッドの柵やベッドわきに設置した手すりに掴まって歩けば、自然とセンサーマットを踏むはずなのだが・・・
「センサーのマットを踏まなかったのか?」
「うん、避けた!」と親父・・・
なんでそういうことをするかなぁ~(涙)
ボケているくせに、そういう知恵が回るってどういうことなんだろう?

さて、ベッドに連れ戻し寝かせようとしたら・・・
「ここは何の部屋だ?」と親父・・・
「お父さんの寝室だけど・・・」
「ふ~ん・・・ここに寝るのか?」
「そうだけど・・・」
「一人で寝るのか?」
「他に誰と寝るんだよ!」(苦笑)
「ずいぶん寂しいが・・・ここには何人いるんだろうね?」
「え?俺とお父さんの2人だけだけど・・・」
「ええ!・・・そうなのか?・・・2人?」
「当たり前でしょ」
「このお店は誰がやっているお店なんだ?」
「お店?・・・ここはお店じゃなくて自宅だぞ」
「自宅????・・・・自宅って何だ?」
「自宅!家!我が家!」(苦笑)
「言っている意味がわからねぇなぁ~」
どう説明すりゃいいんだ?(涙)
急にボケに戻りやがった・・・

日記 | 23:25:35 | Comments(0)
道路橋の修繕
地方自治体などが管理する「道路橋」・・・・
老朽化に伴う架け替えを含めた修繕費用が、今後50年間で約27兆円になるという推計結果が出たという。(唖然)
試算の対象は約64万カ所の道路橋だそうで・・・
そのうち、政令指定都市を除く市区町村が管理する道路橋は約48万カ所あるそうである。
で・・・これらの市区町村の修繕費は13兆4千億円に上るという。

ところが、財政事情の悪化や技術系職員の不足のため、補修工事どころか日常点検にも手が回らない状態だそうで・・・
市町村では「とてもじゃないが支払えない」と言っているとか・・・(汗)

でもねぇ~・・・・
道路橋って耐用年数って決めていないのかね?
道路橋を造った段階で、耐用年数に基いて何十年後かには架け替えをするという計画って立てないのかね?
その計画に従って架け替えもしくは修繕費の積み立てってしていなかったのかね?
もし、そうだとしたら、それは職務怠慢じゃなかろうか?(笑)
いまさら「支払えません」は通用しないんじゃないのかね?

私が関わっている戦友会・・・
戦没者の「慰霊碑」を建立している。
私が会計も担当しているのだが、絶対手を付けてはいけない積立金がある。
会の運営や慰霊祭などの費用は通常会計内ですべて行わなければならない。
この手を付けてはいけない積立金は・・・
慰霊碑の文字がかすれたり、破損した時の修繕費に当てるか、慰霊碑の移転もしくは撤去を余儀なくされた時のための費用に充てることになっている。
だから絶対手を付けてはいけないと前任者から言われている。
慰霊碑建立の時には、生還者、遺族とも、その思いの高さから寄付金を出し合って比較的スムーズに進んだだろうが・・・
これがもし、撤去、処分するために寄付金をくださいとなった場合、果たしておカネが集まるだろうか?
まず、無理だろう。
処分費用に多額の金を出してくれる人などいる訳がない。
撤去処分費用がないので、このまま放置します・・・というのは無責任というものだろう。

我々ですら、十分といえないまでも、ここまで考えて手を打っているのに・・・
役所が耐用年数に基づく修繕費・架け替え費用の手当てをしていないというのは問題ではないだろうか?
道路橋崩落による大惨事が起こる前に、耐用年数を超えた古い道路橋は撤去するしかないか・・・
日本中、あっちもこっちも道路が寸断ということになるだろうが・・・
自業自得だな・・・と思うしかないだろうなぁ~(苦笑)

エッセイ | 19:59:00 | Comments(0)
以心伝心?(笑)
夕方、スーパーに買い物に行った。
で・・・ふと、目に付いたのが「甘酒」!
そうだ・・・親父に飲ませようか・・・
確か甘酒は「飲む点滴」と言われているんじゃなかったっけ?
親父に飲ませた方がいいな・・・点滴・・・(大笑)
で・・・買い物の最後に甘酒を買おうと思って店内を歩き回っているうちに・・・
忘れた!(大笑)
帰宅して思い出した!(大汗)
まぁ・・・いいか・・・(苦笑)
どうしても飲ませなくてはならないというわけでもないし・・・(大笑)

と・・・・ピンポ~ン!
玄関のチャイムが鳴った・・・・
宅配便である。
かなり重量のある箱を受け取り、開けてみたら・・・
なんと!甘酒!(驚)
従妹が送ってきたのである!
「美味しいので是非、叔父さんに飲ませてあげてください」とのこと・・・
なんというタイミング!(唖然)
以心伝心とは、まさしくこのことか?
従妹に感謝、感謝・・・・大感謝である!

日記 | 17:14:53 | Comments(0)
天皇陛下の退位
昨日・・・宮内庁で皇室会議が開かれ、天皇陛下の退位の日を平成31年(2019年)4月30日に決めたという。
そして・・・皇太子が翌日の5月1日に即位するという。
ということは、平成31年は4か月間で終わりということになる。
5月1日から元号は「平成」から別のものになる。

12月31日に退位して、1月1日に皇太子が天皇に即位した方が“キリ”がいいと思うのだが・・・
そうそう簡単な話ではないらしい。
なにせ「新年の儀式」があるので年末年始のバタバタしている時に「即位の礼」というわけにはいかないのだろう。
もしかして、この「儀式」を現天皇が皇太子に教える都合があるのかも・・・

「年度替わり」を重視するとなると、3月31日に退位して、新天皇が4月1日に即位するというのがいいような気がするが・・・
こちらは、どうも選挙と重なるからダメらしい。
選挙の方が優先なのか?(汗)
学校などは、平成31年3月に卒業して、新入生は新元号の「元年」入学となると思うが・・・
このほうがスッキリしていいのではないだろうか?(笑)
役所の届け出も、平成31“年度”は4月だけの1ヵ月だけ使用され、5月1日からは新元号を記載することになるわけで・・・
面倒と言えば面倒な気がする。

しかし、考えてみれば贅沢な話で・・・・
今までは天皇陛下が崩御されて、いきなり新元号になったわけで・・・
新元号の使用は、こちらの都合に合わせてくれるわけではない。
そう考えると、即位はいつでもいいような気がしてくる。

唯一、ありがたいのは、新元号の切り替えタイミング・・・・
大正から昭和に替わった時は・・・
大正天皇が大正15年12月25日に崩御され、即日、昭和元年となった。
こうなると、12月25日は、大正15年でもあり昭和元年でもあるということになる。
「大正15年12月25日」と書くべきか「昭和元年12月25日」と書くべきか迷うところである。
この日に誕生した人は、自分の生年月日をどう書いているんだろう?(汗)

昭和から平成に元号が替わった時は・・・・
昭和64年1月7日に天皇陛下が崩御され、翌日の1月8日に「平成元年」となった。
「翌日改元」だから混乱はしない。
これを今回も継承していただけるので、それは良かったと思う。

しかし、それにしても可哀相だったのは、「昭和元年」と「昭和64年」である。(笑)
「昭和元年」は1週間後には「昭和2年」になってしまったのである。
「昭和64年」も1週間後に「平成元年」になってしまったのである。
なんと寿命の短かったことか・・・(汗)
「昭和は何年まであったでしょう?」と質問されて「ん?昭和64年ってあったっけ?」と言われてしまうのである。(大笑)
この存在感のなさ・・・・(涙)
それに比べれば、「平成31年」も次の新元号も存在感を残せるかな?

どうせなら5月31日退位、6月1日即位にすれば、ちょうど半分づつでいいような気がしますが・・・
もしかして、“愚かなこと”を狙って「5月1日」にしたのではあるまいな?(汗)
4月29日は「昭和の日」、5月3日は「憲法記念日」、5月4日は「みどりの日」、5月5日は「こどもの日」ということで休日が固定されている。
ここへ「4月30日」を「平成の日」ということで祝日にして、さらに「ゴールデンウィーク」の連休を確固たるものにしようという策略ではあるまいな?(大笑)
“頭の使い方を間違っている優秀な官僚”なら、やりかねないかも・・・(大笑)

エッセイ | 15:41:59 | Comments(0)
息子は優秀だ~(?)
昼と夜が逆転している親父が夜10時半に起き出した・・・
センサーが鳴ったので、いつものごとく親父の部屋に行ったら、親父は超ご機嫌である!(唖然)

ニコニコしながら・・・
「俺は少し頭がおかしくなっているから、明日の予定を確認します!ちょっと教えていただけませんか?」と言う。
拙者に向かって敬語を使うところをみると・・・ボケてるな・・・(苦笑)
「予定は、こっちで把握しているから気にしなくて大丈夫です」と言ったら・・・
「そうですか・・・全部覚えているのですか?あなたは優秀ですねぇ~」とニコニコ顔・・・(大笑)

だめだ・・・こりゃ・・・完全にボケている・・・(大汗)


日記 | 23:19:27 | Comments(0)
広報委員会の現地取材
今日は法人会広報委員会の現地取材の日。
ほぼ丸一日かかる予定・・・・
朝、東京から妹が来てくれて親父の面倒を見てくれる。
今日は、放射線治療と診察、さらに続いて眼科の診察もあるが、先日“予行演習”をしておいたので、妹一人でも大丈夫だろう。(笑)

今回の取材地は北茨城市・・・
五浦観光ホテルで広報委員と合流。
今回の取材は拙者を含めて8名で行う。

まずは昼食を食べながら、本日の取材地の打ち合わせ。

039_convert_20180425151708.jpg

最初に向かったのは「茨城県天心記念五浦美術館」・・・・
事前にアポを取っておいたので、職員の方に館内を案内していただき、応接室でインタビュー。

042_convert_20180425152103.jpg

続いて平潟(ひらかた)港に向かう。
ここで我が会の元副会長が経営している旅館を訪ねる。
観光協会の副会長もしているので、この町の歴史と今後の観光業の展望についてお話を聞く。
ついでに平潟名物の「あんこう鍋」についても・・・(笑)
どちらかというと、「あんこう」と「ドブ汁」の話の方が面白かったかも・・・(大笑)

今回の取材については、拙者は気楽!(大笑)
前回のNHKの朝のテレビドラマ「ひよっこ」のロケ地取材の時に大活躍をして原稿を書いてくれた“ヨシノ委員”が、積極的に写真撮影を担当してくれた。
原稿の方は、北茨城市在住の“ムラタ副委員長”が書いてくれることになっている。
自分の町の観光を含めた紹介に意欲的だったので、自動的に彼の担当となった。(笑)
ということで・・・拙者は樂!(大喜)
いつも会報の記事を書くのには頭を抱えていたが、今回はまったく気にしなくていい。
ということで・・・カメラを持って行ったが、写真を撮る必要もなく、メモ帳を持って行ったが、ろくにメモを取ることもなく・・・(大笑)
あとは・・・上って来た原稿をチェックするだけ・・・(大笑)

こうなると、無理して拙者が現地取材に参加しなくても良かったような気がしますが・・・(苦笑)
万が一、原稿が上がってこなかった場合は、拙者が急遽、原稿を書き上げるというわけで・・・(大汗)
いわば“保険”のような存在だという。(苦笑)
一緒にいるだけで安心していただけるのなら・・・それはそれでいいかな?(笑)

午後6時までかかって取材を終えて現地解散となる。
ご苦労様でした!

帰宅して、妹から今日の治療と診察について報告を受ける。
特に問題もなくスムーズに出来たという。
いやぁ~助かった・・・・
こっちも久々に気分転換が出来てリフレッシュできた。(大喜)

夜、妹が東京に帰る。
日帰り、ご苦労様である。

日記 | 17:42:43 | Comments(0)
薬局と契約
今日は薬局さんに薬を宅配してもらうための契約をする。
以前は、病院の院内処方だったので、病院の薬剤師さんが、朝・昼・晩に小分けした薬を自宅まで届けてくれた。
薬の管理は親父自身でやってもらう。
拙者がチェックリストを作成して、飲んだかどうかを自分で書き込んでもらいながら投薬していた。
これは、「自分でできることは自分でやれ」という拙者の方針である。(笑)
ボケ防止の一つである。(大笑)

そのうち、飲み忘れが出てきた。
一番怖いのは、同じ薬を二回飲んでしまうこと・・・
薬の量が二倍になったのではマズイ・・・(大汗)
飲み忘れると、命に関わるのかどうかを看護師に尋ねたら、「問題はない」とのこと。
ならば、1回や2回ぐらい飲み忘れても構わないだろう・・・(大笑)
死ななきゃいいのである。(大笑)

そのうち、チェックリストに記入するのを、ちょくちょく忘れるようになった。(汗)
そこで医者に相談して、薬の量と飲む回数を減らしてもらうことにした。
1日3回の服薬を1日2回に減らしてもらった。
が・・・まもなく、それでも忘れるようになってきた・・・(大汗)

しかも、飲み方に問題がある・・・
薬の量を減らしたが、それでも5種類の錠剤と1包の粉薬を飲む。
親父は、これらの錠剤を掌に乗せて、ポンと口に投げ入れるのである!
それが、ちゃんと口に入ればいいが・・・(苦笑)
何個かが口まで届かず床に落ちるのである。(大笑)
本人は薬を飲んだ気でいるようだが・・・・(大笑)

「なんで薬をポンと口に放り込むんだよ!」
「ん?なんで?・・・飲んでるんだけど・・・」
「なにも放り込むこたぁねぇだろ?丁寧に口まで持っていって飲めよ!」
「それじゃ飲んだ気にならねぇんだよなぁ~」
「見てみろ!床に落ちてるじゃねぇか~」
「あれ?・・・なんだろうねぇ~・・・ありゃぁ~・・・こんなところに・・・ねぇ~」
「ねぇ~じゃねぇよ・・・・・」(大汗)

自主管理も、ここまでが限界だな・・・
薬を床に落とすようでは、意味がない・・・(大笑)
そこで、今度は拙者が薬を管理して、親父に飲ませるようにした。
なんとも面倒くさいのだが、仕方がない・・・(苦笑)

ちょうど、そのころ、病院の方針で院内処方から外部の薬局への処方に変更することとなった。
問題は、どこの薬局を指名するか・・・である。
近所にいくつもの薬局があるので、どこでもいいのだが・・・
薬を取りに行ける余裕があるときは良いが、親父の状況によっては、薬を取りに行けないことが起こるかもしれない。
というわけで・・・自宅に薬を届けることもやってくれる薬局を探して、そこを指定することにした。

で・・・その後は、拙者が薬を受け取りに薬局に行っていたが・・・
親父の認知症が進み、目を離せない状況となった。
これまでの様子からして、目を離すにしても30分程度が限界である。
これでは薬を受け取りに行くのは“危ない”・・・(苦笑)

そこで、薬の宅配の契約を結ぶことになった。
薬剤師さんが薬を届けるついでに、体温、血圧を測定し、薬の服薬状況と親父の具合も確認して主治医に報告するのだそうだ。
いやぁ~そこまでやっていただけるとは、こりゃ助かる。(喜)
訪問看護にヘルパーさんに薬局も加わって万全の体制だな・・・(大喜)

日記 | 17:41:26 | Comments(0)
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