■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
年会費の請求
今日は、やっと時間が取れたので・・・(苦笑)
戦友会の年会費の請求書を作成して会員に郵送する。
その数・・・・38通!(大笑)
いやぁ~会員が減ったなぁ~
一昔前は、軽く100通以上を作成して郵送したんだけどなぁ~
寂しくなっちゃったなぁ~
それでも、拙者を含めた39名の会員のうち、従軍経験者である“戦友”が10名もいらっしゃる。
しかし、毎年、この年会費の請求をお送りすると、かならず何名かの会員のご家族から連絡が入る・・・
「父はすでに他界しております」の連絡・・・・
これがツライ・・・・
あ~嫌だなぁ~・・・・今年は何名から連絡が入るんだろう?
心臓に悪いんだよなぁ~・・・これ・・・

日記 | 10:01:45 | Comments(0)
水戸市民はメロン好き?
昨年1年間の茨城県水戸市民のメロンの購入額が全国1位だったという。(笑)
しかも・・・5年連続!(唖然)
メロンの購入金額は全国平均の3.7倍だそうである。
水戸市民は、そんなにメロンを食べるのか?(笑)
水戸市民は、そんなにメロンが好きなのか?(笑)

いや、いや、もしかしたら自分で食べるのではなく、“お遣い物”として誰かに贈っているのではなかろうか?
茨城にはメロンくらいしか贈るものがないとか・・・(大笑)
そうなると・・・水戸市民は自分ではメロンを食べていないから、「メロン好き」とは言えないかも・・・(大笑)

エッセイ | 20:03:09 | Comments(0)
『軍用自動車入門』


序章 軍用車輛の登場

     自動車の研究
     国産軍用自動車の誕生
     国産車、実戦に参加
     関東大震災とその後の自動車

第1章 軍用トラック

1 補給支援

軍用トラック
     九四式六輪自動貨車
     九七式四輪自動貨車
     UB型牽引自動貨車
     一式四輪・六輪自動貨車
     試製四輪起動貨車
     二式四輪起動貨車・六輪貨車
     戦時規格簡素型トラック
     水陸両用トラック

2 砲兵・防空部隊

高射砲牽引車
     高射砲と車輛
     十一年式野戦高射砲牽引車輛
     50馬力牽引自動車
     高射砲牽引六輪自動貨車
     九六式高射砲牽引車(甲)(乙)
     九八式半装軌牽引車輛
気球器材車
     気球戰と器材車
     九三式気球
     係留車
     気球車
     水素缶車
     高圧水素ガス発生車と圧搾車
     一式偵察気球用車輛
     防空気球用器材車
照空燈車
     野戦電燈隊の登場
     照空燈車の研究
     スペリーとジーメンス
     九三式150センチ照空燈
     その他の照空燈
聴音機車
     聴音機とは
     日本の聴音機
     九〇式大聴音機
     九〇式小聴音機と車輛
     試作聴音機と車輛
     九五式大聴音機と車輛
     電気式聴音機・九七式大聴音機

3 通信部隊

無線車
     無線機搭載車
     八七式対空用1号無線電信機搭載車
     八七式対空用2号無線電信機搭載車
     九四式1号無線機搭載車
     九四式2号丙無線機搭載車
     九四式2号丁無線機搭載車(九三式六輪指揮無線乗用車)
     九四式対空用1号無線機搭載車(九四式四輪対空用無線車)
     超重無線甲搭載車(超重無線甲車)
     無線修理車とは
     八九式無線電信修理車
     九四式無線修理車
     特殊無線器材とは
     九四式5号特殊受信機搭載車
     軽特殊受信指令機搭載車
     野戦用超短波多重通信機搭載車
     試製電視機車(軍用移動テレビ車)
     超短波警戒機乙搭載車
     電波標定機(車)
     車載候敵警戒機
通信線路建築器材車
     植柱作業とは
     半永久建築車
     九七式植柱車
     九七式延線車
     敷設作業車(重延線車)
     九五式小型四輪起動中延線車
     ケーブル補給車
     埋線建築車
     強土埋線建築作業車

4 衛生・給水部隊

患者車
     野戦衛生部隊とは
     野戦救急車
     満州事変の患者車
     九四式患者車の開発
     患者用自動貨車
     小型患者車
     患者輸送隊
衛生車
     日本の衛生自動車
     X線自動車
     外科病院自動車
     昭和の医療用車輛
     野戦外科用手術車
     野戦X線車
     野戦衛生車
     野戦衛生材料車(甲・乙)
     野戦滅菌車
     野戦沐浴車(甲・乙)
     野戦防疫車(甲・乙)
     防疫濾水車
作井車・給水車
     戦場と水
     九五式動力作井車(機)
     作井車の活躍
     その他の器材車
炊飯車
     九七式炊事自動車の登場
     炊事自動車の原理と特徴
     炊事自動車の実戦使用
     海軍陸戦隊の烹炊車
     沸水兼搬水車
     二輪炊事車と九七式沸水車

5 偵察・指揮・連絡・補給用

乗用車
     乗用車の価値
     軍用乗用車の必須条件
     チヨダ軍用乗用車
     九三式四輪・六輪乗用車
     六甲号乗用車
     アツタ号乗用車
     ふそうPX33型四輪乗用車
     いすゞHA型四輪乗用車
     いすゞHB型四輪乗用車
     九八式四輪起動指揮官車
     九八式四輪起動乗用車(甲・乙)
     指揮官用高級乗用車
     いすゞ大型B乗用車
     トヨタ大型B高級乗用車
小型貨物・小型乗用車
     求められた小型四輪起動偵察車
     九五式小型乗用車
     試製九八式小型乗用車
     各社の小型乗用車
     驚嘆した高性能
     四式小型貨物車
     くろがね小型貨物自動車
     小型乗用車の時代
三輪車
     三輪車の軍用化
     三輪車の戦時規格

6 獣医・経理部隊

装蹄車
     陸軍蹄鉄術の沿革
     装蹄所の開設
     野戦装蹄車の開発
     野戦向きの車に改良
軍服・軍靴修理車
     物資節約のための修理車
     被服軽修理車
     被服重修理車
     縫工修理車(初期型)
     縫工修理車
     靴工修理車(初期型)
     靴工修理車
     汚毒被服処理車
軍用鳩車
     軍用鳩の有用性

第2章 軍用オートバイ

     オートバイの発達
     オートバイの実戦
     天皇警護のオートバイ
     オートバイの開発
     陸王の誕生
     試製二輪起動車
     九七式側車つき自動二輪車
     制式軍用オートバイ各種
     各制式車のデータ
     海軍のサイドカー
     衛生部隊の特殊サイドカー
     オートバイ戦史
     オートバイのプレート記号

第3章 砲兵牽引車

     帝国陸軍の牽引車
     重砲用牽引車の研究
     ホルト30型牽引車
     三トン牽引車(50馬力牽引車)
     九二式5トン牽引車甲(試製55馬力牽引車) イケ
     九二式5トン牽引車(乙) イケ
     試製75馬力牽引車
     九二式8トン牽引車 甲型 ニク
     九二式8トン牽引車 乙型 ニク
     九五式13トン牽引車 甲型 ホフ
     九五式13トン牽引車 乙型 ホフ
     試製重牽引車 チケ
     九四式4トン牽引車 ヨケ
     九八式4トン牽引車 シケ
     九八式6トン牽引車 ロケ
     試製中牽引車 ハニ
     観測挺進車
     対戦車砲牽引車

第4章 装甲自動車

     装甲自動車の出現
     第一次大戦とシベリア出兵
     日本の装甲車
     ウーズレー装甲車の開発
     騎兵用偵察車輛
     満州事変の装甲車
     上海事変の装甲車
     熱河作戦の装甲車
     愛国号装甲自動車
     海軍の報国号装甲車
     九二式装甲自動車
     フランスの装輪・装軌戦車

第5章 特殊車輛

     軍用車輛の用途分類
     野戦力作車
     九四式溶接切断車
     自走式溶接切断車
     軍用ブルドーザーの開発
     押しならし機の製作
     トト車、トロ車、トヘ車の開発
     太平洋戦争時の飛行場設置概要
     海軍設営隊
     海軍の施設機材
     航空基地設営の条件

第6章 鉄道車輛

支援車輛
     鉄道部隊の発足
     軽便鉄道の兵器
     双合軽便機関車
     ペショ型軽便機関車
     九一式改良型双合機関車
     五軸軽便機関車
     試作機関車N型
     試作機関車K型
     K2型軍用機関車
     広軌軍用機関車
     装甲軌道車の採用
     シベリア戰の装甲軌道車
     九〇式広軌牽引車
     九一式広軌牽引車
     九二式広軌牽引車
     九七式鉄道牽引車
     九八式装甲牽引車(重)
     九八式鉄道牽引車(軽)
     一〇〇式鉄道牽引車
     一式鉄道工作車
     九五式装甲軌道車
     九三式、九五式工作車
     九五式力作車
     九二式広軌牽引車(障害物排除型)
     内燃軽便機関車
     九一式、九七式軽貨車
     軽装甲軌道車
     装甲軌道通信車
     鉄道連隊の普通機関車
     600型機関車
     5500型機関車
     9600型機関車
     C12機関車
     C56機関車
     海を渡った蒸気機関車
     ガーラット式機関車
装甲列車
     初期の日本軍装甲列車
     済南事件の装甲列車
     装甲列車の目的とその用法
     装甲列車の概要
     装甲列車の編成
     装甲列車内の各種装備
     満州事変の装甲列車
     軽装甲列車
     重装甲列車の開発
     火砲および装備兵器の改良
     九四式装甲列車の射撃テスト
     装甲列車の戦い

あとがき


今年の読書:19冊目



読書 | 19:46:48 | Comments(0)
無事に帰国しました!
本日、無事に帰国しました!(笑)

寝不足と疲れのせいか・・・・

声がかすれてしまって、自分の声がうっとうしい・・・(苦笑)

歳のせいか?(大笑)

日記 | 22:04:02 | Comments(1)
帰国!
軽く仮眠をとるが、結構、グッスリと寝たみたい・・・(大笑)
前回、別のツアーで来たときはホテルに宿泊したため、仮眠なんてもってのほか。
寝坊したら大変である!
というわけで・・・マッサージを呼んでマッサージをしてもらいながら時間を潰したが・・・
今回は、“別荘”である!(笑)
寝坊しても誰かが起こしてくれるだろうと「高を括って」熟睡した。(大笑)

荷物の最終チェックと家の中の掃除・・・
といっても、この“別荘”の最高齢宿泊者の拙者は・・・何もしない・・・(笑)
ほとんど、最年少者の“ナカムラさん”が、やってくれた!(喜)
感謝、感謝である。

靴底が無くなった我がトレッキングシューズは、他のゴミと一緒に棄てることにする。
一緒にフィリピンの山岳地帯を歩いた、長年の“戦友”とも、ここでお別れである。
思い出の多い靴なのだが・・・(涙)
スーツケースには余計なスペースはないので、持ち帰れない。
まぁ~持ち帰っても使い物にならない靴だから無駄と言えば無駄なのだが・・・
思い出がねぇ~・・・あるからねぇ~
こういう思い出に執着してしまうところが拙者の欠点でもある。
だから、なかなか自宅も我が部屋も、物が捨てられず片付かないのである。(大汗)

午前1時過ぎ、現地旅行社の送迎車に乗り空港に向かう。
途中で別のアベック客をピックアップ。
どういうわけか、日本人というのは(特にアベックは)、こういう時に挨拶をしない。
我々がいるのが見えないという、“無視”する態度・・・・(唖然)
後から乗り込んでくるのだから会釈くらいあってもいいと思うのだが・・・
わざわざ気を使って席を移動して空けてあげたんだし・・・
「すみません」とか「ありがとうございます」くらいの一言があってもいいと思うが・・・無視である。
まぁ、最近の若い人は、こういうものなのだろう・・・
こういうことにムカッとくるんだから、拙者も歳を取ったものだ・・・(苦笑)

成田行きの便なので、当然、チェックインカウンターには日本人の行列が・・・(汗)
中には、もめてゴタゴタしている連中もいたが・・・・
拙者はスムーズにチェックインを済ませ、手荷物検査もスムーズに通り搭乗口へ・・・
以前と同様、相変わらずの混雑・・・
拙者は、この搭乗口で待つというのが好きではない。
とにかく他の乗客を見ているとムカムカしてきてしまうのである。(苦笑)
横柄な態度のチンピラ風の連中がいる・・・・
馬鹿丸出しで、はしゃいでいる連中がいる・・・・
あ~なんと品(ひん)のない連中か・・・・
そういうのを見るのが嫌なのである。
というわけで・・・拙者は読書をして過ごす・・・(笑)

午前4時55分発、デルタ航空282便で成田に向かう。

DSCN4380_convert_20170601203541.jpg

午前6時30分・・・機内食が出る。
う~ん・・・一応、これが朝食・・・である・・・・(苦笑)

午前9時20分ごろ、成田空港に到着。
荷物を受け取ったら、皆さんにお別れの挨拶をしようと思っていたのだが、みんなの姿が見あたらない。
仕方がない・・・心の中で・・・(大笑)・・・「お疲れさまでした!お世話になりましたぁ~!」と言って・・・(大笑)
空港を出る・・・・

旅行 | 17:34:42 | Comments(0)
靴が“オシャカ”!(驚)
DSCN4310_convert_20170530215907.jpg (我が“別荘”)(大笑)

今日は、パラオ本島の“探索”と“観光”・・・・(笑)
相変わらずお天気はイマイチである。

まずは、第二次編成の戦車隊の戦車が埋没している場所を再訪問して、遺族の“サカイさん”のための「お別れの挨拶」・・・・
続いて、日本人住民がいたという「大和村」の位置の確認の探索をしたが、残念ながら、ここだと明確にはわからなかった。
なにせ、70年以上も前だし・・・今では村は消滅してジャングル化しているし・・・
おおよその位置関係の確認に終わる。

“某所”で珍しいものを偶然見つけた!
今で言うところの「ロードローラー」である!(驚)
こりゃすごい!
・・・・と、大興奮しているのは拙者だけ・・・(大笑)

DSCN4312_convert_20170530215824.jpg

これは、ローラーで道路や滑走路を圧し固める機械である。
軍用のものなのか民間のものなのかはわからない。
以前、ラバウルで、このローラーの部分だけを見かけたことはあるが、車体全体を見たのは初めてである。
しかも、ほぼ原型を留めているのであるから驚きである!
う~ん・・・これ、欲しいなぁ~(大笑)

次に向かったのは「パイナップルの缶詰工場跡地」・・・・
当時はパイナップルを栽培していたんだろうか?
今は、どこにもパイナップル畑らしきものは見当たらないのですが・・・・

DSCN4330_convert_20170530221959.jpg

次に向かったのは、墜落した零戦があるという“某所”・・・・
車を降り、山道を歩くこと30分以上かかるという。

DSCN4331_convert_20170530223109.jpg

この真っ赤な土は、鉄分が含まれているからなのだろうか?
以前、フィリピンの北部ルソン・サラクサク峠でも見たことがあるし、ソロモン諸島のツラギでも同じ色をした土を見たことがある。

DSCN4335_convert_20170530223314.jpg

これは・・・ボーキサイトの山・・・・
ボーキサイトはアルミニウムの原料である。
で・・・日本統治時代は、こういう山を削ってボーキサイトを日本に輸出していたのだろう。

DSCN4334_convert_20170530223236.jpg

途中で見かけた花・・・・
何という名前かは知らない。
蘭の一種か?
それとも金魚草(キンギョソウ)の一種か?
拙者は花は好きだが知識がない・・・(大汗)

この地層も珍しい・・・
赤土の間に黄色の土が・・・
う~ん・・・・
カスタードクリームを挟んだチョコレートケーキ?(大笑)

DSCN4337_convert_20170530223353.jpg


DSCN4332_convert_20170530223533.jpg (途中で見た景色)

歩き始めて30分以上もかけてようやく“現地”に到着する。
なにせ普段の運動不足が効いた・・・・
なだらかな道でも息が切れる・・・(涙)
いやぁ~これが炎天下だったら完全にダウンしていたかもしれない。

DSCN4340_convert_20170530230744.jpg DSCN4357_convert_20170530230923.jpg

丘のなだらかな斜面に不時着したという感じの零戦の残骸・・・・
現地の人の話によれば、1機の零戦が燃えながら飛んできて、ここに不時着したという。
何時頃の話かはわからない・・・
通常なら激突するであろうが、最後の最後まで不時着することを狙って着地したのであろう。
綺麗に不時着している。
しかし、現存しているのはエンジン部分と両主翼と尾翼だけ・・・・
胴体部分は完全に消滅している。
焼け落ちてしまったのかもしれない。
燃えていたのは操縦席のある胴体部分か?
3枚あるプロペラのうち1枚は、曲がりもなく真直ぐに立っている。
ということは、完全にプロペラが止まった状態で不時着したのか?
プロペラが空転であっても回っていたら、必ず内側に曲がっているはずである。
ということは・・・滑空して不時着したものと思われる。
型式は不明・・・・
翼端の形状からすると零戦21型か、22型、52型あたりだろうが・・・
草に覆われていて主翼の翼端に折り畳み機構があるかないかが、よく見えない。
翼端を折り畳める形ならば21型か22型・・・・
折り畳み機構がなければ52型ということになるのだが・・・・

DSCN4365_convert_20170530231149.jpg (仮埋葬地跡)

草に覆われ、ちょっと見づらいが、ここに穴がある。
機体の残骸から少し離れたところにあるのだが・・・
この零戦が墜落(不時着?)した時、地元の住民が駆け付けたらしいが、既に搭乗員は死んでいたという。
この残骸から想像するに、操縦席は火に包まれていたのではなかろうか?
全身やけどで、焼死に近かったのではなかろうか?
そこで地元の人たちが機体から少し離れた場所に穴を掘り、搭乗員を仮埋葬したという。
たぶん戦後のことだと思うが、その後、掘り返されて遺骨は日本に還ったという。
この搭乗員が誰なのかは知らない・・・・
その穴が今も残る。
ここに埋まっていたんだ・・・・お線香をあげて慰霊する・・・・

と・・・・まもなく、一気に雨が降り出してきた!(驚)
拙者はポンチョを着ていて大丈夫だったが・・・・
さぁ!帰りましょう!・・・ということになる。
ところが、歩き出したら何かが足にまとわりつく・・・・
ペタペタと何かが貼りついているような・・・
足を上げてみて驚いた!
靴底が剥がれてめくれているのである!(唖然)

このトレッキングシューズ・・・・
もう15年以上も前に購入したものである。
寿命と言えば寿命なのかもしれない・・・(涙)
ついに靴底が剥がれ落ち、左足は大丈夫だが、右足は靴底のない靴となってしまった・・・(大汗)
しかし、靴は高価なものを買っていて正解だった。
靴底がないのに、靴底があるのである。(大笑)
二重構造か三重構造になっているのだろう。
かなりしっかりしている靴底がまだ健在だった・・・
剥がれ落ちたのは靴底のギザギザの滑り止めの1枚だけだったようである。
雨の中をしばらく歩いてみたが、靴の中に水が入ってこないんだから大したものだ。(驚)

DSCN4368_convert_20170530231321.jpg

土砂降りの雨の中を30分以上もかけて歩いて車のところまで戻る・・・
他の人たちはサッサと歩けるが・・・こっちは靴底が無くなり歩きづらいことこの上ない・・・
滑って転んで、今度は洋服が泥だらけ・・・なんてことになったら最悪である。
慎重に歩けば歩くほど、みんなから置いてけぼりを喰わされ、ほとんど一人で豪雨の山の中をさ迷っている“敗残兵”のようなことになってしまった。(大笑)
そのうち、ジワジワと雨水が靴の中に沁み込んできた!(涙)
もうグズグズ状態である。(大涙)

時刻はお昼・・・・
ここへ来る途中の小さなお店で、各自で昼食を買っておいた。
どこか屋根のある場所で雨宿りをしながら食事をするということで、海岸の方へ出た。
小さな船着き場のある場所で昼食ということになる。

DSCN4369_convert_20170601133451.jpg DSCN4371_convert_20170601133521.jpg

すごい豪雨である・・・・集中豪雨!(驚)

DSCN4373_convert_20170601133549.jpg DSCN4374_convert_20170601133620.jpg

拙者がお店で買ったのは、地元の人の手作りの“お弁当”・・・(笑)
こういう手作りの“お弁当”が店の棚に置いてあったので買ってみた。(笑)
平べったい“おにぎり”の上に平べったいソーセージのようなハムのようなものが乗っていて海苔で巻いてある。
生産者の名前が包んであったサランラップに書いてあったような気がしたが・・・・
これが、なかなか美味しい!
それに、誰か地元の人が作った手作りのサンドイッチ・・・(笑)
これも予想外に美味しかった。
日本人に合う味?(笑)
これに他の人が買ったバナナを1本いただき・・・
これで今日の昼食は終了!(大笑)・・・・安上りである。(大笑)


この豪雨で午後の計画は全て“オジャン”である。(笑)
この土砂降りの中、いや、仮に雨がやんだとしてもドロドロにぬかる中、ジャングルの中を歩くのは無理である。
ということで、急きょ、無難な“観光”に予定を変更!(笑)
パラオの国会議事堂を見学することになった。(笑)

DSCN4375_convert_20170601155213.jpg DSCN4378_convert_20170601155245.jpg

今日の行動は以上!(笑)

“別荘”に戻る途中、町の中のショッピングモールに立ち寄る。
で・・・他の人たちは、店内を見学・・・
拙者は靴探し!(苦笑)
拙者は日本からトレッキングシューズを履いてきていたので、履き替える靴を持ってきていない。
靴一足をスーツケースに入れると、他の物が入り切らなくなるし、スーツケースも大型になってしまう。
というわけで、トレッキングシューズを履いたままだったのだが、こういうことが起こると不便である。
とにかく何でもいいから帰国時に履く靴を探さねば・・・・
とりあえず、靴屋は見つかったが・・・・
置いてあるスポーツシューズの色は、どれもこれも原色で派手な色のものばかり・・・(唖然)
いくらなんでも黄色とか赤とかピンク色の靴を履いて帰国したくない・・・(涙)
さらに値段が高い!
日本円で軽く1万円はする・・・(大涙)
さらに・・・サイズがわからない!(大泣)
全てインチ表示である。
今履いている靴は泥だらけだし足はビショビショである。(泣)
こんな状態で“試し履き”というわけにはいかないだろう。
いやぁ~参ったぁ~(泣)
お店の女子店員に頼んで、足のサイズを測ってもらい、試し履きをせず、適当な靴を買うことにした。
とにかく自宅に帰るまでの“応急処置”である。

続いてお土産屋さんに立ち寄る。
この店には前回、別のツアーで来た時にも立ち寄ったことがある。
ここで皆さんは“お買い物”・・・・
と・・・いきなり停電!(驚)
拙者は洞窟探検用に高輝度のLEDの懐中電灯を持っていたので、これを“ヨコハマさん”に貸し、天井を照らして買い物をするよう指示する。
天井に光を当てると、その反射で結構、周囲が薄明るくなるのである。
拙者は、前回同様、ここでコーヒーを飲むことにして頼んでいたのだが・・・
停電のため、当然、コーヒーメーカーは動かない・・・(苦笑)
回復するまで、しばらくの間、待つこととなる。
この停電は、豪雨のせいなのだろうか?
拙者が子供の頃は、雷雨になると、よく停電をしたものだが、最近は、全くと言っていいほど停電に遭ったことがない。
そういう生活に慣れてしまうと、停電になると不便さを感じるものだが・・・・
なぜか、とても楽しい・・・(大笑)
おお!久々の停電である!真っ暗!(大笑)
こういうこともあるから、この国に来るときは、洞窟探検をしなくとも懐中電灯はカバンの中に入れておいた方がいいかも・・・(大笑)

“別荘”に戻り、シャワーを浴びて、服を着替え、帰国の準備・・・
明日の真夜中に帰国するのである。
少し休んで、夕食に出かける。

067_convert_20170601162650.jpg

“最後の晩餐”である。(大笑)
新聞記者の“サイトウさん”と遺族の“サカイさん”は、この後、夜10時に空港に向かいグアム島経由で帰国する。
我々“別荘”組は、日付が変わった翌日の午前4時過ぎの飛行機で帰国する。
というわけで・・・この“夕食会”をもって、今回のツアーは解散ということになる。
お疲れさまでした。

食後、“別荘”に戻り、帰国の準備と片付け・・・そして仮眠・・・・

旅行 | 21:56:11 | Comments(0)
戦車隊の調査
DSCN4234_convert_20170520152942.jpg

部屋のテラスに出て、朝の一服・・・・(笑)
う~ん・・・今日も天気が悪そうである・・・(涙)

DSCN4237_convert_20170520153158.jpg DSCN4238_convert_20170520153226.jpg
(プライベート・ビーチ)

DSCN4235_convert_20170520153009.jpg

ホテルの目の前の海に、小島が見える。
戦時中、第14師団戦車隊の戦車が、ここから、あの島を標的に射撃の訓練をしたそうだ。
命中率が良く、かなりの腕前だったとか・・・

DSCN4239_convert_20170520153251.jpg

朝食を食べ、出発・・・・

“ナカムラさん”は、あの沖に見える小島まで、カヤックか何かで行って釣りをするので同行しないとのこと。
わざわざ、そのために釣竿を持参してきたそうで、おかげで空港で追加料金を取られたそうだ。(笑)
そこまでして釣竿を持ってきたのに、釣りをせずに帰国するわけにはいかないという。(笑)
「あの島に残る戦車の不発砲弾を踏んでドカン!・・・となるんじゃないか?」とか・・・
「途中でカヤックが転覆して鮫に食われて海の藻屑となるんじゃないか?」とか・・・
「干潮になって潮が引いてしまい、カヤックを担いで帰ってくるようになるんじゃないか?」とか、散々からかう。(大笑)
拙者は釣りは全くしないので、わからないが・・・
好きな人は、どうしてもやりたくなるんだろうねぇ~

DSCN4242_convert_20170521114118.jpg DSCN4240_convert_20170521114049.jpg
(拙者が泊まった「ドルフィンベイ・リゾートホテル)

最初に向かったのは・・・相変わらずの・・・・“某所”・・・(笑)
ここに第14師団戦車隊の戦車が埋没している。
戦闘後、米軍により破壊された日本軍戦車が、ここに“遺棄”された。
拙者は7年前にも、ここを訪れていて、今回が2回目である。
今回は“ヨコハマさん”が金属探知機を持ち込んで、それで埋没している戦車の位置を測定することになっている。

DSCN4255_convert_20170521115041.jpg

この戦車は日本軍の九五式軽戦車・・・
横倒しになって埋まっている。
7年前に来たときは、地表には車輪しか出ていなかったが、ずいぶん表土が流れたのか、車体の一部も地表に現れていた。
米軍の記録によれば、車内に日本兵の遺体を残したまま“遺棄”したとされている。
掘り出して中を確認すれば、ご遺骨を見つけることが出来るかもしれないが、その許可を得るには日本とパラオの政府間で話し合わないと難しいと思う。

DSCN4257_convert_20170521115119.jpg

こちらは、砲塔が無くなって、砲塔の取り付け部だけが地表に現れている九五式軽戦車の車体・・・・

DSCN4264_convert_20170521120400.jpg

こちらは、車輪だけが地表に出ている戦車・・・
たぶん、逆さまにひっくり返って埋まっているのではないかと思われる。
これら地表に現れている戦車の位置の測量などを行う。

ペリリューで戦った戦車隊の戦車は九五式軽戦車17両である。
そのうちの1両は、旧飛行場跡の近くに野外展示され、“観光名所”として使用されている。
ということで、残るは16両ということになる。

地表に出ていないものは、金属探知機で探索するが、2両が重なって埋まっている可能性は否定できない。
金属探知機が反応した地点の測定などをして“ヨコハマさん”が記録を取る。

これらの戦車を掘り出したいものだが・・・・
米軍は戦闘後、撃破した日本軍の戦車の写真を撮影して残している。
掘り出した戦車と、当時の写真を比較して、弾が当たった跡等を比較すれば、どの戦車が何という戦車なのかがわかる。
当時、戦車隊の戦車にはペンキ(?)で、それぞれ名前を書いていたのである。
例えば、隊長の戦車には「さくら」と書かれていた・・・
今では消えてしまっているだろうが、戦闘直後の写真には、戦車を特定するこの名前が写っている。
戦車が特定できれば、乗員が誰だったのかも絞れる・・・
その遺族からDNAの提供を頂ければ、ご遺骨が出てくれば、DNA鑑定で、どなたの遺骨かがわかる・・・
そうなれば、ご遺族に直接、ご遺骨を渡すことが出来る・・・ということになるのだが・・・
そう、うまくいくかどうかはわからないが、できるところまでは、やってあげたいものだと思う。

今日も天気はよろしくない・・・(苦笑)
時々チラチラと雨が降る曇り空である。
が・・・
これが、もし晴れていたら、暑くて仕方がない。
雨模様の曇り空は、ある意味、良かったかも。
バテずに済む。

DSCN4280_convert_20170530134858.jpg DSCN4284_convert_20170530134935.jpg

埋没戦車の位置確認作業を終え、次に向かったのは“某所”・・・
ここの草むらの中にコンクリート製の建物がある。
これが、第14師団戦車隊の弾薬庫跡。

続いて、またまた“某所”に移動・・・(笑)

DSCN4290_convert_20170530135815.jpg

ここは、第14師団戦車隊の駐屯地跡。
この道は戦車が通った道だから・・・「戦車道」と呼んでいいかも・・・
周囲は樹木に覆われ、何が何やらさっぱりわからない。

DSCN4289_convert_20170530135748.jpg (この草の向こうに壕がある)

当時の壕などの配置図に従って測量をしながら駐屯地跡を探索する。
「〇〇から25mのところに本部壕があるはず!」といった具合に、巻き尺で測量しながらの探索である。
で・・・その結果に従い、道から外れジャングルをかき分けて内部に入り込む。(苦笑)

DSCN4286_convert_20170530135545.jpg (戦車隊本部壕)

037_convert_20170530140005.jpg 039_convert_20170530140032.jpg

ここで人骨らしきものを見つける。
「これ、骨じゃないですか?どうですか?」と、またまた呼ばれて駆けつける。(苦笑)
形からいうと頭蓋骨の頭頂部のような気もするが・・・拙者は人骨の専門家ではない。(大汗)
“ヨコハマさん”は、拙者が何でもかんでも知っていると思ってか、鑑定を求めるのだが・・・・(大笑)
う~ん・・・どうでしょう?(汗)
人骨であるという確率は半々かなぁ~(汗)
とりあえず、これもまた、同行しているガイドさんに、日本の厚生省の遺骨収集団が来た時に見てもらうよう頼む。
(この頭蓋骨と思われるものの写真は、あえて掲載しないこととする)

周囲は、かなり岩が崩れ落ちている。
ここに頭蓋骨があるとなると、これらの岩を取り除けば、その下に、もっと人骨が埋まっている可能性が高いということになるが・・・
問題は、何で、ここに人骨があるかということ。
ここは本部壕である。
ここから戦車隊の戦車が出撃して飛行場奪還のため突っ込んで行き、全滅したのである。
その時に誰か本部壕に残っていて、のちに戦死したのか?
それとも、戦闘後に退却した生存者が、ここに立て籠もって戦って戦死したのか?
そのあたりの詳しい資料を見たことがないので、何ともわからない。
そういう戦史を知っていれば違和感はないのだが・・・
“この物体”が人骨であるとすれば、なんで、ここに人骨があるんだろう?
ちょっと違和感を感じる。

続いて、すぐ近くにある「整備隊壕」を探索・・・・

DSCN4295_convert_20170530150226.jpg

「変なものを見つけたんですけど・・・これ、なんですか?」の声・・・・
駆けつけてみると・・・工具がポツンと1個だけ置かれていた。
モンキーレンチである。
これ・・・工具ですけど・・・(汗)
ということは・・・やっぱり、ここは整備隊壕で間違いないということか?
それにしても、モンキーレンチねぇ~
当時、日本軍はモンキーレンチなんか使ったのだろうか?
他には工具類は見当たらない・・・
長さといい、形といい、日本の箸と思われる“物体”が、そばに添えられていた。
ちょっと疑問が残るが・・・当時の配置図と見比べても、ここが「整備隊壕」で間違いなさそうである。

とにかく戦後70年以上も経っているのである。
その間に、いろんな人がこの洞窟陣地に来ているだろうし・・・・
戦闘終了直後に、米軍もここに来ているだろうし・・・
本部壕のすぐ近くに赤さびた未使用の鉄条網の束が放置されていた。
鉄条網(有刺鉄線)のトゲの形状からして、明らかに日本軍のものではない。
いつごろここに放置されたのかは、わからないが、かなりの量の未使用の鉄条網の束である。
こうなると、我々の目に触れる“遺品”が果たして、本当に当時(戦時中)のものかどうか、判断するのが非常に難しい。

DSCN4291_convert_20170530135845.jpg (戦車壕跡)

道路わきの「戦車壕」跡は草木に覆われて、ちょっと見たくらいではわからない・・・
ヤブの中に分け入って、地形を足裏で確認して、ようやくわかる。
ここには戦車2台分の「戦車壕」があった。
戦車壕は“コの字”の形に掘られた戦車の“駐車場”である。(笑)

ちょうど、お昼となったので、一旦ホテルに戻り昼食をとる。

DSCN4297_convert_20170530202825.jpg

魚釣りに行っていた“ナカムラさん”は、無事に魚が釣れたそうで、大漁!
ホテルに頼んで料理してもらい、我々にも一人一匹づつごちそうしてくれた。
いやぁ~申し訳ないねぇ~・・・・散々からかったのに・・・(大笑)
何という魚なのかは知らないが、美味しかった・・・(喜)

DSCN4298_convert_20170530202859.jpg

午後は博物館を見学・・・

DSCN4300_convert_20170530202929.jpg

“ヨコハマさん”が、ここに戦車隊に関する各種資料を提供している。
よくやるなぁ~・・・・大したものである・・・脱帽である。

062_convert_20170530203345.jpg 061_convert_20170530203312.jpg

060_convert_20170530203240.jpg 059_convert_20170530203210.jpg

ホテルをチェックアウトして、ホテルのモーターボートでパラオ本島に戻る。
今回は、同じホテルの宿泊者である初老の外国人御夫妻も一緒・・・・
ドイツ人ぽかったけど、どこの国の人かは知らない・・・(笑)

DSCN4301_convert_20170530205354.jpg (ペリリュー島を離れる)

今日の夕食は、以前に一度だけ行ったことのあるレストラン・・・・
ここの料理・・・・一品の料理の量が馬鹿みたいに多いのである!(大笑)
それで今でもよく覚えている。
今回も同様である・・・(大笑)
いやぁ~懐かしい・・・・この量!(大笑)

DSCN4306_convert_20170530205534.jpg DSCN4305_convert_20170530205508.jpg

我々が泊まった“別荘”は・・・・ごく普通の一般の家である。(笑)

DSCN4307_convert_20170530212153.jpg DSCN4308_convert_20170530212219.jpg

DSCN4309_convert_20170530212254.jpg(拙者の部屋・かなりピンボケ!)(笑)

旅行 | 15:27:35 | Comments(0)
久々のペリリュー島!
“ナカムラさん”が用意してくれた朝食をいただき、“別荘”を出発!
今日は、これからモーターボートでペリリュー島へ向かう。

DSCN4178_convert_20170516104442.jpg

DSCN4180_convert_20170516103403.jpg

青い空に白い雲・・・・エメラルドグリーンと群青色のコントラストの海のはずが・・・
天気が悪い!(涙)
前回は低気圧接近の影響で海が大荒れ・・・
今回は荒れはしなかったが、ペリリュー島の方角に、明らかに雨雲とわかる黒い雲が立ち込めている。
あ~あ~・・・・残念だぁ~
晴れていたら最高の景色なのになぁ~(涙)

DSCN4183_convert_20170516105158.jpg DSCN4184_convert_20170516105224.jpg

パラオ本島を出発して、ちょうど1時間後にペリリュー島に着いたときは・・・雨!(涙)
しかも結構激しい雨である・・・(汗)
拙者は「雨男」ではないはずなのだが・・・
だれか、この中に、“普段の行ないが悪い人”がいるに違いない・・・(大笑)

最初に向かったのはペリリュー州知事のところ・・・
アポを取っておいたらしいが、不在!(苦笑)
まぁ~そんなものでしょう・・・南国では・・・(笑)
仕方がないので、今度はペリリュー島の酋長のところへ挨拶に行く。
酋長とお会いして来島したことを伝え簡単にご挨拶・・・

次に向かったのは、「ペリリュー小学校」・・・

DSCN4215_convert_20170516110653.jpg (ペリリュー小学校)

校長先生にお会いしてご挨拶・・・
リーダーの“ヨコハマさん”が「お土産」の文房具等を用意してきたので、それを贈呈。
校長先生から小学1年生のクラスに寄贈してくれるようにとのお話をいただき、「贈呈式」(?)となる。(笑)

DSCN4217_convert_20170516110719.jpg

突然の訪問客に、「お土産」である。
子どもたちは大興奮!(大笑)
このくらいの子供というのは、どこの国の子供でも本当にかわいい・・・
これが大人になると、犯罪を犯したり戦争を起こしたりしてしまうのだから・・・これが不思議だ。(笑)
いっそのこと、人類はすべて子供だけ・・・となったほうが地球は平和かもしれない・・・(大笑)

拙者が初めてこの小学校を訪問したのは2010年のこと。
あの時も小学1年生のクラスを訪問した。
彼らは、もう“中学生”になっているだろう。
あの時に撮った彼らの写真を焼き増しして持ってくれば良かったと、この時になって気づいた・・・(汗)
しくじった・・・(苦笑)

次に向かったのは、“洞窟陣地”・・・
ペリリュー島観光の“定番”である。

DSCN4219_convert_20170520110916.jpg DSCN4218_convert_20170520110836.jpg

015_convert_20170520131342.jpg 014_convert_20170520131300.jpg

次に向かったのは、「日本人墓地」・・・・
雨の降る中、ここにある慰霊碑の前で「慰霊祭」を執り行う。
拙者は、いつものように三笠宮殿下からいただいた菊花の模様の入った「恩賜のタバコ」を供える。
これは、もうずいぶん前に殿下から頂いたもの。
このところの「禁煙ブーム」(正確には嫌煙ブームか?)のおかげで、宮内庁も「恩賜のタバコ」の生産を中止することとなった。
拙者が戦没者の慰霊をしているのを知って、「これで最後です」ということで、最後の数箱をくださった。
大切に今まで保管していたタバコで、これを持参してお供えしたのだが・・・・
大失敗!
雨の中、迂闊にも、そのままお供えしてしまったのである!!(ゲゲッ!)
あっという間にタバコはびしょぬれ・・・・(涙)
シマッタ!
ビニール袋に入れてお供えすべきだった!
貴重な1箱を一瞬で失うこととなる。(大涙)

DSCN4222_convert_20170520110943.jpg

その後、ホテルにチェックイン・・・
コテージ風のホテルで、拙者は宮司の“タガワさん”と同室。

DSCN4223_convert_20170520111022.jpg

このホテルで昼食をとり、その後、一休み・・・・

DSCN4224_convert_20170520111058.jpg

午後は、日本政府が建てた慰霊碑に向かい、そこで慰霊祭を執り行う。
神主の“タガワさん”は、ここをメインということで、正装して慰霊祭に臨む。
土砂降りに近い雨の中での慰霊祭となり、結構、大変だった・・・・(汗)

DSCN4226_convert_20170520115620.jpg DSCN4225_convert_20170520115548.jpg

次に向かったのは零戦の残骸のある“某所”・・・・
雨のせいで、沼地と化していた・・・(汗)

DSCN4231_convert_20170520115834.jpg DSCN4232_convert_20170520115900.jpg

次に向かったのも・・・“某所”・・・・
とにかく“某所”と書くしかない。
あまり正確な位置を教えると“マニア”に荒らされる可能性がある。
この国が課しているルールというのを守らない“マニア”が結構いる。
まぁ・・・拙者を含め・・・・“マニア”だから、こんなところまでやって来るのだろうが・・・(大笑)
「触るな」「位置を変えるな」「持ち去るな」と言われたら、守るべきだ。
理不尽であろうと、何であろうとルールはルールである。
ルールを無視するような輩には情報は与えるわけにはいかない。
ということで・・・“某所”

この“某所”で、ご遺骨を見つけた。
以前に二度ほど、この“某所”には来たことがあるが、その時は遺骨など見当たらなかったのだが・・・
たぶん落ち葉などで覆われていたのだろう。
その後の風雨で表面が飛ばされたか流されたかして地表に現れたものと思われる。
骨の太さから想像すると、腕の骨のようである。
(あえてご遺骨の写真は載せないことにする)

周囲には薬莢が集中して散乱していた。
この薬莢が日本軍の物かどうかは拙者にはわからない。
一か所に集中しているということは、三八式歩兵銃のような単発式の銃のものとは考えられない。
たぶん、軽機関銃のような連発式のものではなかろうか?
だから一か所に集中して十数発の薬莢が落ちているのではなかろうか?
ここの地形、米軍の進撃方向等々から、このあたりの戦闘状況が想像できる。

周辺を探索・・・
石を積んだ場所・・・「石塁」と呼ぶべきだろうか?
明らかに人工的に造られたものである。
日本軍の第一線陣地跡ではなかろうか?
向いている方向からしても、上陸してきた米軍に向かって「抵抗線」を成している。

相変わらず“ヨコハマさん”から「ちょっと来て!これ、日本軍のものですか?」との声が飛ぶ。
で・・・ジャングル内を飛び回るので・・・写真を撮っている暇がない・・・(涙)

021_convert_20170520132607.jpg

これは、米軍の水陸両用戦車の車輪の一部・・・

026_convert_20170520132712.jpg

飛行機のエンジンとカウリング・・・・
すぐ近くに翼の一部と思われるものもあった。
なんで、こんなところに?・・・・という気がしないでもないが・・・
米軍のものか日本軍のものかは不明・・・・

030_convert_20170520132746.jpg

問題は・・・これ・・・
う~ん・・・これ、どこかで見た記憶があるのだが・・・・
どこで見たんだっけかなぁ~
どこかの戦争博物館とか軍事博物館で見たような気がするのだが・・・
何だっけかなぁ~・・・これ・・・
とうとう思い出せなかった・・・(涙)

今日の“行動”は、以上・・・・
ホテルに戻り、夕食・・・
無理のない余裕のある行動計画なので体調を崩さずに済む。
ありがたい・・・(喜)

DSCN4233_convert_20170520115940.jpg

033.jpg (ホテルから見た夜景)

旅行 | 10:30:33 | Comments(0)
埋没戦車の調査と慰霊
まもなく“某所”に到着する。

DSCN4098_convert_20170509135022.jpg

“ヨコハマさん”の話では、ここに「第二次戦車隊」が駐屯していたのではないかと思うとのこと。
当時撮影した写真を参考に、背景の丘の形を見比べて、「駐屯地跡」を推定すると、ここではないかという。

DSCN4101_convert_20170509135050.jpg

特徴のない平坦な背景では、なかなか難しいが・・・
ここが当時の幹線道路であり、平坦な場所ということから戦車の移動には便利であることは地形的に言える。
駐屯地にするには“適所”であるといえる・・・
一応、ここを「駐屯地跡」ということで“認定”することにする。(笑)

このパラオの防衛を担当していたのは栃木県宇都宮で編成された第14師団・・・
この師団には「第14師団戦車隊」という戦車部隊があった。
この部隊は、拙者が関係している戦車第2師団隷下の戦車第6連隊で編成されたという。
各地から兵員をかき集めて戦車第6連隊内で約3ヵ月ほど訓練をして、九五式軽戦車17両で編成され、制式に「第14師団戦車隊」となり転出していった。
そういう意味でも、我が部隊とは縁がある。
で・・・この「第14師団戦車隊」はペリリュー島へ派遣され、現地で米軍と交戦し全滅した。
で・・・パラオには「戦車隊」は無くなってしまった。

パラオは南方各地へ向かう輸送船の中継基地でもあった。
特に、ニューギニア戦線へ向かう輸送船が、ここを利用していたようである。
各種雑多な部隊が一時的にパラオに上陸したが、次の輸送船の手配によっては、そのまま一部の兵員が残ってしまったりしていた。
その中で、「南洋第6支隊」(愛媛県松山で編成)の戦車中隊と「独立自動車第42大隊」の戦車小隊の戦車が残されていた。
本隊はニューギニアに向かったが、戦車は輸送船に載せることができなかったのだろう、パラオに兵員と共に残置されたのである。
そこでこの戦車を集めて新たに「第14師団戦車隊」を編成したのである。
我々は便宜上、「第二次戦車隊」と呼ぶ。
この戦車隊は九五式軽戦車17両で編成されていたとも、13両だったともいわれているが、よくわからない。
この戦車隊はパラオ本島の防衛に付き、そのまま終戦を迎えている。
その「第二次戦車隊」の駐屯地がここではなかろうかということで確認のため訪れたのである。

で・・・周囲を散策してみたら・・・「自動車」の残骸を見つけた!

DSCN4102_convert_20170509135144.jpg DSCN4103_convert_20170509135209.jpg

日本軍の「小型自動車」の残骸のようである。
となると・・・「九五式小型乗用車」・・・・通称「くろがね四起」と呼ばれる、小さな乗用車ということになる。
が・・・かなりボロボロとなっている残骸である。
よくわからない・・・(涙)
四角い箱のような形の鉄板も見受けられる。
もしかして、これは荷台か?
となると・・・これは乗用車ではなく「九五式小型乗用車」を改造した「九五式小型貨物自動車」となるが・・・
拙者の知識不足ということで、なんとも情けない話なのだが、暫定的に、とりあえず「くろがね自動車」ということにしよう。(苦笑)

さらに“某所”に向かう・・・・(笑)

道路から一歩踏み込んだジャングルの中に戦車の残骸がある。
この戦車は「第二次戦車隊」に所属する戦車で、終戦時に日本軍の手で破壊されたものであることが分かっている。
が・・・どこに埋没しているのかは明確ではなかったが、去年だったか、“ヨコハマさん”と新聞記者の“サイトウさん”が、これを見つけて、“サイトウさん”の手で新聞に記事が掲載された。
で・・・今回、改めて確認のため訪問。

DSCN4129_convert_20170509155459.jpg DSCN4136_convert_20170509155631.jpg

ジャングルに埋もれている日本軍の九五式軽戦車・・・

DSCN4115_convert_20170509155244.jpg DSCN4119_convert_20170509155341.jpg

それらの戦車の内部の様子・・・・

DSCN4138_convert_20170509155709.jpg (ジャングルの中を探索中)

生還者の証言では、戦車を一列に並ばせて爆破して廃棄したという話である。
ジャングルの中は木や枝が邪魔をしているが勝手に切り倒すわけには行かない。(笑)
埋まっている戦車も、地面を掘り返して確認することもできない。
パラオでは戦跡や遺品等に勝手に手を触れることは法律で禁止されている。
現状を変えてはいけないのである。
これに違反すると・・・多額の(たしか100万円だったかな?)罰金か懲役1年の罰を受けることになる。
というわけで・・・地表に出ている部分だけを見て埋没戦車の位置を確認する。
で・・・その位置をGPSで測定して記録する。

ここに日本軍の戦車が埋まっているということを州政府は全く知らなかったという。
戦車の台数は果たして17両なのか13両なのか・・・
今回の調査は州政府と州政府を通して地主の許可を得ての調査である。
以前、日本人の“某マニア”が無許可でペリリュー島の戦跡を歩き回り大問題となったことがある。
その“某マニア”が誰なのかは拙者は聞いて知っているが、今更、本人を責めても仕方がない。
が・・・おかげで、そのとばっちりを受け、戦跡の調査に制限を受けてしまっている。
我々も“同類”だと思われるのは甚だ迷惑である。
ここは“他人の土地”であるのだから、必ず正規の手順を通して許可を得てやってもらいたいものだ。

生還者の証言のように“一列に並んで”いるというより、蛇行している感じで何両かの戦車が埋まっていた。
見ようによっては、2列か3列に並んでいるようにも思える。
もし戦車の数が17両だったとしたら、それを一列に並べるというのは、土地の広さからいって無理な話ではあるまいか?
かなりの長さになってしまう。
結局、確実に、これは戦車だ・・・といえるものは数台しか確認できなかった。

ここで、宮司の“タガワさん”が略式の慰霊祭を催行する。

続いて向かったのも・・・“某所”・・・・(笑)

DSCN4140_convert_20170509174155.jpg DSCN4146_convert_20170509174239.jpg

ここにあったのは朽ち果てたトラックである。
ここまでボロボロの状態で“シャーシ”しか残っていないと、よくわからない。
バラバラに散らばっている部品は草に覆われてしまっているので、手掛かりにならない。
この樹木や草を刈り取りたい衝動に駆られるが・・・・(大笑)
手を触れるわけにはいかないので我慢、我慢・・・(涙)
可能性として高いのは「九七式自動貨車(トラック)」ではなかろうか?

戦車の探索の時もそうだったが・・・(笑)
“ヨコハマさん”から、彼が何か見つけるたびに「これは何ですか?」の質問が飛ぶ。(苦笑)
拙者は、それほど専門知識を有しているわけではないのだが・・・(大汗)

DSCN4154_convert_20170509175448.jpg DSCN4148_convert_20170509175421.jpg

時刻は午後1時・・・・
移動途中の東屋(?)で、旅行社が用意してくれた弁当を食べる。
これがまたおいしいのである!(大喜)
やっぱり外で食べる食事というのは格別のものがある。

昼食後、続いて向かったのは現地で「KOKUSAI(コクサイ)」と呼ばれている場所・・・
ここに「国際電気通信(株)」(昭和13年設立)の施設があったので、現地人から「コクサイ」と呼ばれているとのこと。

DSCN4158_convert_20170509195520.jpg

このコンクリート製の廃墟が、国際電気通信(株)の、たぶん、無線電話施設ではないかと思う。

DSCN4159_convert_20170509195618.jpg

すぐ近くに鉄塔が倒れている・・・
無線塔か?

DSCN4160_convert_20170509195647.jpg

この廃屋の天井の丸い穴・・・・
爆弾で空いた穴ではないことは明確である。
拙者の想像だが・・・これは鉄塔からこの建物の中へケーブルを引き込む穴ではなかろうか?

DSCN4167_convert_20170509210004.jpg DSCN4169_convert_20170509210034.jpg

大きな機械が1台残されていた。
これは・・・もしかしたら発電機ではなかろうか?
すぐ隣に同じ大きさの土台が残っていたところをみると、もしかしたら同じ機械を2台並列に置いていたのではなかろうか?
つまり、1台は予備で、万が一、1台が故障もしくは点検・整備などで停止した場合でも不都合が出ないための措置・・・
並列となれば、その可能性は高いだろう。
操作盤(もしかしたら整流器?)の残骸も残っていた。
この建物にあるのは、これだけ・・・・
あとはガランとしている・・・

廃墟の“観光”をして・・・つぎにまた“某所”に向かう・・・

DSCN4172_convert_20170509211415.jpg

ジャングルの中に車輛が埋もれていた・・・
写真では見づらいのだが、これは特殊車両である。
皆さんから「これは何ですか?」と質問される。
これは飛行機のエンジンを始動するための「エンジン始動車」もしくは「エンジン起動車」という特殊車両である。
主に陸軍が使っていた車輛だと思うが・・・
パラオには陸軍の飛行機もいたんだっけ?(汗)
肝心な戦史の方を記憶していない・・・(大汗)
「こりゃ、珍しい車輛だ!回収して復元したいなぁ~」と言ったら呆れられた・・・(苦笑)

すぐ近くに、別の車輛・・・・

DSCN4175_convert_20170509212426.jpg

「これ、トラックですよね?」の声・・・・
たぶん「九七式四輪自動貨車」か、もしくは「一式四輪自動貨車」か・・・という感じ・・・
この周囲の草を刈り取れば、もっとよくわかるかもしれないのだが・・・残念・・・・
一応、これは「九七式四輪自動貨車」ということにしちゃおう・・・(大笑)

以上で、今日の“調査”は終了・・・・

旅行 | 13:28:38 | Comments(0)
久々のパラオ!
今回のパラオ行きは、旧知の“ヨコハマさん”からのお誘い・・・
現地のジャングルに埋没している日本軍の戦車の調査と戦没者の慰霊が目的。
ということで・・・お誘いを頂いた。
が・・・一体、何人ぐらいで行くのか、結局わからないまま・・・(笑)
「一緒に行きませんか?」・・・「OK!」で決めちゃったから詳細は分からない。(苦笑)

昨晩、成田空港で一緒に行く青森の神社の宮司さんと合流。
初対面だが、こういう時は携帯電話というのは便利である。
電話でやり取りをしながら無事にランデブー(笑)
成田から向かうのは我々2人だけ。
“ヨコハマさん”は先に現地入りしている。
他の人は、どうも福岡の方らしいが・・・別の便でグアム経由で向かったらしい。
ということは・・・全部で何人だ?(大笑)
みんなバラバラに出国して現地集合・・・

20時15分発のデルタ航空でパラオのコロール国際空港へ向かう。
約5時間弱の飛行である。

DSCN4073_convert_20170509110816.jpg DSCN4074_convert_20170509110944.jpg

で・・・
本日の午前1時過ぎに空港に無事到着。
現地旅行社の送迎ワゴン車で“別荘”に向かう。
時刻は午前2時・・・・日本とパラオには時差はない・・・

今回、パラオではホテルに泊まらず、一戸建ての“別荘”を借りている。
参加者のうち、4名が、ここに宿泊することになっているという。
挨拶もそこそこにシャワーを浴びる。
が・・・どうも10分だか15分だかしかお湯が出ないそうである。(唖然)
それもトータルで・・・ということだから、4で割ると・・・(大汗)
とにかく手早く洗って流さねばならない・・・
こういう不便さが、またいいんだなぁ~(喜)

この“別荘”にはベッドルームが3部屋ある。
“ヨコハマさん”と彼の知人の青年“ナカムラさん”がそれぞれ一部屋・・・
拙者と宮司の“タガワさん”がツインルーム一部屋で同室である。
リーダーの“ヨコハマさん”以外は全員初対面である。
とりあえず急いで仮眠を取る。

朝食は“ナカムラさん”が早起きして用意してくれた。
彼は、以前、船に乗っていて、そこで料理を担当していたとか。
というわけで・・・食事担当は彼ということで、拙者は楽をさせていただいた。(大喜)

朝食後、ホテルに宿泊している別の参加者と合流・・・
遺族の“サカイさん”と新聞記者の“サイトウさん”の2人である。
新聞記者の“サイトウさん”とは、以前、日本軍の戦車についての問い合わせをいただき、メールでやり取りをしたことがあるが、お会いするのは初めてである。
というわけで・・・
結局、参加者は拙者を含めて6名であることが、この時、わかった・・・(大笑)

最初に向かったのは、「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル・・・・
超高級なリゾートホテルである。
一度は泊まってみたいものだが、日本円で1泊4万円~5万円ほどするんじゃなかろうか?(大汗)
無理だな・・・(涙)

DSCN4076_convert_20170509125620.jpg DSCN4075_convert_20170509125430.jpg

ここは戦時中、日本海軍の水上機基地があった場所である。

このホテルに併設されている旅行会社で、島内“観光”の手続きを行う。

で・・・旅行社のワゴン車に乗り、次に向かったのはガスパン州政府の事務所・・・
州知事を表敬訪問し、今回の調査に関する打ち合わせと許可を頂く。

DSCN4091_convert_20170509130202.jpg (ガスパン州政府)

DSCN4083_convert_20170509130137.jpg (州知事と打ち合わせ)

知事との面談を終え、次に向かったのは・・・・“某所”・・・

DSCN4089_convert_20170509131714.jpg DSCN4088_convert_20170509131644.jpg

ここに戦時中、小さな港(漁港?)があったのではないかということだが・・・
日本軍の「大発(大発動艇)」の「舟艇基地」の跡のような気がしないでもないが、確証はない。

続いて向かったのは・・・さらに“某所”・・・(笑)

DSCN4095_convert_20170509132336.jpg (途中の景色)

DSCN4094_convert_20170509132308.jpg (途中の高台から見た景色)

旅行 | 10:54:59 | Comments(0)
『ルソンの挽歌』


第1部 ルソンの挽歌

比島軍司令部の山下奉文
空しき転進
モーゼル銃
蜂の巣
繫みの中
塹壕の女
気をつけ、女子軍属
ルソンの挽歌

第2部 落陽の悲歌

真珠湾の九軍神
将軍と特攻隊
特攻隊「回天」

あとがき

文庫版あとがき


今年の読書:18冊目



読書 | 22:26:18 | Comments(0)
『満洲航空最後の機長』




第1章 岐阜陸軍飛行学校

       予備下士への道
       「錐揉み脱出」
       アルプス越え単独飛行
       転属先告知
       脱走兵と間違われる

第2章 満洲航空乗員訓練所

       のっけから8人乗り実用機
       現用の全機種に慣熟する
       「全満航法」で3500キロ飛ぶ

第3章 佳木斯管区

       社員操縦士誕生
       アムール河沿いの最北端コース
       春の雪の恐怖

第4章 新京管区(1)

       熱河省赤峰コース
       中国人を乗せて遊覧飛行
       「車輪出ず」の赤ランプ
       あわや空中分解
       軍用臨時便で政府高官らを輸送

第5章 東部第117部隊

       東京出張命令
       特殊作戦部隊と共同訓練

第6章 満洲航空整備工場

       ガソリン補給に苦労する
       改造機の性能実験
       軍用グライダーの回収実験
       死地への出陣式

第7章 新京管区(2)

       山下奉文の機長をつとめる
       AT機の右エンジン停止
       東京定期便の機長
       湿地帯に不時着

第8章 ソ連軍の侵攻

       夜半の「雷鳴」
       義勇飛行隊を編成
       ソ連軍の手に落ちた満洲国皇帝
       ソ連空挺隊進駐

第9章 軍使輸送

       日本軍1個師団救出の軍使
       ソ連戦闘機と遭遇
       停戦交渉不調

第10章 外モンゴル空輸
       
       満航機大集結
       編隊は西へ
       タムスク空軍基地へ降り立つ
       ソ連兵と歌声の交歓
       別れの秋が来た

参考文献

あとがき


読後の感想は・・・とにかく面白かった!・・・の一言に尽きる。
満洲航空という“民間会社”の名前は聞いたことがあったが、具体的なことは知らなかっただけに面白かった。
戦時中に、そんな珍しい機体が空を飛んでいたのかぁ~とか・・・(笑)
戦時中には軍用機しか空を飛んでいなかったように、ついつい思ってしまうのだが、“民間”の飛行機も活躍していたのである。
同じパイロット仲間の中からも徴兵で軍に入った人もいるし・・・
フィリピンへ派遣されて“戦死”されたパイロットもいる。
そういう中で、終戦まで、(正確には終戦直後も)民間のパイロットとして活躍した著者の体験談は非常に史料的価値も高く貴重な話である。
いやぁ~面白かった・・・の一言。
いい本を書いていただき感謝である。


今年の読書:17冊目



読書 | 22:07:14 | Comments(0)
パラオに行ってきます!
28日から3月5日までパラオに行ってきます!

最近、ブログの更新を怠けていますが・・・

さらに、ますます遅れます。(大笑)

とりあえず・・・近況報告です!

では・・・行ってきます!

日記 | 19:32:52 | Comments(0)
『インパール兵隊戦記』


第1章 最悪の戦場へ
        遥かなる旅路
        馬と牛と兵隊

第2章 アラカンの桜
        真夜中の渡河
        天険になやむ
        墓前ちかい
        戦況Ⅰ 勝算なき命令

第3章 暗雲たなびく
        地獄の第一歩
        飢餓はじまる
        雨期きたりて
        待ち伏せ攻撃
        竹馬の友ゆく
        葬られた戦闘
        戦況Ⅱ あえて抗命す

第4章 非情なる任務
        将軍のなみだ
        担架かついで
        さらば戦友よ

第5章 死の退却路
        道しるべ序曲
        弱兵死すべし
        妻と子の幻影
        戦況Ⅲ 全戦線の崩壊
        忘れえぬ銃声
        悲劇はつづく

第6章 幽鬼の群れ
        国境の村にて
        敵地の奥深く
        無念の急反転
        密林に消える
        わが母の奇蹟

第7章 白骨街道悲し
        悪魔のしわざ
        灰いろの世界

エピローグ


本書は独立輜重兵第2連隊第3中隊にいた上等兵。
インパールの悲惨な戦いで、第3中隊の作戦参加者447名のうち最終的に生き残ったのは133名だったという。
少尉以上の将校に死者はなく、全死亡者314名のうちの89.5%、381名が下級兵士だったという。
これは何を意味するか・・・
本書では、あまりにも悲惨な運命を辿った“登場人物”に関しては、遺族のことを思ってのことだろう、仮名で書かれている。


今年の読書:16冊目



読書 | 21:18:59 | Comments(0)
『東條英機 歴史の証言』


はじめに ― この第一級資料が、なぜ埋もれていたのか
     東條供述書を必読とする5つの理由
     東條英樹という人物
     この供述書が、これまで顧られずにきた理由とは

第1章 昭和15年の日本と世界

わが経歴
     生まれ育ち、そして閑職時代
     中央政界への登場
     「責任」という言葉の意味
     満洲事変・支那事変にいたる道
     「幣原外交」が日本にもたらした結果とは
第二次近衛内閣の成立とその当時に於ける内外の情勢
     内閣の生殺与奪の権を握った陸海軍大臣現役武官制
     「統帥と国務との調整」とは何か
     日本を戦争に誘い込んだ蒋介石の謀略
     事変の早期終結を阻止したのは誰か
     ノモンハン事件、隠された真相とは
     昭和15年当時のシナと世界の状況
二大重要国策
     「世界制覇の共同謀議」という荒唐無稽
     「八紘一宇」の真意とは
     7月27日の連絡会議。連絡会議とは何か
     読みを誤った三国同盟締結
     重慶政府の日本に対する過小評価
     日本を縛った「アウタルキー」という概念

第2章 三国同盟

三国同盟
     昭和15年9月19日の御前会議
     「最悪の場合」対米開戦を想定
     侵略的意図を有していたのはどちらか
北部仏印進駐
     北部仏印進駐の目的は援蒋ルートの遮断
     フランス政府との交渉
     現地における日仏軍のこぜりあい
     衝突責任者の処断
日華基本条約と日満華共同宣言
     汪兆銘・南京政府の性格
     日華基本条約について、東條陸相の3つの関心
日ソ中立条約並に松岡外相の渡欧
     ソ連と友好関係を結ぶための模索
     ソ連に対する日本の見通しの甘さ
     自給自足国家という悲願
     ドイツ側文書との見解の相違
     日ソ中立条約の意義
     ソ連の背信行為、そそのかしたルーズベルト

第3章 日米交渉と南部仏印進駐

第二次近衛内閣に於ける日米交渉
     昭和16年4月、日米交渉の始まり
     日本に希望をもたせたアメリカの提案
     日本側より5月12日案の提示
     アメリカの変心
     アメリカによる6月21日案
     田中上奏文が明らかな偽文書である理由
対仏印泰(タイ)施策要綱
     日本とタイを取り巻く状況
     タイ・仏印の国境紛争を日本が調停
南部仏印進駐問題
     進駐と、米の対日石油禁輸との因果関係
     進駐と独ソ開戦との因果関係
     南部仏印進駐の目的
     日本に対する敵対行為の数々
     着々と進む米英蘭の戦力増強
     日本に対する経済圧迫
     日本の物資輸入に対する妨害工作
     蘭印との貿易交渉決裂
     海南島駐留部隊が平和裏に進駐
     日本の南部仏印進駐は自存自衛のため
独ソ開戦に伴う日本の態度決定
     独ソ開戦の通知
     完全に読み違えた日本政府
     近衛首相の立腹
     再確認すべき日本の国策
     在満洲・朝鮮部隊の補充
     7月2日の御前会議「対米英戦も辞せざる覚悟」
     常に後手に回る日本の対応

第4章 第三次近衛内閣と日米交渉決裂

第三次近衛内閣に於ける日米交渉(其一、9月6日御前会議以前)
     第三次近衛内閣の性格と使命
     自分の主張は一歩も譲らないアメリカの頑(かたくな)さ
     日米首脳会談の申し入れ
9月6日の御前会議
     米英蘭による対日資産凍結
     石油全面禁輸が日本に与えた衝撃
     「帝国国策遂行要領」決定にいたる背景
     はたして勝算ありや
太平洋作戦準備
     陸軍は対英米戦を想定せず
     陸海軍の間に統一戦略なし
     対英米戦準備の三段階
     陸軍にとって戦争は急の事態
     追いつかぬ軍需生産
     対米英戦の準備は皆無
     足りていたのは人的資源のみ
第三次近衛内閣に於ける日米交渉(其二、9月6日御前会議以後)
     アメリカに戦争を避ける意思は皆無
第三次近衛内閣の総辞職
     交渉のいきずまり
     10月2日、アメリカからの返答
     支那からの全面撤兵という無茶な要求
     東條首相を悪者に仕立てた海軍と首相の狡猾さ
     豊田外相と東條陸相の衝突
     海軍の煮えきらぬ態度
     9月6日御前会議決定の白紙撤回を提言

第5章 東條内閣成立

東條内閣の組閣
     「9月6日の御前会議決定にとらわれる必要なし」
     木戸幸一が東條を推挙した本当の理由
     「神頼み」の総理大臣
     東條内閣の顔ぶれ
11月5日の御前会議及(および)其の前後
     「対米交渉要領案」の決定
     3つの選択肢
     第1案、絶対に戦争を避ける
     第2案、即時開戦
     採択された第3案
     交渉不成立の場合の武力発動の時機を設定
     天皇陛下のご憂慮
陸海軍合同軍事参議官会議
     戦争が長期に及んだときの見通し
11月5日の御前会議
     御前会議の権限と性格
     御前会議の決定
     ますます高まる軍事的、経済的対日圧迫
     海軍の開戦準備については何も知らず
東條内閣における日米交渉
     日米交渉への望み、甲乙両案の提出
     来栖(くるす)大使の派遣
     交渉妥結への3つの障碍
     11月17日の施政方針演説を世界に放送
     アメリカは一歩も譲歩せず
     着々と進行する米英の対日戦準備
     ハル・ノートがつきつけた4項目の要求
     11月22日の連絡会議
     開戦決定への手続きに入った日本政府
     戦後明らかになった「ハル・ノート」の真実

第6章 開戦

重臣懇談会
     11月29日の重臣会議
     作戦行動については口外せず
     なぜ、ローマ法王庁に仲介を頼まなかったのか
     夢ではなかった「英国の脱落を図る」という構想
     高松宮殿下のご憂慮
12月1日の御前会議
     開戦の決定と長期化への懸念
     天皇の開戦責任について
12月1日の御前会議終了より開戦に至る迄の重要事項
     軍事作戦行動に政府は関与せず
     軍事行動以外の分野での開戦準備
     宣戦通告の遅延問題
     駐米大使館では何をしたのか
     戦争初期の基本方針
     占領地行政についての方針
     日本とタイとの関係について
     宣戦詔書は宣戦布告にあらず
     宣戦詔書に天皇が手を加えられた2箇所
真珠湾攻撃の実施
     真珠湾攻撃前に日本が恐れていたこと
     攻撃成功の報を受ける
     通告遅延は、東京裁判では不問
ルーズベルト大統領より天皇への親書
     アメリカのアリバイ工作

第7章 俘虜取扱いに関する問題について

部内統督の責
     俘虜虐待問題の真相とは
     陸軍が俘虜になることを戒めた理由
     なぜ日本はジュネーブ条約を批准しなかったのか
俘虜処罰法
     俘虜処罰法改正の目的
空襲軍律
     無差別攻撃の敵機搭乗員の取扱いについて
     無差別爆撃は明確な戦時国際法違反
泰緬鉄道の建設
     鉄道建設が残酷行為とされた本当の理由
     逸脱した部下を処罰
俘虜処理要領及(および)俘虜収容所長に与えた訓示
     田中隆吉証言の虚妄
俘虜関係の陳述の訂正

第8章 大東亜会議

日本の企図せる大東亜政策 殊に之を継承して東條内閣に於て其の実現を図りたる諸事情
     大東亜政策とは何か
     日本が「東亜の解放」を求めた理由
     大東亜会議の参席者たち
     タイのピブン首相が来日しなかった理由
     外相・重光葵(まもる)の功績
     戦前の世界における人種差別の実態
     大東亜共栄圏建設の理念と、日本の行ない
     大東亜宣言の発表
     大東亜省の設置
     大東亜審議会設置の経緯
     外務省と大東亜省との関係
     シナに対する不平等条約の廃棄
     ビルマ、フィリピンに独立を与えた日本
     英国に奪われた旧タイ領土を占領して返還
陸軍と政治との関係
     昭和の日本に軍閥は存在せず
     何が軍部の発言権を強大化させたのか
     ブレトンウッズ体制が意味するもの
     軍の重要作戦を首相が知らない不思議
軍紀の確立に関し私の執った政策
     軍紀の振粛ということ
ソ連並(ならび)にコミンターンとの関係
     日本にソ連侵攻の意思はもとよりなし
     共産主義による破壊工作への備え

第9章 敗戦の責任

摘要
     戦争の責任と、敗戦の責任は別

おわりに ― 虚偽につき固められた「昭和史」に訣別を
     マッカーサー証言の持つ万鈞(ばんきん)の重み
     A級戦犯はすでに存在しない
     敗戦利得者に書き換えられた日本史の真実

◇日米交渉・日本側最終提案 甲案
◇日米交渉・日本側最終提案 乙案
◇日米交渉・米国側最終回答「ハル・ノート」全文


今年の読書:15冊目



読書 | 22:01:52 | Comments(0)
前のページ 次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。