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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『歴史と人物 実録日本陸海軍の戦い』
『歴史と人物』
太平洋戦争シリーズ
「実録 日本陸海軍の戦い」
昭和60年8月1日 発行
中央公論社
定価:690円

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特集・参謀本部と太平洋戦争

参謀本部興亡70年
表舞台に躍り出た「黒子」
     加登川幸太郎(軍事史研究家)
 兵部省陸軍参謀局
 参謀本部の誕生
 軍令事項の輔弼機関
 帷幄上奏
 参謀の統轄
 参謀本部の組織、任務
 時の経過と共に・・・・・
 軍令機関の統合
 参軍
 短命だった統合軍令組織
 明治憲法下の統帥権
 海軍参謀本部設置の提案
 大本営
 日清戦争
 参謀本部の組織の改変
 難航する戦時大本営条例の改正
 日露戦争前夜
 日露戦争の大本営
 日露戦争後の参謀本部
 参謀本部と陸軍省の業務分担
 「黒子」が表舞台に
 軍部大臣現役制の壁
 権限を参謀本部に移せ
 大正時代の参謀本部
 停滞期
 満州事変以後

在籍者の語る業務と活動
庶務課
     吉江誠一(元陸軍中佐)
編制動員課
     美山要蔵(元陸軍大佐)
作戦課
     高山信武(元陸軍大佐)
教育課
     中島義雄(元陸軍大佐)
防衛課
     難波三十四(元陸軍大佐)
欧米課
     大屋角造(元陸軍中佐)
ロシア課
     浅井 勇(元陸軍中佐)
支那課
     岡田芳政(元陸軍大佐)
謀略課
     藤原岩市(元陸軍中佐)
鉄道船舶課
     三岡健次郎(元陸軍少佐)
通信課
     仲野好雄(元陸軍大佐)
戦史課・戦略戦術課
     小沼治夫(元陸軍少将)
大本営陸軍部戦争指導課
     甲谷悦雄(元陸軍大佐)


大本営設置間
参謀本部機構の変遷
大本営の置かれた戦時下において「国防及用兵ノ事ヲ掌ル」参謀本部はいかに機能したか
     森松俊夫(軍事史研究家)

報告 いま明らかにする数々の工作
支那事変後の日本の秘密戦
 汪兆銘工作の推移
     岡田芳政(元陸軍大佐)
 偽法幣工作の顛末
     山本憲蔵(元陸軍主計大佐
 藤原機関の活躍
     藤原岩市(元陸軍中佐)
 
われら豪州本土に上陸せり
戦後40年にして初めてヴェールを脱いだオーストラリア大陸に上陸した秘密工作班の全貌
 実行まで
     山本政義(元陸軍少佐・松機関長)
 豪本土に上陸す
     水野鈴彦(旧姓宮下、元陸軍大尉・対豪第一次工作隊長)
 対豪工作船援護で敵潜水艦を撃つ
     赤井八郎(旧姓鈴木・元陸軍少佐)

インドネシア独立秘話
海軍武官 前田精少将の涙
激動の昭和20年8月、祖国の独立のために挺身する志士たちを支え抜いた日本軍人の2日間
     和田勘三(バンドー化学顧問)

二世兵士の回顧
ビルマ戦線の日本兵たち
日米開戦3ヵ月後に徴兵、第26インド師団に配属された筆者が、肌で接した日本兵の真情
     ヒロ・ニシムラ(アメリカ在住)

BC級戦犯横浜裁判の全貌
BC級戦犯の徹底的調査をつづける筆者が、膨大な資料をもとに明らかにする統計の数々
     茶園義男(文部教官教授・哲学)

日本海軍の頑固者
豊田副武の決断
日米開戦に反対し、海軍大臣就任を東条に忌避された提督の海軍中枢における指導と行動
     野村 実(防衛大学校教授)

壮絶 宇都宮第14師団の激闘
南京攻略戦、徐州会戦に身を挺し、ペリリュー、アンガウルに玉砕した北関東健児の足跡
     高橋文雄(栃木新聞『野州兵団の軌跡』執筆者、元二等陸佐)

特集・部下の綴る名艦長の戦闘

名艦長の条件―特集のはじめに
いかなる人物が真の名艦長たりうるのか。数々の事例によって、その条件を明らかにする
     佐藤和正(作家)
 将とは智、信、仁、勇、厳なり
 勇気ある決断
 先見性のある戦闘対応

戦艦「金剛」 小柳富次
ガ島飛行場砲撃の壮挙
1分間隔で撃ち込まれた「金剛」の三式弾の効果は絶大で、敵飛行場は一面火の海と化した
     志摩亥吉郎(元海軍中佐。当時「金剛」主砲発令所長)

空母「飛龍」 加来止男
艦と運命を共にした最期
ミッドウェー海戦で孤軍奮闘し、ついに沈みゆく「飛龍」。艦長は悠々と艦橋を昇って行かれた
     川口 進(元海軍大佐。当時「飛龍」飛行長)

伊号第26潜水艦 横田稔
沈着な攻撃に上る凱歌
敵の制海空権下のもと、敵空母を雷撃、爆雷攻撃にも耐えて敵巡洋艦を撃沈した海中の戦記
     横山春夫(元海軍少佐。当時「伊26潜」機関長

巡洋艦「多摩」 神重徳
キスカ撤退艦上の一言
海軍部内で名声高い存在であった艦長は、決断力に富み、部下統率の機微にも通じていた
     越口敏男(現姓、堀之内。元海軍中佐。当時「多摩」航海長)

駆逐艦「綾波」 作間英邇
ソロモン海必中の雷撃
命令一下、発射された魚雷は敵艦に命中。乗員は炎上する自艦も忘れて、万歳を連呼した
     鷲見秋男(元海軍一等兵曹。当時「綾波」艦長伝令)

巡洋艦「利根」 黛治夫
レイテ沖 敵空母追撃戦
水際立った砲戦指揮のもと「利根」は驀進したが艦長の夢である大砲撃戦は実現しなかった
     檜 喬(元海軍中尉。当時「利根」航海士)

駆逐艦「雪風」 寺内正道
群がる敵機に操艦の妙
あ号作戦から沖縄特攻まで、日本海軍の命運を賭した戦いに艦長の見せた敵弾回避の神業
     田口康生(元海軍大尉。当時「雪風」砲術長)

海防艦「鵜来」 嶋田末次
海上護衛の大胆な遂行
戦争末期、船団護衛に大活躍した艦長は、一兵たりとも戦死させないとの公約を守り抜いた
     平井宏知(元海軍大尉。当時「鵜来」航海長兼通信長)

戦艦「伊勢」 中瀬泝
二大作戦の大任を完遂
比島海戦では百数十機の集中攻撃にあいながら、見事な操艦で雷・爆撃をすべてかわした
     中嶋清一(元海軍少佐。当時「伊勢」航海科分隊長)

手記 大発でオランダ砲艦を分捕る
敵艦に激突、おどり込んだその艦橋に、「武富小隊占領 午前7時半」と書きなぐったのが役立ったのだ
     村田博幸(元陸軍曹長)

手記 良民区多忙―宜昌政務班の日々
第13師団政務班に派遣された筆者が、その活躍と肌で親しく接した中国の人々の印象を綴る
     師岡永造(著述業・元陸軍伍長)

座談会
准尉の語る軍隊と戦争
人事、功績に関与し、中隊のすべてを背負うことのできた実力者たちの明かす職務の実際
     伊藤章 情野定夫 真野義夫、森正吉
     司会:伊藤桂一

新連載 太平洋戦争の“イフ”
絶対不敗態勢は可能だったか
大東亜海機雷堰を構築した暁、反攻に転じたアメリカ軍に対し、戦局はいかに推移したであろうか
     秦 郁彦(拓殖大学教授)

戦場に結ぶ友情
ミイトキーナの決死行
敵の重囲を突破、突入。重責を果たした筆者と盟友ウラテン氏との国境を越えた感動的なドラマ
     手記 八江正吉(元陸軍大尉。現八江農芸社長)

手記 戦艦「霧島」の最期
艦は艦首を中天に向け没せんとする。重油の海に「海ゆかば」が流れ、漂流中の者が斉唱した
     堀之内士郎(元海軍一等兵曹)

情報戦で敗れた帝国海軍
緒戦に敵B-17の秘密基地を発見し、パラオ大空襲を予告した筆者が指摘する、数々の問題点
     野村 長(元連合艦隊司令部通信諜報班長・海軍大尉。現・東陽テクニカ社長)

豪州看護婦虐殺の真相
バンカ島の砂を血に染めて
日本軍の機関銃で倒れた無抵抗の看護婦たち。数々の証言をもとに綴る戦いの真相と収容所の日々
     ハンク・ネルソン(豪州国立大学助教授)
     田中祥子 訳

調査 海軍予備学生戦没者の軌跡
3837名の戦没者を年度別に辿り、海軍兵学校・海軍機関学校出身者と比較、検討する
     堀内彦男(元海軍予備中尉)

蘭領インドシナの終焉
対日オランダ戦史
破竹の勢いで南下する日本軍を迎え撃った海・空・陸戦をオランダ側の史料をもとに詳述する
     A・アウセム
     A・D・クックス
     糸永 新 訳



今年の読書:44冊目



読書 | 22:31:05 | Comments(0)
十数年ぶりの飲み会!
今日は青年会議所の“同期会”の飲み会・・・
“同期会”といっても、拙者の同期というわけではない。
平成2年入会組の指導を担当したのが拙者・・・
本来ならば拙者は“来賓”のはずなのだが・・・(大笑)
指導を受けた側が、みんな拙者より年上なので・・・(大汗)
なんだかしらないけど・・・“同期生”扱いとなっているのである。(大笑)

この飲み会・・・十数年ぶりの開催なのである。
いやぁ~お久しぶりです!(大喜)
十数年経っても、仲間として扱っていただけるというのはありがたいことである。

青年会議所は40歳が“定年”である。
40歳になったら“ご卒業”ということになるのだが、拙者は“ご卒業”していない。(笑)
あと1年を残した39歳の時に、当時の執行部に反発して退会したのである。
無責任なチャラい執行部と共に活動するわけにはいかない。
拙者を“理事長”に推す声もあったが、まさかの獅子身中の虫・・・我が親父に邪魔をされて理事長に立候補できなかった。(苦笑)
おかげでチャラい連中が牛耳ることが確定・・・
それに抵抗して退会したので、拙者はOBではない・・・・
にもかかわらず、十数年前の飲み会でもお誘いを受けた。(笑)
「君は中興の祖だからねぇ~外すわけにはいかないよ。途中退会しても卒業したのと変わらないよ」と嬉しいことを言われたことを今でも覚えている。
ビシビシと、しごいたからなぁ~(大笑)
相手が年上だろうと何だろうと構わず・・・(大汗)
生意気な奴だと恨まれて当然だと思うのだが・・・
今でも仲間として扱ってもらえるとは嬉しい限りである。
みんなに感謝、感謝・・・である。

拙者が退会してからの20年間に、この世を去ったメンバーも多い・・・
会社の業績が傾いて、失踪して行方不明というメンバーも何人もいる・・・(大汗)
あの当時、まさかそんなことになるとは・・・と夢にも思っていなかったが・・・
そういう中で、“生き残って”いる仲間たちに会えるのは本当に嬉しい。

一気に30歳代のあの頃に戻ったような錯覚・・・
しかし、話の所々に健康の話、薬の話、脳梗塞で倒れた話等々が出るのである。(苦笑)
やっぱり、俺たちは歳を取っちゃったんだなぁ~(大笑)
次回の話題は何になるだろう?・・・・孫の話か?(大笑)
独身の拙者としては、その話題にはついていけねぇなぁ~(大笑)

楽しい時間を過ごして・・・解散!
いい酒だった・・・

日記 | 23:54:30 | Comments(0)
気持ち悪い夢を見た!(大汗)
昨晩見た夢・・・
あまりの気持ち悪さに目が覚めた・・・

目が覚めたら、詳細を忘れてしまったが・・・(苦笑)
何人かの人間と一緒にミイラを作っているシーンは覚えている。
で・・・次のシーンは・・・
干からびたミイラの肉をちぎって食べているところ・・・(ゲゲッ!)
まさしくビーフジャーキー状態の人肉をみんなで食べているのである。(大汗)
味は甘くておいしい・・・
たぶん、ミイラを作るとき、遺体にたっぷり塗った、あの赤黒い液体のせいだろう。
あの液体が甘いから、こういう味に仕上がったのだろう・・・などと思いながら拙者も“肉”を齧っていた。

一緒にいた日本人が、「これ美味しいですねぇ~何の肉ですか?」と聞いてきた。
彼はミイラの姿を見ていない・・・
現地人から“肉”を手渡されたので、美味しい、美味しいと“肉”を齧っているだけである。
事情を知らない人に、まさか、「人肉です」とは言えまい・・・(大汗)
「直接、自分で現地の人に尋ねてくれ」と言ったのだが、「あなたから聞いてくださいよ」としつこい・・・
「ミイラの肉です」って正直に言ったら、この人は間違いなく、この場で嘔吐するだろうなぁ~
我々は薄暗い洞窟のような狭い場所にいるのである。
ここでゲロを吐かれたら堪らんぞ・・・
参ったなぁ~
と・・・思ったら、気分が悪くなり・・・危うく自分が嘔吐しそうになり目が覚めた!

あ~なんという気持ちの悪い夢を見ちゃったんだろう?(大汗)
う~・・・気持ち悪い・・・

日記 | 22:47:55 | Comments(0)
震源地は三重県だって?
いつもは、ベッドに入れば5分とかからず、すぐに眠ってしまうのだが・・・
昨晩は、なぜか眠れず、ウトウトしながらゴロゴロしていた。

と・・・午前3時半ごろ・・・
ガタガタガタと家が揺れた・・・・地震である!
が・・・いつもと揺れが違う。
揺れが強くなったり弱くなったり・・・しばらくの間続いた・・・
震源地は我が茨城県ではないことは確かだな・・・
結構遠いかもしれないと思ったが、この揺れ方が気になりテレビをつけて確認。

と・・・宮城で震度4と出た・・・・
で・・・震源地は三重県・・・
はぁ?・・・である。
この放送局・・・宮城県と三重県の区別がつかないのだろうか?(汗)

で・・・チャンネルを切り替えて別の放送局の地震速報を確認してみる。
と・・・やっぱり、そこでも宮城で震度4、震源地は三重県の南東沖と出ていた。
そんな馬鹿な・・・(汗)
いくら誤字にしても、三重県はないだろう。(苦笑)
と・・・まもなく日本地図が表示され、三重県の南東沖に震源地を表わす×印が・・・
ありゃ・・・
本当だ・・・震源地は三重県沖だ!
しかも、その×印から北へ真直ぐ向かうと宮城県なのである!(驚)
さらに、驚いたことには、震源地に近い三重県辺りは震度1なのである。
大した揺れではない。
これは、今までにない異常な地震ではなかろうか?
震源の深さは約420キロだというのだから、今まで聞いたこともない深さである。

これほど震源が深いと、全く関係のなさそうな遠いところで大きく揺れるのか?
震源地を真直ぐ北へ辿ると宮城なんだから、同じプレートということになるのだろう。
が・・・茨城県ではなく宮城県で大きな揺れとはどういうことだろう?
宮城は地盤が弱いのだろうか?

我が家の場合、茶の間など1階にいると全くわからないのだが・・・
2階の拙者の部屋にいると、長年の経験で、揺れ方によって震源地のおおよその位置がわかるのである。
茨城県沖、自宅から北の福島の方、茨城県内陸部、自宅から南の千葉県のほう・・・
この4方向は、部屋の揺れ方でわかる。(苦笑)
今まで、全く分からなかったのが、新潟県の中越地方で起こった地震・・・
ガリガリガリ・・・というような音と共に我が家が揺れたので驚いた。
いつもの茨城県沖が震源の地震ならば、いきなり、ドン!ガタガタガタ・・・という揺れである。
が・・・ガリガリガリとは初めて聞いた・・・
テレビの地震速報で確認したら、震源地は新潟県だった。
新潟県で起こった地震が、日本列島の反対側の茨城県まで伝わるのかと驚いた。

今回の揺れは、この時の地震に次ぐ2番目に不思議な揺れの地震だった。

過去のブログ記事を確認してみたら・・・・
今から12年前の2007年7月16日に、京都が震源地で、我が茨城が震度3という地震があったことを書いていた。(大汗)
体感では震度4くらいの揺れだったようである。
震源地が、とんでもなく遠くても我が家が揺れたということは過去にも経験していたんだ・・・(大汗)
今回が初めてというわけではなかったのか・・・
どうも物忘れがヒドイ・・・(苦笑)
まぁ、かように忘れてしまうから、毎日、ビクビクして生きなくていいのかもしれないが・・・(大笑)

日記 | 22:03:54 | Comments(0)
広報委員会の取材
今日は法人会の広報委員会の「取材」活動ということで、市内の某児童公園に向かう。
来月発行の会報用に、1本記事を載せることになっていて、それは、新任の“ヨシノ”広報委員長が書くことになっている。(笑)
この「取材」というのを数年前から取り入れたのは拙者である。(大笑)
広報委員会メンバーが、いつも会議室だけで顔を合わせているというのはいかがなものか・・・
「現地取材」ということで、外に出て活動するのもいいのではないか?
ということで・・・始めた。
当初は、「現地取材」と言っても、実際に原稿を書くのは拙者・・・(苦笑)
他の委員は、原稿を書く・・・となったら怖気づいてしまうので、やむなく“言い出しっぺ”の拙者が原稿を担当した。(涙)
そうなると、俄然、他の方々は元気となる。(大笑)
原稿を書かなくていいのなら気が楽だ・・・(笑)

しかし、毎度、毎度、拙者が書いていたのでは、この広報誌は拙者の個人的な会報になってしまう。(大笑)
で・・・各人に振るようにして、どうしても書けないという場合は、拙者がゴーストライターになることで引き受けてもらう事にした。(笑)

今回は、新任の“ヨシノ”委員長が担当となる。
テーマは・・・「いばらき国体」!(笑)
9月末から10月にかけて、我が茨城県で国体が開催されるので、タイムリーな話題である。
しかし、国体自体について書いても面白くはない。
そういう記事は地元の新聞にいくらでも載っている。
で・・・別の角度から切り込むことにした。
「いばらき国体」のマスコットキャラクター「いばラッキー」の作者であるイラストレーターの「ミウラナオコ」さんを取材することにして、マスコットキャラクターの話を載せながら国体も紹介しようということにした。(笑)
幸いにして“ヨシノ”委員長は、このイラストレーターと顔なじみとのこと。
だから原稿執筆を押し付けたのだが・・・(大笑)
タイミングよく、市内の児童公園の公衆便所に、子供達と一緒に絵を描くというイベントがあると言うので、そこへ出かけて、写真を撮ったりインタビューをしたりして記事を書こうということになった。

集まったのは、事務局長、広報委員会担当副会長に昇格した前広報委員長の“シミズ”さん、新任の広報委員長の“ヨシノ”さん、そしてヒラの広報委員である拙者の4名である。
他の委員は、都合が合わず欠席ということだが、“言い出しっぺ”が拙者なのだから欠席するわけにはいかない・・・(大笑)

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我々は「取材」だの「インタビュー」だのは、ド素人である。(大笑)
話をしているうちに、いつの間にか雑談となってしまい・・・
結局、肝心なことを聞くのを忘れたなんていうことが、しばしば起る・・・(大汗)
今回は委員長が原稿を書くわけだし・・・(大笑)
拙者としては、気が楽である。(大笑)
「知らないよぉ~」・・・である。(大笑)

とりあえず、写真を撮ったが、基本的には後姿・・・
特に子供たちを写す時には、顔が分からないように後姿を写すことにしている。
最初に、法人会の会報に写真が載ることをお話はしてあるが、一人一人に許可を得るわけにはいかないので、顔さえ写さねば個人情報の保護にはなるんじゃあるまいか?(笑)
記事の中に、マスコットキャラクターのイラストも掲載することになるので、これは事務局長の方から茨城県の担当部署に使用許可等の手続きを取ってもらう事にしている。
会報発行後に著作権侵害の問題でも出たら、公益社団法人としてはマズイでしょ?(大笑)

ということで・・・特に拙者には役割はない・・・(大喜)
お気楽、お気楽・・・
普段、家の中に閉じこもっていることが多いので、この機会に太陽光線を浴びねば・・・(大笑)
まぁ、そういうこともあって、この「取材」を企画したのだが・・・(大笑)

充実した時間を過ごし帰宅する。(喜)

日記 | 23:53:20 | Comments(0)
会報の原稿を提出する
夏に発行する法人会の会報(夏号)に掲載する連載物のコラム記事をようやく書き上げた。(喜)
このコラム『全国税務署巡り』は、会報に載せる記事が無くて、ページの半分が空欄になった時に始めた“穴埋め”用の小さなコラム記事から始まった。
が・・・今回は、話しのネタがあり過ぎて・・・ついに丸々1ページを占める記事となってしまった。(大汗)
そもそもの目的から、かなり逸脱してしまったが、やむを得ない。(大笑)
文章を簡潔に短くするという能力がない・・・(苦笑)
写真もたくさん載せたいし・・・(笑)

原稿は数日前には書き上げていたが・・・
拙者の場合、どうしても“熟成期間”が必要なのである。(笑)
原稿を書き上げ・・・数日放置する。
で・・・数日後、もう一度読み直して修正をする。
これをやらないと、どうも不安で仕方がないのだ。(苦笑)
“熟成期間”を設けたからと言って、素晴らしい文章に変わるというものでもないのだが・・・(大笑)

印刷物の恐い所は、出来上がったら、もう修正・訂正はきかないというところ・・・
これが怖くて仕方がない・・・
何度見直しても、誤字脱字を見つけられないこともある。(なぜなのかわからないが・・・)
文体は、これでいいのか?
言葉遣いは、これでおかしくはないか?
話の展開は、こういう展開で・・・話のオチは、これでいいか?
前後を入れ替えた方が読みやすいんじゃあるまいか?・・・とか・・・
まぁ、悩む悩む・・・(大涙)

何度も読み直して・・・う~ん・・・これでいいかな・・・と、半分“諦め”気分が出てきたところで完成ということにする!(笑)
で・・・本日、事務局に提出。
お盆休み前には印刷に回さねばならないから、もう手直しはきかねぇぞ~(汗)

このブログをダラダラといつまでも書いているのも、実は、この会報の原稿のためでもある。
とにかく何でもいいから、普段から文章を書いていれば、会報の原稿を書くときに、すんなりと書くことが出来るだろうと思ってのことである。
が・・・その効果が表れているかどうかは、かなり怪しい・・・(大笑)
文章を書く“億劫さ”からは少しは進歩したとは思うが・・・
まだ、満足の域には達していない。(大汗)
そう思うと、新聞記者などは大したものだと本当に思う。

とにかく、なんとかかんとか原稿を書き上げ、一件落着である。(苦笑)
とりあえず、今回も責任が果たせて良かった・・・

日記 | 23:51:51 | Comments(0)
『BC級戦犯裁判』


序章 なぜ、いま戦犯裁判か

1 さまざまな裁判
       シンガポール華僑粛清事件
       石垣島米兵処刑事件
       中国人強制労働・花岡事件
2 戦犯裁判を見る視点
       これまでの議論の限界
       BC級戦犯裁判を明らかにすることの困難さ
       裁かれた「日本人」とは?
       複眼的な視点
       BC級戦犯裁判を取り上げる意義

第1章 なぜ戦争犯罪が裁かれることになったのか

1 連合国内の議論
       被害国による戦犯処罰要求
       戦争犯罪をいかに裁くのか
2 アメリカ主導の主要戦犯裁判構想
       即決処刑か裁判か
       ニュルンベルク裁判への道
       ヨーロッパでのBC級戦犯裁判
3 BC級戦犯裁判の方式
       対日戦戦犯裁判の三つのタイプ
       戦犯の捜査と容疑者の逮捕
       日本側の対応

第2章 戦犯裁判はどう進んだか

1 裁判の手続き
       法的根拠
       裁判の手続き
2 戦犯裁判の経過
       戦中からおこなわれた戦犯裁判
       本格的な開始
       早期終了の挫折
3 裁判の全体的特徴
       5700人の戦犯
       何が裁かれたのか
       誰が起訴されたのか
4 戦犯裁判の終了
       戦後の状況変化と裁判の打ち切り

第3章 八か国の法廷

1 イギリス―威信回復を目指す中で
2 アメリカ―陸軍と海軍による裁判
       陸軍による裁判―横浜・上海・フィリピン
       海軍による裁判―グアム・クエゼリン
3 オーストラリア―日本への強硬姿勢
4 オランダ―日本とインドネシアの狭間で
5 フィリピン―住民虐殺を裁く
6 中国―二つの政府による裁判
       国民政府による裁判
       中華人民共和国による裁判
7 フランス―裁かれなかった民衆被害
8 ソ連―闇の中の裁判

第4章 裁かれた戦争犯罪

1 アジア民衆への犯罪
       組織的住民虐殺―マレー半島のケース
       組織的住民虐殺―ビルマのケース
       憲兵による虐待、拷問
       住民の裁判への協力
2 捕虜への犯罪
       多数の捕虜が犠牲に
       泰緬鉄道での犠牲
       捕虜の強制労働と企業
       B29搭乗員の処刑
3 女性への犯罪
       日本軍「慰安婦」強制事件
       強制売春から性奴隷制へ

第5章 裁いた者と裁かれた者

1 日本軍に利用されて棄てられた戦犯たち
       朝鮮人・台湾人
       サイパン人、ロタ人
       ウィルタ、ニブヒ
2 犯罪隠蔽工作
       証拠隠滅
       事実の改ざん
       法廷での弁明
3 裁かれなかったもの
       裁かれたのはわずか
       免罪さrた犯罪
       裁かれなかった者たち
       上官の命令問題
4 裁いた者たちの問題
       戦犯への虐待
       裁判自体の問題
       裁いた者たち

第6章 裁判が終わって―戦犯の釈放

1 刑の執行と平和条約
       スガモプリズンへの戦犯移送
       平和条約と戦犯
2 戦犯釈放にむけた動き
       戦犯釈放運動
       真摯な反省―獄中の戦犯たち
       戦犯釈放と日本政府

終章 BC級戦犯裁判とは何だったのか

       BC級戦犯裁判の意義
       民主主義社会の市民にとって
       日本の平和主義の再生に向けて

あとがき

BC級戦犯裁判関係年表

参考文献



今年の読書:43冊目



読書 | 22:31:34 | Comments(0)
眠れない!(涙)
昨晩・・・
いつものようにベッドにもぐりこみ・・・さぁ、寝ようとしたのだが・・・
なぜか、眠れない・・・(唖然)
いつもなら、ベッドに入って5分も経たぬうちにドッと眠りに落ちるはずなのに・・・・

ベッドの上で、ゴロゴロと寝がえりを打っているうちに、ふと時計を見たら・・・
午前3時半!(驚)
そんなに何時間もゴロゴロしていたのか?
もしかしたら、“寝られない”という夢を見ていて、実際には寝ているのではあるまいか?(苦笑)
これは夢なのか、現実なのか?

再び寝ようとしたが・・・
そのうち新聞配達のバイクの音が聞こえてきた・・・(唖然)
これが聞こえるということは・・・寝ていないな・・・これは現実だな・・・(苦笑)

午前4時・・・・
こんなことなら、読書をしていれば良かったと、思い切って寝るのを諦めて起き出し、読書をすることにした。(笑)
本を読みだしてすぐに、あくびは出るが眠くない・・・(大汗)
おかしい・・・

なんで寝られなくなったのだろう?
思い当たることが全くないのである。
心配事もないし・・・
だいたい、今までなら、心配事があっても、すぐに寝てしまっていたのに・・・
原因不明である。(汗)
こういう“一睡もできない”というのは、今までに十数年に一度くらいやってきたが・・・
う~ん・・・久しぶりである。

で・・・・予想通り・・・
朝食後は、頭がガンガンと痛み、調子が悪くなった・・・(涙)
睡眠不足である・・・(汗)
あ~あ~・・・今日は一日、調子が悪いままで過ごすことになりそうである。
参ったぁ~(大涙)

日記 | 10:44:41 | Comments(0)
『松方コレクション』を鑑賞する
昨日、姪っ子のコンサートを聴くために上京して一泊・・・
今日は上野の国立西洋美術館に行き『松方コレクション』を鑑賞する。(嬉)

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ところで・・・松方って誰だろう?(苦笑)
知らないで見に行くんだから、拙者もいい加減な人間である。(苦笑)

「松方さん」というのは、神戸の川崎造船所(現在の川崎重工)を率いた松方幸次郎という人だそうだ。
事業を拡大し、大正5年から昭和2年の10年間に、ロンドンやパリで美術品を買い集めたそうだ。
その数、3000点以上に上る・・・
どうも松方さんは日本人のために美術館を作りたいということで買いまくったらしい・・・
その直後の金融恐慌のあおりで事業は破綻し、収集品は散逸したらしい。
さらに作品の一部はロンドンの倉庫が火災に遭ってしまい焼失!
(なんと、もったいないことか・・・)
さらに一部は、第二次世界大戦末期にフランス政府に接収されたが、戦後、これら375点が寄贈返還され、これを基に国立西洋美術館が誕生したらしい。
へぇ~・・・である。

今回展示された作品には、国内外に散逸されたものも含まれているらしいが・・・
モネ、ルノアール、ゴッホ、ゴーガンなど著名な画家の絵が展示される。
拙者個人としては、ルノアールとかモネとかには全く興味がない・・・(苦笑)
あのような淡くてボヤッ~とした絵は好きではないのである。(笑)
印象派の絵より写実葉の絵のほうが好きなのである。
が・・・色々な絵が見られるから、これはこれで面白かった。

大満足をして・・・・帰宅する。(大喜)

日記 | 11:56:08 | Comments(0)
藤井さんがお亡くなりになっていた。(涙)
我が戦友会の会員である藤井さんの娘さんから突然のお電話・・・
直感だが・・・まさか・・・と思ったら案の定・・・
お父さんが6月1日にお亡くなりになっていて、四十九日の法要を終えたので連絡をしたという。(大汗)
6月に亡くなられていたんですか!(驚)
94歳だったという・・・
うちの親父が亡くなった年、喪中のハガキを送ったら、お線香を贈っていただいたので、何も知らず失礼しちゃったなぁ~と思ったのだが・・・
そのあたりを考慮したのだろう。
亡くなった直後に知らせたのでは、大阪まで来ることになったのでは申し訳ないという心遣いらしい・・・
そこで四十九日の法要を終えてから知らせてくれたようである。
申し訳なし・・・である。

藤井さんとは、10年前に一緒にフィリピンのミンダナオ島を旅行した仲だった。
藤井さんは海軍の少年兵だった。
17歳か18歳でフィリピンに派遣され、終戦後20歳になったと言っていた。
ちなみにお兄さんは我が部隊の陸軍の兵士としてルソン島で戦って生還した人・・・
復員後、兄弟そろってフィリピンで戦っていたことを知ったという。(笑)
そのお兄さんは「最後の一兵になるまで慰霊は続けなければならない」と言っていたそうだが、拙者が戦友会に関わる前にお亡くなりになったので、拙者はお会いしたことがない。
が・・・気持ちは同じである。
そういうこともあってか、名古屋で開催した慰霊祭の時に藤井さんから「あんた、フィリピンによく慰霊に行くんだって?今度、行くときについでに連れて行ってくれないかなぁ~」と言われた。
藤井さんは復員後、一度もフィリピンに行っていないという。

それから4年が経ってしまったある日・・・
我が祖父の部下たちの慰霊のためにルソン島に行くことを計画していた時に、突然、4年前のことを思い出した!(大汗)
しまった!・・・あれから4年も経っちゃった!(大汗)
急ぎ、藤井さんに連絡を取り、一緒にフィリピンに行く気があるかどうか確認・・・
ただ、ルソン島とミンダナオ島の両方行くのは日程と予算上、ちょっと無理なので・・・・
ここは藤井さんの「思い出を辿る旅」ということで、ミンダナオ島だけに行くことに急遽、予定を変更した。
「思い立ったが吉日」・・・である。
思い立って1ヶ月後に実行に移した。
あの旅行は、本当に楽しい旅行だった・・・
拙者にとっても、思い出深い「慰霊の旅」となった。

あれから、もう10年も経ってしまったのか・・・
あの時、ドタバタして旅行を実行したが、思い切って実行して本当に良かったと思う。
もしあの時、実行せず、今日を迎えていたら・・・大後悔である!(大汗)

旅行後、一度だけ、大坂のご自宅を訪問して、おしゃべりをしただけで、その後はお会いしていない・・・
今になって思えば、あと1~2回くらい顔を出せばよかったかなぁ~と思うが・・・
キリがないか・・・

藤井さんには、いい思い出をたくさんいただき感謝、感謝である。
ご冥福をお祈りする。

日記 | 22:38:15 | Comments(0)
『官僚の掟』


はじめに

第1章 こんなに統治しやすい国はない

 周期的にくる「官僚の危機」
 自殺の大蔵、汚職の通産、不倫の外務
 競争の土俵に上がらない
 ソ連の官僚の鉄のモラル
 官僚に「落選」はない
 官僚は年次がすべて
 どの上司に評価されたか
 「劣位」の元キャリアの特徴
 官僚が起こす不祥事の質
 ヤル気の搾取とタダ働きの心理
 官僚の背後にある存在
 内閣人事局と首相官邸
 世論と信頼
 信用した自分がみじめになる
 出口戦略も立てられず
 超然内閣の根にある反知性主義
 ロシアと似た無関心
 混乱にはうんざり
 安定してさえいればいい

第2章 「死んだふり」を続ける外務省
     ~清武英利『石つぶて』の原理

 20代で2000万円貯められる
 815億円をたった一人で差配
 健康診断で嘘発見器にかけてチェック
 あいつに急所を握られているぞ
 「下は上を守る」のが外務省の掟
 『今だから言おう』に書かれたこと
 「佐藤が早く辞めてくれればいいんですけどね」
 日本外交二つの敗北
 ジャパン・バッシングの流れ
 外務省は「死んだふり」

第3章 官僚たちのローカル・ルール
     ~城山三郎『官僚たちの夏』という神話

 「坂の上の雲」を目指していたころ
 『官僚たちの夏』という神話
 「官僚指導経済」という夢
 批判のない城山作品
 政治家に共通する口癖
 「処分」に現れた傲慢
 中型帝国主義という思想
 岸信介という生き方
 やり返された石原莞爾
 型破りの官僚の末路

第4章 「第二官僚」の誕生
     ~民主主義の危険な「迂回路」

 傲慢なだけではない
 総理のポジション
 各部会の利益の代弁者
 政治家と官僚の争い
 国策捜査の上手なやり方
 地に落ちた「特捜部神話」
 脱官僚、脱根回しのツケ
 うごめく通産官僚たち
 省庁から厳選された超エリート官僚
 官邸の評価が人事面で優遇される
 領土問題の責任は誰が負うか
 「全体の奉仕者」から「一部の奉仕者」へ
 ワイマール憲法とナチス
 経産省が官邸の下請けに
 「第二官僚」の視線の先

第5章 無意識の中の「ケガレ祓い」

オウム死刑報道への違和感
 刑執行に前のめりだった法務官僚
 「天皇の赤子」から「天皇の官吏」へ
 揺らがなかった東大法学部出身者優位
 古事記に描かれた祓いの行為
 神道に根ざした日本人の集合的無意識
 大本への内務官僚の警戒
 法務官僚の論理と行動

第6章 官僚とは何か?
     ~階級・新自由主義・税の収奪

 「生きづらさ」を抱える若者限定
 「絶対転落したくない」という危機感
 アンダークラスの誕生
 労働者と資本家の関係
 資本主義社会の階級関係
 資本主義のメインプレイヤー
 支配・被支配の関係
 官僚の本質が見えた改正法案


本書の題名は・・・「官僚の掟」・・・・
副題は「競争なき「特権階級」の実態」・・・・
“掟”や”実態”の話のはずなのだが・・・
後半に進むに従って、ピント外れというか分かりづらいというか・・・
この人・・・以前からこんなに難解な書き方をしていましたっけ?
・・・というのが読後感・・・
結局・・・とどのつまり・・・何の話しでしたっけ?(大汗)


今年の読書:42冊目



読書 | 21:43:00 | Comments(0)
ガスコンロを購入!(笑)
我が家の台所のガスコンロ・・・・
10年ほど前にガス機器の業者が点検に来た時に、とりあえずの応急処置をしてもらった代物である。(笑)
もう何十年使っているコンロだろう・・・これ・・・(大笑)
軽く20年は使っていると思う・・・(汗)
で・・・10年ぐらい前から点火プラグの調子が悪い・・・
ということで、応急処置をしてもらったのだが、あくまでも応急処置である。
それを10年近くも使い続けていたのである。(大笑)
ついに、どうも点火が怪しくなって来たので・・・
こりゃ、事故でも起こす前に買い替えたほうが良いなと思い、友人の“ウメちゃん”を通して購入した。
彼を通すと、安く手に入るのである。(大笑)

で・・・今回購入したガスコンロ・・・
以前のものは、つまみを回して点火したのであるが、この新しいものは押しボタン式である。
バーナーには温度センサーが付いているから安心だ。
この間、買い替えた車・・・・
中古車なのに、最近の車はボタンを押してエンジンをかけるのだというのには驚いた。
で・・・ガスコンロも押しボタン式である!(大笑)
そのうち「回す」という動きは廃れてしまうのではなかろうか?(大笑)
以前のものはグリルに水を入れて魚を焼いたが・・・
最近のものは、水を張らなくていいのだそうだ。(汗)
大丈夫かい?・・・それで・・・(大汗)

いやはや、歳を取ったせいか・・・新しいものについて行けるかどうか・・・(大汗)

日記 | 11:55:08 | Comments(0)
竹村健一さんがお亡くなりになった。
今日(8日)の午後7時半ごろ、評論家の竹村健一さんがお亡くなりになられたという。
そういえば最近お見かけしないなぁ~と思っていたのだが、どうも80歳で引退していたらしい。
89歳でお亡くなりになったということは、私の父より若かったわけだ・・・
ある意味、驚きである。
一番活躍していた頃、私の父親より絶対年上だと思っていたのだが・・・年下でしたか・・・(汗)

竹村さんは、ある意味、私にとって恩人でもある。
私が高校生の頃・・・
竹村さんは世相を扱うテレビ番組で活躍されていた。
パイプをくわえて、時事問題の解説などをされていた。
大学受験の勉強をサボって、その番組を見た時のこと・・・
ゲストに亜細亜大学の倉前先生が出演されていた。
その話を聞いていて、この先生の授業を受けたいと思って、急遽、亜細亜大学を受験することにしたのである。
もし、この番組を見ていなかったら、絶対、亜細亜大学は受験することはなかっただろう。(大笑)
そういう意味で、私にとっては恩人なのである。

大学に入ってから分かったことだが・・・
大学へ行けば倉前先生に会えると思ったら大間違いで、学部が違うと会う機会がないことを知った。(大汗)
確か、倉前先生は経済学部の教授だったと思う・・・
私が入ったのは経営学部・・・(大笑)
会えるわけがない・・・が・・・
教養課程で倉前先生の授業が1つだけあったので助かった・・・(笑)
当然、倉前先生の授業の成績はAである。(大笑)

倉前先生の著名な本に『悪の論理』というのがあり、これも読んだ。
そういう影響もあって第二外国語はロシア語を選んだ・・・(笑)
当時、倉前先生はソ連のKGBの暗殺リストに載っていると噂されていたことを覚えている。

当時、私は新聞2紙をとっかえひっかえ読んでいた。
例えば、読売新聞と毎日新聞の2紙、半年後には産経新聞と東京新聞の2紙という具合である。
国際政治、特にソ連関係の記事を切り取ってスクラップブックに貼り溜め、倉前先生が出された課題のレポート作成に利用したものである。
当時の新聞切り抜きのスクラップブック十数冊は、今でも本棚に鎮座している。(笑)
もう40年も前のものだから、利用価値は全くないのだが、今もって捨てられずにいる。(大汗)

倉前先生と、ようやく会話を交わすことが出来たのは、大学卒業直前になってからである。
大学内の各団体幹部と教職員の親睦会があった。
各団体の新旧役員が交代の挨拶をする会合で、確か、渋谷の東急ホテルで開催されたと思う。
この時、卒業していく私は、後任の役員を連れて倉前先生に挨拶をしたのである。
そして、亜細亜大学に入学したのは先生の授業を受けたかったから・・・という話と、学部を間違えて授業を1つだけ、しかも1年間だけしか受けられなかったという話をした。
先生が苦笑したのが今でも記憶に残っている。
憧れの先生と言葉を交わせたのが4年後の卒業直前とは、ちょっと間抜けだが・・・(大笑)
あの時の興奮は今もいい思い出である。

これも竹村さんのテレビ番組のおかげである。
まさしく運命の出会いと言っていいのではないかと思っている。
感謝、感謝・・・である。

ご冥福をお祈りしたい・・・

エッセイ | 23:10:13 | Comments(0)
『昭和の墓碑銘』


はじめに

昭和49年
「帝国海軍」の大往生、野村直邦大将
   ~野村直邦(1885~1973)~
長崎県大村市元市長・大村純毅「藩主」の死
   ~大村純毅(1903~1974)~
美空ひばりのファンだった「曲学阿世」の元東大総長
   ~南原繁(1889~1974)~
「悲劇の宮家」を支えた北白川房子さんの死
   ~北白川房子(1890~1974)
「カステラ人生」文明堂会長の金銭哲学
   ~宮崎甚左(1890~1974)~

昭和50年
天皇・マ元帥会見の秘密と奥村元外務次官
   ~奥村勝蔵(1903~1975)~
避妊の荻野博士の「町医者」としての生涯
   ~荻野久作(1882~1975)~
『丸井』青井忠治会長の「月賦屋」50年
   ~青井忠治(1904~1975)~

昭和51年
日米開戦時の嶋田海相の「沈黙の戦後」
   ~嶋田繁太郎(1883~1976)~
パリの伝説的日本人、薩摩治郎八氏の生涯
   ~薩摩治郎八(1901~1976)~
「私は貝になりたい」加藤元中尉の運不運
   ~加藤哲太郎(1917~1976)~
最後の「明治貴婦人」元梨本宮妃波瀾の生涯
   ~梨本伊都子(1882~1976)~

昭和52年
木戸・元内大臣が残した「非公開録音テープ」
   ~木戸幸一(1889~1977)~
「倅・三島由紀夫」の父の“にこやかな死に顔”
   ~平岡梓(1895~1976)~
『赤札堂』小泉社長の「アイディア30年」
   ~小泉一兵衛(1920~1977)~
「新宿マフィア」尾津喜之助親分の死
   ~尾津喜之助(1898~1977)~

昭和53年
死亡が“確認”された「ドン・キホーテ」辻政信
   ~辻政信(1902~1962?)~
「日本のラルフ・ネーダー」花森安治さんの“療養生活”
   ~花岡安治(1911~1978)~
コンピューターの「先駆者」水品浩氏
   ~水品浩(1895~1978)~
最後の「シャーマン」北川ゴルゴロさん
   ~北川ゴルゴロ(1899~1978)~

昭和54年
大庭哲夫・元全日空社長の国会証人喚問の前と後
   ~大庭哲夫(1903~1979)~
「青バット」大下弘選手の“伝説”と“素顔”
   ~大木弘(1922~1979)~
「転向の先駆者」鍋山貞親氏の“軌跡”
   ~鍋山貞親(1901~1979)~

昭和55年
沢田美喜さん、混血孤児との34年
   ~沢田美喜(1901~1980)~
「発明家」早川徳次さん、ペンシルから翻訳機まで
   ~早川徳次(1893~1980)~
近衛文麿公未亡人 千代子さんの戦後
   ~近衛千代子(1896~1980)~

昭和56年
西尾末広氏の死と社会党の凋落
   ~西尾末広(1891~1981)~
台湾上空に散った向田邦子さんと109人
   ~向田邦子(1929~1981)~
士魂商才、反骨の人 出光佐三の「石油人生」
   ~出光佐三(1885~1981)~
『日刊アルバイトニュース』女社長「奮戦記
   ~井上陽子(1936~1981)~

昭和57年
東条英機未亡人 カツさんの波乱万丈
   ~東条カツ(1890~1982)~
鳩山一族の“女主人” 薫さん93歳の「大往生」
   ~鳩山薫(1888~1982)~
森コンツェルン終焉を告げる森暁氏の死
   ~森暁(1907~1982)~

昭和58年
日本の黒幕・矢次一夫氏の「怪物伝説」
   ~矢次一夫(1899~1983)~
高英男に看取られた「美少女画」中原淳一さん
   ~中原淳一(1913~1983)~
共産党『福本イズム』からフクロウ研究まで
   ~福本和夫(1894~1983)~

昭和59年
『豊田一族』を束ねたトヨタ創業者の妻
   ~豊田二十子(1901~1984)~
歴代首相の師だった安岡正篤氏の「晩年」
   ~安岡正篤(1898~1983)~
大賛辞で送られた「永遠の二枚目」長谷川一夫さん
   ~長谷川一夫(1908~1984)~
徹底したリベラリスト、文明批評家・竹山道雄さん
   ~竹山道雄(1903~1984)~

昭和60年
『回天』特攻隊員の「母」 倉重アサコさんの戦中戦後
   ~倉重アサコ(1907~1985)~
脱税の判決前に病死した「熊沢天皇」
   ~熊沢信彦(1921~1985)~
戦後に灯をともした「ブギウギの女王」
   ~笠置シヅ子(1914~1985)~
映画の最盛期を築いた「永田ラッパ」の終焉
   ~永田雅一(1906~1985)~
GHQに抵抗した「従順ならざる日本人」
   ~白洲次郎(1902~1985)~

昭和61年
『永仁の壺』贋作事件の加藤唐九郎さん
   ~加藤唐九郎(1898~1985)~
長島、王を獲得した品川「元巨人球団社長」
   ~品川主計(1887~1986)~
西ドイツで客死した農地改革の生き証人
   ~大和田啓気(1915~1986)~

昭和62年
昭和の「嵐」に翻弄された愛新覚羅浩さん
   ~愛新覚羅浩(1914~1987)~
息子を誘拐されたトニー谷の「芸と生活」
   ~トニー谷(1917~1987)~
往年の人気女優、栗島すみ子さん
   ~栗島すみ子(1902~1987)~

昭和63年
「東京ローズ」を育てた対米謀略放送の班長
   ~満潮英雄(1906~1988)~
天皇制存続を訴えたビッター元上智大院長
   ~ブルーノ・ビッター(1898~1988)~
安らかな死を迎えた美智子妃「母堂」の30年
   ~正田富美子(1909~1988)~

あとがき
   尾嶋義之(元『週刊新潮』編集部)


本書は「週刊新潮」に連載されている「墓碑銘」というコラムから厳選された54名を取り上げてまとめられた本。
ちょっとした「伝記」である。
懐かしいお名前も拝見・・・・
ここに取り上げられた54名の方々の他にももっと読みたいくらい読み応えのある本であるが・・・
このコラムは昭和49年から連載が始まり、平成17年までに取り上げた物故者は1500名以上だそうである。
出来れば全員の「墓碑銘」を読みたいが、1500名以上ともなると・・・・かなりの厚さの本になってしまうから無理かぁ~
続編も出ていないようなので、続編くらいはあってもいいのではなかろうか?・・・と思った。


今年の読書:41冊目



読書 | 23:21:23 | Comments(0)
伯父の墓参り
今日は東京の伯父の墓参りに行く。
伯父の命日に近い日曜日を狙い・・・
一人娘の従妹に「当然、お父さんのお墓参りに行くよね?」とお墓参りを強要する。(大笑)
当然、言った以上、拙者も同行させてもらう事とし、昨日上京して一泊。
我が妹も付き合ってくれると言うので、3人でお墓参りをする。
「一人でお墓参りをするんじゃ寂しいでしょ?」とか何とか言って・・・(大笑)

お墓参り後、昼食を一緒に食べ、さらに喫茶店で雑談して過ごす。
こういうことでもなければ、なかなか従兄妹同士で話をする機会はない。
一人娘を残して旅立った伯父さんも少しは安心してくれるんじゃなかろうかと思う。
充実した時間を過ごし・・・・帰宅する。

日記 | 11:54:18 | Comments(0)
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