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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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別府港跡と天然砂場跡
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別府港跡と天然砂場跡

明治4年5月、九州の表玄関といわれた別府港が完成。
九州の三大波止場のひとつ。
のちに別府温泉の発展に大きな役割を果たした。
港の北側には北浜天然砂場があり、南側も砂場だった。
多くの湯治客は海から訪れていた。

平成14年3月 あなたの町の郵便局

(碑文より)


【大分県別府市北浜1-14】



史跡 | 13:10:17 | Comments(0)
「地獄めぐり遊覧バス」発祥の地
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「地獄めぐり遊覧バス」発祥の地

亀の井バスの創立者・油屋熊八は、昭和3年、日本初の「女性バスガイド」と「遊覧バス」を発案。
そのコースの沿線で、流川情緒や史蹟名所を美文調で説明した。
若い女性ばかりのバスガイドは、旅行者にすごい人気を博した。

地獄めぐりは 亀の井バスよ
乗ればニッコリ 乙女の車掌
名所解説 節・面白ふ
唄う車内の 和やかさ

平成14年3月 あなたの町の郵便局

(碑文より)


【大分県別府市元町19-10】



史跡 | 12:56:53 | Comments(0)
伊能忠敬測量史蹟
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伊能忠敬測量史蹟

往時この街角に高札場あり徳川幕府禁制を掲ぐ
文化7年(1810年)2月11日伊能忠敬来りて測量をなしこの処に国道元標を建つ
江戸日本橋より263里(1052km)
この元標より西1丁目に庄屋宅ありと

流川通り会
平成9年6月建立

(碑文より)


【大分県別府市・流川4丁目交差点】



史跡 | 11:41:59 | Comments(0)
別府の“戦友”に会いに行く
先日、別府在住の我が戦友会会員の“ヤスダさん”からお手紙を頂いた。
この間、ベッドから落ちて体調を崩したらしい。
90才を過ぎると、病院のベッドに寝ていても、そういうことが起こるらしい。
話によると、ベッドから降りる時に倒れたのではないかと思うとのこと。
自分でも記憶がないらしく、気が付いたらベッドの下に倒れていたらしい。
体調を崩して危うく死にはぐったが、ようやく回復したので手紙を書くことが出来たと書いてある。
いやはや、なんということか・・・・
さぞかし心細かっただろう。
以前、お会いしたときに「死ぬ前にもう一度会いに来て欲しい」と言われてたし・・・(苦笑)
こりゃ、お見舞いがてら顔を見に行かねばなるまい!
ということで・・・昨晩、上京して前泊し、今朝、羽田から大分空港に向かった。

大分空港から高速バスで別府へ・・・・
別府駅前で少し遅めの昼食を食べて、“ヤスダさん”のいる病院へ向かう。
毎度同じパターンでの行動・・・(笑)
今回は珍しく雨!
傘をさしてテクテクと向かう・・・
事前に手紙で到着予定時間を知らせておいたので、“ヤスダさん”が病院のロビーで首を長くして待っていた。
こうなると、毎度毎度、時間ピッタリに到着しなくては申し訳ない・・・(笑)
今回も、たぶん、そうだろうなぁ~と思い、近くのコンビニで一服して時間を調整して時間ピッタリに到着!(大笑)

病室へ向かい、早速、おしゃべり!(笑)
いつもは、“ヤスダさん”の体調を考えて、1時間程度の訪問なのだが、今回は、何だかんだとおしゃべりが弾み、あっという間に2時間も経ってしまい、まもなく夕食の時間・・・
それでは、今回はここまでということで、お別れをする。
やっぱり寂しかったのだろう・・・“ヤスダさん”は、ずっと話しっぱなし・・・(笑)
いつも、おしゃべりな拙者は聞き役に徹する・・・(笑)
拙者相手で気分転換していただけるなら嬉しい限りである。

病院を辞してホテルに向かって歩く。
すでに雨はやんでいたので助かった。

で・・・思い出した・・・
前回来た時に見落とした“史跡”があったので、ちょっと探してみたい・・・
伊能忠敬が測量しに別府に来たことを示す石碑がどこかに建っているはずなのだが・・・

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交差点の角、電信柱の裏に、それらしきものを発見!
あれ?・・・・この道・・・・以前にも歩いたんだけどなぁ~(汗)
電信柱の裏では見落とすわなぁ~(大汗)

185_convert_20170909211948.jpg (伊能忠敬測量史蹟碑)

そのままホテルに向かい歩く・・・
ここから先は初めて歩く道である。
途中、「地獄めぐり遊覧バス」発祥の地碑を見かける。

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さらに、その近くに、「別府港跡と天然砂場跡」の碑をみつけるが・・・・

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碑が建っている場所は、どう見ても「天然砂場跡」とは思えないような場所だった・・・(大汗)

ホテルは前回も泊まった同じホテル・・・・
勝手知ったる・・・である。(笑)
ホテル近くのレストランで一人寂しく夕食を食べ・・・(苦笑)
今日の行動は、これで終わり・・・

日記 | 10:13:11 | Comments(0)
『日本海軍 失敗の研究』


まえがき

 1 司馬遼太郎氏の大正、昭和史観

 2 堕落への第一歩
       日露戦争の辛勝
       講和への道
       大山巌と山本権兵衛
       東京騒攬事件
       参謀本部刊行「日露戦史」
       夏目漱石の“大和魂”

 3 日韓併合

 4 立憲主義と統帥権の相剋

 5 山県有朋と桂太郎
       参謀局から参謀本部へ
       現役将官専任制への移行
       軍制の転換
       メッケルの功罪

 6 統帥と輔弼
       統帥権
       輔弼

 7 倨傲、狡猾、国家エゴへの傾斜
       対支二十一カ条要求
       シベリア出兵
       田中義一と中野正剛

 8 張作霖爆殺事件

 9 海軍軍縮会議の明暗
       ワシントン会議
       ジュネーブ会議
       ロンドン会議

10 満州事変

11 右翼と下剋上
       5・15事件
       天皇機関説問題
       2・26事件

12 横暴と暴走
       広田内閣の苦悩
       軍部大臣現役制の復活
       日独防共協定
       支那事件勃発
       ノモンハンの惨敗

13 陸軍豹変す

14 三国同盟締結

15 仏印進駐

16 南進への野望

17 痛恨の逸機

18 南部仏印進駐
       永野軍令部総長と第一委員会
       南部仏印進駐

19 近衛首相の苦闘
       御前会議
       陸海軍の対立
       五相会議(荻外荘会談)
       建前と本音

20 万策つき開戦へ
       嶋田繁太郎海相に就任
       開戦

あとがき

主な参考文献と資料


今年の読書:41冊目



読書 | 23:45:45 | Comments(0)
『南海の大探検家 鈴木経勲』
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はじめに

前編 主として『南洋探検実記』にみられる記事の検証



第1章 経勲の記事についての疑問
       経勲らマーシャルへ赴く
       ラエ島に乗り込む
       兇行人の逮捕
       日本人虐殺事件の不可解な謎

第2章 欧米人との最初の接触の歴史
       経勲の誇張
       欧米人との衝突
       キリスト教の伝来
       貿易商人の登場
       キリスト教の発展と酋長の困惑
       キリスト教への反発
       貿易商人の活躍
       カペルレの活躍
       マーシャルの文明化
       火器の普及と内乱の活発化
       ドイツの支配
       ドイツの植民地となる

第3章 経勲の歴史的記述の検討
       マノワの特定
       アルノの戦争
       マジョロの最後の戦争
       カブアとロイアクの確執
       ラリック列島の王に過ぎない
       『探検実記』にみられる空白の期間の謎
       経勲はジャルートの離島には出かけていない

第4章 経勲の民族誌的記述の検討
       マーシャル諸島の地理、人、文化
       経勲の民族誌的記事の検討
       更なる考察
       経勲の掲載したマーシャル語

第5章 マーシャル人の凍死と国旗撤回の謎
       マーシャル人凍死の真相
       国旗撤回
       経勲のマーシャル訪問の目的
       謎のハーデー船長とエーダ号

第6章 外国の文献にみられるラエ島日本人虐殺事件

後編 主として『南洋探検実記』以外の文献の検証

第1章 『南洋探検実記』以外の代表的文献についての考察
       1 猛太郎の伝記
       2 経勲の自叙伝
       3 大内青琥氏発見の『復命書』
       4 M・R・ピーティ氏の経勲批判
       5 殺人者の処罰中止の謎
       6 オーストラリア・イギリスの資料からの検証
       7 日本側の記録
       8 経勲らはエーダ号に乗船していたか
       9 ラッコ猟に対する疑問
      10 横浜開港資料館蔵の史料
      11 『東京横浜毎日新聞』の記事
      12 「無人島探検記」の検討
      13 まとめ

第2章 『南洋探検実記』以前の記事についての考察
       1 『東京地学協会報告』の記事の検討
       2 野沢藤吉の口述筆記
       3 「明治十七年マーシャルに使して―ヤルート三十二島占領の思い出―」の記事
       4 丸山義二の「豪胆・鈴木経勲の椰子島譚」
       5 「原始時代にあるマーシャル群島」の検証
       6 外務省へ提出された『復命書』

第3章 以上の史料に基づいてのまとめ
 
第4章 種本はレイニア号漂流記
       1 ヒントはレイニア号の本から
       2 レイニア号漂流記との類似点
       3 残された疑問と虚偽

第5章 結語
       補遺
       追記

付録 最後の海賊ブリー・ヘイズ
       海賊ヘイズの正体
       デイズの文献からみたヘイズの最後

あとがき

参考文献一覧


本書の題名「南海の大探検家」の文字に魅かれて読んでみた。
昔、こういう「大探検家」がいたのかと驚いたのだが・・・・

明治17年に横浜に入港した英国船から、マーシャル群島の中の一つの島、「ラエ島」で、ここに漂着した日本の漁夫が島民によって殺害されたというニュースがもたらされた。
このため、日本の外務省は2人の官吏を現地に派遣したのだが、そのうちの一人が鈴木経勲という人物である。
帰国後、彼は『南洋探検実記』という本を発表し、これが日本初の民族誌的文献として高い評価を受けた。

本書の著者は大学院で太平洋考古学を専攻した方だそうで、実際に太平洋上の島々に調査に出かけてもいる専門家のようである。
その著者が、この『南洋探検実記』を検証してみたら・・・・あれ?(笑)
書かれている内容がおかしい・・・
間違った記述が多く、正しい記述は外国の文献にも載っている話だけ・・・となると、怪しい・・
「探検実記」とは言っているが、その「探検」は、外国の「探検記」や「漂流記」からの引用ではなかろうかという疑いが出てきた。
「実記」といっているが、果たして本当に現地に行っているかも疑わしくなってきた・・・
この本は、実は、外国の文献を種本とした創作ではなかろうか?

『ガリバー旅行記』という本がある。
この本をノンフィクションの旅行記だと思っている人は、いないだろう。
あれは、創作で、おとぎ話である。
鈴木経勲の『南洋探検実記』も、もしかしたら、その程度のものかもしれない・・・
しかし、そんな本を多くの人が学術的に高く評価し続けてきたことが不思議である。

本書のテーマは、非常に興味深く、面白い・・・
詳細な検証がされているが、話の展開が行ったり来たりしている構成なので、ちょっと読みづらいかもしれない。
惜しむべくは、鈴木経勲の『南洋探検実記』の原文の引用がされていないところである。
何か理由があってのことなのだろうか?
原文と対比しながら検証するという形の方が原本を読んだことのない人には分かりやすかったかもしれないと思った。


今年の読書:40冊目



読書 | 01:14:17 | Comments(0)
20数年ぶりに恩師に会う
この間、大学の恩師から電話を戴いた。
先生の甥がピアニストなのだそうで、そのリサイタルを聴きに上京しないかとのお誘いの電話・・・
ついでに、誰か誘ってくればいいと、おっしゃるので・・・
ピアノを弾く妹と姪を誘い、3人で聴きに行くことにした。
場所は、上野の東京文化会館・・・
3人分のチケットは先生からのプレゼント!(大喜)
感謝、感謝である。

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恩師の甥の松岡氏は、国際コンクールで賞を取ったほどのピアニストだそうだ。
が・・・拙者は音楽についてはよくわからない・・・(大汗)
正直言って上手いのか下手なのか、さっぱりわからない・・・(苦笑)
自分が聴いて心地よければ「上手い」、心地よくなければ「下手」と思うという程度である。
ピアニストの演奏テクニックについては、妹や姪の方が良く分かっている。

とにかく、「非日常」という、いい時間を過ごさせていただき、先生には感謝である。
で・・・・会場で先生にお会いしようと思った時になって気が付いた・・・(大汗)
大学を卒業して33年ほど経つのである。
卒業して間もない頃に二度ほど先生にお会いした程度・・・
ということは、あれから20年以上、30年近くお会いしていないのである!(汗)
拙者の記憶にある先生の姿は、大学時代の先生・・・
あれから30年近く経っているのだが・・・先生はお幾つになられているのだろう?
参ったぞ・・・“加齢”後の姿が思い浮かばない!(大笑)
あれ?・・・次々と思い浮かぶのは30年ほど前の若々しい姿ばかり・・・
これでは、この会場の中で先生を見つけるのは難しい・・・
あの頃は若々しかったが・・・もしかしたら腰の曲がった、おじいちゃんになっているかもしれないし・・・(苦笑)
頭がツツツルに禿げ上がっているかもしれないし・・・(大笑)
会いたい気持ち半分、会うのが怖い気持ちが半分・・・である。(苦笑)

とにかく、ロビーの人ごみの中をウロウロと歩き回ることにした。
と・・・・聞きなれた声が・・・
間違いなく、先生の声である!(喜)
声の主のところへ向かい、ご挨拶・・・
やっぱり、30年も経つと歳は取るね・・・(大笑)
(お互い様だろうけど・・・)(大笑)
それにしても、あの張りのある元気なお声が全く変わっていないのには驚いた。
いやぁ~一瞬にして大学時代に戻った気分・・・(笑)
妹と姪を紹介して、立ち話・・・
他にも先生にご挨拶したい人が待っていたようなので、おしゃべりは短時間で打ち切ってお別れしたが・・・
いやぁ~嬉しかったなぁ~
まさか30年近く経って再会できるとは・・・

わざわざ声をかけてくださって、チケットまでプレゼントしてくださった先生に感謝!

日記 | 10:11:02 | Comments(0)
「共謀罪」法が成立
犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ等準備罪」を新たに設けた改正組織犯罪処罰法が可決して成立した。
今までの我が国の刑法では、犯罪実行後に処罰するということが原則だったという。
それを犯罪実行前に処罰するということになるのだから、刑法の大変革ということになるかもしれない。

これに対し、野党側は、かなり反発していたようだが・・・
その解釈が、かなりの「拡大解釈」のような気がしないでもない。
「内心の自由の侵害」などと言い出しているようである。
つまり、心の中で思っただけでも逮捕されて処罰されるのではないかということのようだ。
極端な話のような気がしますが・・・(苦笑)

テロ行為に対して、この「準備罪」は有効であると思う。
野党は自分たちが政権を取った時に、この「準備罪」がなかったら、テロ対策の時に不便ではないかと思うのだが・・・
野党は政権を取ろうという気はないから、こういう反対の仕方をするのだろうか?(苦笑)

共謀罪法は、277の犯罪に適用されるそうで、対象をテロ組織と暴力団などの「組織犯罪集団」と規定しているという。
構成員が2人以上で犯罪を計画し、そのうちの1人でも現場の下見や資金調達などの「準備行為」をした場合、その計画に同意した全員が処罰されるのだそうだ。
それなら、何の問題もないと思うのだが・・・

国民の安全を守るため・・・というのが与党の言い分で・・・
基本的人権の侵害だ・・・というのが野党の言い分だそうだが・・・
何でもかんでも「基本的人権」を持ち出せばいいというものではないと思うが・・・
「テロリストにも基本的人権はあるのだから、テロリストの基本的人権を尊重して、テロ事件が起こって、犠牲者が出てからテロリストを逮捕して処罰すべきだ!」と野党は、正しく、かつ分かりやすく言うべきではなかろうか?(大笑)
(そう言ったら国民は誰も賛同しないかもしれないけど・・・)(苦笑)

問題は、捜査機関による法の乱用や悪用である。
これは、人間がやることだから避けるのは難しいと思う。
自分の好みの女性をテロリストの一員ということにして、その女性の情報を集め、処罰するぞと恐喝して男女の関係を要求するという捜査員が出てこないとも限らない。(大笑)
この法の乱用や悪用に対しては、罰則の強化で対処するしかないと思うのだが、日本の処罰というのは甘い気がする。

例えば、一般人が放火事件を起こした場合と、消防士や消防団員が起こした場合では大きく処罰に差を設けるべきではなかろうか?
例えば、一般人が懲役5年なら、職務上(立場上)やってはいけない人がやっちゃった場合は、その10倍の懲役50年にするとか・・・・(笑)
そのくらいの重罪を適用してもいいのではなかろうか?
それじゃ「法の下での平等」に反するか?
私が野党だったら、法を乱用した場合の処罰の厳罰化のほうに力を入れて要求するけどなぁ~
何でもかんでも10倍!
通常なら1年ぐらいの刑でも、自動的に10倍となって、懲役10年!
悪質な乱用の場合は仮釈放なしの終身刑!(一生刑務所から出られないとか・・・)
となれば・・・かなり、法の乱用の抑止力になるんじゃなかろうかという気がするんだけど・・・・

犯罪犠牲者が出てからでは遅いと思うんですけどねぇ~
「この法案に反対するというのは、テロリストを利する行為ではないか?大規模テロが起きた場合、この法律が存在していなかったために阻止できなかったと明らかになった時に、野党は責任を取ってくれますね?」とでも与党は言うべきではなかろうか?(大笑)
リスクの大きさからいうと、やっぱり「準備罪」は無いよりはあった方がいいと思うなぁ~

エッセイ | 17:36:28 | Comments(0)
『台湾人元志願兵と大東亜戦争』


序文―鄭春河氏への謝辞―
     明星大学教授・文学博士 小堀 桂一郎

異国の民となりて―日本の皆様へ
     鄭 春河(旧名 上杉重雄)

第1章 大東亜戦争聖戦論

戦争責任
   前言
   老頭脳
   意外な記事
   戦争責任と元臣民の意識
   結言
目覚めよ我等が同胞
   歴史の真実を探求せよ
大東亜戦と日本世相の再認識
   前書
   戦後の日本教育
   戦後の日本世相
   大東亜戦の真相
   東京裁判
   現今の日米関係
   結論
終戦45周年感懐
   其一 敬告、日本戦友
   其二 正義感
大東亜戦争は確かに聖戦だった
   1 序言
   2 大東亜戦争は侵略戦争ではない
   3 東京裁判は不当、大きな誤りだ
   4 判事パール博士の日本無罪論
   5 大東亜戦争の結実―民族解放に世界的貢献
善有善報悪有悪報
   1 聖なる戦―大東亜戦
   2 大東亜戦争の勝利者―日本(善有善報)
   3 世界識者の評価
戦犯
   1 「戦犯」と軍事裁判
   2 日本人は「戦犯」ではなく「敗戦犯」だ
   3 戦犯は誰か?
   4 戦犯の善後処理
   5 現地に於ける戦犯
   6 戦犯の霊魂今いづこ
   7 因果論
   8 日本同胞よ、心理建設目ざして頑張らう
嗚呼大東亜戦争
   1 まへがき
   2 大東亜戦争の原因と経過
       (1)世界通念と白人世界
       (2)歴史とその時代背景
       (3)明治維新と日本の生きる道
       (4)泥沼の支那事変
       (5)日米交渉
       (6)窮地に立つ日本の選択
       (7)アメリカの最後通牒ハルノート
       (8)宣戦と経過
       (9)終戦
   3 大東亜戦争の目的と結果
   4 パール判事の正義感
   5 東京裁判の再審と汚名の払拭
   6 結び
細川首相「侵略発言」の因果
細川首相の「侵略」発言に想ふ
   1 どうしてあんな馬鹿な発言を
   2 戦後日本社会の混乱
   3 日本経済の発展
   4 日本国憲法と諸悪の根源
   5 新世紀と日本の使命
   6 『嗚呼大東亜戦争』と細川首相の「侵略」発言
   7 大東亜戦争に生きる大和心(『嗚呼大東亜戦争』の読後感)
日本同胞よ大義に生きよ
懸崖勒馬
   昭和天皇と戦争責任
   大東亜戦争の再確認
   「謝罪決議」「不戦決議」は亡国の暴挙(日本の政治家よしっかりしてくれ)
   経済支援は何の為か?
   結び
嗚呼大東亜戦争(終戦50年版)
天の声地の声
   台湾志願兵は今もなほ「大日本帝国の軍人」だ
   反日傾向的教科書について
   昭和天皇の戦争責任について
戦犯と英霊
   1 台湾人戦犯26柱、無言の凱旋
   2 軍事裁判と戦犯
   3 戦犯受刑者の辛酸血涙
   4 大東亜戦争は侵略戦争ではない
   5 事後法の裁判―不法
   6 日本同胞に忠告
       1 対米宣戦は東条首相の独断にあらず
       2 昭和殉難者―法務死
       3 首相までが英霊を冒瀆
       4 情けない愛媛玉串料の最高裁判決
       5 英霊の名誉回復
   7 結び
覚醒

第2章 旧日本軍隊の思ひ出

旧日本軍隊を偲ぶ
天晴れ日本軍人の亀鑑・飯田弘大尉
屠羊記
   まへがき
   1 炊事使役―(カンビンポトン)
   2 軍隊生活の心構と秘訣
   3 台湾志願兵の苦悶
   4 台湾志願兵の選抜は不当
   5 尻の黒い兵隊
   6 古兵の清涼剤
   7 大隊本部の下給品
   あとがき
旧日本軍隊を偲んで
   英霊の痛哭
   英霊の名誉回復
「戦陣訓」は「軍人精神」である

第3章 台湾の戦前戦後

教育勅語と台湾島民
   1 領台当時の国民教育
   2 幼年時代の思ひ出
   3 教育勅語の薫陶
   4 吾人の信仰
   5 教育勅語の機能停止と復活
   6 教育勅語―人倫の常経・天地の公道
   7 結語
領台50年回顧
   1 前言
   2 台湾はどんなところか
   3 日本の領土となる
   4 日本の南進政策
   5 台湾統治(1895~1945)
       1 殖民地の経営
       2 台湾人の皇民化
       3 歴代総督の治政
   6 終戦
       1 中国復帰
       2 明治の台湾志願兵
       3 台湾同胞よ贅沢する勿れ
   7 結論
自立自強
   1 台湾住民の自決権いづこ
   2 日本国籍の喪失
   3 台湾人の失望
   4 台湾人の悲境
   5 結び
   ◎ 附記事項
       1 当初の国府軍
       2 躍進台湾の民主化
嗚呼六士先生
   1 芝山巌精神
   2 六士先生
   3 日本語の伝授
   4 六士先生の殉難
       1 芝山巌事件と六士先生の功績
       2 遭難碑
       3 六士先生招魂歌(伊沢修二先生作)
   5 教職は聖職
   6 戦後の台湾教育
   7 結論
延平郡王祠の祭典と神道
   1 日本神道祭儀実現の経緯
   2 神道
   3 戦後台湾の神社
   4 21世紀は神道思想文化の時代
   【資料】 祝詞
台湾と大東亜戦争
   1 前言
   2 台湾の沿革と民情
       ◎ 現在の台湾人は中国人ではない
   3 戦前の台湾世相
       1 満州事変と支那事変の勃発
       2 応急動員下令
          ◎附記
       3 台湾陸軍特別志願兵制度の施行
   4 従軍記
       1 応召
       2 補充隊
       3 野戦転属
       4 豪州攻略作戦
       5 終戦―復員準備
          ◎船上の誓ひ
   5 復員
       ◎帰郷後感
   6 戦後の台湾
       1 終戦当初の台湾世相
       2 国民党政権の台湾占領
       3 日本人の引き揚げ
       4 接収
       5 台湾経済の破局
       6 台湾人国民党政権に失望
       7 2・28事件
       8 国民政府の遷台と戒厳令
       9 戒厳令の解除
      10 台湾人総統の誕生
      11 新台湾意識―総統選・世界の関心も史上初
      12 台湾の戦後は未だ終わってゐない
      13 旧宗主国日本の無常か手落か
      14 台湾の主権は明らかに台湾にあり
      15 米台共同防衛
      16 金門・馬祖は国共の命綱
      17 アメリカの対台政策
   7 中共との問題と将来の生路
   8 日中各50年の植民地支配比較
   9 反日・排日教育が親日感情を生んだ
  10 台湾人の願望
  11 結び

第4章 かつての戦友を見捨てるのか

台湾志願兵の告白
   其一
   其二
   其三
忘れられた民族の犠牲者・汪兆銘
   1 国父孫文と汪兆銘
   2 道義を忘却した日本
21世紀への元日本人の遺言
   大東亜戦争と台湾
   日本統治50年の成果
   日本の現状を思ふ
   国民精神の荒廃と社会動乱
   アプレ・ゲール
   破壊された日本の家族制度
   日本青年の享楽志向と国家観念の喪失
   戦後日本の変調教育
   目覚めよ日本同胞、日本人らしく生きよう
   未来の日本の主人公―青少年への願ひ
   運命の子台湾
   結び
汪兆銘と蒋介石
   かつての日本戦友汪兆銘
   以徳報怨
   日本は道義を忘却した

第5章 英霊の名誉を回復せよ

皇民
   日本人
   日本精神―大和魂
   目覚めよ日本同胞
   日本同胞よ家鴨と鷓蛄(しゃこ)に学べ―本性(能)を発揮して早くふるさと日本へ帰れ
救国の道
嗚呼救国之神靖国英霊
   序に替へて  靖国神社宮司 湯澤 貞
   序        前靖国神社宮司 大野俊康
   1 日本の神社神道
   2 神道と宗教
       1 神道は宗教か
       2 宗教と政教分離
   3 鎮魂の場―靖国神社
   4 靖国神社の御祭神
   5 昭和殉難者(法務死)
   6 「靖国神社」の「国家護持」
   7 日本の同胞よ正しい歴史を認識して英霊の名誉を回復せよ
   8 英霊の名誉回復を

第6章 懐旧の台湾と日本

中東動乱に対する吾人の見解
再見二十世紀(さようなら二十世紀)
   20世紀は時代の大転換期
   新世紀への願望―平和な世紀でありたい
   日独の時代へ―歴史は繰り返す第二次世界大戦前に逆戻る
   取り残された世界問題
       1 ソ連中共の民族闘争
       2 湾岸問題
   結び
終戦四十六周年有感
荒地に播いた種が芽生えた
   種蒔
日本大学生来訪記
雑感
   不毛の論
   感謝報恩
   日本国民は貨幣になってしまった
   認命
   台湾のはやり言葉
   神様にも間違ひがある
   これはをかしい
   井戸端会議
   今昔のサラリーマン
   洋食
   人生観
世にも不思議な物語
   鬼神幽霊の実在
   鬼(幽霊)
   亡霊
   『嗚呼大東亜戦争』は武聖関公の賜もの
何をか正義人道と言ふ
これは面白い
   絶対と例外
   正直と嘘
   日本の総理大臣で一番だらしないのは誰か
   橋本首相閣下にお伺ひ致します

第7章 鎮魂の詩

心声(詩・歌・句集)
還我霊魂(魂を返せ)

著者(鄭春河 旧日本名・上杉重雄)略歴

あとがき


著者は台湾人の方。
元台湾人志願兵で、今もって「日本人」としての矜持を持っている人である。
もしかしたら、日本人より日本人らしい人かもしれない・・・
本書を左翼の連中が読んだら「時代錯誤」とか「軍国主義者」と猛反発されるかもしれないほど“過激”な発言の部分もある。
しかし「日本人」として一生懸命生きていたのだということは理解してあげたいと思う。
同じような話が繰り返し出てくるので、辟易してしまう部分もあるが、「著作集」としてまとめられたものなので仕方がないだろう。
台湾人志願兵に関して知るには非常に貴重な本だと思う。
著者の言う「日本は道義を忘れている」という批判は耳に痛いが、おっしゃる通りだと思う。


今年の読書:39冊目



読書 | 23:00:19 | Comments(0)
退位特例法が成立
天皇陛下の退位を実現する特例法が可決成立したという。
ようやくですか?・・・・と言いたいくらいだが・・・

皇室典範では、皇位継承は「天皇が崩じた時」とされているそうで、生前に退位するというのは、江戸時代後期の光格天皇以来、約200年ぶりのことだそうだ。

それにしても、今頃になってようやく生前退位を認めるとは・・・今まで何をしていたのかという気がしてならない。
その昔・・・戦前は、天皇は「神様」だったんでしょ?
神様は死ぬことはないから、死ぬまで仕事をされるのは当然という考えだったんでしょ?
しかし、戦後、天皇陛下は「人間宣言」をされたわけで・・・
この時点で天皇陛下は「神様」から「人間」になったのだから、当然、天皇陛下の「基本的人権」というのは尊重されるべきだったのではなかろうか?
「死ぬまで働かせる」というのは基本的人権の侵害ではあるまいか?
それを戦後半世紀以上も続けていたというのは異常である。
昭和天皇が崩御した段階で、天皇の生前退位、我々一般人に当てはめると「定年退職」ということになりますが、誰もそのことを考えなかったのだろうか?
「ワンマン社長」と揶揄されるオーナー経営者ですら、ある程度の年齢に達すると、息子に社長の座を譲り、「会長職」に収まるというのに・・・・

ようやく「生前退位」が認められたと思ったら、今回限りの「特例」だそうだ。
どうしても「神格化」したいらしい・・・・
これは「明治の元勲」と呼ばれた連中の悪意の継承か?
「神様」として崇め奉るが、体力の限界、精神力の限界を理由に辞めるなんていう、おまえの気持ちなど聞く耳は持たない、死ぬまで働け・・・というのは天皇陛下に対する「虐待」ではなかろうか?
今回だけは認めてやるが、後継者の皇太子徳仁親王(浩宮)には認めないというのも、いかがなものか・・・
天皇陛下には「人権」はないのか?
もし、天皇陛下が「過労死」した場合、誰が責任を取るんだろう?

天皇陛下の地位は「国民の総意に基づく」と憲法で規定されている。
このため、国民の総意で選ばれたものが、自己都合で勝手に辞めるなんて許さないということなのかもしれないが・・・
「この方を天皇陛下にしてよろしいでしょうか?」なんて国民の意見を聞いたことがあっただろうか?
意見も聞かず「国民の総意」というのはおかしくないか?
皇太子が後継者というのは当然・・・ということで、国民に賛否を問うてはいないように思えるのですが・・・
そうなると「国民の総意」を確認しないというのは「憲法違反」ではなかろうか?
世襲制なら世襲制として明確にすべきではなかろうか?
そういう意味でも憲法改正は検討の余地ありである。

「天皇の地位」に関しても、どうも言っていることとやっていることに、かなりのズレがあるような気がしますが・・・
自分たちには「人権」を認めろ、天皇には「人権」は認めない・・・は、正しいか?
「人権擁護団体」と称する連中は、なんで黙っているんだろう。
国民の「象徴」が「人権無視」されて「死ぬまで働かされる」というのはマズイんじゃないか?

天皇は国民に心を寄せるが、国民は天皇に心を寄せない・・・というのでは天皇陛下が可哀想である。
ようやく・・・・・と思ったら、一代限りの特例法ではねぇ~
ガッカリである・・・・国会議員は何を考えているのやら・・・・

エッセイ | 17:34:38 | Comments(0)
『最後の連合艦隊司令長官』


序文   草鹿任一

まえがき  昭和42年11月 著者

プロローグ 統率哲学
「無欲」
「いくさは人格なり」
「陣頭指揮」
「陸海軍の協同」
「血の通う統率」
「作戦の様相がにおいでわかる」
「幕僚の使い方」
「人情味」

第1章 面目躍如、マレー沖海戦

日米開戦まで
   暗雲、日本を包む
   野村大使の努力むなしく
開戦の準備すすむ
   「安宅(あたか)の関」の山本と小沢
   陣頭指揮のため意見具申す
   コタバル上陸作戦決定
   艦隊、海南島三亜港に集結
小沢長官の決断
   大本営を戦慄させた作戦緊急信
   コタバル上陸に成功
幸運と不運の分岐点
   「ワレ味方ナリ、ワレ味方ナリ」
   ついに敵主力艦隊を発見
   確立された航空機主兵主義
英艦隊側からの展望

第2章 少年時から太平洋戦争まで

海兵と七高に合格
   手に負えない乱暴少年
   頭脳も抜群だった
思い出の青年士官時代
   人材続出の「宗谷」乗組員
   鍛え上げられた船乗り根性
   「いくさは人格なり」
若き戦術家小沢治三郎
   いくさは正奇の組み合わせ
   荒天下に艦橋倒壊す
   海大における小沢の講義
ふたたび海へ出る
   戦術の大変革期に直面
   連合艦隊参謀長の一策
   第8戦隊司令官の独断専行
   一航艦司令官の発案
   日米関係いよいよ悪化

第3章 戦う小沢治三郎

南遣艦隊、敵要衝を席捲
   南方各地の上陸作戦
   遁走したガスパル海峡の英蘭連合艦隊
戦局の転換点に立つ
   シンガポール占領余聞
   今村軍司令官との約束
   英国艦隊との決戦を前に
   独創的機動作戦構想
   暗号の漏洩を看破する

第4章 激化する米軍の反攻

山本司令長官の戦死
   ガダルカナルをめぐる死闘
   小沢長官ラバウルへ
   ラバウル陣中クラス会
   巨星、山本長官南海に墜つ!
   激戦つづくソロモン海域
マリアナ海戦(あ号作戦)
   小沢中将、第一機動艦隊司令長官に就任
   古賀司令長官の殉職
   小沢長官苦心の秘策
   アウト・レンジ戦法も空し

第5章 レイテの囮艦隊

捷一号作戦計画(レイテ海戦)
   航空兵力の編成替え
   「捷号作戦」計画の立案
   「捷一号作戦」発動
   栗田艦隊緒戦で旗艦を失う
   「武蔵」シブヤン海に死す
   暗中模索逡巡の栗田艦隊
ハダカの空母艦隊
   本艦隊の損害はかえりみず
   米空母1隻分の飛行機で
   敵に発見されるための努力
囮作戦は成功したが
   ハルゼー北進を決意
   敵機ついに来襲
   「第34任務部隊いずこにありや」
“レイテ作戦”ならず
   栗田艦隊、謎の反転
   ばらばらに戦った4提督
乗るべき艦のない連合艦隊司令長官
   遅すぎた軍令部次長就任
   沖縄陥ち憂色満つ
   最後の連合艦隊司令長官
   太平洋戦争終わる

エピローグ 戦後と逸話

戦後の小沢
   慎独(しんどく)の生活
   郷友連盟の創設
   三軍統一問題
   正しい戦史記録の保存
   青少年に対する関心
   陸軍の人々との交流
   日々の生活
終焉
   巨人逝く
   酒と女と歌と
   山本五十六元帥との交誼
   同期の桜
   「強きをくじき弱きを助く」
   六然の人

小沢治三郎年譜


今年の読書:38冊目



読書 | 20:41:14 | Comments(0)
蛭ヶ小島
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蛭ケ島(ひるがしま)
(源頼朝配流の地跡)

このあたりを、韮山町四日町字蛭ケ島といい、平治の乱で敗れた源義朝(よしとも)の嫡子、兵衛佐(ひょうえのすけ)頼朝配流の地といわれている。
狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河(ふるかわ)・和田島(わだじま)・土手和田(どてわだ)等の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ケ島であったことが想像される。
永暦元年(1160)14才でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34才で旗挙げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らかではない。
しかし、「吾妻鏡(あづまかがみ)」治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.5粁の守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。
このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ケ島で過ごしたものといえよう。
当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790)豆州志稿(ずしゅうしこう)の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財指定されている。
また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当った荻原正夫が、明治26年に建立したものである。

伊豆の国市

(説明板より)


【静岡県伊豆の国市四日町17-1】



史跡 | 13:24:12 | Comments(0)
パン祖の碑
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パン祖の碑

江川英龍は、天保13(1842)年、この韮山屋敷において、兵が携行する兵糧(ひょうろう)として乾パンを製造しました。
このことは、パン食の普及していなかった当時の日本においては、画期的なことでした。
昭和27(1952)年、「全国パン協議会」および「静岡県パン協同組合」は、英龍に「パン祖」の称号を贈るとともに、この「パン祖の碑」を建立して功績をたたえました。

パン祖江川担庵先生邸
   蘇峰正敬書

江川担庵先生ハ、維新期ノ先覚者ナリ。
材ハ文武ヲ兼ネ、識ハ東西ニ通ジ、百藝皆該(か)ヌ。
乃(すなは)チ製麺麭(パン)ノ術モ亦(また)、本邦ノ開祖ナリ。

昭和後学蘇峰正敬識

(説明板より)


【静岡県伊豆の国市韮山・江川邸内】



史跡 | 12:07:37 | Comments(0)
江川家住宅
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重要文化財 江川家住宅

江川氏の遠祖宇野氏は大和の国に住む源氏の武士であったが、保元の乱(1156)に参戦して敗れ、従者13人と共にこの地に逃れて居を定めたと伝えられる。
現存の家屋の主屋は室町時代(1336~1573)頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃(1600年前後)に修築された部分とが含まれている。
この主屋は昭和33年(1958)に国の重要文化財の指定を受けた。
同35年より文化庁、静岡県及び韮山町の協力を得て解体修理が行われ、文化14年(1817)に行われた大修理以前の古い形に復元された。
またその際に茅葺だった主屋の屋根は現状の銅板葺きとなった。
江川氏は徳川時代初期より幕末に至るまで代々徳川幕府の世襲代官を勤めた。
その中で幕末の江川英龍は体制側にありながら革新思想を持ち、農兵の組織、大砲の鋳造、品川台場築造の計画等をすすめたことで知られている。
昭和42年に財団法人江川文庫が設立され、重要文化財および代官所記録の維持管理にあたっている。
江川家住宅及びそのその周辺の重要文化財は次のとおりである。

江川家住宅宅地 11837平方米
同 主屋 552平方米
同 付属建屋、書院、仏間、土蔵等

(説明板より)


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パン焼き窯と鉄鍋

天保13(1842)年4月12日、江川英龍の命により、邸内に築かれた窯(かま)で、初めてパンが焼かれました。
当時の日本にはパン食は普及しておらず、長崎出島のオランダ商館用にのみ製造されていました。
英龍が焼かせたのは、柔らかいパンではなく、長期保存が可能な乾パンでした。
これは、英龍がパンを平時の食料としてではなく、戦争時に兵が携行する兵糧(ひょうろう)とすることを目指していたからです。
ここにあるのは、パン焼き窯を形作っていた伊豆石(いずいし)の一部です。
本来は上に載せてある鉄鍋が入る、もっと大きなものだったと考えられます。
なお、初めてパンが焼かれた4月12日は、現在「パンの日」として親しまれています。

(説明板より)


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塾の間
この部屋は、全国から砲術を学びにきた若者たちが、宿泊をし、学習をした部屋である。
天保14年(1843)より、多くの塾生が「実用専一」「精神統一」を合い言葉に、漢学、洋式砲術の理論などを学んだ。
また、実地訓練として屋敷の外で、鉄砲や大砲の試射、さらに山猟で疲れた体を癒しながら、日本の将来を語りあったであろう。

(説明板より)


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西蔵
幕末頃の建築で、正面から見ると将棋の駒のような形をしていることから「駒蔵」とも呼ばれています。
また、四方の壁が内側に向かってわずかに傾いた「四方ころび」といわれる技法で建てられています。
軒の屋根が、瓦ではなく伊豆石で葺かれているのが特徴です。

(説明板より)

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裏門
裏門は、文政6年(1823)の建築です。
ただし門扉はずっと古く、豊臣秀吉の軍勢が韮山城を包囲した天正18年(1590)当時のものだといわれています。
門扉に残る多数の穴は、激しい戦闘の様子を物語る、鉄砲玉や鏃(やじり)の跡だとされています。
また寛政4年(1792)に当地を訪れた老中松平定信(白河楽翁)が、この裏門越しに見た富士山の美しさに感歎し、御用絵師として伴っていた谷文晁(たにぶんちょう)に命じて、それを絵に描かせたという逸話も伝えられています。


【静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地】



史跡 | 11:51:01 | Comments(0)
韮山反射炉
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世界遺産
国指定史跡
韮山反射炉

韮山反射炉は、韮山の代官江川太郎左衛門英龍(担庵)らにより、安政元年(1854年)に着工、同4年(1857年)に完成した洋式の金属溶解炉である。
18~19世紀におけるアジア近隣は、西欧諸国の力による進出で、国権さえ危うくする事態が諸所に起きていたが、鎖国政策により海外への目を閉ざされていた日本は、表面泰平をむさぼる状態にあった。
先覚者担庵はこれを深く憂え、国防特に海防の必要性を強く訴え、幕府に対し江戸湾防備の具体策を建言してきたが、やがて幕府の容れるところとなり、品川沖に台場を構築し、大砲を据え、侵入する異国船を打ち払う方針が打ち出された。
台場据え付けの大砲は、従来のものより長射程で堅牢、かつ価格の低廉さが要求され、この条件を満たすためには、鉄製で口径長大なる砲の製作が必要となった。
かねてより、このことあるを予想し、夙に研究と準備を進めてきた担庵は、幕府の裁許が下るや直ちに反射炉築造に着手するが、不幸にして安政2年1月病没、その意思を継いだ子の英敏らにより完成することとなる。
しかし、度々の天災や粗悪な銑鉄使用の弊害等が重なり、鋳砲の成功までには並々ならぬ困難があったと諸記録に見える。
炉が反射炉と呼ばれる所以は、燃焼ガスの反射熱を利用して金属を溶解する方式によるもので、幕末期わが国ではいくつかの反射炉が作られている。
しかし現存するものとしては、山口県萩と韮山のみ、また当時の姿をほぼ完全な形で残すものとしては韮山反射炉をおいて他に例はない。
更には、産業革命の進む西欧では、間もなく効率の良い高炉の発達により、反射炉は短期間に消滅していったところから、反射炉の実態を知る上で、世界的にも貴重な遺産として捉えることができよう。
近時わが国の鉄鋼業は、世界に冠たる業績を挙げてきたが、これも反射炉築造に挑んだ先人達の意気と、粒々辛苦の教訓が、今に受け継がれているものと思われる。

(説明板より)


韮山反射炉の構造

反射炉は、鉄を熔解する炉体と煙突から構成されている。
煙突は、高さ(出湯口地盤から)15.7mで、上部にいくほど細くなっているが、内部は同じ大きさで、人が1人はいれるほどである。
15.7mの高さを必要としたのは、燃焼時にふいごなどの人力にたよらない自然送風を確保するためである。
この反射炉の築造技術は、幕末に長崎を通じて輸入されたオランダの大砲鋳造法を翻訳して取り入れたもので、韮山反射炉の構造は、この原書に残された図面とよくにており、当時の技術伝搬をよく示している。
また、松杭の基礎事業にみられるとおり、当時の土木技術レベルの高さを示す貴重な産業記念物である。
創業当時は、煉瓦の上に漆喰を塗りこめた白亜の塔であった。
現在の鉄骨は、耐震補強用に取りつけたものである。

(説明板より)


【静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268】



史跡 | 10:09:08 | Comments(0)
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