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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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地震だ!
昨晩の午後9時半ごろ、久々に家が大きく揺れた!
地震である!
一瞬、あの「東日本大震災」が頭をよぎった・・・(大汗)
あの時は、日中だったから良かったが、夜は、さすがに怖い・・・
停電になったら、どうしようと真っ先に懐中電灯に手が伸びた。(笑)
あの地震以来、拙者のベッドわきに懐中電灯を常に置いてあるのだ。(笑)

まもなく揺れが収まったが・・・
いやぁ~久々に冷や汗をかいた。

今朝の新聞を見て、「震度5強」とのこと。
震源地は、隣の市・・・
内陸部なので、母の墓があるお寺のすぐ近くだろう。
過去にも、ここが震源地だったことが何度もあったから・・・(笑)
震源地では「震度6弱」で、規模は推定でマグニチュード6.3とのこと。
「東日本大震災」の余震だという。

ん?まだ余震が続いているのか?
何でもかんでも「余震」で片づけられてもねぇ~
「余震」って本当かなぁ~(苦笑)

日記 | 20:05:16 | Comments(0)
入会早々解散?
今日は、戦友の“カワムラさん”のお誘いを受け、「勇会有志会」の会合に出席するために上京する。
「勇会」は仙台の第2師団の戦友会・・・
その戦友会はすでに解散したそうで、その代わり有志が集まって「有志会」として毎月会合を持っていたらしい。
今回集まったのは、従軍経験者3名を含めて10名程度・・・
従軍経験者以外は、みなさん若い人たちである。
特に女性が多い・・・
大学の教員や新聞社の人、など、など・・・・
どうも従軍経験者から経験談を聞いて“活用”している人たちが多いようである。

で・・・拙者は初参加・・・
その席上、従軍経験者から驚きの発言・・・
「この会を解散したい」とのこと。
拙者が顔を出した途端に「解散」とは・・・(唖然)
なんというタイミングか・・・(苦笑)

理由は、「高齢」・・・・
まぁ、仕方がないだろうなぁ~
この会は、従軍経験者から「お話を聞く」が目的のようだから、その従軍経験者が高齢で参加するのが難しいとなれば、言葉は悪いが、「用無し」ということになる。
“若い連中”だけが集まっても意味はないということだろう、あっさりと解散することが決まった。

拙者が事務局をしている会の場合は、「戦没者の慰霊」が目的である。
生還者たちは多かれ少なかれ「生き残った」ということに罪悪感を感じておられていた・・・
「俺たちは死ぬまで戦死した戦友の慰霊をしなければならない」とおっしゃる方々が多かった。
だから、会員相互の親睦より、「戦友の慰霊」に重きを置いてきたようである。
その皆さんも次々とお亡くなりになられたが、その遺志を継いで「慰霊活動」は続ける・・・これが我が会の方針であり、拙者が事務局を引き受けた理由でもある。

会の「目的」が全く違うが、我が会のことなどを参考までにお話しさせていただく。

3月に解散式を行うそうだが、第2師団はガダルカナル島やビルマで戦った歴戦の部隊である。
特にガダルカナル島では壊滅に近い損害を出している。
以前、ガダルカナル島に行ったときに「勇会」の建立した慰霊碑をお参りしたことがある。
戦没者の慰霊やガダルカナル島の慰霊碑などについての話が全く出ないことに、少々違和感を感じたが・・・
「戦没者の慰霊」が目的の会ではないようだから仕方がないか・・・

いずれにせよ、「勇兵団」の名を冠する会が無くなるというのは寂しい・・・

日記 | 23:22:45 | Comments(0)
親父のボケがレベルアップした!(驚)
庭掃除をして家の中に戻ってきたら、親父が「おお!帰って来たか!」と言う。(笑)
庭にいただけなんだけど・・・・(苦笑)
どこにも出掛けていないんですけど・・・(汗)

「さっき電話があってな・・・・」と親父。
「どこから?」
「たぶん役所だと思うんだが、何か打ち合わせがあると言っていたんだよ」
「へぇ~・・・何の打ち合わせだ?」
「それがよくわからなくてな・・・」
「はぁ?」
「だから・・・何の用事かなと思って聞こうとしたら、パッと目が覚めてな・・・」
「なに?目が覚めた?・・・それ、夢をみてたんだろぉ~」
「そうなんだよなぁ~夢なんだなぁ~」
「じゃぁ、それでいいんじゃないの?」
「なにが?いいわけないだろ!どんな打ち合わせなのかわからないのに目が覚めたんだぞ!だから、お前に役所に行って用件を聞いてもらおうと思って探してたんだ」
「はぁ?何だって?」(苦笑)
「だ・か・ら、役所に行って聞いて来てくれって!」
「だって、それ、夢なんでしょ?夢の中のお話でしょ?」
「そうだよ、夢なんだけど・・・どういう用件か知らないんだから・・・マズいだろ?」(怒)
「どうして?」(苦笑)
「あとで大問題にでもなったら大変だろ!」
「ならねぇって!」
「どうして?用件がわからんのに、どうしてそう言えるんだ?・・・お前はわからん奴だなぁ~」(怒)
「だから・・・寝てたんだよね?」
「そう、寝てた!」
「で・・・夢を見てたんだよね?」
「そう、夢を見てた!」
「で・・・電話の夢を見てて、途中で目が覚めちゃったんだよね?」
「そう、途中で目が覚めたから、用件がわからないんだって!」
「夢なんだから問題ないよ」
「どうして?・・・大事な話かもしれねぇだろ?俺は知らねぇぞ、何かあっても・・・」
「大丈夫!俺が全部責任取るから・・・」
「ふ~ん、まぁ、お前が責任取るっていうならいいけどな。俺は年だし、ボケてるから、役所に行っても話がわからんからな」
「でしょ?・・・だから、俺が全責任を取るから、心配しなくていいよ」
「ふ~ん・・・用件がわからないのに?」
「大丈夫だって!」
「役所に確認しなくていいのか?大事な話だったんじゃないか?俺は知らねぇぞ」
「大丈夫!」(苦笑)
「失敗したなぁ~なんで目が覚めたかなぁ~用件を聞いておけばよかったなぁ~」
「・・・・・」(大汗)

ボケているようで、夢を見たことは自覚しているのであるから“まとも”なのであるが・・・(大笑)
半分は“まとも”なのだが、残りの半分が・・・・ねぇ~・・・(大汗)
これ・・・である。(涙)
こういうのを“半ボケ”というのだろうか?
それともボケが進化しているのだろうか?

以前と比べると、かなりハイレベルなボケに進化してしまったような気がする・・・・
こういう親父の相手をするのは大変だ・・・参ったぁ~(大涙)

日記 | 16:03:51 | Comments(0)
パプア沖で地震!
12月17日の夜・・・
パプアニューギニアでマグニチュード7.9の地震があったそうだ。
震源地は、ニューブリテン島のココポの東方132.8kmの地点だそうだ。
ココポと聞いてもピンとこないが、あの「ラバウル海軍航空隊」のラバウルと聞けば、わかる人もいるかもしれない。
ラバウルにはダブルブル山という活火山がある。
戦時中の日本名は「花吹山」・・・・
戦時中も活動をしていた火山である。
7年前に現地を訪れた時も噴煙が空高く上り、火山弾が飛び、大量の灰が降り、危うく帰りの飛行機が飛ばないかもしれないという“危機”に見舞われたことがある。(苦笑)
この火山は、1994年に大噴火を起こし、ラバウルの町や空港が火山灰に埋もれて潰滅し、新市街地はココポに移った。
その2年後の1996年にパプアニューギニアで大きな地震が起こっている。
その6年後の2002年にも大地震・・・
94年の噴火から12年後、02年の地震から4年後の2006年にも花吹山は噴火を起こしている。
私が現地を訪れたのは、その3年後だが、私が訪れる1か月前に大きな地震が2回起こっており、火山は活発に噴煙を吐きあげていたのである。
そして、2006年の噴火から8年後の2014年にも噴火を起こし、噴煙が上空約18kmまで達したという。
その後は地震は起こっていない・・・(大汗)
噴火から2年も経っているのだが・・・・(大汗)
そろそろ、このあたりを震源とする地震が起こるんじゃあるまいか?
それとも再び大噴火を起こすんじゃあるまいな?

ついこの間、12月7日にはインドネシアのスマトラ島西部、アチェという町でマグニチュード6.5の地震が発生している。
ここスマトラ島は、やたらと地震が多い・・・・
マグニチュード7以上の地震だけでも、2000年、2004年、2005年、2007年、2009年、2010年に3回、20012年に2回、そして今年の3月に1回起こっている。

気になるのは日本!(苦笑)
普段から地震が多いが・・・・
あの東日本大震災が起こったのは2011年3月、スマトラ島で起こった3回目の地震の約5ヶ月後・・・・
熊本の大地震は2016年4月、スマトラ島で起こった1回目の地震の約1か月後に発生している。

ニュージーランドに大地震が起こったのは2011年2月、東日本大震災の直前である。
熊本地震の約2か月前には台湾の台南でマグニチュード6.6の地震が発生している。

こう見ていくと・・・・
かなりの“こじつけ”になるとは思いますが・・・(笑)
今回の12月7日のスマトラ島の地震の後、ニュージーランドか台湾で大きな地震が起こったら、その次は日本かもしれないと思った方がいいかもしれない。
で・・・そのニュージーランドの地震は、今回の12月17日のパプアニューギニアの地震が引き起こすことになるかもしれないような気がする。

11月22日には福島沖でマグニチュード7.4の地震が起きている。
で・・・引き続いてスマトラ島、ニューギニアと続いた感じである。
で・・・それが再び日本に影響を及ぼすか?
地震が行ったり来たり・・・という感じか?

いずれにせよ、来年か再来年に、再び日本は大きな地震に見舞われるかも・・・・(大汗)
なんか、嫌な予感・・・・
旅先で地震には遭いたくないなぁ~
来年の旅行計画・・・どうしようかなぁ~(大汗)

エッセイ | 21:38:54 | Comments(0)
北方領土・・・・
先日、ロシアの大統領、プーチンさんが来日し、安倍首相と日ロ首脳会談をした。
それ以前から、日本国内では北方領土返還の可能性について大いに話が盛り上がっていたが・・・・

北方領土は、やっぱり返還してもらった方がいいのだろうか?
歴史的事実から言うと、北方4島は日本の領土という事にはなるのだろうが・・・
実際問題として、返してもらうことが日本にとってメリットになるかどうか・・・
昔は、当然返してもらうのが当たり前だと思っていたのだが、最近、ちょっと疑問に思えてきてしまったのである。

仮に北方4島が返還されたとして、旧島民は、この島に戻るのだろうか?
便利な北海道の札幌なんかに住んでいたら、辺鄙な島などに戻ろうなんて考えないのではないだろうか?
旧島民の子孫に至っては、絶対、帰りたがらないのではなかろうか?
となると・・・返してもらっても誰も住まない?
それじゃ、返してもらっても仕方がないような気がしますが・・・

逆に、現在住んでいるロシア人住民にとっては迷惑な話となるのではなかろうか?
祖父母の時代から住んでいるとなれば、彼らにとっての故郷である。
日本領になったのでは、彼らは戸惑うだろうなぁ~
彼らに迷惑をかけるのも、いかがなものかという気がしますが・・・

仮にかなりの変わり者の日本人が多数、移住するとしよう。
そうなると、どうしても社会基盤の整備をしなくてはならない。
警察署も消防署も必要だろうし、郵便局も宅配の業者も事務所を出さねばならなくなるかも・・・
さて・・・誰が辺鄙なこの島に赴任してもいいと言うのだろう?

日本領となれば、自衛隊も駐屯しなくてはならないだろうし、海上保安庁も基地を作らなければならないだろうが・・・
ロシアに余計な刺激を与えたくないとかと言って、自衛隊が駐屯しないとなれば・・・
う~ん・・・何のための北方領土だ?
折角返しても使わないなら、また、もらっちゃおうとロシア軍が上陸して再占領しちゃうかも。(笑)

北方領土返還の唯一のメリットは、日本の漁業権の及ぶ範囲が広がるというだけか?

返してもらったら、どうするかという具体的な話が出てこないと、ただ感情的に「返還」を求めてもねぇ~
という気がしますが・・・

何か、いい活用法はないものか・・・
いっそのこと、カジノを作ってギャンブルの島にするとか・・・(笑)
巨大な刑務所を作って、日本中の受刑者を、そこに集めちゃうとか・・・(大笑)
ロシア人島民の就職も兼ねて、巨大なロシア語学校を作って、「駅前留学」ならぬ「国内留学」をやるとか・・・(笑)
「地獄の特訓場」でも作ってアスリートを鍛える島にするとか・・・(笑)

なにか、“未来”が見えてこないと・・・
返還されても日本国民の「お荷物」になってしまうのではなかろうか?(苦笑)
そんな気がして・・・最近、考えが変わった・・・

エッセイ | 20:18:00 | Comments(0)
オスプレイが墜落したが・・・
先日、米軍の新型輸送機である「オスプレイ」が沖縄の海上に墜落した。
報道では「不時着」と言っていたが、大破した機体を見ると、「不時着」より「墜落」のほうが適当な言葉のような気がする。

で・・・待っていましたとばかりに日本側から抗議の嵐が・・・
たぶん、この人達は、この日が来るのを待っていたのだろう。(汗)

しかし・・・・である。
出来れば、まず最初に乗員の安否を気遣う言葉があってもいいのではなかろうか?
住宅街に墜落でもされたら大惨事となるが、今回は海上に落ちたわけだし・・・
日本にとっては幸いにも、被害を受けた人は乗員以外にはいないわけだし・・・
この乗員の安否をまず最初に気遣っても良かったのではあるまいか?
人命の重さには、日本人も米国人も変わりはあるまいと思うのだが・・・


エッセイ | 20:04:30 | Comments(0)
カジノ法案・・・
この間、通称“カジノ法案”というのが、衆議院の内閣委員会で可決されたそうだ。
正式名称は「特定複合観光区域の整備の推進に関する法律案」というそうだ。
略して「IR推進法案」というらしい。

ホテルやショッピングモール、会議場や展示場、そしてカジノ・・・
これらの“観光区域”の整備を推進しようということだそうだが、いかがなものかという気がしないでもない。(苦笑)
あの「スカイツリー」・・・
ドーンと建てたのはいいが、その周辺の整備はどうなっているのか?
観光バスでやって来て、観光バスでそのまま立ち去られたのでは、周辺地域にカネは落ちない。
地域の活性化になっていないような気がするんですけど・・・
“今あるもの”を有効活用することのほうがカジノより先のような気がする。

伊勢神宮にお参りする人は多い・・・“観光名所”であるが・・・
観光バスで乗り付けて、参拝を終えたらサッサと立ち去られているから、周囲の商店街には閑古鳥が鳴いている。
“区域”を活性化させるというのは、そんなに簡単ではない証拠ではあるまいか?

海外から来た観光客がカジノで儲けても、お買い物は免税店だったりしたら・・・
それって日本の国としては“税収増”につながるのだろうか?(苦笑)

「複合観光区域」を整備しても、その整備費用に見合うだけのメリットが出るかどうか・・・
ついつい首をかしげちゃうんですけど・・・(苦笑)

カジノに反対する理由の一つに「ギャンブル依存症」を挙げている人もいるが・・・
すでに多くの人がパチンコでギャンブル依存症になっているんじゃなかろうか?(大汗)
いまさら、「ギャンブル依存症」を持ち出されてもねぇ~(大汗)
なんで、こういう人たちはパチンコに対して声を上げないのだろう?
ん?・・・何か声を上げられない理由があるのかな?(大笑)
パチンコ店を経営している人たちがカジノを経営したら、途端にパタリと批判の声は消えるかも・・・(大笑)

というわけで、「ギャンブル依存症」を反対理由にするのは説得力がないような気がする。
「カジノ法案」と呼ばれてはいるが、カジノばかりではなく、もっと広い目で見て、果たして、そういう整備はメリットがあるのかどうかを頭のいい人には考えてもらいたいものだ。

エッセイ | 21:07:13 | Comments(0)
『南洋学院』


まえがき

Ⅰ 南洋学院小史

1、血をたぎらせたベトナム行き
     ベトナムに学校ができる?
     南洋学院とは?
     学生募集への応募を決意する
     南洋協会の予備知識
     仏領印度支那の重要性
     現地ベトナムと外務省のやりとり
     家族を説得し受験
     古くからあったベトナムと日本の交流
     101名の一次合格者東京へ
     思いもかけぬ合格通知
     予備知識の吸収に励む

2、さらし木綿とカツオ節を持参せよ!
     東京に集合、渡航前教育始まる
     研修を終え、郷里に戻る
     出港地神戸に再集合
     フランス船「帝立丸」で出港
     台湾・基隆に寄港
     南支那海に乗り出す
     夕暮れのサイゴン

3、学院生活始まる
     洒落た学院校舎
     規律正しい学院生活始まる
     暑さとカルチャーショックで不眠症に
     ホームシックとチャイマンの木
     学生寮ができる
     活気のあるサイゴンの町
     台風の目の中、戦況と無縁の別天地
     現地での開校式典
     炊事当番でベトナム語を覚える

4、ユニークな教科内容
     教科とその各論
        熱帯医学
        フランス語
        ベトナム語
        農業科目と実習
        教練

5、好奇心いっぱいの若者たち
     中央公園のフォワール(博覧会)
     イギリス兵の捕虜
     ダンディ派と無精派
     無精派の領袖鈴木政澄
     ラックジャ省の農村調査
     クメール族を訪ねる
     サンジャック岬へ

6、2年目の南洋学院
     第2期生の到着
     夏季錬成のためダラットへ
     教練・授業の30日間
     「学徒出陣」のニュースに不安が・・・・・
     緊張感で迎えた昭和19年の正月
     西貢の82連隊に体験入隊
     ベトナムの宗教事情
     新興宗教カオ・ダイの本山を訪ねる
     西貢に初めての空襲
     母からの手紙
     数少ない小学校を訪問

7、わずか3年半の歴史を閉じる
     第3期生の到着
     徴兵検査、第二乙種合格
     繰上げ卒業、大建産業に就職
     本屋で見つけたベトナム語辞典
     第1寮長として送った慌ただしい1か月
     終戦、そして廃校

Ⅱ 学院生たちの「大東亜戦争」

1、はじめての戦闘「明号作戦」
     学業半ばで現地召集された学院生たち
     入営―初年兵教育隊
     明号作戦とは何か
     人為的ミスで始まった武力行使
     ツドモ兵営突入
     飯上げで敵装甲車と遭遇
     西舘とのつかの間の再会
     悲劇―ハノイ・シタデル攻撃の歩82連隊
     3月9日の、他の事例
     直後の仏印情勢

2、モイ族の青年との出会い
     ホンクワン警備隊でのフランス語の体験学習
     モイ族ドイ・ハム君の登場
     密林の中で隠匿武器を発見
     逃亡フランス将校団を捕らえる
     モイ族の暮らしの知恵
        (1)燃える石
        (2)タバコの火
        (3)飲み水
        (4)キロメートルなど
        (5)食べもの
        (6)手形(一種の証明書)について
     ボーケ空軍大尉捜索と養命濁酒
     憲兵隊のゴム園幹部引致
     幹部候補生試験合格の通知

Ⅲ 学院生たちの「終戦」

1、「8月15日」と学院生たち
     ザ・ディ(昭和20年8月15日)
     その日、学院生たちは・・・・・?
     工藤と駒屋の「終戦」
     無政府状態のハノイ
     南部に向かう飢えた民衆
     原隊に復帰、情報係軍曹に
     解放戦線へ誘われる
     ベトコンの待伏せ、九死に一生を

2、武装解除・捕虜生活
     連合軍の手で武装解除される
     サイゴン郊外の捕虜収容所
     フランス軍「715」外科病院へ
     フランス兵斬首事件で辻田大隊長収監される
     西舘義明の死
     逃亡兵捜索のための残置要員
     さらば西貢よ

Ⅳ 戦後の日越文化交流

1、ベトナムへの熱い思いを行動で
     思い出されるベトナムでの日々
     ベトナムに援助の手を!
     「日越文化協会」設立の準備
     設立総会を開く
     ベトナム側と文化協力契約を結ぶ

2、民間レベルでの文化交流
     2000人が応募した日本語学校
     第2期生にも400人が応募
     中部の町フエからの「日本語学校開設要望」
     ホーチミンに次いでフエにも開校
     ホーチミン校第1期生卒業
     順調に進む両校の「日本語クラス」
     日本への関心の高い卒業生
     日越文化協会の課題

南洋学院卒業生名簿



「南洋学院」という聞きなれない学校は、昭和17年に仏領印度支那(今のベトナム)に設立された「専門学校」である。
大東亜戦争勃発後、南方に於ける我が国の経済発展の第一線で活躍する人材と、その指導的人材の養成を現地において行なうという目的で設立された学校だそうで、文部省と外務省が共同で指導・援助し、大正4年に設立された南洋協会が経営を担当した。
南洋学院は、諸般にわたって明治34年創立の東亜同文書館に倣った学校で、東亜同文書館は日中の友好と同文同種の共存共栄を意図して中国大陸に設立されたのに対し、南洋学院は、仏領印度支那に設立され、日本から生徒を募集して現地で教育をし、卒業後は南洋学院が就職先を指定し、卒業生はそこで活躍するというものだったようである。
生徒は中学卒業生(旧制中学=今の高等学校)で、修業年限は3年間である。

本書の著者は、その南洋学院の1期生であるが、戦局の悪化に伴い現地召集となリ軍人となる。
そして終戦・・・・
南洋学院は終戦とともに廃校となったので、わずか3年の寿命で、生徒も第3期生までしかいない。
その後、語学を習得していることもあり、ベトコン(解放軍)に身を投じた者もいたようである。
また、戦後も行方不明のままという者もいたようであるが、ここでの教育は無駄ではなかったようで、戦後、著者のように、日本とベトナム(日越)の“架け橋”とならんと貢献した人も輩出している。

たった3年間しか存在しなかった外地の学校・・・・
なかなか私にとっては興味深い話だった。


今年の読書:60冊目



読書 | 22:46:13 | Comments(1)
「御岩神社」に取材に行く
先日の「広報委員会」の会議で、地元の神社・・・「御岩神社」の話題が出た。
“パワースポット”として有名なのだそうで・・・
ネットでも、よく取り上げられているそうだ。

この神社・・・
ちょっと辺鄙な場所にあるので全然目立たないのであるが・・・(笑)
いつの間にやら“有名”になったらしく、全国から参拝者が訪れているという。
休日には、狭い山道は大渋滞だそうだ。(大汗)

じゃぁ、ちょっと行ってみますか?(笑)
取材をして会報に記事を載せようか・・・ということになった。

法人会事務局の“アサヒさん”と広報委員長の“シミズさん”と委員の“マシコさん”と現地で待ち合わせ。
4人で宮司さんにご案内とご説明をいただきながら境内を歩く。
が・・・・ここは山奥・・・(苦笑)
寒いったらありゃしない!(涙)
体の芯から冷えてしまった・・・・(涙)

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この神社・・・
地元では名の知れている神社であるが、実際に行ったことがあるという人は少ないのではなかろうか?
拙者自身も、56年の人生の中で、1回だけしか行ったことがない。(苦笑)
しかも・・・当時の宮司に用事があって社務所に立ち寄っただけである。(笑)
本殿をお参りした記憶がない・・・(大汗)
ということで・・・拙者のような人も多いだろうということで、記事にしてみることにした。

現在では神社とお寺というのは別々となっているが・・・
この神社は神も仏も一緒に祀っていて、それぞれの“お祭り”をきちんとされている。
こういう神社は日本国内でも珍しいのではないだろうか?
もしかして、唯一かも・・・

最近は“パワースポット”として注目を浴びているが・・・
“霊能力者”と呼ばれる方々の間では、昔から知られていた神社だそうだ。
が・・・この“パワースポット”に関しては宮司さんはノーコメント・・・
記事にもしないで欲しいという。
その気持ち・・・わからないでもない・・・

“シミズ委員長”が一生懸命にメモを取っていたので、この取材記事は委員長が書いてくれるものだと安心していたら・・・
最後に「君が書くんだからね!」の一言に愕然・・・
おしゃべりに夢中になって拙者はメモを取っていなかったのである!(大笑)
いやぁ~大変だ・・・責任重大だ・・・(涙)
“書いちゃいけない話”を書かずに、どうやって会員に、この神社を“紹介”しようか・・・(苦笑)
話の“切り口”をどこに持って行くか・・・・
う~ん・・・ここが腕の見せ所?(大笑)

滅茶苦茶寒い中をご案内いただき、宮司さんには感謝、感謝である。
なんとか、いい記事を書かねば・・・(大汗)

日記 | 10:04:31 | Comments(0)
『謀略 かくして日米は戦争に突入した』


開戦前夜の秘められた日米交渉―まえがき

プロローグ 日本の命運を賭けて奔走した男がいた

Ⅰ 岩畔豪雄の登場

(1)倉橋島から陸軍士官学校へ
     のどかな瀬戸内で育つ
     陸軍将校を志願
(2)別名「ろうそく連隊」で奮戦
     ロシア革命の勃発
     シベリア転戦
(3)青年将校時代
     山篭り
     自ら「三無」と号す
     陸軍大学校へ
     軍縮と装備近代化
     青年将校グループ
     軍に芽生えた甘えの構造
     統帥権の干犯
     軍人官僚の謀略
     「暴走」が「英断」に
     理想国家・満州
(4)二・二六事件と岩畔
     情報の道へ
     二・二六事件
     岩畔が担当した軍法会議
(5)中野学校の設立に関与
     郵便物の開封作戦
     偽札作戦も実施
     参謀本部で秘密工作
     陸軍中野学校
     軍務局軍事課
     面会人
     「ノ」の字を負けろ
     ミミズの効用
(6)歪められた「戦陣訓」
     勅令の起草も
     戦陣訓の真実
     ノモンハンの惨敗
     小大臣

Ⅱ 風雲急を告げる日米関係

(1)悪化する一方の日米関係
     日本への風当たり
(2)二神父の来日
     二人のアメリカ人
     メリノール派
     多忙なスケジュール
     認識のギャップ
(3)シナリオ
     申し分ない提案
(4)多彩な登場人物
     井川忠雄
     近衛文麿
     武藤章
     ドラウト
     ワイズマン
     ウォーカー
     クーンレーブ商会
(5)岩畔に下された渡米命令
     大統領もゴーサイン
     軍資金
     許可されない渡航
     松岡対東条
     岩畔への突然の渡米命令
     松岡洋右を訪問
     三国同盟
     各界の反応
     アメリカ大使館へ
     グルー大使の電報
     横浜から出航
     案ズル無カレ
     ハワイからサンフランシスコへ
     来栖三郎への工作
     ヨセミテ公園へ
     大陸横断
     ニューヨーク五番街の教会にて
     思いがけない訪問者

Ⅲ 日米諒解案の全貌

(1)ワシントンに着任して
     初出勤
     野村大使の孤独
     夜這い
     悠長な話
(2)「諒解案」策定に着手
     不眠不休の三日間
     日米諒解案全文
(3)これがその主要内容
     国家観念
     英独戦争の調停と三国同盟
     自衛権の広義解釈
     中国問題の処理
     商船の貸与
     20億ドルの対日借款
     資源
     アメリカに人権尊重を要求
     三国同盟離脱の勧誘
(4)表舞台に躍り出た「諒解案」
     三人の愛国者
     日本へ打電
     大きな波紋
     統帥部連絡会議

Ⅳ 挫折、そして日米開戦

(1)三国同盟と松岡洋右
     近衛を避けた松岡
(2)座礁
     深夜の連絡会議
     ニューヨークへ移動
     「わかっちょる、わかっちょる」
     「暑くなる前」の意味
     ドラウトのぼやき
(3)松岡から届いた指令
     ハルが示した親愛の情
     日本人形・ハル子
     バスに乗り遅れるな
     忌避された若杉公使
     東京の諜者
     ルーズベルトの招待
     暗転
     米国のしっぺ返し
     米国内にみなぎる反戦機運
     各国の策動
     国論を統一したルーズベルト
(4)失われた最後のチャンス
     ワシントンを発ち、日本へ
     スチュワーデスの配慮
     主戦論一色に
     近衛首相
     陸軍省
     参謀本部
     海軍省
     外務省
     宮内省
     三つの方策
(5)連絡会議での熱弁も実らず
(6)それからの岩畔
     従軍慰安婦
     戦後の岩畔

Ⅴ 日米交渉の再点検

(1)戦後における日米交渉の評価
     歴史の記述から抹殺
     岩波新書『昭和史』
(2)児島襄『開戦前夜』への疑問
     否定的なスタンス
     昭和天皇の発言に関して
(3)加瀬俊一の岩畔批判
(4)松岡再評価という妄動
     三人への憎悪
     彼らに資格はなかったのか
     打電されなかった四原則―諒解案はでっちあげだったのか
     ハルやルーズベルトの真意について
(5)『昭和天皇独白録』の起こした波紋
     昭和天皇の評価
     東条英機にも脚光が
     歴史というもの
     岩畔豪雄著『私が参加した日米交渉』前書き

私がこの本を書いた真の理由―あとがき
     エイズ薬害禍

参考文献


今年の読書:59冊目



読書 | 22:41:16 | Comments(0)
『正義の時代』


文庫版のためのまえがき


騎馬型国家と農耕型国家
愛憎の日米関係史
歴史と「血の論理」
甲殻類の研究


公的信義と私的信義
小佐野賢治考
江戸の「改革」について
腐敗の中の指導者論


義務教育を廃止せよ
なぜ英国病が生れたか

解説  谷沢永一


今年の読書:58冊目



読書 | 22:57:54 | Comments(0)
帰国しました!
昨晩、健康も害せず(笑)・・・・

無事に帰国いたしました!

これからが・・・大変・・・(大汗)

年末なので、やることが山積です。(涙)

「旅の疲れを取る」なんていう暇がない・・・(大涙)

こういうのを「自業自得」というらしい・・・(大笑)

日記 | 09:03:29 | Comments(0)
ホテル周辺を散策して帰国
今日は帰国する日・・・・
余裕をもって、午後の便で帰国することにしている。

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(圓山大飯店のロビー)

ロビーに行って・・・1階のレストランで朝食。
バイキングなのだが、食べるものがほとんどない!(苦笑)
しかも、中国人(大陸から来た観光客か?)のマナーの悪いこと・・・(大汗)
列には割り込むわ・・・その場で立ったまま食うわ飲むわ・・・(唖然)
“超高級ホテル”のイメージ台無しである・・・(涙)

食後、ホテルの周囲を散策することにした。
実は、これも拙者がここに宿泊した目的の一つなのである。(喜)
前回、台湾に来た時、この近くを通ったら“狛犬”を見かけた。
圓山大飯店が建っているこの場所には、戦前には「台湾神宮」という日本の神社があった。
たぶん、当時の“狛犬”ではなかろうかという気がするのである。
というわけで・・・それを確かめる目的もあって、ここに宿泊し、午前中に時間を作って、帰国は午後の便としたのである。

DSCN3988_convert_20170405171709.jpg (圓山大飯店)

この場所に立って、その昔、記念写真を撮ったことがある。
26歳くらいの若い女の子のガイドと二人で・・・(大笑)
ホテルのコーヒーラウンジでコーヒーとケーキを食べたんだよなぁ~
彼女は、どうしてるかなぁ~(笑)
あれから20年以上も経っているから・・・・彼女も“オバチャン”になっているんだろうなぁ~(大笑)
今回の旅行の前に、あの時使った現地旅行社を調べてみたが、どうも“消滅”してしまっているらしい。
倒産したのか、廃業したのか知らないけど・・・
あの社長さんも、面白い人だったんだけどなぁ~
また会いたいなぁ~・・・と思ったときには「時すでに遅し」か・・・・(涙)

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拙者の部屋は・・・7階の角の部屋である・・・(笑)

ホテルの裏手に“遊歩道”があったので、このホテルの建っている丘から降りてみる。
と・・・・公園が・・・

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「剣潭公園」(Jiantan Park)という名の“公園”だが・・・・
公園というより、「緑地帯」みたいな感じ・・・
ここの道路に面したところに“狛犬”がいた!(大喜)
前回、移動する車内からチラリとしか見ていなかったので、どのあたりだったか記憶が曖昧だったが・・・
あっさりと見つけることができた!(喜)
方向音痴の割には、シッカリしたものである。(大笑)

DSCN3992_convert_20170405173937.jpg DSCN3994_convert_20170405174002.jpg

この狛犬・・・台湾神宮にあったものだろうか?
どうも顔つきが日本的じゃないんだよなぁ~(苦笑)
台湾神宮にあった狛犬であると証明できる証拠は見つからなかった・・・
というわけで・・・「推定・台湾神宮の狛犬」ということにしよう・・・(笑)

この公園の上の方・・・つまり、ホテルの裏山へ行ってみる。

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が・・・急な階段は多いわ、道は狭いわ、我が膝は笑うわ、普段の運動不足で息は切れるわ・・・・最悪である。(苦笑)
“朝の散歩”ということだろうか、地元の人が何人も、この“山道”を歩いてくる。
すれ違うのも大変・・・
一応、皆さんには、その都度ご挨拶・・・・
前回、中国語の「おはよう」を教えてもらったはずなのだが、すっかり忘れてしまった・・・(涙)
仕方がないので「ハロー!」と「ニー・ハオ!」の連発。(笑)
返事をしてくれない人もいるが・・・返事をいただけると、嬉しいものである。

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途中の見晴らしのいいところで市街を眺め、これ以上、登るのはあきらめてホテルに戻ることにする。
時刻は午前9時半・・・・

ホテル内のお土産屋さんが並ぶアーケードに行ってみる。
と・・・・龍の置物がド~ンと置いてあった。

DSCN4006_convert_20170405210041.jpg

お店の“オバチャン”が、日本語で声をかけてきて、この龍について説明をしてくれた。
なんでも、台湾神宮にあったもので、戦後も、そのまま残ったものだという。
ここが台湾神宮であるという“証拠”はこれだけしかないとのこと。
へぇ~・・・・である。
近くに中国語・英語・日本語の3か国語で記された「説明板」があった。

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百年金龍簡介

龍山公園の銅竜は戦中に供出の憂き目にあい、台湾神社も空襲で損壊しましたが、剣潭山の銅竜だけは戦火を中を無傷で生き抜きました。
その霊気は百年の間衰えることなく、「龍尾穴」の名は四海にとどろきました。

1952年、蒋介石総統夫人の蒋宋美齢女史が、国賓の接待場所として選んだのがこの地でした。
ここに台湾を代表する国際観光ホテルが誕生することにだったのです。
あの銅竜も生きつづけています。
拝みにくる人もあとを絶たず、1987年には金のメッキを施し、金竜となりました。
いまも圓山の風水を好んで多くの日本人客が訪れます。
そしてその多くのお客様が金竜をお参りくださいます。

(説明板より)


日本語の説明文には、誤字があり、おかしな文章も見受けられるが・・・(苦笑)
それは愛嬌として・・・
中国語の方に大きな間違いが・・・(大汗)
日本語、英語とも「戦時中に」とあるが、中国語では「二次大戦後」となっているのである。
第二次大戦後に日本による金属供出はあり得ないだろう…(笑)
中国語、英語、日本語を読み比べてみると内容が微妙に違う・・・(汗)
たとえば・・・・
中国語では「龍山公園の銅龍は日本軍によって溶かされて大砲になった」と書いてある。
英語では「龍山公園の銅龍は溶かされて大砲になった」と書いてある。
(誰によって・・・ということは書かれていない)
で・・・日本語の方には「大砲」などとは書かれていない。
まぁ、こういう微妙な違いも愛嬌とみていいかな?(苦笑)

DSCN4011_convert_20170405213945.jpg

拙者の部屋のベランダ・・・(大笑)
なに?・・・この広さ?・・・である。
ここに一部屋作れるんじゃないか?
ここにキングサイズのダブルベッドが置けるんじゃないか?(大笑)

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ベランダから、ホテルの裏山の方を見る。
う~ん・・・ちょうど目の前、真下辺りに、神社の本殿があったのではなかろうかと思える雰囲気・・・

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ベランダから見た拙者の部屋!(笑)
う~ん・・・・殺風景・・・面白くない・・・(大笑)

DSCN4016_convert_20170405214217.jpg DSCN4017_convert_20170405214246.jpg

昨晩、夜景を撮った方向を見る。
川の向こうに見えるのは・・・・空港である。

時刻は10時を過ぎたので、そろそろチェックアウトすることにするが・・・
部屋が多いので確認に手間取る。(大笑)
今日はガイドは来ない・・・
自分で全部やらねばならない。
部屋を出る寸前、ガイドから部屋に電話がかかってきた。
「昨晩は大丈夫だったか?」という確認と・・・
「台中の母から電話があって、またぜひ遊びに来てくださいといってました」との伝言であった。
なんとも嬉しい電話である。
こういう気さくなところは、とてもいいのであるが・・・(苦笑)
これがガイドではなく、友人というのなら全く問題なしなんだけどねぇ~(大笑)

自力でチェックアウトして、タクシーで空港に向かう。
が・・・台北には空港が2つあるから、間違われると大変である。
拙者が使うのは、ホテルから見える、目の前の「松山空港」の国際線である。
拙者は中国語が話せないから・・・(笑)
昨日のうちにガイドに中国語でタクシーの運転手に見せる「行先」のメモを書いてもらった。
これを運転手に見せる。
タクシーの運転手は、非常に不愛想な女性ドライバーだった。
空港に到着し、チップも含めて料金を払ったら、やっと笑顔で挨拶してくれた・・・(大笑)

タクシーのドライバーからもらったレシート・・・・これが結構面白い。
「計程車乗車証明」という紙である。
乗った時刻は・・・10時43分
降りた時刻は・・・10時59分
と記載されている。
他に「停等時間」として6分15秒と記載されている。
これは信号待ちや渋滞で車が停止した時間のことだろう。
ホテルから空港まで約15分かかったが、そのうちの6分15秒は信号待ち等で止まっていた・・・ということになる。(笑)
しかも・・・「里程」として5.2kmと記載されていた。
これは・・・実際に走ったホテルから空港までの距離ということだろう。
こりゃ面白い・・・
日本のタクシーのレシートはどうなっていただろう?
いつもよく見ないで捨てちゃっているのでわからないが・・・
ここまで詳しくは印字されていなかったような気がする。
で・・・料金は・・・195ドル(約700円)・・・・
結構な料金である。
拙者の部屋から空港が見えるという距離なのにねぇ~(笑)
これが市内のホテルからだったら、いくらになるのだろう?(汗)

DSCN4021_convert_20170405221829.jpg (台北松山空港)

この空港は前回も使ったので・・・・
喫煙所は外にしかないことは知っている。(笑)
中に入る前に、まずは一服・・・である。(大笑)

チェックインも出国手続きも非常にスムーズ!(大喜)
マニラの空港とは大違いである!
前回にも立ち寄ったコーヒーラウンジで、前回同様、サンドイッチとコーヒーの“昼食”をとり、搭乗まで読書をして時間を潰す。

DSCN4023_convert_20170405221911.jpg DSCN4024_convert_20170405222000.jpg

13:30発のANAに乗り・・・17:30羽田に無事に到着!

旅行 | 11:48:51 | Comments(0)
憧れの圓山大飯店に泊まる!(大喜)
台中から台北まで新幹線で約1時間・・・
午後6時ごろ、台北駅に到着し、タクシーでホテルに向かう。

今回の最後の“目玉”!!(笑)
以前から、一度は泊まってみたいと思っていた「圓山大飯店」に最後の日の晩には泊まりたいと、旅行社に希望を出しておいたのである!(大喜)
昔は“国賓クラス”の人が宿泊する超高級ホテルだと聞いたことがある。
高嶺の花だったのだが・・・今では誰でも泊まれるんだとか・・・(大汗)
最近は“国賓”は市内の高級ホテルに宿泊し、ここには泊まらないことが多いのだとか・・・
まぁ、市街地から離れた場所に建っているから何かと不便だからだろう。
それにホテルも古いし・・・(苦笑)

で・・・・行って見たら・・・あら、あら、あら・・・・
普段着を着た中国人の“団体さん”でごった返している。(汗)
さらにはTシャツにGパン姿の“中東の人たち”がロビーにたむろしている・・・(唖然)
高級ホテルのはずだったんだけどなぁ~(苦笑)
なんだろ・・・この客層は・・・(唖然)
さすがに西洋白人のお客さんたち(年配のご夫婦とか)は、それなりの服装をしていたが・・・

フロントでチェックイン・・・
しばらくパソコンをいじってモタモタしている・・・・
と・・・フロントの男性が何か言ったが、よく聞き取れなかった・・・
確認をしたら「部屋のグレードをアップさせていただきました」と英語で言われた・・・
「はぁ~そうなんですか・・・アップ・グレード?」
「はい、スイート・ルームです」とのこと・・・
「へっ?スイート・ルーム????」(驚)
「ラッキーですね!スイート・ルームですよ!」とガイドが大喜び。(大笑)
「あれ?おたくの旅行社がアップ・グレードを手配したのか?」
「いえ、私は何もしてませんけど・・・いやぁ~ラッキーですねぇ~」(大笑)とガイド・・・

やはり人間、身なりが大切なのかも・・・(大笑)
この日の拙者の身なりはネクタイを締めてジャケットを着用・・・
TシャツにGパン・・・なんていう客たちの中では、こういう“紳士”は目立つ・・・(大笑)
たぶん、中国人の団体客などのおかげで、シングルルームが埋まってしまったので、この“紳士”にスイート・ルームに移動していただこうということになったのだろう。(大笑)
いやぁ~やっぱり“身なり”は大事である。

部屋に入ってみて驚いた!

DSCN3982_convert_20170329152742.jpg DSCN3979_convert_20170329152828.jpg 

DSCN3977_convert_20170329152907.jpg

ありゃぁ~広い!!(驚)
ここに一人で泊まるのか?(苦笑)

隣りの部屋はベッドルームである。

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その隣が・・・「化粧室」(?)
大きなクローゼットがあり、中にふわふわのバスローブが入っていた。(笑)

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その奥がバスルーム・・・・
バスタブのお風呂とシャワールームとが分かれている。
う~ん・・・どっちを使おうか・・・(笑)

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ここに今晩、寝るだけのために泊まるのである!
あ~なんと勿体ないことか・・・(涙)

とりあえず荷物を部屋に置いて、食事をしに行くことにする。

フロントで女の子に拙者の部屋のグレードを聞いてみた。(笑)
拙者の部屋は、このホテルの上から2番目のグレードの部屋で、正規料金は「2万6000」だという。
え?・・・2万6千円って、ずいぶん安いなぁ~(苦笑)
と思ったら・・・・
「円じゃないですよ。台湾ドルで2万6000です!」と笑われてしまった。
日本円に換算すると「1泊9万円くらいの部屋です」とのこと。
ゲゲッ・・・そりゃ、すごい・・・(驚)
いやぁ~どうしよう・・・益々落ち着かねぇぞ・・・これ・・・

タクシーで街の中の繁華街に行き、適当に見つけた小さな食堂で夕食を食べる。
その後、ガイドの案内でマッサージに行く!(喜)
やっとマッサージを受けることができる。(笑)
ガイドは、ここで帰宅・・・
マッサージ後、お店の送迎車でホテルまで送ってくれると言われたが断る。
折角、繁華街に来たのに、真直ぐホテルに戻ったのではもったいない・・・(大笑)
“探検”をせねば・・・(大笑)

夜の繁華街を歩くというのは、方向音痴の拙者にとっては、かなりのリスクなのだが・・・
交差点には「〇〇路」とか、“通り”の表示が出ているし・・・
道路は碁盤の目のようだし・・・
たぶん迷うことはなかろうと思ったのだが・・・これが、やっぱり大間違い・・・(大汗)
迷った・・・(苦笑)
どこかで見たことがある景色だと思ったら、同じ道を何度も歩いている・・・(大笑)

客引きから声をかけられることが何度かあったが・・・(笑)
拙者の財布には1500ドル程度しか残っていない。
日本円で約6千円くらいである。
いつも海外に行くときは財布をいくつか用意して行くことにしている。
現地用の財布には現地の通貨しか入れていない。
今回も日本円もクレジットカードも別の財布に入れたままホテルに置いてきている。
というわけで・・・「日本円が使えます」とか「カードが使えます」と言われても無理・・・(笑)
日本円を取りにホテルに戻るには遠いし・・・(大笑)

帰りのタクシー代を考えると・・・手も足も出ない。(笑)
これ・・・何かと“誘惑”に弱い拙者には好都合である。
カネがないんだから、誘われても飲みに行けない・・・(大笑)

道端で若い女の子に中国語で誘われた・・・(唖然)
拙者は中国語は全く話せない・・・(汗)
すると・・・彼女はスマホのアプリを使って“翻訳”をして拙者に見せた。
「可愛い女の子がいます」とか「安いです」とか・・・(大笑)
おお~なんと便利な事か・・・
しかし、答える拙者のほうの携帯は“ガラ系”である。(大笑)
そんな便利なアプリなんて見たことねぇぞ・・・(大汗)
彼女がスマホを突き出してきたが・・・使い方・・・知らねぇし・・・(苦笑)
結局、身振り手振りに加えて日本語で、「カネがない!」と伝えて断る。(大笑)

交差点で信号待ちをしていたら日本語ペラペラの客引きの“おばさん”に声をかけられた。
面白いことに、このあたりの客引きは名刺を渡す時に「名刺を渡してもよろしいですか?」と誰もが丁寧に尋ねてくる。(笑)
なんでだろう?
この”おばさん”も丁寧だった。
正直に「1500ドルしかもっていないから無理!」と断ったが、よく考えたら帰りのタクシー代も必要である。(笑)
そうなると、使えるのは・・・1000ドル程度か?
所持金が1000ドル程度では危ない、危ない・・・支払いの時にトラブルことは間違いない。(大笑)
多少、ボッタクリに遭うことは想定して多めに持っていなければ安心して酒も飲めぬ。(笑)
ということで、お断りしたが、その代わり、しばらく交差点で、この“おばさん”と世間話をして過ごす。(大笑)

「それじゃね!」と“おばさん”と別れ、また歩き出す・・・・
右に曲がり左に曲がりと適当に歩いていたら、大きな交差点にぶつかった。
「あらぁ~!何してんのぉ~?」と声をかけられる。
ん?・・・・さっきの“おばさん”である!(驚)
あれ?・・・いつの間にか、さっきの交差点に戻っていた・・・(大汗)
なんとも格好悪いな・・・これ・・・(苦笑)

これ以上、歩き回っても意味はない・・・(笑)
この繁華街がどんな感じの場所かは、よくわかったので・・・(苦笑)
タクシーを拾ってホテルに戻る。

ホテルは全室禁煙である。(涙)
フロントの女の子に喫煙所を尋ねたら2階に1箇所だけあるという。
「あ!、ベランダではタバコを吸っちゃダメですからね!」と笑いながら釘を刺された・・・(苦笑)
う~ん・・・先を読まれたか・・・(大笑)

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突き当りの部屋が「喫煙所」・・・目立たないから探すのに苦労した。(翌朝撮影)

一服して部屋に戻る。
カーテンを引こうと思ったら・・・やたらと重い。
で・・・部屋にやたらとスイッチがあるので、適当に押していたら、カーテンが動いた!(驚)
あら・・・電動カーテンだったの?(大笑)
こういう高級な部屋に泊まった事がないからねぇ~・・・知らなかった・・・(大汗)

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部屋から見た夜景!

テレビを見ようと思ったら、チャンネル数が極端に少ない!(唖然)
市内のホテルならば、かなりのチャンネルが映るのだが・・・
気のせいかもしれないが・・・政府に逆らうような局は見ることができないという感じ・・・
台湾独立派に傾いているようなテレビ局の映像は流れない・・・
ニュースを流す局も数局・・・・しかも同じニュースしか流していない。
いやぁ~面白くない!(怒)
例えて言えば・・・NHKしか流していないという感じ・・・
他のホテルと違うところは、日本の「NHK第1」、「NHK第2」、「NHKワールド」が映るくらいだろうか?
あ~あ~面白くない・・・・
で・・・映画を見てみたら、なんと!
映像と音声が、かなりズレているのである。
なにこれ?・・・・である。
口がパクパク動いてから、しばらくして音声が流れてくる。
見ていて鬱陶しい・・・・
おとなしく寝るしかないな・・・(涙)

が・・この部屋・・・広くて落ち着かぬ・・・(大汗)
参ったぁ~(涙)
あっという間に午前1時半である!(苦笑)
寝るときには、各部屋の空調を止め、電気を消して・・・と歩き回る羽目に・・・
う~ん・・・広いと不便だなぁ~(笑)
スイッチが多すぎる・・・どれがどれのスイッチだ?(苦笑)

旅行 | 14:44:18 | Comments(0)
「地震教育園」に行く
時刻はお昼を過ぎた・・・・
腹ペコである。(苦笑)

確か、台中には「国会議事堂」があったと思うのだが・・・・
学生時代、海外研修団で訪問したような記憶がある。
が・・・建物は全く覚えていない・・・(苦笑)
椰子の木の並木のようなものがあり、そこを歩いたかバスの窓から見たか・・・
その景色しか記憶にないのである。
たぶん、歩いたような気がするのだが・・・
もう30年以上も前のことだからなぁ~
それでなくとも記憶力が悪いのであるから、思い出したくても思い出せない・・・(笑)
で・・・時間があったら、そこに立ち寄ってみてくれとガイドに頼んだ。

それは、それとして・・・
何時まで経っても昼食にありつけない・・・(汗)
車は延々と走る・・・
もう1時間も走っているんですけど・・・・(汗)
腹ペコなんですけど・・・

ようやく到着したのが・・・「旧・台湾省議会議事堂」!
「ここですよね?来たかった場所は・・・」とガイド・・・
それはそうなんだけど・・・その前に昼食だろ?(唖然)
もう午後1時を過ぎてるんですけど・・・(汗)
議事堂は、現在は議事堂としては使われていないとか・・・
ちょうど建物の前で何かのイベントの準備中でごった返していた。
「写真、撮らないんですか?」とガイド・・・
そんな気は起らない・・・(苦笑)
イベントのテントや機材が山積みになっているところを撮っても仕方がなかろう?
それより早く飯を食わせてくれ・・・(苦笑)

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「台湾省議会議事堂」の周囲には住宅街が広がっていた。
かなりの広さの住宅街である。
どうも職員住宅のようである。
が・・・現在、議会としての機能を失っているため職員数も減ったのだろう。
空き家が目立つ・・・
その一角に“市場”があった。

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「政府員工」という文字が見えるから・・・たぶん、これは「政府職員」という意味ではなかろうか?
「第三供應市」という文字も見える・・・
「供應」は「供給」と同じ意味かな?
拙者が幼い頃、近所に「きょうきゅう」と呼んでいた市場があった。
大人になってから分かったのだが、近くの大企業の工場に勤める人たち向けの「販売所」で、今で言えば、「スーパーマーケット」のようなもので、「きょうきゅう」は正しくは「供給所」ということだったらしい。
ここは、それと同じようなものなのだろう。
政府職員用の「供給所」・・・「スーパーマーケット」というわけなのだろう。
ガイドが、ここで昼食を食べようと言う。
拙者に異論があるわけがない・・・腹ペコである。(苦笑)

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“市場”の内部は、ガランとして客らしき人はチラホラ・・・閑散としている。
食堂は、まだ午後1時半だというのに、もう店仕舞いの準備をしている店が何軒もある。(汗)
昔は賑わったのだろうが・・・今では、ここを利用する人もいないんだろうねぇ~

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ここで、ようやく昼飯にありつく。(喜)

今日は、夕方の新幹線で台北に戻るのだが・・・今は午後2時・・・
さて・・・どうする?
「今から地震教育園にご案内します」とガイド・・・
拙者としては、全く興味がないのだが・・・(汗)
そういう施設に行くくらいなら博物館に行きたいんですけど・・・(汗)
今回の旅の目的は「霧社事件」ということでガイドには話してある。
じっくりと見て歩き、調べたり勉強したいと話してあるんだけどなぁ~
絶対行きたい関連史跡などの場所は指定しておいたが、細かいところはわからないのでガイドに任せたのが間違いだったかも・・・
早々と午前中に「川中島」が終わってしまい、午後が丸々空いてしまった!(涙)

「地震教育園」などには興味はないと何度言ってもダメ・・・
どうしても拙者を連れていきたいらしい・・・(涙)
というわけで・・・根負けして行くこととなる。

約1時間後、「九二一地震教育園区」に到着・・・
ここは、1999年9月21日に、台湾中部で起こった大地震で被害を受けた学校を、そのままの状態で保存して「地震教育」としている施設のようである。
ちょうど、この学校がある場所に断層が走っていたらしい。

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地震に関する展示館(?)
学生たちのグループがいくつもやって来ていた。
拙者としては、たいして興味がないので、ササッ~と軽く流して見る。
拙者の欠点の一つは「気を取り直して・・・」ということができないところ・・・(大笑)
来たくて来たわけでもなく、ほとんど無理やり連れて来られ、貴重な半日を、ここで潰すのかと思っただけで腹が立つ。
折角だから、気を取り直してじっくり見て勉強しよう・・・・なんていう気にはなれないのである。(大笑)
それじゃ勿体ない・・・これもいい経験と気分を切り替えられないところが我が欠点の一つである。
というわけで・・・「面白くない!」と思いながら見てるんだから・・・テンションが上がるわけがない。(大笑)
ササッ~と適当に流して、何が書いてあるのかなんて・・・読まない・・・(大笑)

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これを見たとき、しばらくの間、これが何なのかがわからなかった。(大汗)
ようやく、これが学校の運動場の“トラック”で、地震のせいで隆起してしまったものだということがわかった。
それにしても、この中途半端な屋根は何だろう?
しかも固定するワイヤーが何本も地面に打ち込まれていて、見づらいことこの上ない・・・
これじゃ、この運動場の隆起のスケールがさっぱりわからないのではないか?(怒)
誰がこんな屋根の設計をしたんだろう?

崩壊した学校の校舎も見学することができる。

DSCN3934_convert_20170326201615.jpg (教室)

DSCN3936_convert_20170326201827.jpg DSCN3942_convert_20170326201854.jpg

この中途半端な屋根・・・・
太い柱とワイヤーが邪魔!
あ~あ~!!(怒)・・・どうしてこういう展示の仕方をするかねぇ~
ガイドが「すごいでしょう?」と、しきりに尋ねるのだが、ご機嫌斜めの拙者の頭の中は“文句”しかない・・・・(大笑)
「どこの馬鹿がこんな中途半端な屋根と柱を設計したんだ?これじゃ、崩壊の凄さが半減だよ!柱が邪魔!」(怒)
もっと大きなドームで覆ってやれば、崩壊した校舎と隆起したグラウンドが、そのままの状態で見ることができるだろうに・・・
勿体ない展示の仕方をしている・・・としか思えない。
見ていると、そっちの方が気になって腹が立つばかり・・・である。(苦笑)
困った性格だと自分でも思う・・・(大笑)

30分程度見学して施設を出る。
じっくりと本気で見学したら1時間以上は必要だろうが・・・(苦笑)
興味がないから・・・あれも、これも・・・パス!(大笑)

ここに来る途中、「亜州大学」という看板を見た。
この大学・・・英語に訳すと、「アジア・ユニバーシティ」となる。
つまり、拙者の母校と同じ名前!(大喜)
というわけで・・・ここに立ち寄ってもらい、校門あたりで記念写真を撮ろうと思う。
う~ん・・・こりゃ、我が同窓会の支部長への土産話になるぞ。(笑)

行って見たら・・・・ありゃ!
校門なんてものがない!(汗)
いきなり、この建物である!(驚)

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どこかの国の国会議事堂か?・・・・と思わせる建物である。(笑)
あららぁ~・・・・である。
ここには図書館と管理部門、それに「国際学院」(インターナショナル・カレッジ)と「創意設計学院」(カレッジ・オブ・クリエーティブ・デザイン)が入っているらしい。

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で・・・ちょっと敷地内を散策・・・(笑)

DSCN3952_convert_20170327222059.jpg

ガイドが「安藤忠雄が設計した建物があるという話を聞いたことがあるので、ぜひ見てみたい」と言う。
へぇ~日本人建築家の安藤忠雄が設計したの?
じゃ・・・あれかな?(苦笑)

DSCN3958_convert_20170327222211.jpg

この大学には「現代美術館」という建物がある。
それが安藤忠雄氏が設計した建物・・・・
「知ってたんですか?」とガイド・・・
「いや、この人の設計は、いつもコンクリートの打ちっぱなしみたいな建物だから、すぐわかる」(大笑)と拙者・・・
ガイドは「すごい!すごい!」と大興奮だが、拙者は全く興味はない・・・(苦笑)
実は、拙者はこの人が設計した建物が好きではないのである!(笑)
これは“好み”の問題だから、どうしようもない・・・
例え日本で有名な建築家が設計したと言われても嫌いなものは嫌いなのである。(大笑)

大学の看板があったので、看板をバックに記念撮影!
はい、これで目的は達成!(大笑)
さっさと台中駅に向かう。

DSCN3965_convert_20170329143050.jpg (台中駅)

駅の喫煙コーナーで、まずは一服・・・(大笑)

時刻は午後4時・・・・
我々は午後5時の新幹線で台北に帰る。
それまで時間があるので・・・
駅構内のファミリーレストランでコーヒーとケーキを食べて時間を潰す。

DSCN3966_convert_20170329143117.jpg

旅行 | 12:58:52 | Comments(0)
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