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投稿日:2008-03-17 Mon
『大洲歴史探訪』『大洲歴史探検』改題・増補版
土井中 照 著
アトラス出版
定価:本体1,143円+税
この本はどこで買ったのか・・・・
大洲城で買ったような気がするのだが・・・
現地にいるときに読めばいいものを、帰宅してから、しかも今頃になって読んでみたら・・・
あら、あら、あら・・・
失礼な話かとは思うが「大洲」という町は拙者にとってはマイナーな町。
愛媛県といえば「松山」!
正直言って「松山」しか知らない。
「大洲」って現地に行くまでどこにあるのかも知らなかったのだ。
この本を読んでみたら・・・結構偉い人が出ているのですね〜
三瀬諸淵(みせもろぶち)
この人は、日本で初めて電信実験に成功した人。
安政5年(1858年)に電信の実験をして成功している。
安政3年に鹿児島の島津藩が電信実験をしているが失敗しているので、成功した実験としては日本初ということになるらしい。
佐久間象山も電信実験をしているが、万延元年以降なので、もっと遅い。
なのに・・・佐久間象山や島津藩の電信実験のほうが有名。
なんとも可哀相である。
この実験は針金を引いて行われたので「針金便り」と呼ばれたという。
また、見物の群衆は「キリシタンバテレンの魔法」と評したとか。
矢野玄道(やのはるみち)
この人は国学者。
平田篤胤の提唱する古神道を基にした国学を学び感化されます。
晩年は「しらべ中ながばなし いや」という貼紙をして来客を避けて勉学に励んだといいます。
また、平田篤胤の未完の書『古史伝』を完成させました。
著作は700巻、弟子は1,000人以上いたといいます。
いやぁ〜そこまで有名な人なのにねぇ〜
どうして“全国区”の有名人になれないのかねぇ〜
巣内式部(すのうちしきぶ)
幕末の憂国歌人。
万延元年(1860年)井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)が起きると、京都に上り尊皇攘夷運動に参加。
新撰組に逮捕されて幽閉されたこともあります。
慶応4年(1868年)に自由の身となり、官軍の赤報隊に参加して戊辰戦争で活躍。
明治3年(1870年)大村益次郎の暗殺犯の中に上司や友人がいたため、この事件に関与していたとみなされ官位を剥奪され大洲に帰郷。
罪の晴れる日を待ちながら和歌の整理などをして過ごしましたが、2年後に貧窮孤独のままこの世を去りました。
武田成章(たけだしげあや)
この人は明治元年に榎本武揚が立てこもって「函館戦争」をした函館の五稜郭を設計した人。
でも・・・建築家っていうわけじゃない。
母の実家で医学を学び、大阪に出て緒方洪庵の適塾で学び、更に江戸に行って伊東玄朴や佐久間象山に学びます。
佐久間象山の勧めで幕府に出仕して、ロシアの特使・プチャーチンが長崎に来たときに応接にあたっています。
更に、函館に派遣され、函館港を視察に来たペリーの応接をします。
その後も函館に残り、この時に幕府の命令で砲台と城郭を築きますが、この時に西洋の城郭や砲台の本で研究して五稜郭を築きました。
また、函館奉行支配諸術調所の教授にもなり、全国から集まってきた青年に洋学・航海術・測量術・砲術などを教えました。
前島密、井上勝などもここで学んでいます。
明治維新後は、明治政府に出仕して、陸軍兵学寮幼年学校長などを勤めて陸軍士官の養成をおこないました。
また、国産初の小銃である「村田銃」の普及に尽力しました。
この人はどちらかというと教育者タイプなのかな?
しかし、かの有名な五稜郭を設計した人が大洲出身の人だと知っている人は少ないかも。
香渡晋(こうどすすむ)
明治憲法制定の功労者。
子どもの頃から「神童」と呼ばれていたという。
京都に上って桂小五郎ら勤王の志士たちと交流を持ち、勤王運動に参加。
岩倉具視を暗殺するつもりで接近したが、反対に気に入られて引き立てられる。
明治憲法の草案に対し、「憲法は天皇を主体とした欽定憲法にすべきである」との親書を岩倉具視に送る。
大隈重信もこの意見を採用し、明治憲法草稿が作られたという。
また、大正天皇の御用係を拝命し、御養育の大任を果たしています。
池田亀五郎
全国を震撼させた明治の怪盗、通称「強盗亀(ごうとうかめ)」。
明治20年(1887年)、遊女と情死を図り失敗してから、強盗の道に入る。
明治41年、広島の監獄で絞首刑となる。
公判で立証された犯罪は、窃盗23件、強盗8件、強盗未遂3件、強盗強姦2件、強盗傷害2件、傷害2件。
しかし本人の自供では婦女暴行300件、年平均100件の強盗・窃盗を働いたといいます。
まぁ〜こういう有名人は出てもらいたくないものですな〜
政尾藤吉(まさおとうきち)
シャム(現在のタイ)国王から勲章を貰った人。
明治22年(1889年)早稲田を出てアメリカへ行き、弁護士の資格を得てエール大学を卒業。
帰国して横浜の英字新聞の主筆として活躍中、外務省の要請でシャム(タイ)の特派員となります。
シャムの国王はエール大学で法学を学んだ藤吉に司法の主任顧問に任じ、後に勲章を授け、滞在15年目にして王族待遇を与えました。
法典編纂にはベルギー人顧問団がいましたが、藤吉は中心的な人物として刑法と社会法の草案を書き上げます。
大正2年(1913)に帰国しますが、この時にも国王は勲章を贈って感謝の意を表しています。
大正4年には政友会の推薦を受けて衆議院議員に当選。
大正9年(1920年)には特命全権公使としてシャム(タイ)に着任しますが、脳溢血で客死しました。
52歳。
通夜は2週間にも及び、国王は火葬の際、自ら点火して藤吉の死を惜しんだといいます。
しかし・・・こういう人がいたんですねぇ〜
この人はもう少し高く評価されてもいいんじゃないかなぁ〜
細川一(ほそかわはじめ)
世界的に有名な公害病である「水俣病」を発見した人。
西宇和郡に生まれましたが、大洲の細川家の養子になった人で、東京帝国大学医学部に進み博士号を取得。
昭和31年(1956年)、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場附属病院の院長の時に、これまで見たことのない疾患の発生に気が付き、これが水俣病のの発見となりました。
昭和32年(1957年)から実験を開始し、工場廃液との因果関係を調べ、工場廃液のメチル水銀が原因という報告書を工場に提出しましたが、無視され、実験も中止され、昭和37年にはチッソを去ることになりました。
人命尊重を重視する博士に対する企業側の抵抗措置だったそうです。
わが町にも大企業がありますが・・・・
こういう信念を持ち、正しいことを為すという気骨ある人がいるかどうか・・・・
それにしても、この人・・・余り知られていない。
大洲には幾人もの「偉人」と呼んでいい人がいるのですが・・・
もう少し顕彰してもいいんじゃないかなぁ?
ペリー提督が電信実験を行い江戸幕府は度肝を抜かさんばかりに驚く(ペリー滞在日記)
電信実験の三瀬諸淵は知らなかった。参考になります。
電信実験の三瀬諸淵は知らなかった。参考になります。
先日、祖父宛の政尾藤吉の手紙が出てきたそうだ。
タイ語でも書いてあるとか。
タイ語でも書いてあるとか。
2009-05-14 木 16:20:45 |
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takayamanotenngu
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こんにちは。本日も頑張ってブログ更新しますよ!今日の内容は何かと期待してください... 2008-05-18 Sun 17:18:02 | 大洲の驚き最新情報!
こんにちは。みなさん元気ですか?今日も頑張ってブログを更新しますよ!今日は大洲に... 2008-05-26 Mon 13:17:11 | 大洲の驚き最新情報!
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