投稿日:2008-02-21 Thu

夏目漱石旧居跡
夏目漱石は明治卅六年一月英國から帰り、三月三日ここ千駄木町五十七番地に居を構へた。
前半二箇年は一高と東大の授業に没頭したが、卅八年一月「吾輩は猫である」「倫敦塔」等を發表して忽ち天下の注目を浴び、更に「猫」の續稿と竝行、卅九年初から「坊ちゃん」「草枕」「野分」等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした歳末廾七日西片町に移り、翌四十年四月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。
千駄木町は漱石文學發祥の地である。
森鴎外も前に(自明廾三年十月 至同廾五年一月)その家に住んでゐた。
家は近年保存のため移築され、現在犬山市明治村にある。
昭和四十六年三月三日
(碑文より)
夏目漱石旧居跡(区指定史跡)
日本医科大学同窓会館 文京区向丘2-20-7
夏目漱石 本名・金之助。
慶応3年~大正5年(1867~1916)。
この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10ヵ月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)
当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。
その作品『吾輩は猫である』の舞台として、“猫の家”と呼ばれ親しまれた。
この地で、『倫敦塔(ろんどんとう)』『坊ちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわした。
漱石文学発祥(はっしょう)の地(ち)である。
漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。
鴎外は、ここから団子坂上の観潮楼(かんちょうろう)へ移っていった。
二大文豪の居住の地、漱石文学発祥の地として、近代文学史上の重要な史跡である。
旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築保存してある。
―郷土愛をはぐくむ文化財―
文京区教育委員会
平成7年3月
(説明板より)

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