投稿日:2008-02-21 Thu

徳川家宣胞衣塚(とくがわいえのぶえなづか)
根津神社境内
文京区指定文化財
6代将軍家宣(いえのぶ)の胞衣(えな)を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
この根津神社の境内(けいだい)は、もと5代将軍綱吉(つなよし)の兄綱重(つなしげ)(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文2年(1662)4月5日ここで生まれた。
胞衣(えな)とは、胎児(たいじ)(母体の中の子)を包んだ膜(まく)と胎盤(たいばん)をいう。
われわれの祖先は、胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承(でんしょう)にある。
例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。
関東では、家の床下や入り口の敷居(しきい)の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。
一方上流の階層では、胞衣塚(えなづか)を築くことが早くから行われた。
愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
この胞衣は誕生(たんじょう)の敷地(しきち)内に納められた。
徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴(そぼく)であるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。
本殿横には、明治14年に建てられた「胞衣塚碑」がある。
また、家宣の産湯(うぶゆ)の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にある。
家宣が綱吉将軍の後継(あとつ)ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土(うぶすな)神(氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
―郷土愛をはぐくむ文化財―
文京区教育委員会
昭和58年3月
(説明板より)

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