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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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マニラ東方高地の旅(3)
昨晩は部屋で地図とにらめっこしながら戦跡の確認をする。
3箇所ばかり停車してもらい説明する場所が見つかる。

午前8時、ホテルを出発。
日本でネットで天気予報を確認した時は、晴れとか雨とか、どの予報を信じていいのか・・・
という具合であったが、幸運にも天気は晴れ。
先週までは雨の日が続いていたというから、これも英霊のご加護か。

DSC08543.jpg

昨日通った道をもう一度通って、ボソボソの高台でバスを降りて景色を見学。
初めて来た人はわからないようだが、ここからボソボソ地区の山々が一望に見ることが出来る。
ポケットナビで現在地点を確認し、方位を確認して各陣地があった日本名の付いている山々を確認する。
しかし、何故かナビの方位が定まらない。反応が遅い。
添乗員の“ヒラヤマ”さんが持参してきた方位磁石のほうが正確なのには参った。

次は川北大隊にとって大切な戦跡。
今回ナビと地図で探し当てた場所。
DSC08544.jpg
(御楯山)
移動するバスの中でナビと地図をにらめっこしながら・・・・
「ここ!ここで止まって!」
道路脇の木々の間から見えるのは「御楯山」
ボソボソの南に位置する標高338mの山。
この「御楯山」とボソボソ村の中間地点、つまり我々のバスが走っている道路周辺で川北大隊第8中隊の10センチ榴弾砲1門(大野中尉指揮)が玉砕している。
できればここで第8中隊の慰霊祭を執り行いところだが、今回判明した場所のため急には慰霊祭は行えない。
拙者から簡単な説明を行なうだけにして、再び車を走らせる。

次に見えるのは・・・・「決勝山」
「御楯山」のすぐ近くにある山のはずだが・・・・
第6中隊の佐々木小隊がここに陣を敷いたが遮蔽物がないことを野口兵団の参謀に指摘され、直ぐ隣の「吉野山」へ陣地を移動した。
その場所を案内しようと思っていたが・・・道路脇の木々に遮られてよく見えない。
1箇所だけそれらしき山が見える地点があるのだが・・・・
「停めてくれ!」と言っても直ぐには止まらず・・・・通過してしまった!
チラリと眼に入ったのは、周辺には遮蔽物が何もない三角山。
あの山に違いない。
あそこに陣を張ったら、拙者でも陣地転換を命じるという山である。
その山のすぐ隣になだらかな斜面をもつ山がある。
いかにも「吉野山」と名付けられておかしくない形の山。
バスがしばらく走ってしまい、道も山裾を回りこんでしまったため、ついに再び見ることは出来なかった。
次回、一人で訪ねて再度確認するようだなぁ~
適当なところで、バスを停めてもらい、戦跡の説明をする。
DSC08545.jpg

さて・・・問題はこの山である。
この山が「吉野山」なのか、それともその東にある「国守山」なのか・・・
方向と位置的には間違いないのだが・・・
別の角度からも検証してみないとわからないのだが、その余裕はない。
道路の位置からすると、手前に「国守山」がくるので、「吉野山」はこの山の向こうに隠れてしまっているかもしれない。
山の確認というのは本当に大変だ。
見る方向によって違ってくる。

更にバスを走らせ、当初からの目的地、「御光山」の「野口兵団慰霊碑」に向かう。
川北大隊は自分の慰霊碑が損壊した後、この野口兵団の慰霊碑に合祀したので、ここで慰霊祭を執り行うのだ。
いわゆる「御光山」。
「ごこうざん」とも「みひかりやま」ともその読み方はさまざまなのだが・・・・
前回の平成17年に来た時に拙者はどうしてもこの山が納得いかなかった。
ここは「御光山」ではないのでは?
直感である。
今回、ポケナビの座標で確認したところ・・・やっぱり思ったとおりだ。
ここは皆が言っている「御光山」ではない。
「御光山」はもっと北に位置している。
ここは「赤誠山」である!
そのことを“ニシムラ”さんに伝えたら・・・
「じゃ、本当の御光山を今度確認に行ってきてね!」と、いとも簡単に言われる。
「へぇ?更に奥地に?一人で?・・・・」(笑)
言う人は簡単に言うけど・・・行く人は大変なんですけど・・・(笑)

DSC08546.jpg

慰霊碑前で慰霊祭を行う。
この慰霊碑がある場所は民家の庭。
平成18年に一人で再訪問した時にお会いした、この家のお爺さんもお元気。
拙者のことも覚えていてくれていて拙者の顔を見るなり驚いた顔で笑いかけてくれた。
「お元気でしたか!」
慰霊祭では「砲兵の歌」を歌う。
“ニシムラ”さんに今まで何度も無理やり歌わされているうち、何故か拙者も歌えるようになってしまった。(笑)
拙者の祖父は騎兵だったんだけど・・・・
その孫は砲兵の歌が歌えちゃう・・・・(笑)
マズイよなぁ~今は亡き祖父は何と思っているか・・・・(笑)

DSC08547.jpg

慰霊祭を終了して撤収中に・・・・雨が・・・・
「これは・・・英霊の涙雨だね・・・・」
会いに来たことが伝わったかな?
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旅行 | 10:27:10 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
オールドボソボソについて
私北九州のロータリアンです。オールドボソボソには2006年から年に2度は言って居ります。モニュメントの側にある小学校に図書館をきそうしたりハイスクールの3人の卒業生に奨学資金の支援を致して居ります。この3人奨学生に1ケ月に一度は記念碑の周りの掃除をお願いして居ります。 2月21日私どものロータリークラブがボソボソよりももっと山奥のカラウィスの小学校に井戸堀の支援いたし竣工受け渡しの式典の為に参りました。 その時にモニュメントへ参りクラブの参加者7人で献花をさせて頂き、お線香を上げさせて頂きました。
 貴殿のこの記事を拝読させて頂くまであのモニュメント”川北大隊”について何も知らぬままでした。
 ボソボソより約1,30時間の場所にカラウィスがありそれから1,30時間、馬でないと入れないアピアと言う小さな村が有ります。
 大変な山奥ですが、そのあたりでも日本兵の方々が沢山亡くなったと聞いて居ります。  私はこのアピアの小さな小学校に先住民族の子供達が学校に通えるように寄宿舎の建設を計画中です。
 この様な次第でボソボソにはこれからもちょくちょく行く予定です。
 浪人の身とは言え素晴らしい事をされてますね、敬服いたします。
2009-03-04 水 15:01:13 | URL | Takechika Arimitsu [編集]
コメントありがとうございます。
一昨日、東部ニューギニア方面の戦跡訪問から帰国しました。
オールドボソボソの小学校への支援や更に奥地の子供たちへの支援活動をされているそうで驚きました。
目立たないところで日本人は活躍しているのですね。
私はそこまでの能力がないので戦跡巡拝のお手伝い程度しかできません。
ボソボソの慰霊碑は京都のお坊さんが建てられたそうです。
その時に、廃棄処分された川北大隊の慰霊碑の残骸を柵柱に埋め込んだらしく、それを偶然見つけたことで私が川北大隊のご遺族を案内するということになりました。
あの周辺はかなり奥地に至るまで多くの日本兵が無くなっていますので、あの高台に建てられたのだと思います。
2009-03-10 火 17:48:12 | URL | 重兵衛 [編集]
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