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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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寛永寺本堂
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寛永寺本堂(かんえいじほんどう)
台東区上野桜木1丁目14番11号

旧本堂(根本中堂)は現在の国立博物館前の噴水池あたりにあったが、慶応4年(1868)彰義隊の兵火で焼失した。
そのため明治9年(1876)から12年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂(ほんじどう)が移築され、寛永寺の本堂となったのである。
寛永15年(1638)の建造といわれる。
間口・奥行ともに七間(17.4メートル)。
前面に三間の向拝(こうはい)と五段の木階、背面には一間の向拝がある。
周囲には勾欄付廻縁(こうらんつきまわりえん)をめぐらしており、背面の廻縁には木階を設けて、基壇面に降りるようになっている。
桟唐戸(さんからど)(正面中央など)、蔀戸(しとみど)(正面左右など)、板壁など、すべて素木のままである。
屋根は入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺、二重棰(にじゅうたるき)とし、細部の様式は和様を主とする。
内部は、内陣が土間で、外陣(げじん)と同じ高さの須弥壇(しゅみだん)が設けられている。
須弥壇の上の本尊その他の仏像を安置する。
内陣を土間とする構造は中堂造(ちゅうどうづくり)と呼ばれ、天台宗独特のものである。
現在は仮の板が張られ、内外陣ともにすべて畳敷になっている。

平成16年3月
台東区教育委員会

寛永寺本堂

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史跡 | 19:11:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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