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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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虫塚
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虫塚(都指定旧跡)
台東区上野桜木1丁目14番11号 寛永寺境内

虫塚は、伊勢(現、三重県)長島藩主である増山雪斎(ますやませっさい)の遺志により、写生に使った虫類の霊をなぐさめるため、文政4年(1821)に建てられたものである。
増山雪斎は、宝暦4年(1754)の生まれ。
本名は正賢といい、雪斎はその号であるが、玉園・蕉亭・石顛道人・巣丘隠人など多くの別号がある。
江戸の文人大田南畝(おおたなんぽ)や大坂のの豪商木村兼葭堂(きむらけんかどう)など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者としても活躍した。
自ら文雅風流を愛し、清朝の画家、沈南蘋(しんなんぴん)に代表される南蘋派の写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描いた。
中でも虫類写生図譜『虫豸帖(ちゅうちじょう)』は、その精緻さと本草学にのっとった正確さにおいて、殊に有名である。
文政2年、66歳で没した。
虫塚は、当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にあったが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移転した。
勧善院は、4代将軍徳川家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺として創建された。
碑は自然石で、正面は、葛西因是(かさいいんぜ)の撰文を大窪詩仏(おおくぼしぶつ)が書し、裏面は、詩仏と菊池五山(きくちござん)の自筆の詩が刻まれており、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わったことが知られる。

平成8年7月
台東区教育委員会

虫塚
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史跡 | 18:18:30 | Trackback(0) | Comments(0)
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