投稿日:2007-11-12 Mon

姫ヶ嶽
天正10年(西暦1582年)6月10日川之江城主河上但馬守(かわかみたじまのかみ)が三島宮(みしまぐう)に詣でての帰途、村松字崩(くずれ)の松原に於て、謀臣秋山嘉兵衛の為に謀殺され、城は秋山の内通により轟(とどろき)城主大西備中守(びっちゅうのかみ)の急襲をうけて、落城するに至った。
この時、但馬守の息女(そくじょ)年姫は横死の父のあとを追って、この断崖より燧灘(ひうちなだ)に身を躍(おど)らして、はかなくも花の生涯を閉じたといわれている。
春風秋雨(しゅんぷうしゅうう)380余年、落城の悲話として、今に伝えて、ここを姫ヶ嶽と呼ぶ。
姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても
うまして入りぬ 大名の娘は
与謝野晶子
(説明板より)
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