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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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武茂氏墓碑
DSC06688.jpg


馬頭町指定文化財(昭和43年3月13日指定)
武茂(むも)氏墓碑

武茂氏は、下野国中央部に勢力を誇った宇都宮氏の支族で、鎌倉幕府高位官僚の評定衆として、執権の補佐にあたった宇都宮7代城主景綱の三男、泰宗を始祖とする一族です。
泰宗が武茂氏を起こしたのは鎌倉時代末期の正応・永仁年間(1288~98)の頃とされ、15世紀中頃から16世紀初頭にかけて一時断絶期間がありますが、戦国時代末期の文禄4年(1595)までの約300年間、馬頭町域一帯を支配しました。
乾徳寺は武茂一族の菩提寺で、この石塔類は一族に関係するものと考えられ、古文書により、江戸時代の享保16年(1731)に散逸していたものをここに整理したことが知られています。
現在10基ほどの宝篋印塔(ほうきょういんとう)・五輪塔がありますが、完全なものは3基で、他は石組みが乱れています。
一部鎌倉時代から南北朝時代にかけて造られたものもみられますが、宝篋印塔の相輪部・笠の突起部・基壇の簡略な石刻みの手法からみて、戦国時代末期のものが大半を占めています。
このほか境内には、完全な形ではありませんが、40基近い宝篋印塔・五輪塔が散在しており、これらも武茂一族に係わるものと推定されます。

那珂川町教育委員会

(説明版より)

武茂氏墓碑

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史跡 | 13:23:33 | Trackback(0) | Comments(0)
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