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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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静神社と武茂城跡
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(静神社)

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(武茂城跡)

静神社と武茂城跡のご案内
静神社は、大同年間(806~809)誉田別命を祭神として、字若宮に祀られていました。
元禄年中(1688~1703)に徳川光圀公の命によって、上郷地の山腹に遷座、手力男命を併祀して静神社と称しました。
明治6年に村社となり、同33年に武茂城跡のこの地に奉遷されました。
本殿は、間口1間(1.8M)奥行1.5間(2.7M)周囲に玉垣をめぐらしてあります。
境内からは、市街地が一望でき憩いの場となっております。

武茂城跡は、宇都宮城主景綱の三男泰宗が正応永仁(1288~293)の頃、武茂庄十余郷の領主となって武茂氏を名乗り子孫に伝いましたが、応永14年(1407)宇都宮に世子がなかったので、持綱(6代)本宗を綱ぎ武茂氏は一時途絶えました。
その後持綱の曽孫正綱が武茂氏を再興しましたが、正綱も本宗が継ぐことになり三男兼綱が相続して一万石の領主となりました。
戦国抗争の世に入って、武茂氏は佐竹、那須両氏の抗争に係わり豊綱の代慶長4年(1599)遂には佐竹に降り常陸大賀村に移され、武茂城は佐竹の臣太田五郎左衛門の居城となりました。
慶長7年(1602)佐竹氏も秋田に移封され廃城となりました。
武茂城、天剣を利用した鎌倉時代中期の築城によるもので、山城初期の城郭の様子が良く保存されており、馬頭町指定文化財となっております。

(説明版より)

静神社と武茂城跡
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史跡 | 12:46:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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