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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『江戸時代の人づくり』


はじめに

プロローグ ― 江戸時代とは
 人間そのものの時代
 世界史にまれな平和時代
 文字文化が発達した時代
 驚くべき情報の伝播がなされた時代

第1部 庶民社会の人づくり

第1章 江戸の育児法
 (一)乳児の子育てと行事
   妊娠
   胎教
   帯祝い
   産屋
   出産
   難産の時の呪い
   産湯
   胞衣の処理
   誕生の祝い
   三日衣装
   名付け祝い
   乳つけ
   生後30日頃
   喰い初め
 (二)養育と遊び
   食事
   衣服
   村ぐるみの子育て
   子どもと遊び

第2章 寺子屋と商家・職人教育
 (一)寺子屋
   寺子屋の起原
   師匠
   寺子
   束脩(そくしゅう)・謝礼
   教育内容
   学習方法
 (二)商家の教育
   商家の特色
   丁稚奉公
   丁稚から手代へ
   手代から番頭へ
   商家の女子教育
 (三)職人の教育
   大工の養成
   木地師の養成
   塗師の修業
   鍛冶屋の修業

第3章 民間教育機関
 (一)民間の教育機関
   郷校・手習所
   藩営の手習所
   学習の実際
   教諭所
   私塾
 (二)私塾あれこれ
   a伊藤仁斎と古義堂
   b本居宣長と鈴の屋
   c広瀬淡窓と咸宜園
   d吉田松陰と松下村塾
   e緒方洪庵と適塾

第2部 武家社会の人づくり

第1章 武家社会とは
 武士とは
 徳川武士の特色
 独裁体制の排除
 能力主義の導入
 日本人の人間観
 日本の家制度―世界的にも珍しい―
 武士の家制度
 「武家諸法度」

第2章 武家の人づくり ―その典型を探る ―
 『初学文宗』
 『授業編』
 『折焚(た)く柴の記』
 『蜑(あま)の焼藻(やくも)の記』
 『前訓略』
 『をんな二代の記』

第3章 武士の家庭・地域における人づくり
 (一)胎教・乳幼児期の教育
   胎教
   乳幼児期
   幼児期の遊び
 (二)少年期の教育
 (三)青少年の自治組織
   a薩摩藩
     「郷中」
     稚子
     二才
     読みもの・行事
     「詮議」
     武芸
   b会津藩
     会津の精神的支柱
     「什人組」

第4章 藩校
 (一)藩校について
   a藩校の意味
   b藩校設立
   c各藩校の共通項
     公教育としての藩校
     藩校の教育内容
     藩校における文道
     藩校における武道
 (二)藩校あれこれ
   a弘道館―佐賀藩
   b日新館―会津藩
 (三)教育と政治の一致 ―藩校のまとめ―

第5章 官学
 (一)江戸時代の官学
   a幕府直営の学校
   b公教育の確立
   c昌平坂学問所
   d地方官学
   e各種官学
   和学講談所
   開成所
   医学館
   医学所
   講武所
 (二)現代の官学
   a昌平黌から東京帝国大学へ
   b官学と自治

エピローグ ― 江戸時代と現代
 情報の拡散
 権力の拡散
 文化・芸術の拡散

おわりに
   昭和63年初春   久保田 信之



「はじめに」で著者は本書を著した理由を非常に分かりやすく簡潔に述べている。
近代化と称する欧米化が文化背景の異なる日本を危険に陥れている。
そして現代の諸矛盾を解こうとするとき、我々は江戸時代に戻る必要があるように思えると著者は述べているが、実は、私も以前から同じことを思っていたのである。
「国際化が流行語のように使われ、自らの歴史と伝統を居丈高に批判し罵倒して恥じない無国籍人が着実に増殖している現在・・・」
などは、全く同感である。
「“江戸”がなかったならば“欧米化”は日本に破滅をもたらし、植民地化をもたらしたはずである」
「アジア諸国が“明治維新”を模して“近代化”“欧米化”を試みてきたにもかかわらずそれがなしえない大きな理由に“江戸”がないことをあげざるをえない」
・・・・なども同感である。

この「江戸の人づくり」をもう一度見直すことで、現代日本の教育の行き詰まり、社会の混乱を解く手掛かりになるのではないかというのが本書である。
たとえば、寺子屋教育の実情は、学校教育の荒廃、形骸化に対する参考になるものが多い。
だいたい「労働者意識」を振り回している教師に、子供たちの将来を託せるだろうかという意見には大賛成である!(笑)

現代日本の悩みは、学校教育の教師の力不足、怠慢にのみその原因を求めてはならず、根底において支える家庭や地域の教育力が衰退していることこそが最大の原因だという。

幕末になって初めて、身分が低くても有能であれば高い役職に登用されたとする一般的な解説は事実とは少々違うようで、能力主義の導入は5代将軍・徳川綱吉の頃(1700年前後)からだというのには驚いた。

公教育についての記述も面白い。
市町村立の学校、国立の大学などは国および地方公共団体が設置し運営している教育機関であるから・・・
教育内容、何を教えるか、どういう人材を求めるかは国および地方公共団体が決定すべきだという。
ところが、今日の教育界は、「教育の自由」などというわけのわからぬ権利を振りかざし、この大前提を踏みにじっているという。
設置・運営者である国や地方公共団体の意を受けないどころか、これを批判し拒否する姿勢さえ示して教育界を混乱させているという。
もう、著者の見解に大賛成、正論だと思う。
国や地方公共団体が設置・運営している公立教育機関なのに、国旗を掲揚するな、国家を歌うななどと叫ぶ、教師という名の労働者・左翼のやっていることは筋違いというものであろう。
私立なら、反日教育機関であっても何ら問題はないと思うが・・・公立はダメでしょ。(笑)
江戸時代における公教育機関は「藩校」である。
その藩校は、藩政を実施する上で望ましい人材を養成すべく設置され運営されたわけであると著者はいう。
「藩校」は、藩の政策に従い、藩の施策の一翼を担う機関である。
そして、その藩校の多様性というのは、それぞれの藩の多様性によるものであるという。
やっぱり、現代こそ、江戸時代の「藩校」をもう一度見直して、公教育を立て直すべきではなかろうか?

「教育は国家百年の計」と本当に思うのであれば、行政が真剣に指導し、その指揮下に教師がその任に当るという政治と教育の協力・一致がなされなければならないと著者はいう。
全くもって、ごもっともな話だと思う。
江戸時代では、家老が学校奉行として位置づいて、その道の大家である“学頭”に大きな権限を与えて相互に協力し藩の発展に命をかけたのだという。

ただ、幕府が「異学の禁」を発布して、朱子学の学説・思想を覚えればよく、試験に合格するするための問題と答えを暗記すればよいという教育をするようになってから、日本の教育はおかしくなってしまったのではないかという気がする。

「エピローグ」の著者のお話も非常に勉強になるお話・・・
本書は昭和63年に発行されているのだが、その後、日本の教育、特に「公教育」はどうなっていったのだろう?
どうも、変わっていないような気がする。
本書を教育行政担当者や教師自身の必読の書とすべきではないかと思う。(大笑)
そのくらい勉強になる本だと思う。


今年の読書:14冊目

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読書 | 17:55:45