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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『太平洋戦跡慰霊総覧』


第1部 戦跡巡拝・鎮めの祈り

ガダルカナル島
ガ島転じて餓島と化す 6ヵ月の攻防、21000名戦死

アッツ島
山崎部隊長以下2500名 救援なし、玉砕命令に従う
  アッツ島とキスカ島の占領
  アッツ島守備隊の玉砕
  米軍が建てた山崎大佐戦死の碑

タラワ島・マキン島
太平洋戦線最初の玉砕地で現地住民が毎年行う戦没者慰霊祭
  南海の国・キリバス共和国
  激戦地に建立された「南瀛(なんえい)之碑」
  マキン島はなぜ親日的なのか

マダガスカル島・デイエゴスワレス
永遠の眠りについた特殊潜航艇の勇士の跡を訪ねて
     (植田一雄 特潜調査人)
  チャーチル首相を仰天させた特殊潜航艇
  特潜の跡を訪ねた20年
  念願達成
  特潜を語り継いでください

パプアニューギニア
長野県ニューギニア会が、つづけてきた戦跡慰霊
     (土屋利喜太 長野県ニューギニア会会長)
  長野県ニューギニア会の結成
  22回目を迎えた現地慰霊巡拝
  私達のやってきた戦跡巡拝
  パプアニューギニアの人々と私達
  私達は何故、戦跡慰霊をつづけるのか
  【東部ニューギニアにおける戦没者遺骨収集】
  【コイキン観音像前における慰霊祭・祭文】

ビルマ(現ミャンマー)
19万人が戦死したビルマ、インド、中国の広大な戦場
  ビルマの戦場、日本軍の攻略
  連合軍の本格反攻に抗して
  ビルマ戦場の遺骨収集と戦友会
  遺骨収集気運の再燃とその実施
  「ビルマ平和記念碑」の建立
  ビルマへの慰霊巡拝団派遣
  インパール戦跡の慰霊
  雲南地区への戦跡巡拝

ビルマ派遣救護員
英印軍に追われ、重症患者と逃げ延びた日々
     (蜂須賀つや子 元ビルマ派遣救護班救護員・群馬県出身)
  私は生き延びた
  激戦のビルマ、往時を偲び巡拝
  救護員100名、二手に分かれ脱出
  中部ビルマのタウンジーへ
  チェンマイ、同僚が脱出した国境の町

ペリリュー島・アンガウル島
全島要塞化で米軍に徹底抗戦 「最後の一兵まで」を実践・玉砕
  狙われたペリリュー飛行場
  74日間の徹底抗戦
  1大隊対1師団 アンガウル島の玉砕戦
  敵と飢餓に襲われた33日間

サイパン島
哀しみのバンザイクリフ 邦人含め5万余、玉砕の地

グアム島
自決者相次ぐ断末魔の戦場 守備隊2万余、生還1250名

フィリピン
投降地の名誉村民となった、ある生還者の長き戦跡巡拝

沖縄
第32軍と沖縄県民は、共に戦い、共に斃れた

占守島(北千島)
日本最北端の守備隊は、ソ連侵攻軍といかに戦ったか
  ソ連軍の終戦後侵攻に徹底抗戦
  戦跡巡拝は平成2年から

シベリア抑留
6万余の死亡者は、いま 極東シベリア墓参報告
     (高橋大造・「ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会」代表)
  シベリア日本人墓地
  8回の墓参、22ヵ所の「鎮魂の墓標」
  シベリア抑留とは何だったのか
  人為的に破壊された墓地
  湿地帯と化した埋葬地
  山火事に焼きつくされて
  自然林の中に50年
  日本人墓地は何を語りつづけるか

【コラム】
戦没者は320万人 『援護50年史』より①

第2部 私の慰霊の旅

57年目のガダルカナル
     (阿部輝郎・ジャーナリスト)
  連隊の命日にガ島巡拝
  顔も知らないお父さんへ
  補給限界線を超えた悲惨な戦場
  日本人の心を理解するガ島の人々

陸士同期の戦没地で思う
     (桑原 嶽・元陸軍少佐・陸上自衛隊陸将補・戦史研究家)
  同期生と全将兵の合同慰霊祭
  一木支隊の樋口勇作君の慰霊
  第2師団総攻撃、佐藤武君の慰霊
  ムカデ高地・川口支隊の奮戦
  見晴台に散った若林東一君の慰霊
  マタニカウ河口、児島高文君の慰霊
  中隊全滅、間島丹治君の慰霊
  タサファロング岬、日下弘之君の慰霊
  マタニカウ川右岸高地から戦場を望む

アッツ島ホルツ湾巡拝記
     (山崎保之・アッツ島守備隊長山崎保代大佐・遺族)
  まえがき
  先発班とその顔触れ
  分岐点への道
  荒井峠への雪道
  荒井峠を下り小野川へ
  小野川の橋
  未知の道を行く
  三上川を渡る
  一休みして芝台へ
  帰り道
  あとがき

ニューギニア鎮魂の行(みち)
     (佐藤健一・長野県ニューギニア会現地慰霊巡拝派遣参加遺族)
  少年航空兵を志願した弟
  戦没地は西部ニューギニアのゲニム?
  まずは東部ニューギニア慰霊巡拝へ
  次々と戦跡を慰霊巡拝
  1年後、西部ニューギニアへ巡拝
  整った慰霊所、住民の親切
  パプア人の“しあわせ”を思う
  戦後日本の平和と繁栄を思う

玉砕の島で再会した2人の生還兵
     (平塚柾緒・太平洋戦争研究会)
  50年目の慰霊に訪れた元少尉
  記念式典会場で再会した2人の将校
  死闘の末に捕虜になった藤井少尉

戦友の玉砕地に身を置いて
     (市原義一・元野戦重砲兵第8連隊所属・野重九戦友会世話人)
  第1回は娘との二人旅
  懐かしの十五榴弾砲があった!
  戦友会の一員として
  所属中隊の玉砕地を発見
  黒木大隊はいかに戦ったか
  三たびサイパンへ
  慰霊祭は生と死の乖離を埋める

遥かなり、インパールの地よ
     (磯部卓男・ビルマ派遣第33師団・歩兵第215連隊歩兵隊隊長)
  ビルマ戦、連隊作戦行動の概要と損害
  慰霊巡拝は日本の美しき伝統
  最初のビルマ戦跡巡拝団
  トンザン、シンゲル地域の戦跡巡拝
  シンゲルの激戦
  撤退時のトンザン戦闘
  笹原連隊長の戦死
  トンザン、シンゲル最後の慰霊巡拝団

慟哭の環礁
     (田中喜作・元755海軍航空隊一式陸上攻撃機操縦員・石川県海軍甲飛会会長)
  友よ、再びミレー島にやって来ました
  脅威だった米軍の電波探知機の威力
  ウェーキ島で知った米軍の物量と機械力
  食糧が底をつき革製品まで食用に
  タラワ、マキン、ミレー島へ米軍が来襲
  エンジンが停止しミレー島に不時着
  生き残った者が負い続ける心の重荷

クラーク基地と硫黄島への旅
     (根本正良・硫黄島協会前副会長)
  私が足印した戦跡
  運命のルソン島クラーク基地
  クラーク基地で何があったか
  思いがけず目にした「特攻」記念碑
  私と硫黄島との因縁
  硫黄島慰霊巡拝はこうして始まった
  亡き戦友が遺骨の在処を教える
  日米の慰霊、貴乃花・曙も鎮魂土俵入り

硫黄島守備隊の奮戦と“和解”
     (栗林太郎・小笠原兵団長栗林忠道大将・遺族)
  硫黄島で惹起いた日米戦
  40年目の「日米再会」
  硫黄島で、そしてアメリカで
  “アメリカとは戦争はしたくない”
  私の父の写真を飾る元海兵隊員

ソ連の非道とパラオの友好
     (名越二荒之助・高千穂商科大学元教授・文学博士(アメリカ))
  加害面だけを論議する日本人
  ソ連侵攻による日本人の死者
  墓地があるのはわずか4千
  英霊は荒野に何を思う
  パラオに生きる日本の心
  パラオの国旗は「月章旗」
  1万2千名の玉砕による留魂
  ニミッツ元帥の詩碑建立

戦艦「大和」探索日記
     (三笠逸男・元戦艦「大和」乗組員)
  第1次「大和」探索 昭和55年7月
  第2次「大和」探索 昭和56年4月
  第3次「大和」探索 昭和57年5月
  海の墓標委員会「大和」探索 昭和60年7月

  戦艦「大和」の探索と慰霊

【コラム】
政府派遣戦跡巡拝団 『援護50年史』より②

第3部 慰霊の奥に見えるもの

知覧の特攻慰霊
     (松元 正・知覧特攻平和会館館長)
  陸軍特攻隊の出撃基地・知覧
  特攻平和観音堂がスタート
  遺族・関係者等入館者のこと
  一般入館者のこと~寄せ書き帳より
  教育旅行・修学旅行のこと
  最後に

「無言館」補記
     (窪島誠一郎・無言館館主)

昨日の敵は今日の友
     (吉野秀一郎・全ビルマ戦友団体連絡会議及びビルマ英霊顕彰会副会長)
  英国における反日感情
  日英戦友会交流の始まり
  烈師団有志による訪英(第1次)
  ビルマ英霊顕彰会有志の訪英(第2次)
  元英国軍人の訪日(第1次)
  第2、第3次訪日団
  ビルマ作戦同志会(BCFG)の設立
  第4次訪日団の来日
  笹川財団第2次訪英団の派遣
  第5次訪日団の来日
  ビルマでの日英合同慰霊巡拝
  英国在郷軍人会との交流
  これから

第二の故郷、フィリピン
     (中村正義・元第341海軍航空隊・紫電戦闘機整備士官)
  過酷な戦場・クラーク地区
  クラーク地区で戦った建武集団
  米軍、建武集団を撃破しマニラへ
  最前線で陣地死守、中隊大部を失う
  銃を天に向けて打て、敵を殺すな
  故郷・会津若松に帰還
  遺骨収集の案内役として
  50回を超えた訪比、親しく語らう

沖縄の6月23日
     (諸見里道浩・沖縄タイムス記者)
  収骨から始まった慰霊
  戦没青少年をあざむくなかれ
  慰霊の日の存続問題
  戦後50年に「平和の礎(いしじ)」建立
  「礎」除幕式と在日韓国人の痛烈な批判
  「平和への原点」

巻末企画

政府建立の戦跡慰霊碑総覧
     (太平洋戦争研究会)
硫黄島戦没者の碑
比島戦没者の碑
中部太平洋戦没者の碑

  戦没者慰霊碑1 「戦没日本人の碑」設置状況
  戦没者慰霊碑2 戦没者慰霊碑等建立状況

南太平洋戦没者の碑
ビルマ平和記念碑
ニューギニア戦没者の碑
ボルネオ戦没者の碑
東太平洋戦没者の碑
西太平洋戦没者の碑
北太平洋戦没者の碑
第二次世界大戦慰霊碑
インド平和記念碑
ソ連等抑留中死亡者の慰霊碑
樺太・千島戦没者慰霊碑
沖縄戦没者墓苑


新型コロナ禍のおかげで、海外への戦跡訪問・慰霊巡拝どころか、どこにも行けないので・・・
こうなったら、他人の“記録”でも読んで楽しもうかと思い本書を購入した。
1998年に発行された本なので、かなり古いし、現地の様子も変わってしまっているだろうとは思うけけど・・・
私が行ったことのない戦跡などの記事や写真は興味深い。
特にアッツ島などの記事は、行くチャンスなんて絶対来ないだろうから、貴重な記録である。
また、自分が行ったことのある戦跡は、やっぱり懐かしかった。


今年の読書:42冊目

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読書 | 00:59:53 | Comments(0)
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