FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

『国民の道徳』


はじめに―なぜ道徳について語らざるをえないのか

用語解説

1章 歴史
     道徳の歴史と日本の国柄

1 「江戸」以前の道徳
     道徳は宗教と思想を伴う
     神道と他宗教との融合
     神道は日本人の精神に定着しているのか
     仏教は国家的権威になった
     鎌倉仏教は日本人の精神革命
     儒学と道徳のつながり
     「国学」、「陽明学」、「洋学」そして「実学」
     日本的精神の特質―雑種性と包括性
2 「明治」以降の道徳
     神儒仏習合に分裂が生じた
     「文明開化」への信と疑
     「日本の立場」が主張されはじめた
     教育勅語の意味
     思想の拡散が進んだ
     近代日本人の「自我探し」
     近代日本の「国民性探し」
     そしてアメリカがやってきた
3 日本は本当はヨコ社会である
     日本批判を誘発するタテ社会論
     日本は平等社会である
     日本の組織は共有の道徳に支えられている
     集団主義と個人主義の、それぞれの二面性
     日本の集団主義には伸縮性がある
     日本の個人主義は「間柄」を重んじる
     日本が外圧に弱い理由
     モラトリアムからいかに脱却するか

2章 戦後
     敗戦日本人の道徳に何がおこったか

4 天皇は「聖と俗」の境界に立っている
     天皇の本質は「最高位の神主」
     無宗教の儀式は最悪の儀式
     国家儀式は最古かつ最長の歴史を持つ神道を
     政治と宗教は根本ではつながっている
     靖国神社に参るのは道徳的義務
     天皇と国旗・国歌は別次元の国家象徴
     日本人の時間意識を構成する天皇制
5 戦争責任をめぐる道徳論の歪み
     心情倫理と結果責任
     結果責任論の危険
     国内法的にも国際法的にも天皇に責任なし
     天皇に政治的責任なし
     天皇の道徳的責任を問うてみれば
     東京裁判を「みせしめ」と認定できない戦後日本人
6 祖国のために戦うということ
     死をめぐる私徳と公徳
     戦争についての思考停止が平和主義
     憲法9条の第1項と第2項の解釈をめぐって
     紛争と戦争の区別すらが曖昧である
     国防の義務における「私心」と「公心」
     国家を愛することも国家のために戦うことも、道徳の「冷静」な発露
7 「民主」憲法の不道徳
     欽定でも民定でもない「米定」憲法
     憲法では「丸裸の個人」が想定されているだけ
     第1条と第2条で、天皇の伝統性を図らずも確認した
     憲法は「政府から国民を守る」ためのものなのか
     「国民」をつくるための教育義務
     常識・良識から遊離した条文に機能停止の宣告を
8 米ソの歴史軽視に擦り寄った戦後知識人
     欧米的な価値基準でみた日本の成功
     平成改革の基本線はアメリカニズム
     ソ連とアメリカは歴史軽視の「二卵性双生児」
     西欧近代は個人主義と集団主義に引き裂かれていた
     相互的個人主義と伸縮的集団主義の強さと弱さ
     戦後知識人のひよわさ

3章 政治
     道徳を傷つけた「アメリカ的なるもの」

9 個人の「何が」尊厳に値するのか
     道徳について考えなくてよい人間観
     「他者に迷惑をかけない」援助交際は容認される?
     個人の尊厳はどこからきたのか
     敗戦の虚無感が「人間の尊厳」にすがりつかせた
     ヒューマニズムは人間の傲慢な自己礼賛
     「人間の悪魔性」を感じとれない鈍感の罪
     「個人性と集団性」そして「私人性と公人性」
     「人間の尊厳」は「人格、規律、帰属、利己」の葛藤と平衡から生まれる
10 自由が道徳を破壊する
     自由と道徳は表裏一体
     自由な行為が秩序を破壊している
     人間の理性的能力も歴史的なもの
     道徳の基準は歴史・慣習・伝統によって示されている
     道徳における言語活動の大切さ
11 道徳を砕く進歩の歯車
     「進歩は良きこと」は根拠薄弱
     進歩主義が世界を動揺させている
     変化を選ぶ際の価値判断が道徳の体系である
     進歩主義の不道徳
     本当の進歩は「革命」ではなく「温故知新」から
     キリスト教の単線的な進歩史観
     歴史の英知を忘れた自由民主主義
     道徳を求めてこその良識
12 自由の虚妄、平等の欺瞞、博愛の偽善
     理想の標語だけが流通しつづける
     自由と規制、平等と格差そして博愛と競合
     最大の価値は精神の平衡を保つこと
     伝統は精神のダイナミズムを含んでいる
     伝統を過去から未来へどう伝えるか
     「平凡」の奥底に非凡な英知が蓄えられている
13 マスメディアが第一権力を掌握した
     日本における民主主義
     民主主義における「民」とは何か
     アメリカン・デモクラシーの限界
     多数派の欲望がいじめに、少数者の欲望が反逆に
     マスメディアは第一権力にほかならない
     個人の自由と技術の合理が道徳を無に帰した
14 権威を足蹴にする大衆人
     大衆とは「多くの普通の人々」のことではない
     政治階級としての大衆が独裁者を歓迎した
     古い権威に反逆し、新しい権威を偽装する人々
     疑似知識人と疑似大衆人の連携
     大衆は直接民主制を好む
     知識人の大衆化が最大のスキャンダル
15 健全なナショナリズムが指導者の条件
     政治家までがITに振り回される
     快楽主義の逆説
     決断力を支える説得力
     不確実性を軽んじてきた保守主義
     インターネット時代だからこそ保守思想
     「数量の支配」は永続しない
     ナショナリズムの土台をなす公平性
     ナショナル・ミニマムを的確に表現していくのがリーダーの説得力
     大衆社会から公民社会への脱出口

4章 文化
     道徳の本質を考える

16 伝統の本質は平衡感覚にあり
     西欧近代の現実
     伝統は平衡感覚としての「精神の形」
     人間精神の垂直運動と水平運動
     「あそび」の小児病化
17 「公と私」のドラマが国家意識を産み出す
     国民性と人民性
     国民性において国語が重要な位置を占めている
     「公」は人間性に内在している
     公務は国民性に奉じるもの
     「皮膚」としての国家
     「共同の物語」としての国家
18 歴史の良識こそ国民のルールである
     既存の道徳体系を打ち壊した基本的人権
     国民のルールは歴史のなかに自生する
     法律の基礎は道徳にあり、道徳の基礎は伝統にあり
     新奇な犯罪の多くは人権主義の帰結
     徳律は生活のなかで伝えられる実際知
     法律の制裁規定は道徳にもとづく
     道徳を破壊する道徳、それが人権主義
19 徳育のための知育―国語・歴史・古典的な道徳を学ぶ
     近現代は道徳・倫理を足蹴にした
     表現の源泉は個性なのか伝統なのか
     過去志向と未来志向のあいだの平衡感覚
     道徳教育のなかの徳義と徳目
     徳育なければ知育なし
     大事なのは教師の人格を陰に陽に表現すること
     国語、歴史そして古典的な道徳を学びたい
     保守思想が徳育を支える
     「革命」思想を教えてきた戦後教育

5章 経済
     道徳なきグローバリズム

20 地球市民という幻影
     国家からの独立を強める「地球市民」
     グローバリズムという大いなる誤認
     「世界化」はアンチ・ナショナリズムのための誇大宣伝
     「世界化」は単なる高度国際化ではないのか
     グローバリズムは価値の一様化を招来する
     国家は乗り超え不能である
     敗戦のトラウマによって国家という言葉にすら嫌悪感を抱いた
     「私民」という空無な存在
     国家は歴史に根差す感情共同体
     地球市民の地球政府という空箱
21 国家の不在が「市場の失敗」を作り出す
     市場原理主義は政治的詐術
     市場の失敗は「国家の失敗」にほかならない
     「確信の危機」
     ステイト・キャピタリズムの両雄―アメリカと中国
     日本の唯一の資源、「組織化能力」
     日本人は政官財知の協調を忘れてしまったのか
22 組織は道徳に支えられる
     組織は不確実性にたいする準備
     組織が不確実性への防波堤
     組織は道徳によって支えられている
     所有者と経営者の権力争い
     組織のないところでは、道徳は私徳に還元される
     サイバー・スペースに亀裂が入る
23 技術が環境に襲いかかる
     文明が文化を駆逐する
     「文明の没落」を予感させるアメリカニズム
     人間精神の単純化が自然破壊をもたらした
     環境破壊は現代文明の落とし穴
     環境に襲いかかる人間の「破壊性」
     文明への抗議を精神的本能として表明する

6章 社会
     我々は道徳を取り戻せるのか

24 「豊かな社会」の貧しさ
     豊かな社会の病理を認識しなかった日本人
     アメリカ文明の上澄み液だけを輸入した日本
     市場は単純な私的欲望しか処理できない
     市場を支える「インフラ8柱」
     市場活力は国益抜きには考えられない
     ナショナル・インフラの崩壊が道徳を衰退させる
25 「物神」に憑かれた欲望
     消費者の欲望は自発的なものなのか
     欲望の多側面
     生産者と消費者の共同イメージのなかに道徳がある
     賃金は勤労という苦痛の対価ではない
     慣習が賃金決定の主因
     フリーターからは勤労者の道徳がみえてこない
26 輿論(よろん)の道徳、世論(よろん)の不道徳
     現代社会は何をもって徳律としているのか
     ポリティカリー・コレクトは多数者の支持によって成り立つ
     大衆迎合的なPCがアメリカの価値観の最後の拠り所
     「無党派」を肯定することの愚かしさ
     「輿論」にあって「世論」にないもの
     差別語を過剰に禁止すると、博愛が偽善に陥る
     差別語はつかい方によって道徳心を喚起する
     社会に品位を与えてきたノーブレス・オブリージュ
27 「恥の文化」を壊す大衆社会
     大衆は大衆でないものを嫌う
     売春や殺人までをも自由とよぶ「恥なき世間」
     日本人にも「罪の文化」があった
     武士道の宗教性
     『葉隠』における死のすすめと生のすすめ
     「世間体を気にするなという世間体」は道徳否定
     ヨーロッパは大衆化にたいする防波堤を築こうとしていた
28 春を売るなかれ、人を殺すなかれ
     他人に迷惑をかけないかぎり何をやってもいいのか
     人はなぜ人を殺してはいけないのか
     少年法の適用年限が下げられないのはヒューマニズムのせい
     両親の義務は子供に公徳を躾ること
29 家庭は社交場である―親が子に伝えるべきこと
     家族制度にたいする攻撃
     家族の4つの機能
     父性と母性の役割分担
     夫婦別姓は子供の躾を駄目にする
     主婦の仕事は家族をめぐる社交のアート
     家族は社会の縮図である
     夫婦における死の共感
     家庭内コミュニケーションの変幻自在ぶり
     家庭を引き受けられないものは何事も引き受けられない
     家庭は社会からの逃避先ではない
30 地域社会は道徳の訓練場である
     人々の生き方と深く関係している都市・田園
     コミュニティ環境の破壊が「恐るべき子供たち」を生んだ
     都市の構造が公共的イメージを反映する
     コミュニティ作りに住民の道徳観が現れてくる
     歴史なきローカリズムは道徳を破壊する
     「住民とは何か」を問わない住民運動はエゴである
31 死生観が道徳を鍛える
     生命至上主義について
     死の不安・恐怖への対処法は死について語りあうこと
     安楽死・尊厳死という呼び方に対する疑問
     死の選択は生の選択にほかならない
     死の選択にかんする心の準備を繰り返すこと
     臓器移植をめぐるヒューマニズムの間違い
     死における人間の根源的平等
     生命至上主義がニヒリズムを蔓延させる

おわりに


本書は、今は亡き伯父から亡くなる直前にプレゼントされた本である。
伯父は平成15年に亡くなったので・・・16年以上も本棚に鎮座していた本である。
実は、あまりにも分厚くて読む気が起きず放置していたのである。(大汗)

現在の新型コロナ感染症の騒ぎのおかげか、ようやく“その気”が起きたので読むことにした。
著者の西部さんという方をよく知らない。
BSテレビか何かでチラリと見かけただけである。
その時、あまり話の上手な方ではなかったような印象が残っている。
本書を読んでみて、この方の考えが分かった。
言い回しが、少し難しいところも多々あるが、言っている内容は、非常に共感できる。
なるほどねぇ~・・・・である。

この分厚い内容の中で、私の印象に残ったのは・・・

『(~略~)勤勉な人間と怠惰な人間、高潔な人間と下賤な人間などがいる。最大多数をはじき出すといっても、人々の社会的重要度の位置づけはどうするのだということになる。そこに民主主義という名の平等主義を持ち込んで各人のウェイトを同じにするというのは、尊厳性における人間の平等、という証明されざる命題を持ち出しているにすぎない。(~略~)』

『(~略~)民衆は、投票場以外の場では公の当事者ではないと構えることが多い。公の決定にたいして不平不満だけをぶつけるものたちの政治をさして一般にオクロクラシー(衆愚政治)とよぶ。衆愚政治に堕ちたくなければ、民衆政治は、民衆のそれぞれが自分の公人性にもとづいて議論し決定するということでなければならない。(~略~)』

『(~略~)世論調査で、「自分たちの国家が危機に瀕したときに戦うか」という質問事項にたいして、ほとんどの国の青年たちが70%から90%の割合で「戦う」と答える。ところが日本の青年たちの場合は、まさしく人類の珍種ででもあるかのように、「戦う」と答えるものが10%台にとどまっている。つまり、国家への愛着を表明することは非であり、それからの離反を表明することが是である、と戦後日本人は思っているわけだ。(~略~)』

『(~略~)男女の偶然に発する長期的接触の場は、人生一般にともなう偶然の危険・危機にいかに立ち向かうか、ということのための最大の訓練場だといえる。男女関係において責任をとれないような人間は、おそらく職業上の危機にたいしても責任をとれないであろうし、ましてや国家の危機に際して責任をとれるはずがない。(~略~)婚姻関係が乱れているということは、現代人の危険・危機にたいする対応能力が弱くなり危険・危機への対応を福祉政策や安全保障条約といった社会システムにすべて委ねようとしていることと密接につながっている。現代人の危険・危機にたいする無能力および無責任が、はしなくも婚姻制度への軽侮として現れているのではないか。』

などなど・・・「道徳とは何ぞや」ということがストレートに書かれているわけではない。

残念ながら著者は平成30年(2018年)1月に多摩川で入水自殺をした。(78歳)
本書は平成12年に初版発行された本で、亡くなる18年も前に書かれたものだが、著者の「自殺」に関しての考え方、見方によっては18年後を予言するようなことが書かれていた。

『(~略~)思想的に一貫せる唯一の死に方は、シンプル・デス(単純死)、つまり簡便な自死を選ぶことである。自分が精神的存在としてもう活動できない、あるいはそれ以上活動すると自分のあるべきと思う精神の在り方を裏切る、という単純なことがありありと見通せたとき、そのときには自死を選ぶしかない。簡単にいうと、精神が死んだときには人間も死んでいるとみなし、そこでなお生き延びようとすると、自分の生命を目的なき手段に貶めることだ、と考えることである。しかもそのように自己を貶めることは社会全体に、とくに自分の周囲に、負担を強いることである。それは人間の精神にとって認め難いことである。(~略~)』

まるで遺書である・・・・

著者が自殺したとき、ほんの一瞬、騒然となったが、その後、マスコミは積極的に取り上げていなかったような記憶がある。
この人が、“保守派”だったからだろうか?
左翼もしくは左翼的マスコミから見ると、取り上げるほどのものでも、論じるほどのものでもないということか?
こういう「自殺」は、道徳的には、どうなんだろう?
本人は体が不自由になっていたらしく、熱烈なる支持者2人の手を借りて自殺したらしい。
そのため、この2人は「自殺ほう助」ということで罪に問われた。
このように他人を巻き込んでの自殺というのは道徳的にどうなのだろうか?
これらのことに何も言わないとなると、まさしく左翼には「道徳心」というものがないということになりはしないだろうか?
「道徳」を語れない、または「道徳心」がないことこそが「左翼」なのかも・・・・・
この“自分の始末のつけ方”が著者に対する評価を下げてしまったような気がしてならない。
私の感覚から言うと、まるで自己中の「左翼」の死に方にしか見えないのである。
残念である・・・

分厚い本なので、最後まで読み切ることができるかと不安だったが・・・
意外にもスムーズに読み進めることができ、無事に読み切ることができた。
著者の論法に無理や無茶がなかったからだろうと思う。
自殺の件は別として良い本だった。


今年の読書:24冊目

スポンサーサイト





読書 | 23:26:00 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する