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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『秘録 宇垣一成』


   八十八叟 美土路 昌一

第1部 宇垣一成組閣に失敗

第1章 宇垣内閣の流産
 組閣の大命降下
 宇垣日記による組閣経過の概要
   出馬の決意
   御召に接し大命を拝して組閣に着手す
 宇垣と石原莞爾の大勝負
 宇垣の組閣難航す
 組閣大命拝辞の真相
 宇垣日記による軍の動きと拝辞後の感想
   寺内陸相、杉山教育総監、小磯の態度
   大命を拝辞す
   何故陸軍が騒いだか
   陸軍大将辞任の問題
   組閣失敗後の感想
   佐藤賢了氏の記録「大東亜戦争回想録」より
   荒木貞夫氏の証言(内閣流産前後の事情)
   橋本欣五郎氏の謎の一言
 陸軍はなぜに宇垣を排斥したのか
   石原千慮の一矢
 石原大佐の宇垣内閣反対意見に対する筆者の見解
 むすび

第2章 軍部大臣選任難の由来
        (藩閥、軍部、政党の抗争)
 軍部大臣現役制の経緯
   隈板内閣の軍部大臣選任難と「優詔問題」
   陸相後任難による第二次西園寺内閣の倒壊
     (2個師団増設問題、宇垣は当時軍事課長)
   第三次桂内閣の海相選任難と政党の倒閣
   軍部大臣任用範囲の拡大と2個師団増設
     (怪文書による宇垣の転出と再度の軍事課長)
   海相選任難のため清浦内閣の流産
   原内閣の軍部大臣選任難
   二・二六事件後の軍部大臣現役将官制の復活
     (翌年、宇垣内閣の流産)
 宇垣の組閣失敗の誘因と見られる事項

第3章 宇垣軍縮の真意義
 世界の軍縮への傾斜
 宇垣軍縮の真相
   山梨陸相による軍縮
   宇垣の軍縮対策
 宇垣軍縮の内容
   澄田■四郎氏(24、軍司令官、中将)の軍縮感
   佐藤賢了著「大東亜戦争回想録」より
   伊藤正徳著「軍閥興亡史」より
   陸軍省の官制改正
 将校の補充源
   将校補充に関するドイツおよび日本の実例
   少尉候補者制度
 部隊の廃止、将校整理の反響
   中岡弥高(13、中将)の談
   宇垣の将校整理に関する感想
 現役将校の学校配属と青年訓練
   宇垣莞爾氏(宇垣の長兄の次男、海軍中将)の談
 宇垣の将校整理対策
   伊藤正徳氏の学校教練評
 荒木の「宇垣軍縮」に対する批判
 むすび

第4章 三月事件と宇垣
 三月事件の時代背景と概貌
   昭和5年頃の日本の状態
   内政か、外政か
   朝倉文夫氏の宅
   第二部長室
   赤坂料亭の一夜
   無産党の議会闖入
   三月事件の計画概要
 宇垣と大川周明との出合い
 当時の小磯軍務局長の立場
   伊藤正徳著「軍閥興亡史」より
 永田軍事課長のメモ
   菅原裕著「相沢事件の真相」より
 山脇正隆氏の証言
   いわゆる三月事件についての片々
 鈴木貞一氏の証言
 荒木貞夫氏の証言
 「宇垣日記」による事件の真相
   少壮軍人の奮起と大川周明の企図
   第二回デモと小磯、大川の話し合い
   「宇垣変心説」と暗殺計画
   宇垣宛大川周明お書翰(宇垣日記より)
 むすび
 有識者の三月事件についての感想
   美土路昌一氏の談
   伊藤正徳氏「軍閥興亡史」より
   若松只一氏の談
   稲田正純氏の談
   飯村穣氏の談

第5章 軍の統帥(特に人事)と陸海軍備に関する宇垣の理念
 軍の最高統帥
 陸海統帥系統の推移
   陸海軍の任務区分
 主として陸海両軍備の調整について
   大艦巨砲主義
 人事
   田中義一首相評(昭和2年7月1日)
   荒木貞夫、林銑十郎及び川島義之の三陸相評(昭和7年)
   人事(閥)に関する毒舌(教育総監部本部長当時)
   貴族院議員大井成元大将評
   真崎大将評(昭和12年8月27日)
   宇垣の「責任感念」観
   由比大将の退職は遺憾
   上原元帥評
   進級の問題
   皇道派と統制派
   今村の宇垣観
   高級将校の行賞は意外

第6章 宇垣と派閥ならびに政治性
 薩長閥との関係
 陸軍大臣就任の経緯
 薩長に対する非難
   上原元帥の宇垣に対する派閥観
 宇垣の政治性

第2部 外相として真価を発揮した日支和平工作
     ―孔祥熙行政院長との長崎会談の構想―

第1章 宇垣外相の日支和平工作
 知られざる宇垣、孔秘密会談
 (当時香港総領事中村豊一氏の記録)
   千載一遇のチャンスを逃がす
 石射猪太郎氏の記録
   宇垣外相の登場
   宇垣外相の和平工作
   外務省革新事務官グループ
   対華中央機関、宇垣外相の辞職
 甲斐文比古氏の証言

第2章 宇垣外相の和平工作についての諸見解
 宇垣の和平工作崩さる(「軍閥興亡史」より)
   「相手にせず」の改訂
   ひそかに和平の予備会談
   「満洲国」問題で“なし崩し解決策”を示唆
   「相手とする」新方針
   長崎会談に水を差す
   交渉の行手に「興亜院」
   孤剣折れて宇垣退く、和平会談を打崩す近衛声明
   両政府、最後の機会を失う
 稲田正純氏(29、陸軍中将、当時の参本作戦課長)の宇垣外相観
   筆者の対稲田氏所見
 佐藤賢了氏(29、陸軍中将、当時の報道部長、後の軍務局長)の証言
 田中新一氏(25、陸軍中将、当時陸軍省軍事課長、後に開戦当時の参本作戦部長)の証言
   北支事変突発当時、不拡大か一撃かの方針
   日支和平問題
   「国民党政府を相手にせず」の声明
   宇垣外相辞任に対する観察
 むすび
   興亜院問題に関する筆者の思い出
   外国人による近衛公の評価
 宇垣外相の辞職
 宇垣日記から見られる日支和平問題
   宇垣外相と、英、米大使との接触
   「蒋政権を相手にせず」の声明について
   宇垣の和平準備工作
   時局収拾の方針(私案)
   陸軍首脳部との交流
 宇垣日記その他に見られる外相辞任問題
   宇垣・木村氏の問答
   外相辞任に際し、首相への進言
   橋本龍伍氏の宇垣外相観

第3章 人間・宇垣一成

第1章 宇垣一成の人間性
 宇垣に対する人物評
   矢吹一夫氏の宇垣観
   馬場恒吾氏の宇垣評
   田中新一氏の宇垣観
   小林省三郎氏、宇垣観の変遷
   中野正剛氏の宇垣に対する観念
   今村均氏お宇垣観
   宇垣評に対する宇垣の論評
 宇垣の情義
   家族、肉親等に対する情愛
   荒木氏の感想
 一成叔父の憶い出
   小便一滴
   机ぶとん
   よもぎもち
   釘と金槌
   一日1万歩
   先輩、旧部下、同僚、知友に対する人情
 宇垣の人相、健康、趣味
 宇垣の運勢とその最期
   宇垣翁の最期
 宇垣日記(随想録)の意義

第2章 宇垣の人生観と信仰
       生は有限に活き、死は無限に活く
   宇垣の人生観
   道徳、信仰、信念について
   武士道について
 宇垣の信仰
   宇垣と日蓮宗
   日蓮宗「不受不施派」
 日蓮宗「不受不施派」について
   宇垣不評の原因
   機密費の使用
 宇垣と儒教、とくに「陽明学」
   陽明学
 宇垣日記に散見する宇垣の信仰(宗教)

第4部 八十八年、宇垣の歩み

第1章 杢治少年の立志ならびに父祖兄弟
 両親と4人の兄
   両親
   4人の兄
   宇垣家の祖先

第2章 青年将校時代

第3章 第1回留学から日露戦役を経て第2回留学まで
 第1回ドイツ留学(自明治35年9月 至 同37年4月)
   編制定員の問題について
 日露戦争
   北韓に出征
   満洲に転進
 第2回ドイツ留学(自明治39年2月 至41年2月)

第4章 中堅将校時代
 教育総監部課員、課長(自明治41年12月 至 同44年9月)
 教育総監部第1課長宇垣中佐
          故林桂氏(13、後の教育総監部本部長)遺稿
 第1回軍事課長(自明治44年9月 至大正2年8月)
 歩兵第6連隊長(名古屋)(自大正2年8月 至 同4年1月)
   宇垣連隊長を偲ぶ―当時の新任少尉 安井繁礼氏(26)
   中村明人氏(23)連隊旗手時代の回想
 第2回軍事課長(自大正4年1月25日 至 同8月10日)

第5章 将官として教育、軍令、軍政の」の要職に歴任すること9年、陸相として登場するまで
 陸軍歩兵学校長(自大正4年8月 至 5年3月)
 参謀本部第1部長、総務部長(自大正5年3月 至 同8年4月)
   宇垣将軍の雄図
 陸軍大学校長(自大正8年4月 至 同10年3月)
 第10師団長(姫路)(自大正10年3月 至 同11年5月)
   宇垣師団長の片影 稲田正純氏の回顧談
教育総監部本部長(自大正11年5月 至 同12年10月)
   現今の農村問題
   文官大臣出現の暁における現役軍人の立場について
   遷都論
   震災についての陸軍の三大失策
 陸軍次官(自大正12年10月 至 同13年1月)

第6章 五度、陸相を歴任
 清浦内閣の大臣時代
   清浦内閣の成立と宇垣の入閣
   半歳未満、清浦内閣の総辞職
 第一次、第二次加藤内閣の大臣時代
   三派連立の第一次加藤内閣
   第二次加藤(憲政会)内閣
 第一次若槻内閣の大臣時代
   軍籍関係議員の会食
   若槻内閣の倒壊
 田中内閣時代(宇垣は軍事参議官)
   田中内閣の成立と宇垣の入閣拒否
   宇垣の特別大演習軍司令官と特命検閲使
   満洲某重大事件と田中内閣の総辞職
 浜口内閣の大臣時代
   浜口内閣の成立と宇垣の入閣
   宇垣の中耳炎と阿部次官の陸相代理
 浜口首相の遭難から総辞職まで
   若槻内閣の成立と宇垣の留任辞退、依願予備役
 宇垣が陸相として残した一大足跡
   必任義務兵の待遇改善

第7章 朝鮮統治の6年

第8章 宇垣内閣の流産後から参議、外務大臣まで
 宇垣内閣流産後の時の動き
 支那事変突発当時の宇垣日記
   日支交渉の私案(未定稿、7月29日)
 参議制の確立と宇垣就任の経緯
 参議会の模様
   宣伝の要について
 外務大臣就任の経緯

第9章 外務大臣辞任から終戦まで
 外務大臣辞任後約3年間の宇垣日記より
 大東亜戦争開始前の宇垣日記より
   東条内閣の出現
 大東亜戦争開始当初の宇垣日記より
 昭和19年秋の支那旅行
 長年にわたる宇垣の大陸政策と日中親善
   鈴木貞一氏(22、企画院総裁、国務大臣)の証言
   日中親善について
 大東亜戦争末期の宇垣日記より
   ソ連、日本を侵略国と呼ぶ
   米空軍の神経戦
   本土決戦態勢の整備

第10章 終戦後の宇垣
 終戦直後の宇垣日記より
 栄典拝辞お上奏
   宇垣の上奏文
   下村陸軍大臣の上奏文
 戦争裁判について
   高松芳三氏(白鶴不動産代表取締役)の証言
   追放令について
   憲法改正について
   朝鮮半島に想いを馳せる
 28年4月の参議院選挙
 宇垣の戦争犠牲者慰霊援護に関する熱誠
   戦争犠牲者の援護と慰霊

あとがき

宇垣一成年譜
 (自1868〈明治元年〉 至1956〈昭和31年〉)


宇垣一成は著名な軍人なので、お名前は存じ上げていた。
なぜか、この人は同じ軍人仲間からは不評なのである。
それは、たぶん軍縮という大ナタを振るったせいだろう。
おかげで多数の軍人がクビを切られたわけだが・・・・
当時の国家予算の都合や国際情勢で、軍縮をすることはやむを得なかったと思うが・・・
軍縮を断行しながら、浮いた予算の一部で軍の装備等の近代化を図っているのだから、本当は感謝されてもいいと思う。
そのあたりが分からないというのは、いかに“近視眼的”な人達が多かったか・・・である。
今も昔も変わらないなという気がする。
戦後の活躍ぶりも知って驚いたが、残念ながら、あまり高く評価されないのは、軍縮の恨みが続いているせいなのか、宇垣本人の個性に問題があるのか・・・
それにしても、この人は軍人というだけではなく、政治家としての能力の高い人だったと思う。
本書が宇垣に好意的に描かれていることは当然だろうから、話半分としても、やっぱりすごい人だったと思う。
もっと評価されてしかるべきだと思う。


今年の読書:13冊目

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読書 | 23:51:28 | Comments(0)
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