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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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谷川士清反古塚
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津市指定史跡
谷川士清(ことすが)反古(ほご)塚 1基
所有者 谷川神社
江戸時代 昭和31年5月14日指定

谷川士清は『日本書紀通証』『和訓栞(わくんのしおり)』などを著し、本居宣長と並び称される江戸時代の国学者である。
八丁に住み医者を家業としていたが、むしろ国学の研究に一生をささげた。
晩年、谷川士清はその研究が後世に誤って伝えられることのないように、近くの古世子明神(現在の谷川神社)の境内に塚を築いて著書の草稿・断片などを埋め、みずから「反古塚」と名付けた。
碑の裏面に「何故爾砕伎志身曽登人問婆其礼等答牟日本玉之譬(なにゆえにくだきしみぞとひととはばそれとこたえむやまとだましい)」と自らの歌を刻んだ。
これは、自分は一生国学の研究に身をささげてきた、何も悔いることはない誇りとしている、と歌ったものである。
塚を築いたとき美しい玉虫が3日間続いて出たので、本居宣長をはじめ僧徳巌など知己(ちき)学友から、それを祝う歌などが寄せられたという。
それで別名を「玉虫塚」とも言われている。
後年この塚を修理した際に「たまむしつか」と彫った小さい石碑が見つかり、当神社に保存されている。

津市教育委員会

(説明板より)


【三重県津市押加部町7-31・谷川神社境内】



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史跡 | 17:19:01 | Comments(0)
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