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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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谷川士清旧宅
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国指定史跡
谷川士清(ことすが)旧宅

【谷川士清旧宅概要】
谷川士清旧宅は、津と伊賀を結ぶ旧街道(伊賀街道)沿いの八町にあります。
代々医を業とした谷川家はここに住んでいました。
建物の建築年代は、はっきりしていませんが、安永4年(1775)の銘がある瓦が残されています。
建物は、昭和33年市指定史跡に、同42年国指定史跡となり、同52年から54年にかけて解体復元工事を行い、現在津市教育委員会が管理し、一般に公開しています。

【国学者 谷川士清(1709~1776)】
谷川士清は、宝永6年(1709)2月26日、伊勢国安濃郡八町(現在の津市八町三丁目)で町医を営む谷川義章の長男として生まれました。
幼い頃から家業を継ぐために勉学に励み、享保15年(1730)頃からのおよそ5年間京都に遊学しました。
京都では、本草家松岡玄達から本草学・儒学などを学び、垂加神道を神道家松岡仲良に、ついで玉木正英に入門し神道許状を受けました。
医学は、医の宗家福井丹波守に学び医師免許を受け、本格的に学問を修めた後の享保20年(1735)8月、津に帰郷しました。
京都から帰った士清は、父の跡を継いで医者となり、地域・近郊の人々の信頼を受けていました。
医業のかたわら学問にも打込み、慕ってくる人々のために家塾「洞津谷川塾」を開き、また近隣に「森陰社」(振々霊社)という道場を設け、多くの人々を教えたと伝えられています。

門人には、頼山陽の祖父、頼惟清や宇佐八幡宮の宮司をはじめ、伊勢の蓬来尚賢・三重郡の橘守部の父、飯田元親・津藩士の七里勘十郎などがいて、現在も誓文や約盟書が残っています。
士清自身の研究による著作としては、『日本書紀』の注釈書の『日本書紀通証』35巻・わが国最初の本格的な五十音順国語辞典『和訓栞』93巻・考古学書『勾玉考』1巻・言語の語源を随筆風にまとめた『鋸屑譚』1巻などがあります。
しかし、大著『和訓栞』の出版にとりかかる矢先の、安永5年(1776)に不幸にも病のため亡くなってしまいました。

(リーフレットより抜粋)


【三重県津市八町3-9-18】

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史跡 | 16:29:21 | Comments(0)
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