FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

史跡めぐりして帰宅する
一夜明けて、今日は帰宅する日・・・
副会長二人は伊勢神宮を参拝してから帰宅するということで、早朝にチェックアウトした。
拙者は、別行動・・・(大笑)
いつものように史跡巡りをしながら帰宅することにする。

ホテルをチェックアウトして、向かったのは「谷川士清(ことすが)旧宅」である。
近鉄名古屋線の「津新町」駅で下車・・・
一昨日、津駅と間違えて降りてしまった駅である。(大笑)
ここからテクテクと歩いて向かう。

171_convert_20200204123723.jpg(谷川士清旧宅)

行ってみて、初めて知ったのだが・・・・(大汗)
この建物は国指定史跡なのだそうだ。

入館料は無料・・・
管理人が詳しく案内してくれた。(喜)
この建物が建っている場所の目の前の道は、昔の「伊賀街道」なのだそうだ。
昔は、お殿様の行列も通った道である。
当時のままの道幅なのかな?・・・・思ったより狭い道である。(当時は広い方だったかもしれないが)
周囲は閑静な住宅が並んでいるという感じ・・・
誰も歩いていない・・・(汗)
この建物は昭和52年に解体復原されたものだそうだが、国指定史跡のためだろうか・・・内部の写真撮影は禁止だそうだ。(涙)

この谷川士清さんは、もともとは医者だったそうだが・・・・
有名な著書は『日本書紀通証』という『日本書紀』の全巻の最初の注釈書・・・
20数年かけて研究を続けて著わしたそうだ。
もうひとつが『和訓栞』という本。
これは五十音順の国語辞典で全93巻・・・・
これまた日本最初の本格的な国語辞典である。
この本は生前に完成できず、子孫によって受け継がれ明治20年頃になって、ようやく93巻が完成したらしい。
特徴は五十音順・・・
現在の国語辞典が五十音順なのは谷川士清のおかげである。
医者なんだけど国学者・・・しかも、すごい国学者だと思うのだが、残念ながら松坂の本居宣長のほうが有名なのである。
国学者としては賀茂真淵とか平田篤胤とかも有名なのだが・・・
谷川士清の名を聞くことはまずない・・・・誰も知らないと言っていいかも・・・
何でだろう?
本居宣長より21歳も年上なんだけど・・・・大先輩なんだけど・・・
もっと有名になってもおかしくはないと思うのだが・・・・

我が郷土の偉人・長久保赤水(せきすい)と同じかも‥‥
長久保赤水は、伊能忠敬が日本地図を作製する約50年前に緯度経度線の入った日本地図を描き、明治時代まで一般人にも愛用されるという地図を作ったにもかかわらず、なぜか伊能忠敬の方が有名なのである。(涙)
何でだろう?・・・・世の中とはそういうものかも・・・(汗)
本当にすごい人は、あまりチヤホヤされないのかも・・・(苦笑)
(本居宣長や伊能忠敬は、大した人物ではないというわけではないのですが・・・)
だから、こういう隠れた偉人に出会うのが楽しい。

我が水戸藩に関係するところでは・・・
徳川光圀の『大日本史』の中の記述に間違いがあることを指摘した本を著している。
本人は、間違ったことが後世に伝わってしまうのはいけないということで、親切心で指摘したのだろうが、問題になってしまった様で・・・(苦笑)
領国から出ることを禁じられたらしい。
何だかんだと、いろんな話を伺い、大いに楽しめた。(喜)

続いて向かったのは、この近くにある谷川士清の墓・・・

176_convert_20200204143608.jpg(谷川神社)

谷川神社に到着!
この神社・・・谷川士清が祭神である。
で・・・この隣りにお墓があるはずなのだが・・・
なんと!・・・立ち入り禁止!(涙)

186_convert_20200204143733.jpg(谷川士清墓所)

残念無念・・・(大涙)
やむなく、駅に戻る。
時刻はまもなく午後1時・・・駅前で昼食・・・・

187_convert_20200204144513.jpg

ここから近鉄名古屋線で「白子」駅に向かう。
次に向かうのは「鈴鹿医療科学大学白子キャンパス」で・・・
そこは昔、鈴鹿海軍航空隊があった場所。

白子駅前の観光案内所で場所を確認・・・・
白子キャンパスまで徒歩で行こうかと思ったら、かなりの距離だそうだ・・・(汗)
やむなくタクシーで向かうことに・・・

188_convert_20200204152017.jpg 189_convert_20200204152106.jpg



197_convert_20200204152724.jpg

鈴鹿海軍航空基地跡

昭和13年、第一鈴鹿海軍航空基地がこの地に開設され、鈴鹿海軍航空隊が開隊しました。
この航空隊は、「鈴空」と呼ばれ、大井海軍航空隊とともに偵察専修の教育機関でした。
終戦までの約7年間で約2万人の飛行兵を育成したと言われています。
戦局が悪化した昭和20年からは実戦部隊である特攻隊の基地となりました。

また、この周辺には第二鈴鹿海軍航空基地、第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱重工業名古屋航空機製作所三重工場など軍事関連の諸施設がありました。

これらの施設が出来たことで、飛行兵を目指す少年たちを中心に、教官や技術者など3000人余りの人たちが全国から集まりました。
日曜日になると軍服に身を包んだ「海軍さん」たちが町にあふれ、「くらぶ」や「下宿」と呼んだ一般の民家で寛いだり、映画を見たり、食事を楽しんだりしました。
下宿の娘と結婚した教官や、終戦後も家族同然の付き合いを続けた少年飛行兵など、航空隊員と地元の人びととの深い交流が生まれていきました。
「白子の町は航空隊で賑わいましたよ」と、当時を知る人は語ります。

そして、昭和20年8月15日、日本の敗戦とともにこれらの諸施設も廃止されました。
今では、当時の面影をしのぶものは、番兵塔と正門だけとなりました。

※昭和16年6月の改定により一等航空兵は一等飛行兵に階級呼称が変更になりました。

NTT西日本贈呈
(説明板より)



この鈴鹿海軍航空隊には、ちょっとした思い入れがある。
昭和19年9月、この基地の所属機が北海道から愛知県へ向かう途中、悪天候の中、拙者の父の実家がある村の山に激突し、搭乗員8名全員が殉職したのである。
その山の頂上には慰霊碑が建っていていて、ずいぶん昔に見に行ったことがある。
殉職者の中には新婚早々の人や、奥さんが妊娠6か月という人がいたので、いやぁ~可哀想だなぁ~と思ったことを覚えている。
それで、「鈴鹿海軍航空基地」というのが頭に残っていたので、是非、一度、ここを訪れたいと思っていたのである。

208_convert_20200204152758.jpg

周囲を散策・・・・
このあたりも基地跡だろうか?

さて・・・帰りますか・・・
タクシーの中から景色を見ながら来たので、何とか歩いて駅まで行けるだろう。
これも「運動」である。(笑)
少し、歩かねば・・・・
途中で、タクシーの中から見かけたコンビニに辿り着く。
よし、道順は間違っていないな・・・(大笑)
ここで飲み物を買って一服!
と・・・水戸藩士の“シミズくん”から電話が・・・・(驚)
「今晩、夕飯でもどうですか?」というお誘いの電話だが・・・・ちょっと無理!(大笑)
「どこにいるんですか?」と尋ねられたが・・・・あれ?・・・ここ・・・どこだっけ?(大汗)
得意の度忘れである!(涙)
「え~と・・・ここはどこだっけ?・・・三重県?・・・あっ、鈴鹿だ!鈴鹿!」(苦笑)

再び歩き出し・・・ようやく駅に戻る。
何だかんだで、1時間くらいかかったのではあるまいか?(笑)

白子駅から名古屋駅に向かい、新幹線で東京へ行き・・・・無事に帰宅する。
う~ん・・・充実した一日が過ごせた!
大満足である!(大喜)
スポンサーサイト





旅行 | 12:24:01 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する