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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『全体主義と闘った男 河合栄治郎』


文庫版のまえがき

序章 “進歩的大衆人”が日本を漂流させる

「革新幻想」に踊っていた
“迷えるソクラテス”退場
学者に祖国あり
アカデミアの天下人
自由な社会とその敵
進歩的大衆人の病理
自由の気概と道義力
日本の“躯体”支える思想

第1章 理想主義と反骨精神

宿場の生家 江戸っ子、栄治郎の登場
   徳島屋と橘井堂
   「憲政の神様」への手紙
府立三中 蘇峰リアリズムへの傾倒
   本は惜しまずに買え
   天下を語る“蘇峰狂”
第一高等学校 嗚呼玉杯に花受けて
   ワレ一高ニ合格セリ
   新渡戸の教養主義
全寮制 「夕の鐘の音」の対置法
   反撃する新渡戸の胆力
   内村の強靭な意志
友と語り 煩悩と闘う「赤城山日記」
   ギリシャ的な少年愛
   知性が集う猪谷旅館
弁論部記念講演 蘆花の「謀反論」とは何か
   当日まで隠された演題
   栄治郎の琴線に触れたもの
帝大入学 マルクス主義との遭遇
   官吏養成学校と心得る
   歴史哲学の遥かな地平

第2章 孤軍奮闘の農商務省時代

農商務省 心揺さぶる女工哀史
   小野塚の後継を蹴る
   「職工事情」と闘う決意
お見合い話 朝日社主への道を蹴る
   “破談”への条件を提示
   戦時の右派、平時の左派
結婚 河合式「配偶者の選定法」
   相思相愛から失恋へ
   伴侶選定の法則みつけた
労働問題 官に就くに際して
   誰がための工場法
   「自由」の新しい響き
米国出張 自由の国からの先制
   ウィルソン演説で団結
   ボルティモアで研究
米国生活 書を捨て街に出でよ
   書生が「紳士」に豹変
   燕尾服にシルクハット
米国での交流 ハザノウィチと出会う
   心を寄せた米国人女性
   片山潜を助ける
米国出張から帰国 “実行家”になる決意
   大衆のための闘う覇気
   職を賭する覚悟をもつ
孤軍奮闘 官僚国家主義との闘い
   官選代表に異議あり
   「ここらで見切れ」との声

第3章 帝大経済学部の「白熱教室」

コラムの波紋 官を辞するに際して
   大臣を相手に啖呵
   捨て身の一撃で成就
再就職 在野ジャーナリズムを断念
   新聞記者か学界か
   初の赤化教授事件へ
浪人生活 森戸事件とその余波
   失った人材
   「危険人物」に映る
帝大経済学部 教壇へ・・・波瀾の幕開け
   自由主義を恐れる
   マルクス研究の痕跡
官職を離れて うるわしき日々があった
   東京女子大での講演
   「女性面会日」に説いたこと
講義開始 河合助教授の“白熱教室”
   よどみない弁舌に酔う
   米国人教授らも注目
帝大助教授 「思想の自由」への葛藤
   共産主義の浸透に苦慮
   大内復権に道を譲る

第4章 2年8カ月の欧州留学

旅立ち うるわしの英国留学
   見送る人々
   対照的な二人
英国「討論会」 日韓併合は不法なのか
   弱い隣国持つ不孝
   異なる意見を戦わす
学者たち 英国自由主義への確信
   多元的国家論の洗礼
   関東大震災へのお悔やみ
世紀の事件 労働党が政権を握った
   マクドナルド内閣の誕生
   オックスフォードの哲人
欧州大陸へ マルクス学に決着つける
   ドイツ語原書を読破する
   カントを開く
外国人講師探し シュンペーター招聘逃す
   初対面の印象は「武士」
   日記に「不快」な気分

第5章 「左の全体主義」との対決

留学から帰国 マルキシズムが開花する
   マルクス用語の乱発
   師弟による対論
帝大教授 学部分裂の暗雲広がる
   グルッペの学内クーデター
   主流派が人事とカネ握る
東大アカデミズム 「左の全体主義」との闘い
   「体系」対「講座」
   自ら論争を買う
二つの事件 「言論の自由」への闘い
   「七生社」の暴力叱る
   3・15事件から左傾処分
一騎打ち 森戸との「大学顛落」論争
   「伏線」があった
   反抗の修羅場
論争後 「リベラリスト・ミリタント」
   森戸の「転向」表明
   『社会政策原理』の衝撃
講演依頼 マルキシズムとは何か
   思想善導役人
   無視と悪口と罵倒と

第6章 ファシズムに命がけの応戦

講演旅行 満州事変のリアリズム
   日支両国のライン州
   対外政策では国論統一
ドイツ再留学 「前門の虎」を退治する
   マルキシズム拡大の条件
   大衆の尻馬に乗る革命
ソ連とドイツ 「後門の狼」がやってきた
   ワイマール体制の崩壊
   国家社会主義の台頭
1年ぶりの祖国 日独でファシズムの台頭
   国家社会主義への警鐘
   先駆的なナチス研究
滝川事件 自由の外堀が埋められた
   “類焼”嫌う教授たち
   京大落城から天皇機関説へ
5・15事件 軍部批判の前線に立つ
   軍人、武力、思想
   議会主義つらぬく
不動の思想 河合が論壇を席巻した
   反ファシズムの闘将
   「自分が言わずに誰が」
孤高の戦い 国家主義に啖呵切る
   右翼思想に宣戦布告
   対ファシズム共闘の挫折

第7章 正面から放った軍部批判の矢

降りしきる雪 怒りの「2・26事件」批判
   命と職と地位を懸ける
   尻込みする出版社
軍部批判の矢 反動教授から憧れへ
   時局に対して志を言う
   斎藤隆夫の「粛軍演説」
天性の教師 昭和教養主義のバイブル
   人気呼ぶ「学生叢書」
   理想主義の受け皿
赤門人民戦線 河合経済学部長の光と影
   弾力も狡知もなく
   河合引き下ろし
盧溝橋事件 「迫りつつある戦争」予測
   近衛首相に進言する
   明治人の愛国心
人民戦線事件 「左派教授を一掃せよ」
   矢内原を擁護する
   自由主義の本領
第三勢力 英国型議会主義に期待
   帝国主義の防波堤
   社会大衆党の右旋回
戦火拡大 帝国の崩壊を予言する
   徹底したリアリズム
   測り難き謎の国

第8章 名著『学生に与う』誕生

攻撃 『ファッシズム批判』発禁処分
   栄治郎に忍び寄る影
   「一歩も引けません」
休職処分 道義なき平賀粛学
   田中耕太郎の演出
   幻の最終講義
決別の一句 別れても又一路や花の山
   平賀総長の巻き返し
   弟子二人の破門
起訴 法廷へ、「天我を捨てず」
   ハーバード転身の挫折
   名著『学生に与う』誕生
ベストセラー 嵐の底に啼きやまぬ自由主義
   『学生に与う』の挑戦
   護衛する門下生たち

第9章 戦後を見通した「有罪願望」

思想闘争 国法に従うソクラテスの法廷
   特別弁護人・木村の奮闘
   検察の誤解、曲解、歪曲
一審判決 戦時下で「司法の独立」守る
   文部官僚を叱る
   戦後を見通す有罪願望
出版差し止め “日本国民に告ぐ”
   反骨判事の左遷
   亡国の民になるな
逆転有罪 「マルクス体系」への挑戦
   死を賭した「全七巻」
   青日会から研究所へ
凛冽たる風貌 「戦闘的自由主義者」の最期
   河合研究所の設立
   10年早い突然の死

終章 戦闘的自由主義者の水脈

遺志 自由の殉教者を惜しむ
   鶴見の悔悟
   天皇を戴く自由主義
敗戦後 「革新幻想」に挑む自由主義
   GHQからの使者
   知的成熟が30年遅れた
   社会思想研究会の発足
東西冷戦 米占領下に「新憲法」批判
   憲法第9条に異議あり
   多数講和か全面講和か
左傾化 進歩的文化人の批判勢力として
   消極的抵抗の「悔恨共同体」
   社思研第2世代の登場
   教科書検定に対する反論
批判すべき“記号”? 祖国愛を語った瞬間
   河合栄治郎全集の発刊
   「学者に祖国あり」再び
60年安保 「秩序より正義」というレトリック
   ムード的左翼の陥穽
   容共の煽動「いまこそ国会へ」
   丸山に見た「政治の魔性」
理想論 「中立幻想」に踊っていた
   中立論者の忠実なる弟子
   リアリストからの挑戦状
   「巻き込まれ論」の破綻
   「平和の代償」ショック
70年安保 “丸山教信者”のたそがれ
   官学エリートへの暴挙
   「後衛の位置から」の失墜
呪縛 空想的平和論の破綻
   産経新聞へ移籍する
   腹いせのゲバ棒
沖縄返還前のころ 英雄的な思想家の素顔
   門下の第2世代が台頭
   偶像破壊の一撃
国家の羅針盤 独立自存の道義国家をめざす
   依存の中の幻想
   防衛論争から憲法改正論へ

あとがき

河合栄治郎略年譜

参考文献



「全体主義」とは、個人は“全体”に従属すべきである・・・という考え方らしい。
河合栄治郎という名前は聞いたことがないのだが、戦前に「自由の気概」をもって生きた唯一の知識人なのだそうだ。
昭和初期にマルキシズムという“左”の全体主義が現れると、この全体主義の危険性を指摘した人だそうで、その後、今度はファシズムという“右”の全体主義が台頭すると、これを批判したそうだ。
つまり、左だろうと右だろうと、全体主義には徹底的に批判をし続けたそうである。
河合栄治郎は、東京帝国大学を卒業後、農商務省に勤めた官吏である。
その後、農商務省を辞めて35歳で東京帝国大学の教授に就任したというのだから驚く。
35歳で東大の教授とはねぇ~・・・・頭がいいんだろうなぁ。
戦時中は、ファシズムを批判したため危険思想家だとして逮捕され有罪判決を受けたらしい。
あの時代に、それを言ったら“やられる”というのは明白だろうに・・・
私は「東大卒」だの「官僚」だのというのは、どうも好きになれないのだが・・・(苦笑)
“左”の人が“右”を批判するなら普通の事で何とも思わないし、その逆も同じだが、“左”も“右”も批判する姿勢には尊敬の念を禁じ得ない。
なかなか、こういう人はいないよなぁ~と思う。
氏は、昭和19年に53歳で心臓麻痺でお亡くなりになられたという。
「早すぎる死」である。
戦後も生きていたら、戦後の世の中にどういう意見をお持ちになっただろうと思う。
貴重な人を失ったのではないか・・・という気がする。
本当に残念である。


今年の読書:5冊目

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読書 | 23:53:55 | Comments(0)
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