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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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磯浜古墳群と磯浜海防陣屋跡
009_convert_20200115093210.jpg(後ろの高台)

磯浜古墳群

北太平洋航路上、陸奥(むつ)と坂東(ばんどう)との外洋を結び、那珂川(なかがわ)の水上交通にもアクセスできる大洗町には、海を見下ろす高台に4世紀代の大型の前方後円墳や円墳が造られています。
古墳の形・埴輪(はにわ)を並べた段築(だんちく)・副葬品の内容など、畿内(きない)王権のルールが守られており、中央と関係があった人物の墓であることは間違いありません。
畿内中枢の大王墓(だいおうぼ)に比べると、規模は小さいですが、100m級の前方後円墳や80m級の大型円墳を擁する構成は、坂東の門戸を掌握し、水運力で他を圧倒した、強大な力を持つ被葬者像を描くことができます。

磯浜海防陣屋跡

江戸時代、アメリカやロシアなどの異国の船が沿岸へ接近したり、異人(いじん)が上陸したりするのを防ぐため、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、天保年間(1830年代)に入ると、水戸藩沿岸に海防陣屋(かいぼうじんや)や台場(だいば)(砲撃を行う軍事施設)の海防施設を建設していきます。
水戸藩南端の磯浜村・大貫村も警戒の対象となり日下ヶ塚(ひさげつか)(常陸鏡塚・ひたちかがみづか)古墳を再利用し、その南側に磯浜海防陣屋が造成されます。
陣屋には、水戸藩士が常に詰め、大筒(おおづつ)(大砲)や鉄砲などの武器も配備され、警戒にあたりました。

平成26年7月
大洗町教育委員会

008_convert_20200115113714.jpg

(説明板より)


【茨城県東茨城郡大洗町磯浜町2815】

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史跡 | 10:50:54 | Comments(0)
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