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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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竹村健一さんがお亡くなりになった。
今日(8日)の午後7時半ごろ、評論家の竹村健一さんがお亡くなりになられたという。
そういえば最近お見かけしないなぁ~と思っていたのだが、どうも80歳で引退していたらしい。
89歳でお亡くなりになったということは、私の父より若かったわけだ・・・
ある意味、驚きである。
一番活躍していた頃、私の父親より絶対年上だと思っていたのだが・・・年下でしたか・・・(汗)

竹村さんは、ある意味、私にとって恩人でもある。
私が高校生の頃・・・
竹村さんは世相を扱うテレビ番組で活躍されていた。
パイプをくわえて、時事問題の解説などをされていた。
大学受験の勉強をサボって、その番組を見た時のこと・・・
ゲストに亜細亜大学の倉前先生が出演されていた。
その話を聞いていて、この先生の授業を受けたいと思って、急遽、亜細亜大学を受験することにしたのである。
もし、この番組を見ていなかったら、絶対、亜細亜大学は受験することはなかっただろう。(大笑)
そういう意味で、私にとっては恩人なのである。

大学に入ってから分かったことだが・・・
大学へ行けば倉前先生に会えると思ったら大間違いで、学部が違うと会う機会がないことを知った。(大汗)
確か、倉前先生は経済学部の教授だったと思う・・・
私が入ったのは経営学部・・・(大笑)
会えるわけがない・・・が・・・
教養課程で倉前先生の授業が1つだけあったので助かった・・・(笑)
当然、倉前先生の授業の成績はAである。(大笑)

倉前先生の著名な本に『悪の論理』というのがあり、これも読んだ。
そういう影響もあって第二外国語はロシア語を選んだ・・・(笑)
当時、倉前先生はソ連のKGBの暗殺リストに載っていると噂されていたことを覚えている。

当時、私は新聞2紙をとっかえひっかえ読んでいた。
例えば、読売新聞と毎日新聞の2紙、半年後には産経新聞と東京新聞の2紙という具合である。
国際政治、特にソ連関係の記事を切り取ってスクラップブックに貼り溜め、倉前先生が出された課題のレポート作成に利用したものである。
当時の新聞切り抜きのスクラップブック十数冊は、今でも本棚に鎮座している。(笑)
もう40年も前のものだから、利用価値は全くないのだが、今もって捨てられずにいる。(大汗)

倉前先生と、ようやく会話を交わすことが出来たのは、大学卒業直前になってからである。
大学内の各団体幹部と教職員の親睦会があった。
各団体の新旧役員が交代の挨拶をする会合で、確か、渋谷の東急ホテルで開催されたと思う。
この時、卒業していく私は、後任の役員を連れて倉前先生に挨拶をしたのである。
そして、亜細亜大学に入学したのは先生の授業を受けたかったから・・・という話と、学部を間違えて授業を1つだけ、しかも1年間だけしか受けられなかったという話をした。
先生が苦笑したのが今でも記憶に残っている。
憧れの先生と言葉を交わせたのが4年後の卒業直前とは、ちょっと間抜けだが・・・(大笑)
あの時の興奮は今もいい思い出である。

これも竹村さんのテレビ番組のおかげである。
まさしく運命の出会いと言っていいのではないかと思っている。
感謝、感謝・・・である。

ご冥福をお祈りしたい・・・
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エッセイ | 23:10:13 | Comments(0)
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