FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

小倉陸軍造兵廠跡碑
151_convert_20191202122249.jpg 154_convert_20191202122321.jpg

(碑文)
陸軍造兵廠東京工廠が関東大震災で壊滅的な打撃を受けて、東京移転を決定した。
全国各地から工場誘致の猛運動が展開されたが、昭和2年小倉に国防、軍事上の見地から決定、在来の小倉兵器製造所を合併、昭和8年開庁した。
以後、わが国旧陸軍の近代兵器製造工場の拠点として、昭和20年の大戦終了まで製造を続けた。
地積は約60万㎡、最盛期には約4万人が従事した。
往時をしのび、その一角に記念碑を建てる。

平成2年10月吉日
旧小倉陸軍造兵廠従業員有志

小倉陸軍造兵廠跡
大正12年(1923)の関東大震災により、わが国の兵器生産機能を大阪と二分していた陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)東京工廠は壊滅しました。
震災復興より新設したほうが経済的なことから、当時の大陸政策も考慮し、関門が大陸の進出基地としての地政学的意義を負うことにより、昭和2年(1927)10月24日、小倉に工廠設置が決定し、同8年(1933)10月正式に発足しました。
設置場所は、旧城内ならびに隣接の民有地2万300坪を買収し、敷地面積17万6581坪でした。
小倉工廠は当時の最新機械で装備され、就業者は普通工、臨時工を合せて約4万人を数えたといわれています。
昭和10年(1935)には、東京工廠からの移転が完了し、間もなく日中戦争に突入したことにより、操業は増大していきました。
兵器生産の大工場が都心部を占めることによって、小倉は軍隊の駐屯地を兼ねる軍需(ぐんじゅ)都市となり、大陸へ向けての補給基地としての機能を拡充していきました。
昭和15年(1940)4月、陸軍造兵廠が陸軍兵器本部に改組させ、小倉工廠は小倉造兵廠に改称し、兵器本部の直属となりました。
(北九州市史より)

153_convert_20191202122501.jpg

北九州市教育委員会

(説明板より)


【福岡県北九州市小倉北区大手町・大手町公園】

スポンサーサイト





史跡 | 09:52:45 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する