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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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河竹黙阿弥終焉の地
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河竹黙阿弥終焉の地
所在地 亀沢2丁目11番

河竹黙阿弥は坪内逍遥に「江戸演劇の大問屋」と呼ばれた狂言作者です。
黙阿弥の本名は吉村芳三郎。
江戸日本橋の商家に生まれるも遊興にふけって勘当され、遊蕩三昧の生活を送る中で細木香以(さいきこうい)らと交流を深めました。
歌舞伎をはじめ、狂歌や茶番などにも興じ、20歳で五代目鶴屋南北に入門、勝諺蔵(かつげんぞう)を名乗りました。
後に二代目河竹新七を襲名し、嘉永7年(1854)に江戸河原崎座で初演された「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)(忍ぶの惣太)」が四代目市川小団次との提携で大当たりを取り、「小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)(十六夜清心・いざよいせいしん)」、「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」など、現在も上演される作品を柚木次人世に送り出してゆきました。
七五調の美しい台詞を巧みに活かして幕末の人々を生き生きと描き出し、360編に及ぶ作品を残しました。
明治の新時代にも活躍、明治14年(1881)に引退を表明し、黙阿弥と号しましたが、その後も劇作の筆を置くことはありませんでした。
明治20年3月、黙阿弥は浅草の自宅を三代目新七に譲り、自身は葦原だった本所南二葉町31番地(現亀沢2丁目11番)に自宅を新築し、転居しました。
周囲に堀をめぐらせた広い新宅は南割下水(現北斎通り)のほど近くにあり、庭には潮入りの池や二階建ての土蔵、書斎とした四畳半の離れが造られていました。
黙阿弥は「本所の師匠」と呼ばれてこの地で6年間を過ごし、九代目市川團十郎のために「紅葉狩」、五代目尾上菊五郎のために「戻橋」などを書き上げました。
黙阿弥の人柄は彼の作品とは対照的で、穏やかで物静かであったとされています。
自らの死も予期していたのか、黙阿弥は財産分与や蔵書などの整理、友人への挨拶まわりなどなすべきことを終えて、明治26年1月22日に77年の生涯を閉じました。

平成27年1月

墨田区教育委員会

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(説明板より)


【東京都墨田区亀沢2-11】

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史跡 | 16:18:45 | Comments(0)
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