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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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再び両国界隈を散策する
昨日は、偕行社主催の安全保障の講演を聴きに上京・・・
で・・・一泊して・・・・
今日は、この間の両国界隈散策の時に回り切れなかった場所を、再び回ることにした。(笑)
両国界隈散策(徘徊?)第2弾である!(喜)
前回同様、錦糸町駅からスタートである。

錦糸町駅北口から両国駅に向かってテクテクと歩いていたら・・・
小さな神社を見つけた。

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この神社は「津軽稲荷神社」という小さな神社・・・
「津軽」というのが気になる。
社殿の張り紙によれば、青森県弘前城主津軽氏の下屋敷があった場所らしい。

次に向かったのは、「本所小学校跡」・・・
現在は墨田区竪川中学校のある場所である。

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タブレットの地図によれば、ここは「山岡鉄舟旧居跡」のはずなのだが・・・・
何処を探してもそれを示す標柱や石碑、説明板の類が見当たらない!(唖然)
校門の脇にあった説明板は「公立本所小学校跡」の説明板だけである。
あれぇ~おかしいなぁ~
地図が間違っているのか、それとも何かの理由があって、わざと山岡鉄舟を無視しているのか?(苦笑)
学校周辺をあまりウロウロしていると怪しまれるので・・・(大笑)
やむなく立ち去ることにした。

次に向かったのは「三遊亭圓朝住居跡」・・・・

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三遊亭圓朝は江戸時代後期から明治にかけて活躍した落語家である。
住居跡は、小さな公園になっていた。
ここで、拙者と同じように史跡巡りをしているグループと出会った。
同じようなことをする人がいるんだなぁ~(笑)

次に向かったのは「河竹黙阿弥終焉の地」・・・・

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道路のところに説明板が建っていた。
ここで、先ほど、「三遊亭圓朝住居跡」で出会ったグループにまた出会ったので、軽く挨拶したのだが・・・
なんとも冷ややかな態度・・・
俺たちの後を付けてきたのか?・・・と言わんばかりに睨まれた・・・(唖然)
おい、おい、おい・・・挨拶くらいしたらどうだ?
明らかに“団塊の世代”の連中である。(汗)
まぁ、“団塊の世代”に関わらず、こういう連中は結構多い・・・
特に海外で遭う日本人観光客などは、親の仇にでも遭ったように睨んでくるか、小馬鹿にした態度でソッポを向くか・・・いずれにせよ、挨拶も会釈も出来ない連中が多い・・・
そのくせ困ったときには急に親しげに馴れ馴れしく助けを求めてきたりするのである。(怒)
過去にそういう日本人に何人も出会ったが・・・
なんで、日本人というのは、そう身構えるのかねぇ~(苦笑)
先ほど会った時に会釈くらいしておけば良いものを・・・・
挨拶もなしに、いきなり自分の要件を言い出す。
その前に、まずは挨拶が先だろうって・・・(怒)
そういう時は、拙者は助けてやらないことにしている。(大笑)
「はぁ~そりゃぁ~困りましたねぇ~」「へぇ~大変ですねぇ~」「いやぁ~私にはわかりませんねぇ~」と軽くあしらうことにしている。(大笑)
この連中も、同類だろう・・・(大汗)
彼等が立ち去るまで近くで粘って・・・・(大笑)
彼等が立ち去ってから説明板を読む・・・・
「河竹黙阿弥」という名は聞いたことがあるような気がするのだが・・・
何をした人なのか全く知らない。(大笑)
説明板を読んで分かった!・・・狂言作者だそうだ。

さて・・・次は・・・と思ったが・・・
先程の連中と、また出遭ったのでは面白くない。
また後を付けてきやがった・・・と睨まれたのでは、折角の楽しい史跡めぐりが台無しである。
ということで、当初考えていたルートを諦めて、敢えて彼らが向かった方向とは別の方向へ向かうことにした。(笑)

ブラブラ歩いていたら、小さな神社のところに説明板が・・・
この神社は、「野見宿禰神社」というらしい・・・

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この「野見宿禰」というのは、相撲の神様なのだそうだ。
そういうことなのだろう・・・境内に歴代横綱の石碑が建っていた。

近くの「緑町公園」に行ってみたら、そこに説明板が3つほど建っていた。
一つは・・・「江川太郎左衛門屋敷跡前」
江川太郎左衛門は、代々の当主の名前で、有名なのは36代目の当主・江川英龍・・・
以前、伊豆の韮山の反射炉を見に行った時に江川英龍の銅像を見たし、屋敷も見学した記憶がある。
ふ~ん・・・東京にも住んでいたのか?(汗)
それにしてもこの説明板の「屋敷跡前」の「前」って、どういう意味なんだろう?
説明板の建っているこの場所ではないのか?(汗)
よくわからん・・・・

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そして、もう一つの説明板が、すぐ隣に建っている。
「津軽の太鼓・津軽家上屋敷跡」と書いてある。
最初に訪れた「津軽稲荷神社」には「下屋敷跡」と書かれてあったが・・・
それほど離れていない場所に下屋敷と上屋敷があったのか?

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この公園の隅に3つ目の説明板があった。
「葛飾北斎生誕地(墨田区亀沢付近)」と書いてあったが・・・・
「付近」ということは、この説明板が建っている場所ではないということなのかな?
実際の生誕地はピンポイントで、「ここだ!」と言えない・・・つまり、どこなのかハッキリとはわからないということかな?

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この公園の一角に「すみだ北斎美術館」という建物が建っている。
う~ん・・・どうしようかなぁ~
見てみようか、どうしようか・・・・ちょっと迷ったが・・・
今日は“徘徊”すると決めていたので、ここでゆっくり鑑賞なぞしては“運動不足の解消”にならぬ・・・
というわけで・・・更に歩くことにした。

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JR両国駅前を通過して、さらに歩き、両国橋に辿り着く・・・

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この橋のたもとの小公園に「大高源吾の句碑」があるとマップに記載されていた。
大高源吾という人は・・・・以前、赤穂の大石神社に行った時に、石像を見たような気がするが・・・(苦笑)

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句碑には、何の説明板も設置されていない・・・・(唖然)
奥に見える大きな石碑は「表忠碑」という石碑で「明治三十七八年役戦病死者」と題されていて、本所区で徴兵された戦病死者名が刻まれている。
が・・・説明板は設置されていない。
この公園に設置されていた説明板は「両国橋と百本杭」と題されたものだけ。
川岸を保護するための多数の杭が水中に打ち込まれていたという話・・・・
大高源吾の句碑に関しての説明板は欲しい所である。
何で建てないんだろう?

この小公園のすぐ近くに3つの説明板が並んでいる場所があった。

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一つは「旧両国橋・広小路跡」の説明板・・・
この位置に昔は両国橋が架かっていたそうである。
もう一つは「赤穂浪士休息の地」の説明板・・・
赤穂浪士が吉良邸に討ち入り後、泉岳寺に向かう前に、ここで休息をしたそうだ。
吉良邸から、それほど遠くない場所である。
ここで一息ついていたとはねぇ~
あとから吉良邸の追手が来るかもしれないとは思わなかったのだろうか?(苦笑)
そして、3つ目は「石尊垢離場(せきそんこりば)跡」の説明板である。
神奈川県の伊勢原市にある神社に参拝に出かける前に、ここで体を清めたそうだ・・・
はぁ?・・・・よくわかりませんが・・・
垢を落とした場所が「史跡」ねぇ~
へぇ~・・・・である。(笑)

さらに、少し歩いたら・・・またまた説明板を見つけた!
近づいて見てみたら・・・あれ?・・・・である。
これは・・・前回、来た場所である!(大汗)
ついこの間のことなのに、もう忘れている。
なにせ、方向音痴なものですから・・・・(大笑)
この間は、ここまで来ていたのかぁ~と今頃気が付いた次第・・・

さて・・・それでは帰りますか‥‥
ということで、両国駅まで戻り帰途に就く。

今回も、それなりに充実した時間が過ごせた。
ついでに、普段の運動不足も解消できたし・・・めでたし、めでたし・・・である。
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日記 | 14:20:59 | Comments(0)
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