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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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横須賀駅
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昭和52年市制施行7周年記念
横須賀風物百選
横須賀駅

「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけり/見よやドックに集まりし/わが軍艦の壮大を」という一節があります。
明治22年6月16日、大船―横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治17年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。
一方陸軍も、明治13年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。
しかし、人員や物資の輸送は、横浜―横須賀間の船便に頼っている実情でした。
明治19年6月、陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道、陸軍大臣大山巌の名を連ねて総理大臣伊藤博文に提出しました。
この求めに応じて鉄道局は、翌20年に測量を開始し、21年1月に工事を起こしました。
工事費は、明治19年から始まっていた東海道線建築費から40万円支出しました。
当初終着駅は、観音崎附近へとの要望がありましたが、更に5万円から10万円の予算を必要とするうえ、市街地を通さなければならない等の複雑な問題があり、現在地となりました。
現在の駅舎は、昭和15年に新築されたものですが、大正3年に改築した駅舎の面影をよくとどめている貴重な建物です。
開業当時、汽車はおよそ1時間ごとに発着し、東京―横須賀間に約2時間を要しました。
客車は一・二・三等とあり、煙突の長い機関車がそれを引きました。
三等運賃は39銭で、当時の米価が一升11銭前後でしたのでかなり高かったようです。
乗客数は、明治40年ごろで1日平均1,843人と記録されています。
横須賀―久里浜間は、軍の求めにより、昭和19年4月に開通したものです。

(説明板より)


【神奈川県横須賀市】

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史跡 | 18:28:22 | Comments(0)
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