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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「軍艦山城之碑」
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軍艦山城之碑

軍艦山城の艦歴
起工  大正二年十一月二十日  横須賀海軍工廠
進水  大正四年十一月三日    右に同じ
竣工  大正六年三月二十一日   右に同じ
数次の改装工事に依り次の通りの装備となる
基準排水量  34,700トン
全長       312.75メートル
最大幅     33.20メートル
主機関     75,000馬力
速力       24.5ノット
主砲       36センチ 12門
副砲       15センチ 14門
高角砲     12.7センチ 8門
機銃       25ミリ三連装 2基 二連装 17基 25ミリ単装 10基
※機銃増設装備のため副砲2門撤去 昭和19年7月
水上偵察機  3機
カタパルト   1機(※正しくは1基では?)
測巨儀(※正しくは測距儀では?) 10米測巨儀

軍艦山城の戦歴
軍艦山城は横須賀鎮守府管下最初の超弩級軍艦として平時の連合艦隊において優れた成績を挙げ太平洋戦争勃発するや各地に転戦し、戦局の変化により悲惨な運命となった。
昭和19年10月捷第1号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリガオ海峡に突入し数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり又魚雷艇及び駆逐艦の魚雷攻撃を受け、大破し沈没寸前まで前部砲塔からは間断のない砲撃が続けられたので有りましたが、悲愴にも力つきた
山城は乗員1600余名と共にスリガオ海峡の海底深く沈んでいった。
時に昭和19年10月25日午前4時19分。
ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し、世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する。    謹書

平成七年十月二十五日
軍艦山城の碑建立委員会


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】

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史跡 | 14:34:15 | Comments(0)
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