FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

加波山事件志士の碑
091_convert_20190512161406.jpg

自由民権の魁(さきがけ)
加波山事件志士の碑
筑西市新花町乙657番地

明治17年9月23日下館の民権家、富松正安(とまつまさやす)、保多駒吉(やすだこまきち)、玉水嘉一(たまみずかいち)と、福島、栃木、愛知の「民権家16人の志士」が加波山に決起し、山頂に「自由立憲」の旗をかかげた事件である。
これは、維新後十余年を経過してなお、国会が開かれず、明治政府の圧政に抗し「立憲政府樹立と自由と民主主義」を願った行動であった。
決起は、失敗に終わり、政府の不当な罪状をもって、厳科に処せられる結果に終わった。
事件後、百数十年を経た今日、志士の高邁(こうまい)な行動は、国民の広く認めるところとなり、志士の目指した「平和と民主主義」は、現在、国民生活の中に定着しました。
因(ちな)みに明治22年に大日本憲法が制定されましたが事件のもつ歴史的意義は極めて大きく、高く評価されています。
墓は、妙西寺の門前墓地の入口にあり、4基の角柱が並んでいる。
石碑は、平尾八十吉(ひらおやそきち)、富松正安、保多駒吉、玉水嘉一の墓と刻まれ、裏面に没した年月日がある。
碑の右側には、墓碑建設賛助者の名を刻んだ志表と、左側に「玉水嘉一翁顕彰碑」がある。

撰文 宮本 朔夫
寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市新花町乙657番地】

スポンサーサイト





史跡 | 20:35:34 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する