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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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赤穂城本丸庭園
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赤穂城本丸公園

赤穂城は、正保2(11645)に浅野長直(ながなお)が常陸国笠間藩から入封し、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、慶安元年(1648)より13年に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成した甲州流軍学の海岸平城である。
本丸は、中央に藩主の屋敷(本丸御殿)、南東部には天守台、南に庭園などがあり、本丸門、刎橋門(はねばしもん)、厩口門(うまやぐちもん)の3門をもつ。
天守台には天守閣は当初から築かれず、4箇所の櫓台のうち東北隅櫓台(すみやぐらだい)のみ隅櫓が築かれ、ほかは横矢桝形(よこや・ますがた)として配されていた。

平成10年3月 赤穂市教育委員会

(「本丸庭園施設案内図」説明板の説明文より)


本丸の面積は約15,114㎡あり、その2/3は領主屋敷、番所(ばんしょ)、倉庫等の建物と天主台(てんしゅだい)、池泉などに占められ、残る1/3はくつろぎ(池泉を発掘調査)と呼ばれる空地になっていた。
当時の藩邸(御殿)は、右手(西)から大部屋を主とする表御殿(おもてごてん)、中奥(なかおく)、小部屋を主とする奥御殿(おくごてん)に区分されていた。
表御殿は大書院と小書院を組み合わせた形式で、広間は使者の間と組合わさって控室となり、そのほか勘定所(かんじょうしょ)や上台所(かみだいどころ)が加わり、藩庁として使われていた。
中奥は、藩主の居間と寝室からなり、台所が付属していた。
奥御殿は藩主の寝間と5室の部屋(局)(つぼね)と台所が設けられ、うち2室は風呂と便所を備えていた。
復元された御殿は、浅野家断絶後入封してきた永井家の史料である赤穂御城御殿絵図(東京大学史料編纂所蔵)をもとに、赤穂城本丸内水筋図(赤穂高等学校蔵)、赤穂城引渡―件文書の播磨国赤穂城内本丸建屋(たてや)改帳(あらためちょう)(花岳寺蔵)、発掘調査の成果などを考察して、建物跡を床高だけ高くし、コンクリート盤上に部屋の間仕切りを示し、板間(いたま)、座敷間、土間、敷居(しきい)、廊下、柱、縁(えん)などを表現した。
また坪庭跡には木陰をつくるため、中高木を植栽した。

平成8年11月 赤穂市教育委員会

(「赤穂御城御殿絵図」説明板の説明文より)


【兵庫県赤穂市・赤穂城本丸跡】


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史跡 | 14:50:37 | Comments(0)
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