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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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山鹿神社
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境内社合祀殿

国助稲荷社
宇迦之御魂をご祭神とする国助稲荷は失せ物、落とし物を見つけるに霊験あらたかと信仰を集めている。

淡嶋社
和歌山加太に鎮座の淡嶋明神を勧請したもので特に婦人の諸病に霊験あらたかと信仰され毎月3、13、23の縁日には婦人の参詣が多い
例祭は10月3日

恵美寿宮
商売繁盛の神
毎年1月10日に商売繁盛・社運隆昌を祈願する祭典が行われる
尚、以前の社殿は市内田町に移築

天満宮
学問・書道上達の神
毎年7月25日の天神祭りには奉納の献書をボンボリに吊るし、多くの参拝者で賑わう

山鹿社
山鹿流兵学の創始者山鹿素行命を祀っており、その影響にてやがて四十七義士が生まれたと言われている

八田社
塩田の守護神
赤穂塩田の大地主、八田四郎右衛門が安芸の宮島から厳島大明神を勧請してお祀りした社

忠魂社
もとは赤穂霊社、旧制赤穂中学校出身者で大東亜戦争に散華した尽忠護国の英霊を祀ったのが始まりで旧赤穂町出身の明治以降の英霊を併せ祀っている

(説明板より)


山鹿神社(やまがじんじゃ)

素行山鹿甚五左衛門高興(そこうやまがじんござえもんたかおき)は元和8年(1622年)奥州会津で生を受け、6歳の時父貞似(さだもち)に従い江戸に出、9歳で儒学者林羅山(はやしらざん)に学びました。
素行は幼くして神童の誉れ高く四書・五経を始め論語・孟子等学問を深め諸藩から仕官の誘いがありましたが、尚一層学問の道に進みたいと応じませんでした。
しかし承応元年(1652)播州赤穂城主浅野長直(ながなお)の招聘に応じ禄千石を以て、31歳から39歳まで浅野家に仕え、この間築城中の赤穂城二の丸虎口(こぐち)の縄張りを改めました。
その後更なる学問研究のため浅野家を致仕(辞職)し学問に励みましたが、寛文6年(1666)幕府官学である朱子学(しゅしがく)を「聖教要録」を著し批判し、古代聖賢の道に帰ることを主張したため、その筆禍によって赤穂に配流されました。
赤穂城二の丸で約10年の間蟄居(ちっきょ)、この間名著『中朝事実(ちゅうちょうじじつ)』等を著すとともに浅野家城主を始め赤穂藩士に素行学を教授しました。
素行先生の教えは、大石良雄(よしたか)はじめとする赤穂義士を生み、元禄の快挙を成し遂げると共に吉田松陰に受け継がれ、乃木希典(のぎまれすけ)にと引き継がれました。
大正元年の大石神社創建に際し浅野家3代の城主並びに山鹿素行先生を祀る「浅山(せんざん)神社」が本殿奥に鎮座されていましたが昭和44年浅野家3代の城主は赤穂大石神社本殿に合祀され、素行先生は平成12年境内社合祀殿の一つ山鹿社に祀られ、9月26日の命日には祭典を行い、素行先生の偉業を讃えるとともにお偲び申し上げております。

(説明板より)


【兵庫県赤穂市・大石神社境内】

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史跡 | 12:41:52 | Comments(0)
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