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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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大石瀬左ヱ門宅跡
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大石瀬左衛門信清
(おおいしせざえもんのぶきよ)

   馬廻 150石
   裏門隊 行年27歳

元禄14年3月14日の夜、瀬左衛門は原惣右衛門(はらそうえもん)とともに早駕篭に乗り、主君浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)公切腹の報を、国許赤穂に伝えるため江戸を立った。
主君刃傷の報はすでに同日夕方、早水藤左衛門(はやみとうざえもん)、萱野三平(かやのさんぺい)による第一の急使が携え赤穂に向かっている。
3月19日午後8時ごろ、主君切腹の報は、瀬左衛門と原惣左衛門によって赤穂城にもたらされた。
瀬左衛門は、大石内蔵助とは遠い親戚で、祖父が内蔵助の曽祖父の弟にあたり、剣を潮田又之丞(うしおだまさのじょう)とともに、内蔵助の剣の師でもあり、東軍流の剣豪として知られていた奥村無我(おくむらむが)に学んだという。
急使として赤穂に到着したのち、瀬左衛門はそのまま赤穂に留まって内蔵助に従ったが、城明け渡し後は京都に移り住み、元禄15年10月初旬には討ち入り決行のため、大石主税(ちから)、小野寺十内(おのでらじゅうない)、間瀬久太夫ませきゅうだゆう)らとともに江戸に入り、吉良方の偵察にあたった。
討ち入りのときは、裏門隊に属し、細川家にお預けののち、吉田孫四郎(よしだまごしろう)の解釈で切腹した。

赤穂義士会

(説明板より)


【兵庫県赤穂市・大石神社参道脇】

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史跡 | 12:33:38 | Comments(0)
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