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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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片岡源五右衛門宅跡
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片岡源五右衛門高房
(かたおかげんごえもんたかふさ)

  側用人 児小姓頭
  350石
  表門隊 行年37歳

源五右衛門は、浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩(ながのり)公とは同年齢で、幼い頃から君側(くんそく)に召し出された寵臣であった。
出世加増の少ない元禄時代に、初め100石であった俸禄が、19歳で200石、24歳で300石、元禄12年(1699年)正月には、32歳で350石えを給せられている。
元禄14年(1701年)3月14日内匠頭の登城に従い、江戸城に赴いた源五右衛門は下乗(げじょう)で供待(ともまち)中、主君の刃傷を知らされ、鉄砲洲(す)上屋敷にとって返し、藩邸留守居の諸士に大事を伝え事態の収拾にあたった。
田村邸において切腹直前の内匠頭に拝顔、内匠頭も源五右衛門に気付いたが、主従は共に声なく、今生の別れを惜しんだのであった。
討ち入りの時は表門隊に属し、冨森(とみのもり)助右衛門、武林唯七(ただしち)と3人組合って、真っ先きかけて屋敷内に踏み込み、朱柄の十文字鎗をふるって戦った。
細川家にお預けののち、二宮新右衛門の介錯で、従容(しょうよう)として切腹した。

赤穂義士会

(説明板より)


【兵庫県赤穂市・赤穂城内】

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史跡 | 12:23:18 | Comments(0)
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