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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『大倉喜八郎の豪快なる生涯』


まえがき

 1 大倉尾根をはじめ、各地に残る大倉の名
   赤石の山のうてなに万歳を
       「オオクラ」の名前の今
       駕籠に乗って3千メートルの山登り
       葬儀場に中国から91本の弔旗

 2 戊辰戦争での命がけの冒険談
   命にかけてあやふかりけり
       彰義隊に危うく殺されそうにある―第1の冒険
       米と引き換えで津軽藩に鉄砲を届ける―第2の冒険
       岩倉使節団を追って欧米の商業視察へ
       総合貿易商社「大倉組商会」を設立

 3 丁稚から独立、乾物屋、そして鉄砲商へ
   やがてなりたき男一匹
       鶴吉少年、17歳で国を出て江戸へ
       江戸へ来て3年目「大倉屋」開業
       天下は騒乱、鉄砲商に転業

 4 朝鮮に救援米を運んだ帰りのとんだ遭難
   なみなみならぬ玄海の灘
       「台湾出兵」で軍の御用をただ一人引き受ける
       風土病の犠牲者、500人の人夫中128人
       岩崎弥太郎の「三菱」は大儲け
       大飢饉の朝鮮に救援米を運搬
       大嵐の中、玄界灘を渡る―第3の冒険
       37歳で結婚する―年の差は20

 5 電気、ガス、緑茶からビールまで。40代の大活躍
   四十五十は鼻垂れ小僧
       大久保利通から「宮城集治監」を受注
       「東京商法会議所」の創立に参加
       銀座通りで電気灯の一大ショー
       反三菱の「共同運輸会社」にもつきあう
       茶箱の製造から緑茶の輸出まで

 6 マンモス・ゼネコン日本土木会社の設立
   世と共に進めや進め
       「大阪紡績」で「藤田組」につながる
       マンモス・ゼネコン「日本土木会社」の設立
       「明治宮殿」も「帝国ホテル」も「月島」も
       「日本土木会社」、やむなく解散
       「日本赤十字社」の発足で幹部に

 7 日清・日露の戦争と台湾・朝鮮への一番乗り
       大陸の汽車尽くる処此のさとは
       荷車の納入も軍用バラックも―日清戦争
       またまた軍の御用で台湾一番乗り
       鉄道から農場まで―朝鮮進出も一番乗り
       戦場に製材所をつくって大奮闘―日露戦争

 8 石炭、電力から製靴、製油までの事業と北海道の開拓
   まめかすとともに絞らむ智恵ぶくろ
       木材、製紙、石炭、電力分野への進出
       繊維、製鋼、製靴、薬品分野への進出
       精油、ビール、冷蔵庫、銀行への関与
       「札幌麦酒」の設立と「函館ドック」の支援
       「旭川第7師団」の建設を一括請け負う
       近文(ちかぶみ)問題の連座と「王子製紙苫小牧工場」

 9 向島での大宴会と石ころ缶詰事件に見る喜八郎の人となり
   いたづらに幾春秋をむかふしま
       千客万来用の別荘を向島に建てる
       神戸の中心地に伊藤博文用の別荘をつくる
       社会主義者が悪用した「石ころ缶詰」事件
       悪評の打消しに努めた「山陽堂」の社長
       「石ころ缶詰」と戦後の学者たち

10 福祉事業、学校設立など、巨万の富を社会に還元
   松のあるじはけふかはるとも
       「東京養育院」「済生会」などhつぎつぎ拠金
       大倉の寄付金だけで三つの専門学校
       「大倉山」ごと別荘全部を市民に譲る
       「財団法人・大倉集古館」の設立と一般公開

11 面目躍如の帝劇経営とライトにまかせた帝国ホテル
   光悦の筆は能ある鷹の峯
       趣味豊か―書道も邦楽も狂歌も
       芝居通が生きて「帝劇」の経営にも成功
       世界の建築家ライトに「帝国ホテル」依頼
       大震災にいささかの損傷もなかったライトの建築

12 率先して満州に興した最初の事業・本渓湖製鉄所
   本渓湖燃ゆる石ありくろがねもあり
       石炭、鉄、銅、亜鉛―中国でつぎつぎと鉱業投資
       製材、紡績、食品、農業―中国でつぎつぎと新事業
       「満鉄」も「東拓」も設立委員に

13 山陽製鉄所で純銑鉄を―あくまで貫いた実業家精神
   宮じまの海に鳥居のタチツテト
       「商事」と「土木」を「大倉組」に一体化
       第一次大戦景気で新会社をぞくぞく設立
       広島に「山陽製鉄所」をつくる
       グループの組織固めに門野重九郎を登用
       大学出への不満と経営上の位置づけ
       「営利第一」「投機せず」「銀行持たず」の用心深さ

14 仕事は良心と一致しなければ役には立たぬ
   余生は国へまいら千載
       派手派手の長寿の祝宴、銅像の建立
       大倉の顔に「鯰」を見た高村光太郎
       孫文の革命派に300万円を融資
       首相の原敬に「政府の約束は果たせ」と迫る
       経営哲学の基礎に置いた「陽明学」

15 中国の要人との親しい関係はいかに築かれたか
   親しみはかくあらまほし唐大和
       米寿の祝いの返礼に3ヵ月の中国旅行
       80代で3人の子誕生―抜群の精力
       最後の揮毫は「踊れや踊れ雀百まで」
       墓地も同じくする安田善次郎との縁

文庫版あとがき

参考文献・引用資料(新聞記事は省略)



今年の読書:34冊目

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読書 | 21:18:56 | Comments(0)
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