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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『菊池寛実展』に行く
茨城県高萩市にある「菊池寛実記念高萩炭礦資料館」で『菊池寛実展』が開催されていると知り、ちょっと見に行ってみることにした。(笑)

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菊池寛実(かんじつ)という人・・・
拙者は全く知らなかったのだが、“郷土の有名人”らしい。(大汗)
明治18年に栃木県の馬頭町で生まれた人で・・・
大正7年に東洋濾紙という会社を設立し社長になり・・・・
昭和4年には東京通運、今の日本通運の社長に就任・・・
と・・・いくつもの会社の設立に関わったり社長になったり、役員になったりしている。
なんとなくイメージ的に渋沢栄一を髣髴させる。
そして昭和15年に高萩炭礦(株)を設立して社長に就任した。
高萩炭礦は常磐炭田の一部である。
その後、いくつもの炭礦をこの近くで開発する。
ということで・・・菊池寛実は「炭礦王」と呼ばれたのだろう。
その後、一度、破産の憂き目にも遭うが復活して更に活躍する。
戦後は、いくつもの会社の会長や取締役に就任している。
政財界にも人脈が多い・・・・
昭和33年には石炭礦業界への貢献により藍綬褒章を受けている。
へぇ~である。
菊池寛実は石炭だけの人ではなかった。
いくつもの優良企業の株を入手して大株主となり経営にも乗り出した。
一流企業だけでも三十数社にのぼるという。
自民党の総裁となり首相に就任した石橋湛山も、菊池寛実の蔭の力に負うところが多かったという。
またまた、へぇ~である。
そういう人が我が郷土にいたとはねぇ~
驚きである。
その後も京葉ガスの社長になったりと活躍し・・・
昭和42年、拙者が小学2年生の頃に82歳でこの世を去った。

展示内容としては、大したものがあるわけではないが・・・
でも、こういう人がいたんだという事を知ることが出来て良かった。

炭礦というと、拙者には思い出がある。
拙者の親父の実家の近くに櫛形炭礦というのがあった。
この炭礦は菊池寛実の高萩炭礦の系列会社の一つである。
ここで採掘された石炭は蒸気機関車で運び出されていた。
たしか、拙者が小学校に入るか入らないかの頃のことだと思うが・・・・
お昼ごろに、この蒸気機関車が祖父の家の近くを通るのである。
汽笛を聞いて、家を飛び出して蒸気機関車によく手を振ったものである。
ある日、いつものように手を振っていたら、運転士さんが気が付いてくれて、手を振ってくれたことがあった。
ついでに汽笛を鳴らしてもくれたのである。(大喜)
結構、距離は離れていたと思うのだが・・・
紺色の帽子と制服を着て大きく手を振ってくれた運転士さんの姿は今でも目に焼き付いている。
運転士さんが手を振ってくれたというより、機関車が手を振ってくれたような気がして大喜びしたことを覚えている。
あの時の運転士さんは今、どうされているだろう?
あの蒸気機関車は・・・・たぶん、とうの昔にスクラップになっちゃっているだろうなぁ~(苦笑)

この経験から、拙者は電車に手を振る子供には車窓から手を振ってあげることにしている。(大笑)
ある時、常磐線の特急に乗っていたら、土手に幼稚園児らしき男の子と両親が立っているのが見えた。
その男の子が手を振っていたので・・・・
拙者も大きく手を振ってあげた・・・・見ず知らずの子なんだけど・・・(大笑)
すると、気が付いたらしい・・・
その男の子が、こちらを指さしてお父さんに何やら報告して、何度も飛び上がって喜んでいる姿が最後に目に入った。
たぶん・・・・「電車が手を振ってくれた!」と喜んでいたに違いない。(笑)
それでいいのだ・・・どこかのオジサンが手を振っていたのではなく・・・
特急「スーパーひたち」が手を振ってくれたのである。(大笑)
できれば、乗客全員が手を振ってあげたら・・・もっと良いよなぁ~と思ったりしたものである。
この子の中に「電車が手を振ってくれた!」という思い出が、いつまでも残ってくれたらいいなぁ~と思ったが・・・
あの子は、今はどうしているだろうか?
今でも、あの時の事を覚えていてくれているだろうか?
もういい歳になっていると思うが・・・(大笑)

「炭礦」と聞くと、ついつい、あの石炭を運んで、拙者に“手を振ってくれた”蒸気機関車を思い出すのである。(苦笑)
今では高萩炭礦も櫛形炭礦も、とうの昔に廃鉱となっている。
もう、あの機関車を見ることはできない・・・・
ちょっと寂しい・・・いや、かなり寂しい・・・(涙)

菊池寛実展を見ながら、ついつい子供の頃の思い出に浸ってしまった。(大笑)
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日記 | 18:44:08 | Comments(0)
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