■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
韮山を歩く
今日は、本命の韮山反射炉を見に行く!(大喜)

旅館をチェックアウトして、電車に乗って伊豆長岡駅へ・・・

042_convert_20170819094923.jpg (伊豆長岡駅)

時刻は午前9時半・・・
駅前の観光案内所で情報を収集・・・
反射炉まで歩いて行けないことはないな・・・(笑)
駅から少し離れたところにあるファミレスでコーヒーを飲んで早くも一休み。(大笑)
まずは、落ち着いて・・・今日の行動計画を練らねば・・・

044_convert_20170819095531.jpg

駅からテクテクと歩く・・・・

045_convert_20170819095600.jpg

遠くに、反射炉の“煙突”が見えてきた!
もう、胸ワクワク、ドキドキである!(大喜)

046_convert_20170819103917.jpg

エントランスは資料館になっていて、ほとんど強制的に上映される映像を見させられる。(苦笑)
その後、ボランティアガイドに、これまた半強制的に促されて、建物の外に誘導される。
おかげで、マイペースで見学できない・・・(涙)
外に出て、反射炉の場所まで行く・・・
おお!憧れの反射炉!(大笑)

051_convert_20170819103947.jpg

反射炉は、洋式の大砲の砲身を造るために建設された炉である。
日本各地に遺構が残っている。
初めて見たのは・・・鹿児島(薩摩藩)の反射炉だが、仙厳園の中に土台だけが残っているというものだった。
次に見たのが、山口県(萩藩)の反射炉で、かなり荒れ果てていて雑草に覆われた中で崩れかかっているように見えた。
(今はどうなっているかは知らないが・・・)
その次に見たのが、佐賀県(佐賀藩)の反射炉で、小学校の敷地内にミニチュアの模型が置かれていただけで、わざわざ見に行ってガッカリした・・・(苦笑)
そして、我が茨城県(水戸藩)の那珂湊の反射炉!
これは復元されたものである。
ここには水戸藩士の“シミズくん”と一緒に見に行った。
そして、最後に残ったのが、この韮山の反射炉なのである!
この反射炉だけは、まだ訪れたことがなかったので、やっと念願叶ったというわけ・・・(大喜)
これで主だった反射炉の遺構は“制覇”したと言っていいかな?(大笑)

072_convert_20170819110444.jpg


炉体の構造

炉体の外側は伊豆石積み、内側は耐火煉瓦のアーチ積みとなっている。
また、炉床の下には、半月形の鉄板で覆われた通気用の空間が設けられている。
ロストルと呼ばれる部分に木炭や石炭等の燃料を置き、燃焼させる。
それによって生じた炎と熱が、浅いドーム状に湾曲した天井に反射し、一点に集中することで、材料となる銑鉄を溶かす千数百度の高温を実現する。
熱や炎を反射して鉄を溶かすしくみから「反射炉」と呼ばれたのである。
溶けた鉄は、炉床の傾斜により、出湯口に向けて流れていく。
ひとつの炉で溶かすことのできる銑鉄の量は、約2~3tである。
安政4年(1857)9月、初めて鉄製18ポンドカノン砲を鋳造した際には、鋳造開始から完了までおよそ11時間かかったと当時の記録にある。

(説明板より)



ここでの見学もボランティアガイド主導で「こちらに集まってください!」と強制的である。
拙者は団体客ではない・・・(汗)
「個人での見学はお断り」という貼り紙を見た覚えはないから・・・“命令”に従わなくてもいいでしょ?
他の人たちはボランティアガイドに促されて、一塊になって見学していた。
まぁ~みなさん、なんと素直な方々か・・・(笑)
拙者は一人で別の方向に向かい、彼らが写らないように写真を撮る。
ガイドさんは一生懸命説明してくれるのだろうが、拙者は三歩も歩けば何の話をされたのか忘れるような人間である。
ボランティアガイドの説明を受けている時間が勿体ない・・・(苦笑)

079_convert_20170819145844.jpg

少し離れたところに江川太郎左衛門の銅像があった!
これ、これ・・・この写真を撮るのも今回訪問した目的の一つなのである。(大喜)

この後は、この江川太郎左衛門の家を見に行こうと思う。
で・・・資料館の受付の方に尋ねたら、ここに来るのに駅から歩いてきたと言ったら呆れられた。(笑)
さらに、ここから江川邸まで歩いて何分かかるかと尋ねたら驚かれた・・・(大笑)
「タクシーを呼んであげましょうか?」と言われたが、徒歩で30分くらいなら、歩いてみるのも面白いだろう。
タクシーは遠慮して徒歩で向かう。

教えてもらった近道は「韮山城」の山を、ひと山越すことになる。
平面だと思い込んでいたのだから間抜けである。
普段の運動不足で息が切れる・・・(大汗)
約40分ほどかかって、ようやく江川邸に到着。

152_convert_20170822130118.jpg 088_convert_20170821120853.jpg

敷地内に「役所跡」があった・・・
え?・・・個人の敷地内に?
驚いた・・・

094_convert_20170821121447.jpg (役所跡)


役所跡

韮山代官所の役人が執務した建物のあった場所。
江川邸の周辺には、他にも役人たちの住む長屋や番人小屋、厩(うまや)、牢屋など様々な建物があり、代官役所として一体的に機能していました。
維新後も、明治時代の中頃まで、韮山県庁→足柄(あしがら)県韮山支所→静岡県韮山出張所として地方行政を担っていました。

(説明板より)


098_convert_20170822102742.jpg 108_convert_20170822103022.jpg

109_convert_20170822103123.jpg 110_convert_20170822103154.jpg

屋敷内の展示品などを見学・・・
ボランティアガイドの方からも説明を戴き、その後、庭を見学・・・

122_convert_20170822103800.jpg 125_convert_20170822104009.jpg

庭には、いくつもの蔵があった。
へぇ~・・・・である。
蔵の中も見学できる。
その中で目を引いたのが・・・これ!
「施条機械」!
これは珍しいものである!(大喜)

134_convert_20170822104420.jpg


木製施条機械 江戸時代末期

江川家に伝来した工作機械。
鋳造した銃身の内側に、ライフル(螺旋状の溝)を刻むための装置であると考えられている。
ライフル銃は、それまでの丸玉の銃にくらべて、射程距離・命中率が飛躍的に高いため、幕府にとってもその国産化は急務であった。
幕末の江川家では、西洋式の小銃・大砲の生産を行っており、この機械はそうした必要性から製作されたものであろう。
台座や刃の部分などが欠けていて、完全な形ではないが、国内では他に類例のない機械であり、幕末日本における西洋の軍事関連技術受容のありさまを示す、貴重な資料である。

(説明板より)


130_convert_20170822110644.jpg 131_convert_20170822110712.jpg

ここには、反射炉に関するパネルも展示されていた。
貴重な古写真を見る。
ほぉ~・・・である。(笑)

145_convert_20170822110744.jpg (江川家の井戸)

約1時間ほど見学して次に向かう。
どうも、この近くに江川家の菩提寺があるらしい。
それほど遠くなさそうなので行ってみる。

153_convert_20170822131109.jpg 159_convert_20170822131213.jpg

日蓮宗の本立寺・・・ここに江川太郎左衛門英龍のお墓があるらしい。

155_convert_20170822131145.jpg

江川太郎左衛門の石像があった。
で・・・お墓はどこにあるのだろうと境内をウロウロ・・・・
もしかして、本堂の裏あたりかなと思って坂道を登って行ってみたら・・・あった!

163_convert_20170822131246.jpg (江川家の墓所)

お参りをして・・・帰る・・・・

途中、喉が渇いたので近くのお店に入ってジュースを飲む・・・
と・・・お店のオバサンが「仕事ですか?」と尋ねてきた。
「いえ、観光です」と答えたら、「なんで観光なのにスーツなんて着ているの?」と呆れられた・・・(苦笑)
いいじゃねぇか、何を着ようと・・・(大笑)
拙者はスーツの方が落ち着くんだから・・・
そんな会話から、ちょうど店にいた地元の常連客と、おしゃべりを少々する。
「茨城の人?」と尋ねられた・・・(汗)
「俺は福島出身だから、あんたの話し方でわかるんだよねぇ~茨城でしょ?」と言われてショック!(苦笑)
茨城なまりが抜けていない・・・いくら気取ってもバレバレである。(大笑)
店内の皆さんと楽しい会話をして店を辞する・・・・

さて・・・もう1か所、行きたいところがあったはずなのだが思い出せない・・・
以前、韮山反射炉を見に行ってみたいと、水戸藩士の“シミズくん”に話したところ、「こういう史跡が近くにある」と彼が教えてくれた場所なのだが・・・(汗)
何だっけかなぁ~
源頼朝が配流された場所で・・・「小島」っていう地名だが、実は小さな島じゃなくて・・・
「島流し」のつもりが、全然島流しでもなんでもなく・・・
地名だけで島だと思い込んでいたという間抜けな話・・・だったような気がするのだが・・・
余計なことは覚えていても、肝心なことを覚えていない!(涙)
ようやく断片的に思い出した!
「蛭(ひる)」っていう字が付いていたような気がする・・・
タブレットで調べたら・・・「蛭ヶ小島」というのがあった。
そう!ここだ!(大笑)
次に「蛭ヶ小島」に向かう。

166_convert_20170822141419.jpg 165_convert_20170822141352.jpg

「蛭ヶ小島」・・・・確かに“島”じゃない・・・(笑)

178_convert_20170822141450.jpg

源頼朝と北条政子の銅像・・・
そう、そう、この銅像の写真を撮りたいと思っていたのだ!(笑)
なぜ、ここを訪れないといけないと思っていたのか、ようやく理由を思い出した!(苦笑)
源頼朝と北条政子は、この地で結ばれたのだそうだ。
源頼朝と北条政子と言ったら鎌倉だとばかり思っていたのだが、こんなところで出会ったの?
へぇ~・・・・である。

181_convert_20170822141519.jpg

時刻は午後1時半・・・・
ここにある小さな茶店で、遅い昼食を食べて近くの駅に向かって歩く。

182_convert_20170822142551.jpg

振り返って「蛭ヶ小島」を見てみたが・・・・やっぱり“島”じゃない・・・・(大笑)
徒歩10分程度で「韮山駅」に到着。

183_convert_20170822142702.jpg

予想に反して・・・・小さな駅だった・・・・(汗)
今日はここまで・・・
帰途につく。
スポンサーサイト


旅行 | 09:44:49 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。