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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
いつの間にやら63歳!
独身生活63年!(大笑)
チンピラに注意をしたら「うるせえ!ジジイ!」と言われ愕然とする。(大汗)
拙者は「ジジイ」なのか?
頭に来たので、当然、このバカを懲らしめてやった。(大笑)
拙者をジジイと呼ぶとは失礼だ。(大笑)

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一宮神社の手水舎
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旧大和郡山城主本多忠直公御門
宝永7年3月作(西暦1710年)
奉 唐破風造古門一宇
芦屋市 中村準祐

(木札より)


この手水舎の唐破風の建物は今から278年前宝永7年(西暦1710年)大和郡山(現在の奈良県郡山市)城主本多忠直公の御門であります。
昭和20年まで北野町1丁目(現六甲荘)の中村準祐邸の御門として大和郡山より移築されておりましたものを当神社へ寄進されました。
本多家は徳川氏四天王の随一松平親氏の時代から仕える三河譜代に属します。
三葵の紋を賜りこれに茎をつけ立葵を家紋としています(当建物の鬼瓦の紋)。
本多家からは、忠勝(桑名城主)忠政(姫路城主)政朝(姫路城主)忠義(白川城主)政利(明石城主)等多くの城主が出ており、忠政は家康の孫女を娶りその嫡子忠刻は有名な千姫を娶っております。

昭和63年8月
一宮神社社務所

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区山本通1-3-5・一宮神社】

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史跡 | 14:50:28 | Comments(0)
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