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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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高田屋嘉兵衛埋葬地
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高田屋嘉兵衛埋葬地

1818年(文政元年)、事業を弟達に譲り郷里都志に引退した嘉兵衛は、都志八幡神社随神門の寄進や灌漑用井堰の築造・都志港などの修築等郷土の開発に尽くした。
しかし、1827年(文政10年)4月5日(太陽暦4月30日)、病のためその波乱に満ちた生涯を閉じ、ふるさとを見下ろすこの地に手厚く埋葬された。
墓碑は多聞寺に祀られている。
享年59才。

法号 高誉院至徳唐貫居士

葬儀は、都志の長林寺で執り行われたが、この地への葬送の列は道中途切れることなく、まだなお寺の境内にあふれていたと言われ、嘉兵衛の人望とその偉大な業績が偲ばれる。

(説明板より)


嘉兵衛の里めぐり 健康ウォーキングコース
②高田屋嘉兵衛翁埋葬墓地
―茅生の隈―

高田屋嘉兵衛翁は、郷里の都志に帰って9年後の文政10(1827)年4月に病死。
遺体は「茅生の隈」に埋葬されました。
享年59歳。
墓には長い石材を使った石室が造られているようです。
翁の左側には、弟金兵衛も眠っています。

語り草
「遺体は甕の中で朱につけられているんやぜー」

五色町・五色町教育委員会
高田屋嘉兵衛翁顕彰会

(説明板より)


【兵庫県洲本市五色町・高田屋嘉兵衛公園】

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史跡 | 13:20:25 | Comments(0)
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