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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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常泉寺
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常泉寺

太閤山と号し、日蓮宗。
慶長年中(1596~1615)円住院日誦上人の創建という。
この地は、織田信長に仕え、足軽から身を起こして、後に天下を統一した豊臣秀吉誕生の地と伝える。
境内に伝承として、秀吉手植の柊(基木より5代目という)と秀吉産湯の井戸がある。
なお、誕生地については、中中村(現中村中町あたり)とする説もある。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

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御手植の柊

秀吉は(1590年)小田原攻め凱陣の時、この地に立寄りて一宿なさる。
小早川景隆、加藤清正を呼召され、寺の建立ありたしと見れば、私11才の時植え置いた柊(1547年)が繁茂せり、柊は鬼神も恐れる吉祥の樹なり大切に致べしとして、手づから竹を立添えられる。
以来「幹」が衰えても下枝が育ちを繰り返しながら現在に至る。

(説明板より)

DSCN4446_convert_20170623221256.jpg

豊太閤産湯の井戸

此の井戸は秀吉公生誕の当時近郷に類のない清水の溢れる井戸と伝えられております。
此処に秀吉の依頼によって寺を建立した時この清泉の湧出を意味として常泉寺の寺号を定めたと当山の縁起書に記されております。
昭和40年代に入り市の発展にともない地下水の変動で常泉も枯れるに至り多くの人々が元の姿にもどすことを希っておりました。
年号改元を機に常泉寺の名のとおりの再現を試み清泉がよみがえりました。
滝の落下する後の石は千成びょうたんにちなんで「萬成石」が使用してあります。

平成3年10月吉日
当山

(説明板より)


【愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47】
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史跡 | 19:58:07 | Comments(0)
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