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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『ルソン日記』


まえがき

1 それまでの経過(昭和20年5月12日まで)

2 ラロのおとり陣地(5月13日~6月19日)

3 難行軍(6月20日~6月27日)

4 天然洞窟陣地 (6月28日~7月28日)

5 遊撃地点二四〇〇高地 (7月29日~8月12日)

6 終戦 (8月13日~8月27日)

7 俘虜収容所 (「ルソン日記」補遺)

あとがき


本書はフィリピン従軍記・・・
しかし、「わが部隊」「わが中隊」という書き方なので、どこの部隊なのか、なかなかわからない。
自分の部隊名を明記しない、こういう書き方をする従軍経験者が結構多い。
最初に明記してくれれば、あの部隊の話かと、すぐわかるのだが・・・
ハッキリと部隊名を知られてはマズイことでもあるのだろうか?

戦史の“参考書”としては『戦史叢書』というのがあるが、これは、どちらかというと参謀や指揮官クラスの“お偉いさん”の証言を基に書かれた「戦史」ではないかと思う。
そのため、自己保身のためか、自己弁護とも受け取れるような記述や、明らかに間違っている(事実とは異なる)ような記述、つじつま合わせの話なども見受けられ、現場の第一線で戦っていた人からは「戦史叢書をあまり信用してはいけない」と忠告されたことがある。
たしかに、そういう部分があるのを私自身、いくつも、確認している。
たぶん、どこかの参謀の証言を基に書いたのだろう、「あそこへ移動しろと命令したから、この部隊はあそこへ移動して、あそこで全滅した」とこうことで「記録」されているが、実際には命令通りに移動できず、全く別の場所で全滅していた・・・という事例を確認したことがある。
これでは『戦史叢書』を参考に現地に慰霊に行くご遺族には甚だ迷惑、失礼ということになるのだが・・・
また、「戦闘記録」でも、案外、怪しい記述が多い・・・
たとえば・・・「1000発の砲弾を敵に浴びせた」と記述されている戦闘では、生還者の話では、当時、1000発もの砲弾は持っていなかったとか・・・
私の祖父が戦った戦場では、山頂に陣取る米兵に対し、山頂まで坑道を3本掘って爆薬を仕掛けて吹き飛ばしたという記述になっているが、実際は坑道は1本だけで、しかも爆薬ではなく軽機関銃を撃ちまくって米兵を山頂から追い払っている。
それをやった人から直接聞いた話だから間違いはない。
「あの当時に爆薬なんてもう残っていなかったんだから、爆薬で吹き飛ばせるわけはないだろう!」と怒っていた。
負け戦が続く中、戦意(戦威)高揚のため「景気のいい話」に仕立てたものが、そのまま記録として残ってしまったわけである。
公刊戦史といわれる『戦史叢書』が、こういう内容なのだから、他の角度からも見なくてはならないと思う。
そういう意味では、第一線で戦った一兵士の記録(日記)は、貴重な「戦史」だと思うが、なぜか、部隊名を明記しないものが多い・・・
この方の場合は、話の内容から、第103師団(駿兵団)の独立歩兵第180大隊に所属していた方ではないかと思うが・・・

この方が戦った場所は、私がよく行く北部ルソンの山岳地帯の更に北の方で・・・
一度は、こっちの方まで足を延ばしてみたいものだと思っていた地域である。
それゆえに、興味深く読ませてもらった。


今年の読書:31冊目

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読書 | 23:51:19 | Comments(0)
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