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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『東大落城』


プロローグ
     17名の女闘士
     三島由紀夫からの電話

第1章 任命
学園紛争の嵐が最高潮に達した昭和43年11月、香港から帰国したばかりの筆者に1枚の辞令が下りた。「警備第1課長ヲ命ズ」

     香港からの帰国
     西条巡査部長の殉職
     「警備第1課長ヲ命ズ」
     アウト・レインジ戦法
     タイム・リミット
     警備戦術の大転換
     警備新戦術研究会
     情報攪乱の神経戦
     危機一髪の集会潜入
     佐藤総理への直訴

第2章 出動
学園自治を原則に機動隊による封鎖解除を拒む大学当局。一方、全共闘側の「東大解体」の執念は凄まじい。加藤一郎学長代行の決断は?

     催涙ガス大量使用作戦
     日大「千早城」の陥落
     東大卒を機動隊に投入
     「上智大方式」の誕生
     プレ安田講堂四大事件
     1・9東大両派乱闘事件
     三つ巴の決起集会
     機動隊出動要請
     動員解除か?
     ニトロとリベット銃
     大鉄球作戦
     決戦の朝

第3章 包囲
昭和44年1月18日午前7時5分、医学部の攻防から学園紛争天王山の戦いの火ぶたは切られた。そして林健太郎監禁事件の真実

     青い溶岩流
     「医学部中央館」攻略
     催涙ガス使用開始
     「ニトロ発見」
     脱出していた革マル派
     東大紛争の発火点
     奇々怪々の金権大学
     堕ちた大学教授たち
     東工大の「警備計画」
     林文学部長監禁事件
     「只今、学生を教育中」
     全学園紛争の天王山

第4章 突入
火ダルマになった機動隊員、黒煙につつまれる列品館、法学研究室にはガソリンがまかれる。さらには神田地区でも不穏な動きが・・・・・

     炎と白煙の修羅場
     列品館へ!
     隊員たちの胸の内
     炎上する警備車
     ヘリコプター作戦
     焦土戦術
     列品館陥落
     「法研」攻防戦
     死守した史料、文化遺産
     落書だらけの教授室
     深夜の脅迫電話
     総監室では拳銃着装
     “警備戦国時代”の武勇伝
     早くも“二正面作戦”か・・・・・

第5章 激闘
“本丸”安田講堂攻めが始まった。学生側の抵抗は予想以上に激しく負傷者が続出、夕暮れ迫るなかついに作業中止命令が出される。

     要塞化した“安田城”
     「本気で東大をぶっつぶす」
     史上初の催涙ガス液散布
     無法状態の神田地区
     安田講堂一番乗り
     炎に包まれる工作班
     記念写真を撮る教職員
     作業中止命令
     荒城の月

第6章 落城
早朝6時30分、攻撃再開、次々と突入口から暗闇の講堂内へ飛び込む隊員たち。石塊、火炎ビン攻めに耐え一歩一歩前進してゆく。

     “食パン”作戦
     攻撃再開
     大理石の直撃弾
     充満する都市ガス
     “銀ヘル”との闘い
     “学生死亡”のデマ情報
     命がけの食糧搬入
     一歩一歩前進
     誤れる陣頭指揮
     午後3時50分、大講堂制圧
     東大のいちばん長い日

第7章 終熄
敷石はがし作戦をもって72時間の死闘は幕を閉じる。後日、奏上した秦野警視総監に対する昭和天皇のお言葉は意外なものだった。

     神田地区へ転進
     庶民はどちらの味方だったのか?
     機動隊員を助けた学生
     “瘦せ細る”各隊
     階級章では動かない
     深夜の激闘
     敷石はがし作戦
     道路損壊罪?
     秦野流“スクイズ”サイン
     代表課長会議の大激論
     住宅ローンで弁当代を
     “不実の恋人”東大全共闘
     まだ「終わり」ではなかった。
     「軍隊」と「市民警察」の間
     離職者ゼロの意味するもの
     昭和天皇のお言葉

エピローグ
     戦後史の中の安田講堂事件
     真の「反権威闘争」だったのか?
     新たな連帯意識を求めて
     “東大病”の克服
     平成世代との断絶

あとがき

解説 早坂茂三(政治評論家)


東大安田講堂の攻防は有名な事件である。
あの時、最後の最後に、追い詰められた学生たちの中から何人かが飛び降り自殺をしていたら、その後の展開は大きく変わっていたかもしれない。
が・・・彼らは、散々騒いで壊して火炎瓶を投げて…大人しく捕まった・・・
捕まっても絶対にひどい目にはあわないという“読み”だっからだろう。
呆れたのは東大の学生たち・・・
こっそりと途中で撤退していたのである。
戦力の温存とか再起を図るとかもっともらしいことを言って“逃げ出した”
さすがは東大生・・・「エリートは自己保身と要領の良さを本分とすべし」・・・のいい例である。
ワリを喰ったのは応援に駆けつけて講堂に最後まで立て籠もっていた私大生たちである。
「正直者は馬鹿を見る」・・・そのものである。
この安田講堂に最後まで立て籠もってひどい目に遭った日大生の話を又聞きしたことがある。
気が付いたら東大の連中がいない!
今もって、あの時の東大生たちには恨みがあるという。
その後の“内ゲバ”などは、そういうことも原因の一つであったのかもしれない。

いつも思うのが、成田空港開港反対の運動・・・・
なぜなのかはしらないが、なぜか学生たちがデモ行進をし、火炎ビンを投げ、管制塔を破壊した・・・
あの時の学生たち・・・今では、いい歳をしたオッサンになっていると思うが・・・
間違っても、新婚旅行や海外旅行、海外出張に成田空港は利用してないよね?
と・・・言いたくなるのである。(笑)
自分たちが反対していた空港を利用なんかしないよね?
成田空港に行くたびに、ついつい周囲をキョロキョロしてしまうのである。(大笑)

「東大をぶっ潰す!」と騒いで火炎瓶を投げていた連中は、まさか自分の子供を東大なんかには進学させていないよね?(笑)
誰か、その後の過激派連中の行動を調べて本にしてくれないかと思う。
ちゃっかり自分の子供を東大に進学させたり、素知らぬ顔で成田空港を利用してるんじゃないのかなぁ~?
そういう気がしてならないのである。
所詮、「学生運動」なんて、そんなものなのだろうと思う。
だから、今では「学生運動」なんていう言葉は死語同然になってしまっているのだろう。
今の学生は・・・“運動”はしない・・・・
これは“世代”の問題というわけではないという気がする・・・

学生時代、私は学長と学長室で一対一で談判をしたことがある。
大学改革をぶち上げて激論を戦わした。
当然、合法的で、礼を失しないようにした、“まともな”直談判である。
今になって思えば笑ってしまうのだが・・・
授業料値上げに反対していたのは学長の方で、学費が多少高くなっても教育水準を上げろと言っていたのが私なのである。(大笑)
私が左翼の学生たちと違うのが、こういうところ・・・(笑)
今では、こんなことを訴えるような学生は皆無だろう・・・
ちょっと寂しい気がしないでもない・・・・

当時、あの安田講堂で“戦って”いた元学生たちは、本書を読んでどういう感想を持っただろうか?
自分たちがやったことを「若気の至り」の一言で片づけてしまっているのだろうか?

本書の「解説」は早坂茂三氏・・・・
田中角栄の秘書で有名だった人で、一度だけお会いしたことがある。
一緒に寿司を食べた記憶がある。
お亡くなりになってから、もう何年経つだろう?
懐かしい“声”に触れた・・・・
変なところで感激・・・・(苦笑)


今年の読書:30冊目

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読書 | 21:51:52 | Comments(0)
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