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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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モーナ・ルーダオの生家跡に行く
霧社から更に奥地に向かう・・・・
向かう場所は「廬山温泉」・・・・
そこに、事件の首謀者とされるモーナ・ルーダオの生家跡があるらしいので今回の予定に入れておいた。

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途中、「雲龍橋」という橋のところで下車して見学する。
この橋は史跡らしい。
が・・・ガイドの話が要領を得ない・・・・(苦笑)
史跡の説明板があったので読んでみるが中国語である・・・(涙)
この文章を、そのまま日本語に翻訳して欲しいのだが、ガイドは自分の知識だけで説明するので、よくわからない・・・(涙)
マイペースなんだよなぁ~(苦笑)

しかたがない・・・想像力を駆使しながら自力で読むしかないか…(苦笑)

説明板によれば・・・・
日本統治時代に斯庫部落(スーク社)の下にある濁水渓という川の畔に架けられた橋が前身のようである。
当時は、「斯車鐵線橋」と呼ばれていたらしい。
「鉄線橋」という言葉は聞いたことがあるが、どうも日本でいう「吊り橋」を指すのではないかと思われる。
で・・・このスーク社(斯庫部落)は「廃社」と書かれているから、現在は消滅しているという意味だろう。
この橋の西には賽徳克族(セデック族)のSUKU部落(スーク社)とGUNGU部落があるという。
わからないのは、このGUNGUの発音・・・(苦笑)
霧社の11社の部落に、このGUNGUに当てはまる発音の部落(社)がないのである。(涙)
このGUNGU部落は、現在は春陽部落と呼ばれているらしいのだが・・・・
東にはBOWARUNG部落と、MEHEBU部落がある。
BOWARUNG部落は「ボアルン社」のことで、MEHEBUは「マヘボ社」のことだろう。
ボアルン社は現在は廬山温泉部落と呼ばれているらしく、マヘボ社は現在の廬山温泉だと書いてある。
が・・・う~ん・・・「廬山温泉部落」と「廬山温泉」とは、どこがどう違うんだろう?(苦笑)
1930年10月、霧社事件が「爆發」したとき、「抗日領袖」だったMONA-RUDAW(莫那魯道=モーナ・ルーダオ)は、日本軍に追われて「敗退」するときに、この橋を「吹断」して(吊り橋を切り落としたという意味か?)日本軍が川を越せないようにしたと書いてある。
1949年、「台湾光復後」に、「龍雲将軍」という人が、橋を再建したらしく、「龍雲橋」と名付けられたと書いてある。
その後、再び名前が変わり、「雲龍橋」となったらしいが、その理由は・・・読んでも意味が分からなかった。(苦笑)

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当時の吊り橋の“主塔”部分が残されていて、そこに「雲龍橋」と刻まれている。
この橋の主塔が、どうも「史跡」らしい・・・
霧社事件当時の橋は、どのあたりにあったのかは全く分からない・・・
この橋は戦後に建てられた2番目の橋ということになるか?
説明文では、1972年に南投縣政府が、山地人(原住民)の交通の便を良くするために吊り橋を建設したというようなことが書いてある。
ん?・・・ということは、その時の橋がこれなのか?
よくわからん・・・
そうなると、この「雲龍橋」は3番目ということになるのか?
説明板によれば、「但」し・・・「小車」しか通行できないので、「大型車」に乗っている「遊客」は、ここで下車したという。
このため、「人車分離方式」の「座橋」を建てたらしい。
これが現在の「道路橋」ではないかと思うが、「人車分離」の「歩道」のほうは、どこにあるのか・・・見当たらなかった。(苦笑)
どうも、拙者の和訳も、最後の方になると怪しいものである。(大笑)

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橋のところに銅像が・・・(大喜)
男女の像であるが、服装から想像すると賽徳克族(セデッック族)ではないかと思うが・・・・
セデック族は、泰雅族(タイヤル族)の中の一つで、タイヤル族の亜流である。
以前は「タイヤル族」とされていたが、2008年に原住民の「セデック族」として台湾政府に認められた。
で・・・特徴は、顔に刺青(いれずみ)を入れているのだが・・・
この銅像の顔には刺青らしきものが見当たらない。
なんでだろう?
日本統治時代に、この刺青については厳しく禁止されたという。
そういうわけで、この顔に刺青を入れるという風習は現在では無くなったので・・・・それで銅像にも刺青を描かなかったのかも。

橋を渡り、トンネルを抜け・・・さらに山奥に向かう・・・

ガイドの話によれば、廬山温泉は、2009年に集中豪雨に遭い、壊滅的な被害を受けたという。
で・・・今では、廃墟と化しているというのだが・・・・
行って見たら、そんな風には見えない・・・(苦笑)
ごく普通に営業しているように見えるんですけど・・・(汗)

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吊り橋を渡って、向こう岸に向かう・・・

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結構、この吊り橋・・・怖いのである・・・(大笑)
拙者は高所恐怖症なのである!(大涙)
先を行くのはガイド・・・
揺らすなって!(怒)
あんたがドッシンドッシンと歩くと揺れるんだって!(怒)
向こう岸から中国人観光客の団体がやってきた!(大汗)
渡るなよ!来るなよ!・・・と言いたいが・・・中国語が話せない・・・(大汗)
橋の真中を歩くのもやっとだというのに・・・橋の上ですれ違うのかよぉ~(涙)
ゲゲッ・・・顔面蒼白である。(大笑)
キャーキャー騒ぎながら渡ってきた中国人観光客たちと橋の上ですれ違う・・・
お互いに橋の端を歩かねばならない・・・
言葉が通じないので、お互いに表情で“会話”・・・・
「怖いよねぇ~」(大笑)

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橋を渡った先の温泉街・・・・
どことなく昔の日本のような・・・そんな感じのする温泉街である。
ん?ちゃんと営業してるじゃないか?壊滅なんかしてないじゃないか?
閑散としていてお客さんの姿は見当たらないが・・・(笑)
だいたい、どこでも温泉街って昼間は閑散としてるんだよねぇ~
賑わうのは夜でしょ?(笑)

旅館と旅館の間の狭い路地から奥の山に向かって歩く・・・
ダラダラのなだらかな坂なのだが、こういう坂が実は歩いていて、運動不足の拙者には非常にキツイのである。(涙)
その景色を撮影したいが、先を歩くガイドが邪魔で写真が撮れない・・・(涙)

山奥に入り込んで約10分・・・道に迷った・・・(笑)
どこにもモーナ・ルーダオの生家跡らしきものは見当たらない。
「帰りましょう!」とガイドが言う。
いや、いや、ちょっと待て・・・ヘトヘトになりながら登ってきたのである。
ここで諦めて帰るわけには行かない・・・
が・・・ガイドは勝手に山を下りようと先に歩き出した・・・(唖然)
と・・・・見っけ!(喜)

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道標を見つけた!
ガイドはどこを見て歩いてるんだよ!(怒)
これに気が付かないとは・・・(汗)
「往莫那魯道紀念碑」と書いてあるじゃねぇか!
「こっち!こっち!」とガイドを呼び戻す。

更に山道を登ること約5分でモーナ・ルーダオの生家跡に到着する。

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ここがどうも生家跡らしい・・・

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紀念碑には・・・
「抗日英雄 
莫那魯道 紀念碑 
仁愛郷長 沈明徳 題
中華民國八十二年九月五日立」
・・・とある。
「中華民国八十二年」は、1993年、日本では平成5年である。

後ろにある建物は、復元された生家というわけではなさそうである。
「莫那魯道紀念館」という看板が取り付けられていたが・・・
どうも日本でいうところの「神社」「社」という感じである。
内部を見たら・・・・こんな感じ・・・・

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「紀念館」だけど・・・資料のようなものの展示は何もない・・・(苦笑)
祭壇らしきものがあるだけ・・・・
神様として祀っているということだろうか?

「往馬赫坡古戦場」という道標を見かけたが、「古戦場」って何だろう?
どうも、この生家跡の脇の道を通って更に奥地に向かうらしいが・・・
ガイドに尋ねたら「知りません」とのこと・・・(唖然)

今日はやけに暑い・・・
山地なので、少し肌寒いかと思っていたが、山道を登ったせいか暑くてたまらん。
拙者の出で立ちは、ジャケットにスラックスに革靴である。(笑)
ジャケットなんか着ていられない・・・まるで初夏の暑さか残暑なみの暑さである。
ガイドはTシャツを脱いで上半身裸で、拙者の前を歩く・・・
やめろって・・・その格好・・・(涙)
上半身裸の男が写真に写りこんじゃうじゃねぇか・・・そんな写真、使い物にならなくなるんだけど・・・(涙)

DSCN3723_convert_20170209120605.jpg (来た道を振り返って写す)

DSCN3724_convert_20170209120655.jpg (遠くに見えるのが廬山温泉)

ガイドが「別のルートを通って帰りましょう!」と言って歩き出した・・・
途中で人の顔を彫った石を見つけた。

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石像の前にある看板を見たら「馬赫坡原址」と書かれていた。
おお!・・・ここが馬赫坡(マヘボ)社跡なのか!(驚)
事件当時のマヘボ社の家の数は54戸、人口は231名(男113名、女118名)だったという。
ごく平均的な規模の集落である。
で・・・モーナ・ルーダオは、そのマヘボ社の頭目であり、事件の首謀者である。
その生家がある場所なんだから・・・この周辺がマヘボ社だというのは当然か・・・(笑)

DSCN3731_convert_20170209135959.jpg (マヘボ社跡周辺)

今は、集落らしきものは何もない・・・・完全に消滅している。
まぁ、“抗日集落”だから仕方がないか?
54戸の家はどのあたりに建っていたのだろう?

来た時とは別のルートで、更に山を下る・・・・

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山を下ること10分程度で麓の集落に出た・・・
「地熱井(廬山温泉)」という看板のある場所を見つけた。

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「地熱井」って・・・温泉の源泉のことだろうか?
ここが「廬山温泉集落」ということであれば、事件当時、ここには「ボアルン社」があったということになる。
事件当時のボアルン社は48戸、人口は192名(男97名、女95名)だったという。
この上の方にあったマヘボ社より、ほんのちょっとだけ小さい集落だったということになるが・・・・

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この集落のメイン通りのところに、今度は女性の顔の石像があった。
説明板には「女紋面石像」としか書かれていない。
「ボアルン社跡」というようなことが書かれていない・・・
どこかに「址碑」でもないかと見渡したが見当たらなかった・・・
でも、ここはボアルン社跡のような気がするんだよなぁ~・・・・単なる勘だけど・・・(苦笑)

この人面の石像の顔には刺青(イレズミ)が彫られていた。
この刺青は、男性の場合は勇敢を表わし、女性の場合は機織の技術を持っていることを表わしている。
ということで・・・この人の場合は、機織の技術を持っている・・・ということになるな。(笑)

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どう見ても、日本家屋にしか見えない建物があった。
これは何に使われているんだろう?
一般住宅というより、集会所のような気がしないでもないが・・・・

この家の前に近代的な設備が・・・(笑)

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説明板によると「経済部中央地質調査所衛星連讀追蹤站―警光山荘站」と書いてある。
さて、これを訳してもらおうと思ったのだが・・・ガイドがいない!(驚)
彼は山歩きが趣味だと言っていたが・・・・
わき目もふらず、スッタ、スッタと先に歩いて行ってしまったのである!
役に立たねぇなぁ~(怒)
こっちはウォーキングに来ているわけじゃないんだけどなぁ~
自分の趣味を優先するとは困った男である。(怒)
しかたがない・・・またもや自力で訳すしかないか・・・
どうやら、この設備はGPSらしい・・・(笑)
ここ十数年、この廬山温泉周辺では、台風や豪雨などで地盤に問題が発生していたようである。
「大規模岩體滑動」とか「滑動」という文字が何度も出てくる。
滑る?動く?・・・・地盤がずれるとか崖崩れを起こすとか・・・そういう意味かもしれない。
で・・・ここ廬山温泉の旅館と住民の安全のため、この機器を設置して、地盤のずれを観測し、「防災」と「預警的資訊」のために情報を提供する・・・とかって書いてあるようである。(汗)
ここのほかに、かなり離れた山の中に2ヵ所、同じ観測機器を設置しており、その配置図が描かれていた。
なんと丁寧な・・・(笑)
3点でGPS測定をして、地盤の変動を調べて警告を出すということだろう。
へぇ~・・・大したものだ・・・と感心・・・

DSCN3749_convert_20170209172522.jpg

さらに道路わきに葉っぱの形をしたものを見っけ!
何だろうと思ったら、字が彫られている・・・・説明板である。(笑)
これもまた自力で翻訳せねばならない・・・(涙)
「仁愛郷廬山」についての説明文のようだ・・・
それによると、「廬山温泉」というのは、昔は「富士温泉」と呼ばれていたそうだ。
廬山温泉は霧社から東北へ「9公里」の場所に位置するという。
「9公里」って何キロメートルなんだ?・・・・9キロメートルでいいのかな?
尋ねたくともガイドがいない!(怒)
日本統治時代は日本軍人傷病兵の療養場所として使われていたらしい。
その後に、この場所が自然に恵まれた非常にいい場所だとか、温泉の効用について書かれていた。

DSCN3751_convert_20170210111828.jpg

再び吊り橋を渡って対岸に戻る。
モーナ・ルーダオの生家跡から、ここまでゆっくり歩いて約20分である。

橋を渡ったところで、ふと目についた・・・・
地図である!

DSCN3753_convert_20170210111901.jpg

ここに地図があったじゃないか!
スタスタと歩いて行っちゃうから見落とすんだよな!(怒)
この地図に「古戦場」が描かれていた。
そこにはモーナ・ルーダオの銅像が建っているらしい・・・
あ~あ~・・・・何が「知りません」だよぉ~(涙)
あの奥に、もう少し歩いていけば良かったんだよなぁ~
今更、もう戻る気は起らないし・・・(涙)
大失敗である!!(大涙)

「古戦場」と呼ばれるのは、モーナ・ルーダオ一族が最後にいた場所ではなかろうか?
事件後、日本の武装警察官隊と応援に駆け付けた日本陸軍により彼らは追い詰められていく。
どこかの洞窟にいたらしいが、その入り口に日本軍の砲弾が降ってきて死傷者が出た。
確か、弟か誰かが死んだと思う。
そこで、洞窟を出て向かった先がこの「古戦場址」と呼ばれる場所ではなかろうか?
そうだとすると・・・ここには小屋があり、そこでモーナ・ルーダオは一族の者たちに自殺を命じる。
次々と自殺をする中、モーナ・ルーダオの妻と子供が自殺をためらったので、彼が自分の手で殺害したという。
死体の首を刈られるのを避けるため、ここにあった小屋に火をつけて遺体を焼き払い、自身は山の中に入って自殺したという。
これが通説だが・・・・
その小屋があった場所、つまり一族が自殺した場所が「古戦場址」なのではあるまいか?
現地に行けば、説明板か何かがあるだろう・・・
あ~失敗した!(涙)
再訪問するしかないかぁ?
この廬山温泉にでも宿泊して、ここを拠点に歩くしかないか?

それにしても、この一族の最後の「説」には、拙者は個人的に疑問がある。
当時の彼らの「自殺」は「縊死」・・・つまり「首吊り」が一般的である。
その昔、日本でも「割腹」「切腹」が自殺・自決の一般的な方法であったのと同じようなもので・・・
彼らは、大木の枝で首を吊って自殺するという方法が一般的であったという。
これは私論であるが、山の中の檜(ひのき)は先祖の精霊が宿っている神聖な木という彼らの「信仰」に関係しているのではなかろうか?
そこで木の枝に縄をかけて首を吊るのではあるまいか?
実際、この事件で追い詰められた原住民たちの多くは首を吊って自殺をしている。
表現が不適切だとは思うが、まるでクリスマスツリーの飾りつけのように、一本の木のいくつもの枝に何人もの遺体がぶら下がっているのが発見されている。(当時、日本軍もしくは日本人が撮影したと思われる、その写真も残っている)
にもかかわらず・・・なんで小屋の中で自殺するんだろう?
周囲は山である・・・いくらでも木があるんだけど・・・
そして、首謀者も、同行していた一族も全員自殺したというのに、一体だれが、これを見て後世に最後の様子を伝えたのだろう?
不思議である・・・・

もう喉がカラカラである・・・
そのへんのお店に入ってコーヒーでも飲もうか?
ガイドが「おいしいコーヒーのお店がありますから、そこへ行きましょう」と言う。
そんなお店が、こんな山奥にあるのか?(苦笑)
とにかく車に乗り込み走り出す。
霧社のすぐ近くまで戻り、町には入らずそこから別の道を通り山を登っていく。
「すごく景色のいい場所があるので、案内します」とガイド・・・・
「いや、それより喉が渇いてるんだけど・・・何か飲みたいんですけど・・・」
「はい、コーヒーですよね?おいしい店に案内します」
しかし・・・彼の様子を見ていると、どうもお店を知っているようには見えない・・・(汗)
キョロキョロして、適当な店の前に車を止める・・・・
山の中腹にレストランが・・・
行って見たら休業だった!(唖然)
2軒目の店も休業!(怒)
さすがに腹が立ってきた!
「どこでもいいから入れ!喉が渇いてるんだって言ってるだろ!」(怒)
ようやく開店しているレストランを見つけ入る・・・

DSCN3762_convert_20170210134933.jpg (レストラン)

このレストラン・・・標高2044メートルにある。(そう看板に書いてあった)
で・・・・コーヒーは?
ガイドに尋ねてもらったら・・・「ありません」と言う。(唖然)
どこが「おいしいコーヒーが飲めるところに行きましょう」だ?(怒)
缶ジュースならあるというので、コカ・コーラを飲むことにした。
廬山温泉を出て約1時間後に、ようやく水分補給ができた。
結局、コーラを飲む羽目になるなら温泉街の店で良かったんじゃないか?

このレストランには展望台が併設されていた。

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目の前に広がる山々は3000メートル級の山々である。

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「すごいでしょ~!この景色!」とガイドは大喜びなのだが・・・・
彼はトレッキング、山歩きが趣味だそうだが、拙者は正直言って、「景色」には、それほど興味はない。(苦笑)
彼は決して悪い人間ではない。
気さくではあるが・・・軽いのである・・・・「無神経」に近い・・・(大笑)
自分がガイドであることを完璧に忘れている。
これじゃ、ガイドを付けて旅行をしているのではなく、台湾人の友人と二人で旅をしている感じ・・・
おい、おい、勘弁しろよ・・・・である。(苦笑)

DSCN3759_convert_20170210162106.jpg DSCN3760_convert_20170210162132.jpg

ここで、しばらくボ~ッと山を眺めることとなったが・・・・
時刻は午後3時・・・
「もう、山を下りましょう!」と声をかけ、無理やり移動することにした。(笑)

帰る途中、横道にそれた・・・
どこへ行くのかと尋ねたら、「原住民の村があるので、そこへ行く」と言う。
車1台がやっと通れるような狭い山道を延々と走るが、そのうちデコボコ道となり、とても乗用車じゃ走れない道となった。
ちょうど工事車両が来たので尋ねたら、この先は乗用車じゃ無理とのこと。
そうだろう?・・・・どう見てもそうだろう・・・(苦笑)
延々と走ってきたが、結局Uターンする羽目となる。
本当に、この先に原住民の村なんてあるのかね?
このガイド・・・調子がいいだけに信用できない・・・(大笑)
部落名を尋ねても、要領を得ない答えなので、なおさら怪しい・・・・(苦笑)
それにしても、大きく時間を無駄にしてしまった・・・(泣)
陽が沈み始め、まもなく山に沈む・・・・
今日は、ここまでだな・・・・(汗)

霧社に戻り、課長に会ってご挨拶・・・・
廬山温泉に行ってモーナ・ルーダオの生家跡に行った話をしたしたが「ふ~ん」の一言で終わり・・・(苦笑)
自分の“影響力”の及ばないところに行かれたのが面白くないという感じ・・・・
山の展望台へ行った話をしたら・・・・「あ~“見晴らし”に行ったのか」と言う。
「え!あそこが“見晴らし台”?・・・・そんな話、俺は聞いてねぇぞ!」とガイドに言ったら、焦っていた。
どうも彼は何も知らずに拙者を連れて行ったらしいことが、これでバレた。(苦笑)
“見晴”もしくは“見晴台”は、日本統治時代に名付けられた地名である。
確かに見晴らしがいい場所である。(笑)
「あの場所にたくさん建物が建っていただろ?レストランとか・・・あれは、全部、無許可で建てた不法建築なんだ」と課長。
中国人がやって来て勝手に家を建てて住み着いたというのである。
ちなみに、課長は建設課の課長である・・・(大笑)
「なんで取り締まらないんですか?」と尋ねたら、「政治的にいろいろあるんだよなぁ~」と言葉を濁す。
彼らが本省人(第二次世界大戦前から台湾に住み着いている中国人)なのか、外省人(第二次世界大戦後に大陸から来た中国人)なのか、どっちだったかは忘れたが・・・・
課長は、かなり苦々しく思っているようで・・・「あいつら・・・」を連発する。
もともとの原住民からすれば、そう言いたくなるのもわかる気がする。
山は原住民のものである・・・・ということだろう。
「霧社を仁愛郷なんて、変な名前に変えることが気に入らん!」としきりと言っていたくらいだから・・・(苦笑)
話し出したら、とにかく鼻息が荒くなる・・・(汗)
これは原住民の性格なのだろうか?
ちなみに課長はセデック族である。(笑)

明日は「川中島」という場所に行く予定。
課長が川中島も案内してやりたいが、仕事の都合でどうなるかわからないという。
明日は、明日になってから決めましょうということで別れる。

霧社を出て埔里に向かい、途中で見つけた喫茶店に入り、ようやくコーヒーが飲めた。(苦笑)

午後5時、ホテルに戻り一休み・・・
午後6時、ホテルから徒歩で町の中をウロウロ歩きながら、夕食場所を探す。
歩いてみると、結構、大きな町だということに気が付く。(笑)

最終的に、ちょっと洒落た店構えの店に入ることにした。
どうも“丼ぶり”の専門店らしい。(笑)

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店内は若いアベックばかり・・・(唖然)
男二人なんていうのは我々だけである。(大汗)
ん?台湾では「丼ぶり飯」がデートのディナーなのか?(笑)

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で・・・拙者が頼んだのが、これ・・・(汗)
丼ぶりではない・・・(大笑)
アベックたちが食べているのと同じものを頼みたかったのだが・・・何を頼んじゃったのかなぁ~
全くガイドが役に立たぬ・・・・(涙)
「これがいいんんじゃないですか?」とガイド・・・
「あの人たちが食べている丼ぶりがたべてみたいんだけどね」
「これ、いいですよ。これ、美味しそうですよ」
「これ?じゃぁ、これにするか」・・・と言ったのが、そもそもの間違い。
丼ぶりかどうか確認しなかった・・・(涙)

今日は山を歩いたし、クタクタである。(笑)
マッサージでも頼もうかと思ったら、「無い」と言う・・・(涙)
しかたがない・・・午後10時半に就寝となる。(大笑)
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旅行 | 20:24:04 | Comments(0)
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