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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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事件現場に行く
町のメインストリートから脇道に入り、少し坂を下ったところに「自然史教育館」がある。
ここを訪ねてみたいと、当初から予定していたので・・・・ここに向かう。

DSCN3622_convert_20170120164651.jpg (自然史教育館)

ここは「自然史」と名付けられているが、「霧社事件」に関する展示や先住民族に関する展示もあるので、どちらかというと「郷土史資料館」ということになるのではなかろうか?
名前だけで判断して見学しないと損をすることになる。(笑)

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「霧社事件」の首謀者とされる莫那魯道(モーナ・ルーダオ)の写真・・・・(中央の人物)

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蜂起した先住民族を討伐するため出動し、霧社に向かう途中の日本の部隊・・・・
写真には「日人部隊」と書かれていたが、服装からみて「武装警官」だと思う。

「霧社事件」に関しては、中国語と英語併記のパネル展示のみだった。
隣りの部屋には、かなりのスペースを割いて、先住民族に関する展示があった。

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各部族の民族衣装や生活品、祭祀品等々・・・・
なかなか貴重なものも展示されていた。
う~ん・・・台北にある先住民族博物館に展示されているものと肩を並べられるようなものも展示されていた。
こりゃ、すごい・・・・
嬉しいことに、この「自然史教育館」は入場無料!(喜)
他にお客さんがいなかったので貸し切り状態!(大喜)
受付には若い可愛い女の子が一人いて、拙者がじっくりと時間をかけて先住民族の展示品を見ているのが珍しかったようで・・・・(大笑)
ちょこちょこ、展示室を覗きに来てはニコニコしていた。(笑)
言葉が通じないので、身振り手振りでしか意思の疎通ができないが・・・
「これ、すごい!」「はい!そうです!」ってな調子である。(笑)

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ここにも「機織機」が展示されていた。
フィリピン、インドネシア、台湾等々、アジア各国の「郷土資料館」的な博物館に行くと必ずと言っていいほど「機織機」が展示されている。
各国とも、多少の違いはあるが、基本的な原理は同じである。
一体、どこの誰が最初に「機織機」を考え付いたのだろう?
毎回、「機織機」を見かけるたびに思うのである・・・・

「自然史教育館」の見学を終え、可愛い受付の女の子に笑顔で見送られ・・・(笑)
目の前の「愛国小学校」のグラウンドを横切って、「抗日紀念碑」に向かうことにする。
で・・・小学校の校舎の正面で見かけたのが、この銅像・・・・

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顔に先住民族のイレズミが描かれていたので、先住民の偉い人かなと思ったのだが・・・・
あとで課長に尋ねたら、蒋介石の銅像に誰かが落書きしたのだという。(唖然)
それ・・・マズイんじゃないの?(苦笑)
台湾で蒋介石の銅像に落書きしたのでは・・・(大汗)
ここは先住民族の土地だ!・・・という先住民族によるアピールなのかな?

この学校と道路を挟んだ反対側に「莫那魯道(モーナ・ルーダオ)公園」がある。
ここには23年ほど前に来たことがあるが・・・・
あれぇ~・・・ずいぶんと変わったなぁ~(苦笑)

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現在は、公園の前の道は舗装され、幹線道路のようになっていて交通量もあるが、当時は“裏道”のような場所で、滅多に車が通ることはなかった。
ちょうどカーブのところに車を止めて見学したことを覚えている。
あの時は、台北から一人で飛行機に乗って台中空港まで行った。
今になって思えば、中国語しか通じない国内線によく一人で乗ったものだと思う。(大笑)
台中空港(といっても、ただの原っぱみたいな飛行場だったが・・・)からガイド兼運転手の車に乗ってここまで来た。

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右の写真が、「自然史教育館」に展示されていた古写真。
この公園が出来たばかりの頃の写真である。

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公園の中には、「抗日原住民」の像が建っていた。
23年前にはなかったが・・・・
ただ、ちょっと違うかなぁ~という気がする。
まず、蜂起したのは各原住民中でも普段からの戦闘要員でもある成年男子の「壮丁」たちだったはず。
その壮丁の人数は各社の戸数とほぼ同じ・・・1軒に一人・・・という感じである。
というわけで・・・例えば、マヘボ社の場合は、戸数が54軒で、壮丁の数は53名となっている。
この銅像には女性や子供も入っているのだが、事件に女性や子供が加わっていたという話は聞いた覚えがない。
日本人に石を投げつけようとする少年と、片手に短剣を握った母親らしき女性の像が加わっているのだが・・・
これはあり得ないだろう。
“中国人(漢人)”特有の歴史の改竄か?(苦笑)
女子供も日本人に抵抗したのである・・・ということにしたいのだろう。

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ここに事件の首謀者とされるモーナ・ルーダオの像も建っていた。
民国86年に建てられたようなので、拙者がここに来た4年後に建てられたようである。
「抗日英雄」と刻まれている。
これは立場の違い・・・・日本にとっては犯罪者だが・・・・異論はない。
彼らにとっては「英雄」だろう。

役所で一仕事を終えた課長が公園にやってきて再び案内をしてくれた。

DSCN3648_convert_20170128170213.jpg (「霧社山胞抗日起義紀念碑」)

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モーナ・ルーダオの墓・・・・
左の古写真は「自然史教育館」に展示されていた写真で、台北で骨格標本とされていたモーナ・ルーダオの遺骸を持ち帰り、ここに納めるところを写したものである。

続いて向かったのは、事件現場である「霧社公学校」跡である。
事件当日、ここで運動会が開催されていた。
日本人の子供たちが通う尋常小学校と、原住民の子供たちが通う公学校、それに各地にある「蕃童教育所」の子供たちの合同運動会である。
ちなみに、「蕃童教育所」は、いわば分校のようなもので、教師は各駐在所の日本人警察官が行っていたという。
当時、ここにいた子供たちは日本人、台湾人、原住民(先住民族)あわせて289人だったという。
これに日本人の父兄が約100人、台湾人約50人、原住民約100人が見物に集まっていたようである。
そこへ各地の駐在所を襲った後、各社の壮丁が会場になだれ込み、片っ端から日本人だけを殺害していったのである。
この決起に参加した壮丁は約300人と言われている。
当時の霧社地区の各社の総計は、597戸、男女合わせて2178人だったので、抗日の社(反抗蕃と称する)の壮丁だけで300人程度になるから、壮丁による決起ということになる。
各社の住民、女子供全員が参加したわけではない。
というわけで・・・紀念公園に建っていた、あの銅像はおかしいのである。

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ここが「霧社公学校」の跡・・・
現在は「台湾電力公司 萬大發電廠第二辨公室」となっている。
ここが「霧社事件」の現場である。

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敷地内に入ってみる。
思ったより狭い・・・・
本当にここで運動会などが開催されたのだろうかと思ってしまうほど狭いのだが・・・
うちの近所の幼稚園・・・
拙者が通った幼稚園だが、園庭はかなり狭い。(笑)
でも、そこで運動会をやったことは間違いなく記憶にある。
大人になったら、やたらと狭く感じるが、当時、幼稚園児の拙者は狭いとは思っていなかった。
ということで・・・ここも同じだろう。
拙者が大人だから狭く感じるだけで、子供たちが運動会を開くには十分な広さだったのだろう。

実は、ここには23年前に一人で来たことがある。
運転手兼ガイドに「事件現場」として案内されたのだが、あまりにも敷地が狭いので、こんな場所が学校だったわけがないと信用しなかった。(大笑)
当時も「台湾電力公司」の事務所として使われていたので、なおさらである。
昔、学校だった場所は、今も学校のはずだと勝手に思い込んでいたのである。(苦笑)

今回、再び訪れて、やっぱりここが事件現場だということを知った・・・(汗)
あの時、素直に信じればよかった・・・(大笑)

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敷地内のコンクリートの地面に一本の溝が入っている。
課長が「この溝の左側が昔は道路だった場所で、溝から右側が昔の学校の敷地だった」と説明してくれた。
やっぱり・・・(苦笑)
23年前の記憶より、少し敷地が広くなっているような気がしていたのである。

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敷地内の、この建物・・・・
課長の話では「校長先生の家だった」と言う。
確かに、言われてみれば日本風の建物のような気がするが・・・・
でも、なんか違うような・・・(苦笑)
右側の建物が校長の宿舎だというのだが・・・そうなると左側の建物は何だ?(苦笑)

ここを襲ったのは、約100名の先住民壮丁たちだった。
この校長の家に日本人婦女子が逃げ込み、宿舎の入り口に立った新原校長が一人で日本刀で防戦したという。
が・・・多勢に無勢で、あえなく殺され、暴徒は宿舎内に入り込み、次々と婦女子の首を斬り落としていったという。
大人の中には死んだふりをして助かった女性もいたようだが、子供たち、特に幼児は死んだふりなどできない。
泣き声を上げるので、すぐに殺されたそうだ。
この校長宿舎内とその周辺で約50人が殺され、そのうちの39人が児童と幼児だったという。

なんとも残酷な話だが、それは現在の我々が思う感情であって、彼ら先住民族にとっては、首狩りは普通のことで、一種の文化だったようである。
それが日本の統治により、残酷だからと首狩りを禁止されていたわけで、ストレスは溜まっていただろうねぇ~
嬉々として首を刈ったに違いない。
彼らには、子供だから、幼児だから可哀想という感情はなかったのだろう。
日本でも戦国時代に敵将の首を斬り落としたりしたのだから、あまり台湾の原住民を非難はできまい。
首狩りの風習はインドネシアにもフィリピンにもあった。
もしかして首狩りは古代文明の遺産かも・・・・(汗)

でも、一体、誰が最初に始めたんだろう?

学校の運動会会場では、幼児を含めて17人が殺害されている。
ということは・・・ここで70名ほどが殺されたことになる。

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現地の説明板に掲載されていた写真。
当時の公学校の校庭・・・運動会会場の写真である。

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左の写真も、現地説明板に載っていた写真・・・
運動会会場の入り口の写真である。

事件当日、この会場入り口のところで最初の犠牲者が出た。
菅野政衛という映写技師だそうで、台中州から嘱託をされて前夜の映写会のために霧社に来ていた。
入り口のところに立って運動会が始まるのを見ていたのだろう。
真っ先に首を斬り落とされ、殺害された。
やったのは、スーク社のウカン・パワンという人物だという。
居合わせた日本人警察官が追いかけたところ、途中で首を落として逃げ去ったという。

次に向かったのは、すぐ近くの小高い丘・・・
ここに以前、「霧社事件日本殉難殉職者之墓」という碑が建っていたという。
今は何もない・・・・

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ここが、その碑が建っていた場所らしい。
今は荒れ果てた公園・・・という感じ・・・・

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現地の説明板に載っていた写真・・・・
当時は、こういう碑が建っていた。
「墓」と書かれているのだが、「墓」なのかどうかは知らない。
うっかり課長に尋ねるのを忘れた・・・(大汗)
たぶん、慰霊碑のことだと思うのだが・・・どうだろ?
蒋介石たち国民党が大陸を追われ台湾に来て、彼らの手で撤去されたようである。
まぁ~中国人のやることは、そういうことばかりである。(汗)
困った民族である・・・(苦笑)

ここでUターンして役所に戻ることとなる。
途中、バーラン社の案内板を見つけた!

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このバーラン社は、今はどうなっているんだろう?
行って見たいのだが・・・・
課長に尋ねたら「ない!」という一言で終わり・・・(唖然)
その後は・・・拙者を置いてガイドと一緒にサッサと立ち去ってしまった・・・・(唖然)
どうも課長の“案内”は雑なんだよなぁ~(苦笑)

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現地説明板に載っていた写真・・・・
「霧社最大の部落」であると書いてあるんだけど・・・
それが消滅するかねぇ~
どうも信じられないんだけど・・・・

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たぶん、この道を登っていくと昔のバーラン社に辿り着くんじゃないかと思うんだけど・・・・(汗)

サッサと先を歩く課長とガイドの姿が見えなくなった・・・(汗)
が・・・向かう方向は分かっているから、気にすることはない・・・(大笑)
写真を撮りながらマイペースで後を追うことにする。

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まもなく、記憶にある場所に来た・・・・
二股に分かれている、この地点・・・・23年前に来たことがある!(笑)

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右側の舗装された道は、現在は幹線道路となっているが、23年前に、この道があったかどうか、記憶にない。
もしかしたら、細い道があったかも・・・
この二股に分かれているあたりに当時は料金所があった。
ここで有料道路の料金を払ったことは鮮明に覚えている。
で・・・左側の坂道を登って行ったのである。
昔のメイン通りは、左側の坂道である。
変われば変わったものだ・・・・
新たな道を付け替えて、昔の道の上には建物がせり出して、昔の道は消滅してしまっている。

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(坂道を登って振り返ってみる)

この道を走るのに、当時は、お金を払ったのか?(苦笑)
なんで、この道が有料道路だったんだろう?
あれは、霧社の村に入るための「入村料」だったのかな?(大笑)

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道の両側に住宅が立ち並んでいる。
23年前は、どういう風景だったのか全く思い出せない。
先ほどの台湾電力の事務所が事件現場だと教えられたが、信じられないまま、この道を車で登った・・・
その時に、ふと、思い出した・・・
たしか、何かの本に「暴徒は坂道を一気に駆け下りて会場になだれこんだ」という一文があった。
たしかに、ここは坂道である。
じゃぁ、さっきの場所は、やっぱり事件現場だったのだろうか・・・と思ったことを覚えている。
この道を、100名ほどの暴徒たちが、向こうからこっちに向かって走ってきたのだろう・・・
ちなみに、先を行く人物が、課長!(苦笑)
サッサと一人で歩いて行ってしまうので、会話ができない・・・(苦笑)

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この坂道をまっすぐ登って、突き当たったのは、役所の駐車場!(唖然)
ここで行き止まりである!
あれぇ~???
23年前は、どうなっていたんだっけ?(苦笑)

時刻は12時を過ぎている。
お昼ごはんを食べよう!(笑)
一度、役所に戻った課長を誘って、役所の目の前にある食堂で昼食を食べることにした。

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課長が、1冊の書類を持ってやってきた。
先ほど見に行った「霧社事件殉難殉職者之墓」の復元計画書である。
土地の測量図、復元する碑の設計図、見積書等の詳細な計画書である。
すでに復元の許可は貰っているのだそうだ。
で・・・問題は、その資金・・・・
日本円にして、約1000万円かかるという。
どうも日本側からの援助が欲しい口ぶりである。(苦笑)
拙者を案内するより、こっちの説明の方が熱心である。(苦笑)

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昭和54年(1979年)に靖国神社で霧社事件50周年の慰霊祭が行われたと聞いている。
翌年には、ここ霧社でも50周年の式典が開催されたと聞いている。
この時に、犠牲者の子孫も参列していたはずだが・・・・その方々との交流はどうなっているのだろう?
その方々に先に話を持っていくのが筋だと思うが・・・・
課長に尋ねてみたが、要領を得ない・・・歯切れの悪い回答だった。

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食後、課長は一旦、役所に戻るので「少し待っていろ」と言う。
いや、いや、もう充分である。(苦笑)
待っている時間がもったいないし・・・・次の予定もある。
申し訳ないが、霧社の案内は、これで十分ということでお別れする。
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旅行 | 16:43:35 | Comments(0)
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