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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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東部・北部地区 日本人遺骨安置所
DSCN3380_convert_20161227112551.jpg

(碑文・1)

此處には左記各縣市に在住中死亡した日本人の遺骨を蒐集の上納骨した
台北市
台北縣
基隆市
陽明山管理局
桃園縣
新竹縣
苗栗縣
宜蘭縣
花蓮縣
台東縣
昭和36年3月
在中華民國日本國大使館

(碑文・2)
この納骨堂には、第二次大戦終戦までに台灣に居住し、台灣にて亡くなられた日本人物故者の遺骨を収めてあります。
終戦後在留日本人は總て故國に引き揚げましたが、着の身着のままで物故者の遺骨を持ち歸る余裕もありませんでした。
當時唯一家族で残って居た苗栗縣大湖に住む野沢六和氏がある日畑を耕していたところ、この大湖にあった舊陸軍病院の戦病死者と思われる埋葬の遺骨を發見し、この遺骨を鄭重に拾い自宅に持ち歸り安置していました。
その後各地から日本人の墓地が荒れて遺骨が散亂しているとの連絡が多くこのままにして置く事には忍び難く各地の日本人墓地に残された遺骨を採骨する悲願を立てて昭和22年春より台灣全島を巡り採骨の悲願行脚に旅立たれました。
この悲願の旅は十數年に及び、約二萬柱の採骨を終えたのは昭和35年秋でありました。
昭和36年秋に當時の日本大使館の肝いりで採骨の地域別にここ中和寺と台中の寶覺寺、高雄の公墓三ヶ所に分けて納骨することになり一應採骨は終わりました。
その後大使館が主催して年一度の慰霊祭がこの三地區で行われて来ましたがその後この慰霊祭は現日僑協會が主催する事になり現在に及んでいます。
現在ここに納骨されているのは羅東より苗栗附近までに採骨された約八千柱です。
この採骨をされた野沢六和さんは中國広東系の中國人ですが、夫人は新潟縣出身の野沢ムメさんで結婚後夫人の籍に入り野沢姓になられたのです。
この採骨には當然この御夫人の協力があったことは申すまでもありません。
この野沢六和さんは採骨時の苦勞が禍いして喘息を患い以後保養をされていましたが昭和58年7月10日に日本の神戸郊外に住む御長男宅にて他界されました。
この崇高なる人格は永遠に私達日本人の鑑として記憶に留どめたいと思います。

平成元年3月吉日



【台湾・台中市・宝覚寺】

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史跡 | 16:26:52 | Comments(0)
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