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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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台中市内を観光
午前6時、部屋に備え付けの目覚まし時計の音で目が覚める。
7時過ぎに朝食・・・8時15分にチェックアウトして8時半にホテルを出発する。

DSCN3302_convert_20161225160817.jpg (宿泊したホテル・皇家季節酒店)

DSCN3304_convert_20161225160918.jpg DSCN3303_convert_20161225160852.jpg
(ホテル前の道路)

今日は、まず最初に台中市内の“観光”を行なう。
拙者が日本統治時代の建物が好きだとガイドに話したので、急遽、本日の前半を“建物見学”としてくれたのである。
で・・・今回の旅行は拙者専用のワゴン車を用意していただいたので、行動はかなり自由である。
が・・・出発早々、ガイドとドライバーが、向かう先の道順か何かでもめているような雰囲気。
中国語なので意味は不明だが、語気を荒げているから何か問題でもあるのだろうと思い、ガイドに尋ねたら・・・
この運転手さん・・・台中に来てまだ1ヶ月しか経っていないため、どこに何があるのかがわからないのだそうだ。(唖然)
でも、この運転手さんは面白いことをしたのである。
ワゴン車にはナビが備え付けられているので、その通りに走ればいいのだが、彼は自分のスマホを取り出し、ナビを表示して、ダッシュボードに取り付けたのである。
ナビが2つ並ぶことになるのだが・・・2つあっても意味がないような気がするんですけど・・・(汗)
車のナビを信用していないのかな?(苦笑)
ナビの精度を比較検証するつもりなのかな?(苦笑)
失礼かと思い、敢えて尋ねなかったが・・・・なんでナビが2つ必要だったのだろう?・・・謎である・・・(笑)

最初に訪れたのは、日本統治時代、「台中州庁」だった建物である。
戦後は「台中市役所」として使われた建物・・・・

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その後、台中市役所は新たに別の場所に建物が建てられ、そこに移転したという。
現在は台中市政府の2部局、「都市発展局」と「環境保護局」が使用している。
で・・・・ちょっと内部を見学・・・・(笑)

DSCN3310_convert_20161225162720.jpg DSCN3311_convert_20161225162824.jpg
(中庭)

この建物の道の反対側に日本統治時代の「台中市役所」がある。
現在は整備され、展示会やイベントに使用されているらしい。

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車内から撮影したのでうまく撮れなかったが・・・・(涙)
少し離れたところに赤い建物が見えた・・・(たぶん赤煉瓦造りだと思うが・・・)
この建物は日本統治時代には図書館だったそうで、現在は銀行として使用されている。

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次に向かったのは、なぜか学校・・・・
これは「台中市大同国民小学」
日本統治時代も小学校だったそうだ。(建物は当時のままだと思う)

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その向かい側にあるのが「国立台中女子高級中学」
日本統治時代は、たしか「台中第一高等女学校」だったと思う。

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こちらの建物は、たぶん建て直されていると思う。
で・・・・ガイドの“キョさん”が何で拙者を案内したのかというと、この両方の学校とも、彼のお母さんが卒業した学校なのだそうだ。(唖然)
へぇ?・・・その話をするために拙者を連れて来たのか?(唖然)

次に向かったのは、日本統治時代の警察官の官舎・・・・
終戦後、建物は荒れ果てて廃墟化していたらしいが、それを復元して整備したらしい。
住宅街の中に小公園と共に「文学館」という形で遺されているようである。

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DSCN3327_convert_20161225202048.jpg DSCN3322_convert_20161225202217.jpg

この一区画の真ん中を「文学散歩道」が通っている。
そこを中心に旧日本家屋が6棟ほど復元されていて、それぞれ「研修の施設」や「常設展示の施設」などに分かれている。
たぶん「文学道」は、当時は路地だったのだろう。
ところどころ赤煉瓦の塀が残っている。

時刻が10時前という事だったせいか、それとも休館日だったのか・・・・
「館区沿革の建物」が閉まっていて内部の見学ができなかったのが、ちょっと残念。
ここの沿革を知りたかったのだが・・・・

DSCN3332_convert_20161225211555.jpg (町の中の果物屋さん)

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果物を搾った果汁をペットボトルに入れて売っているようである。
う~ん・・・まさしく果汁100%・・・間違いなしだな・・・これ・・・(笑)
見た目に、かなり甘いような気がするのは色のせいかも・・・(苦笑)

ガイドの“キョさん”が、資料を自宅に忘れて来たので、一旦、自宅に立ち寄ることとなる。
ちょっと自宅に上がってお茶を飲んでくれとのことで、お宅にお邪魔することになった。
お母さんが出てこられてご挨拶・・・・
日本語がペラペラである。(驚)
「私は台湾第一高女の卒業生なんですよ」とおっしゃる。
「はい、さっき学校を見てきました!」(笑)
高等女学校のセーラー服に憧れていたそうで、入学したのが昭和20年の4月・・・・
そして8月には終戦・・・・
憧れのセーラー服は4ヶ月しか着ることが出来なかったので、それがなんとも残念だとおっしゃる。(笑)
小学校の同窓会の写真を見せてくれたが、同窓会には日本からも同窓生がやって来るのだという。
そうか・・・日本に引き揚げた日本人は、同窓会という事になると、そういうことになるか・・・・(苦笑)
いやぁ~同窓会に出るのにパスポートを持って飛行機に乗らねばならんのか・・・(汗)
いやぁ~大変だな・・・それ・・・
終戦から70年も過ぎてるのにねぇ~
こういうのが、日本と台湾の友好の基礎の一つになっているのかもね。
まだまだ、おしゃべりをしたいところだが、予定が詰まっているので、お茶を一杯頂いて辞することにする。
「また来てください!」と言われ「はい、また来ます!」と返事をしたが・・・また会えるかな?(大笑)

次に向かったのは「台中駅」・・・・

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う~ん・・・いいなぁ~・・・・台湾の駅舎は本当に見ごたえがあっていい。(喜)
ガイドの話では、現在は使われていないと言っていたが、なぜか人の出入りが多い・・・
駅舎の内部に入ってみた。

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改札口には駅員は誰もいない・・・・

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人の出入りが多い理由がわかった。
この駅の向こうに新しい駅舎ができたので、この古い駅舎の中を通って新駅に向かうらしいのである。
それで、皆さん、ここを通っているらしい。
日本だったら、壊して建て直してしまうか?
これが韓国だったら日本人の設計だからと言って何も考えずに恨みだけで壊してしまうか?
(建物に八つ当たりするのは愚かだと思うが・・・それが“儒教の国”というなら仕方がないか?)(苦笑)
この駅舎は文化財として保存されるそうだ。
間違っても拙者が建てた駅舎ではないのだが、とても嬉しい・・・・(喜)

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線路はホームの端で封鎖されていた。

DSCN3348_convert_20161225213117.jpg DSCN3350_convert_20161225213153.jpg
(駅構内)

この重厚な柱・・・・こういうデザイン・・・・好きだなぁ~・・・・見ていてワクワクしちゃうなぁ~(笑)
もちろん、日本統治時代に日本人設計者によって建てられた駅舎である。

ここを通って「新駅」のほうへ行ってみたい気もしたが、その余裕はなさそうなので(しかも駅前にワゴン車を待たせているし・・・)断念する。

DSCN3355_convert_20161225214936.jpg DSCN3354_convert_20161225214904.jpg
(駅前の景色)

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駅前のバスターミナルは閑散としていた・・・・よく見たら閉鎖されている。
どうりで誰もいないわけだ・・・・
新しいバスターミナルは、新駅の近くに移動したらしい。
で・・・・今日から新しいバスターミナルがオープンという横断幕があった。
ということは・・・・昨日までは、ここは使われていたのか?
いやぁ~“歴史的な日”に、訪問したわけだ。(大笑)
このバスターミナルのことは永遠に拙者の記憶に残るだろう・・・・(ちょっと大げさか?)

次に向かったのは「台中公園」・・・・
真っ先に目に付いたのが、公園の外にあった石碑である。

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これは「勝利碑」と呼ばれる碑だが、もともとは日本統治時代に建てられた「昭忠碑」である。
日本が建てたものだが、終戦後に「昭忠」の文字を削って、そこに「勝利」と書き入れた。
「勝利」とは、日本に勝ったという意味か?
台湾は日本領だったのだから、“台湾”が日本に“勝つ”わけがない。
一緒に負けたのである・・・(苦笑)
戦後、台湾に逃げ込んだ国民党の連中がやったのだろう。
さすがは、“中国人”である。
やることが、えげつない。

DSCN3365_convert_20161227102434.jpg

“キョさん”の話では、この公園内に歴史的な建物があるという。
で・・・・それを見ようと思ったら・・・・公園内は、ちょうど整備中で見ることが出来ない!(涙)
なんとも残念・・・・次回、来た時に見るか・・・・(汗)

ここに公園の案内板があった。
珍しいことに中国語と日本語と英語の3か国語で書かれていた。(笑)


【台中公園簡介】
台中公園は1903年に整備されました。
当初は簡単なものでしたが、総督府が1908年10月に台中公園において台湾縦貫線路の全線開通式典を行い、載仁親王が主賓として参列しました。
このため、台中の行政当局は公園を全面的に再整備するとともに、日月湖に親王の休憩所として湖心亭を立てました。
これ以降、この湖心亭は台中のランドマークとなっています。
園内の更楼は1880年代に建築され、台中城建城当時は財務総管である呉鸞旂の公館として使用されていました。
後の1980年代に道路拡張の関係で、台中市はこの建物を園の北側に移転させました。
望月亭はもともと、台中城建城当時に大北門上に設けられた楼閣でした。
東大墩山丘の砲台山は、清朝の總兵(官職名)だった藍廷珍がここに砲台を2基設けたためにこの名がつきました。
台中の古名「大墩街」もこれに由来しています。
これ以外にも史跡や青々と茂る古木が数多く残っており、私たちの成長を見守ってきました。
みなさんも時にはぶらりと見て回ってはどうでしょうか。

(説明板より)



次に向かったのは「宝覚寺」・・・・
ここは、当初から拙者が訪問予定に入れていた場所である。
ずいぶん昔に、一度だけ、ここに来たことがある。
1993年の10月ではないかと思うのだが、23年ぐらい前のことなので、どうもハッキリしない・・・
1991年から1993年にかけて拙者は4回ほど台湾を訪問している。
で・・その4回のうち、何回目の時にここに来たのか・・・・う~ん・・・・記憶にない・・・(苦笑)
なんと記憶力の悪いことか・・・・(大涙)

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で・・・・「宝覚寺」に到着したが・・・・
う~ん・・・・全く記憶にない・・・(大笑)
あれ?・・・である。

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お寺の本堂は、さらに巨大な“屋根”で覆われていた。(驚)
こんなに変わった建物にもかかわらず、全く記憶にない・・・・(苦笑)
本当に、拙者は、ここに来たことがあるのか?

DSCN3375_convert_20161227111719.jpg

巨大な布袋様・・・・
う~ん・・・これは、かすかに記憶に残っている。(苦笑)
ということは・・・やっぱり、ここに来たことがあるんだろうと思う。

今回の旅行で、ここを予定に入れた理由は、以前(23年前)に来た時に、予科練の碑を見た記憶があるからなのである。
甲種飛行予科練習生第14期・・・・親父と同期の予科練の碑だったと記憶している。
たしか、三角形の碑だったと思う。
(こういうところだけは、記憶力がいい)(苦笑)
金色の文字で書かれていて、多くの人名が刻まれていた。
残念ながら碑文の内容は覚えていない・・・・
ということで、今回、改めて碑文を確認しようと思って来たのだが・・・・
ない!・・・・拙者の記憶にある、あの碑が無い!(汗)
境内を探し回ったが、どこにもないのである。
あれ?・・・・ここじゃなかったのかな?
どこか、公園のような場所にあったような気がしないでもない・・・
どうも記憶力が悪くて、どうしようもない。
ここじゃないとしたら、どこなんだろ?
全くわからない・・・(涙)

ガイドの“キョさん”は座り込んで携帯電話とニラメッコ・・・・(唖然)
“ライン”というのをやっているようで、さっきから、ひっきりなしに着信音が鳴っていた。
その返事を書くので忙しいようだ。
“お客様”の拙者のことは、そっちのけ・・・である。
付き合いきれないので「俺は、勝手に一人で、このあたりを見てるから!」と言って境内を散策する。

DSCN3376_convert_20161227111839.jpg

これは、「中部地区 日本人遺骨安置所」・・・・
あれ~・・・・記憶にないなぁ~
ここに来ているなら、拙者がここをお参りしない訳がないと思うのだが・・・・(汗)



【碑文】

此處には左記各縣市に在住中死亡した日本人の遺骨を蒐集の上納骨した
台中市
台中縣
彰化縣
雲林縣
南投縣
昭和36年3月
在中華民國日本國大使館



DSCN3380_convert_20161227112551.jpg (東部・北部 日本人遺骨安置所)

DSCN3386_convert_20161227130245.jpg (霊安故郷慰霊碑)

DSCN3393_convert_20161227130317.jpg (追遠亭)

DSCN3400_convert_20161227130347.jpg (和平英魂観音亭)

境内をウロウロしながら各碑文などを読んでいたら、ガイドの“キョさん”が吹っ飛んできて「どこにいたんですか!散々探し回りましたよ!」と言う。
はぁ?・・・・である。
“ライン”に興じて“お客様”を放置しておきながら、その言い方はないだろ・・・(怒)
最近は、こういう人が多い・・・・
フィリピンでもガイドが、やっぱり“ライン”に一生懸命で、お話にならなかった・・・・
「“ライン”は便利だから、あなたもやったら?」と言われたが、御免蒙る。
“ライン”に夢中になると会話もできないし、話の腰は折られるし、注意も散漫となる。
たぶん、ご本人は全く気にならないのだろうが・・・・
客としては、これで“ガイド”をしているつもりか?・・・・と文句を言いたくなる。(苦笑)

拙者が誰かに誘拐されて行方不明になったら、それは拙者から目を離して“ライン”に気を取られていたあなたが悪い!(大笑)
“お仕事”は真剣にやってもらいたいものである・・・・

ここで台中市内の“観光”は終わり・・・・
これから町を出て、山の方へ向かう。
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旅行 | 15:58:23 | Comments(0)
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