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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『南洋学院』


まえがき

Ⅰ 南洋学院小史

1、血をたぎらせたベトナム行き
     ベトナムに学校ができる?
     南洋学院とは?
     学生募集への応募を決意する
     南洋協会の予備知識
     仏領印度支那の重要性
     現地ベトナムと外務省のやりとり
     家族を説得し受験
     古くからあったベトナムと日本の交流
     101名の一次合格者東京へ
     思いもかけぬ合格通知
     予備知識の吸収に励む

2、さらし木綿とカツオ節を持参せよ!
     東京に集合、渡航前教育始まる
     研修を終え、郷里に戻る
     出港地神戸に再集合
     フランス船「帝立丸」で出港
     台湾・基隆に寄港
     南支那海に乗り出す
     夕暮れのサイゴン

3、学院生活始まる
     洒落た学院校舎
     規律正しい学院生活始まる
     暑さとカルチャーショックで不眠症に
     ホームシックとチャイマンの木
     学生寮ができる
     活気のあるサイゴンの町
     台風の目の中、戦況と無縁の別天地
     現地での開校式典
     炊事当番でベトナム語を覚える

4、ユニークな教科内容
     教科とその各論
        熱帯医学
        フランス語
        ベトナム語
        農業科目と実習
        教練

5、好奇心いっぱいの若者たち
     中央公園のフォワール(博覧会)
     イギリス兵の捕虜
     ダンディ派と無精派
     無精派の領袖鈴木政澄
     ラックジャ省の農村調査
     クメール族を訪ねる
     サンジャック岬へ

6、2年目の南洋学院
     第2期生の到着
     夏季錬成のためダラットへ
     教練・授業の30日間
     「学徒出陣」のニュースに不安が・・・・・
     緊張感で迎えた昭和19年の正月
     西貢の82連隊に体験入隊
     ベトナムの宗教事情
     新興宗教カオ・ダイの本山を訪ねる
     西貢に初めての空襲
     母からの手紙
     数少ない小学校を訪問

7、わずか3年半の歴史を閉じる
     第3期生の到着
     徴兵検査、第二乙種合格
     繰上げ卒業、大建産業に就職
     本屋で見つけたベトナム語辞典
     第1寮長として送った慌ただしい1か月
     終戦、そして廃校

Ⅱ 学院生たちの「大東亜戦争」

1、はじめての戦闘「明号作戦」
     学業半ばで現地召集された学院生たち
     入営―初年兵教育隊
     明号作戦とは何か
     人為的ミスで始まった武力行使
     ツドモ兵営突入
     飯上げで敵装甲車と遭遇
     西舘とのつかの間の再会
     悲劇―ハノイ・シタデル攻撃の歩82連隊
     3月9日の、他の事例
     直後の仏印情勢

2、モイ族の青年との出会い
     ホンクワン警備隊でのフランス語の体験学習
     モイ族ドイ・ハム君の登場
     密林の中で隠匿武器を発見
     逃亡フランス将校団を捕らえる
     モイ族の暮らしの知恵
        (1)燃える石
        (2)タバコの火
        (3)飲み水
        (4)キロメートルなど
        (5)食べもの
        (6)手形(一種の証明書)について
     ボーケ空軍大尉捜索と養命濁酒
     憲兵隊のゴム園幹部引致
     幹部候補生試験合格の通知

Ⅲ 学院生たちの「終戦」

1、「8月15日」と学院生たち
     ザ・ディ(昭和20年8月15日)
     その日、学院生たちは・・・・・?
     工藤と駒屋の「終戦」
     無政府状態のハノイ
     南部に向かう飢えた民衆
     原隊に復帰、情報係軍曹に
     解放戦線へ誘われる
     ベトコンの待伏せ、九死に一生を

2、武装解除・捕虜生活
     連合軍の手で武装解除される
     サイゴン郊外の捕虜収容所
     フランス軍「715」外科病院へ
     フランス兵斬首事件で辻田大隊長収監される
     西舘義明の死
     逃亡兵捜索のための残置要員
     さらば西貢よ

Ⅳ 戦後の日越文化交流

1、ベトナムへの熱い思いを行動で
     思い出されるベトナムでの日々
     ベトナムに援助の手を!
     「日越文化協会」設立の準備
     設立総会を開く
     ベトナム側と文化協力契約を結ぶ

2、民間レベルでの文化交流
     2000人が応募した日本語学校
     第2期生にも400人が応募
     中部の町フエからの「日本語学校開設要望」
     ホーチミンに次いでフエにも開校
     ホーチミン校第1期生卒業
     順調に進む両校の「日本語クラス」
     日本への関心の高い卒業生
     日越文化協会の課題

南洋学院卒業生名簿



「南洋学院」という聞きなれない学校は、昭和17年に仏領印度支那(今のベトナム)に設立された「専門学校」である。
大東亜戦争勃発後、南方に於ける我が国の経済発展の第一線で活躍する人材と、その指導的人材の養成を現地において行なうという目的で設立された学校だそうで、文部省と外務省が共同で指導・援助し、大正4年に設立された南洋協会が経営を担当した。
南洋学院は、諸般にわたって明治34年創立の東亜同文書館に倣った学校で、東亜同文書館は日中の友好と同文同種の共存共栄を意図して中国大陸に設立されたのに対し、南洋学院は、仏領印度支那に設立され、日本から生徒を募集して現地で教育をし、卒業後は南洋学院が就職先を指定し、卒業生はそこで活躍するというものだったようである。
生徒は中学卒業生(旧制中学=今の高等学校)で、修業年限は3年間である。

本書の著者は、その南洋学院の1期生であるが、戦局の悪化に伴い現地召集となリ軍人となる。
そして終戦・・・・
南洋学院は終戦とともに廃校となったので、わずか3年の寿命で、生徒も第3期生までしかいない。
その後、語学を習得していることもあり、ベトコン(解放軍)に身を投じた者もいたようである。
また、戦後も行方不明のままという者もいたようであるが、ここでの教育は無駄ではなかったようで、戦後、著者のように、日本とベトナム(日越)の“架け橋”とならんと貢献した人も輩出している。

たった3年間しか存在しなかった外地の学校・・・・
なかなか私にとっては興味深い話だった。


今年の読書:60冊目

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読書 | 22:46:13 | Comments(1)
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2017-04-11 火 12:15:21 | | [編集]
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