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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『るそん回顧』


第1部
     1 出発
     2 輸送船
     3 高雄
     4 遭難
     5 マニラ
     6 マニラから任地まで

第2部
     7 黒宮部隊
     8 陣中経理勤務
     9 陣中閑話
     10 ルクバンの思い出
     11 イポ陣地、転進

第3部
     12 飢餓行(1)
     13 飢餓行(2)
     14 飢餓行(3)
     15 脱出(1)
     16 脱出(2)

あとがき 刊行に寄せて (那須礼子)


本書はフィリピン・ルソン島で戦った主計将校の体験記である。
「主計」というのは、食糧の管理、被服等の物品の管理や人事記録まで扱う、今で言えば、会社の「総務」のような仕事を専門に行う“職種”である。
つまりは“事務職”なので、基本的には最前線での戦闘には参加はしない。
そういう方の視線から書かれた体験記である。
最終所属は、マニラの東方で戦った「河嶋兵団」と呼ばれた、第105師団の歩兵第82旅団・・・
河嶋修少将が指揮するこの旅団が独立して「河嶋兵団」としてマニラの東方にある「イポ」の防衛にあたった。
この「イポ」にはダムがあり、マニラへの飲料水の供給源として重要な場所だったと記憶している。

ずいぶん昔に「イポ」を訪れたことがある。
このあたりの戦史は詳しくは知らなかったが・・・本書に「ルクバン」という地名も出てくる。
ここにも行ったことがあるような気がする・・・・懐かしい地名である。
イポでは、戦後、戦友会や遺族会が建てたものであろう慰霊碑をお参りしたが、かなり劣化していて崩壊直前という感じだった。
地元の方から「何とかならないか?」と言われたが、私の個人の力ではどうしようもなかった。
あの慰霊碑は、今はどうなっているのだろう?
もう何年も訪れていないので、いつか、様子を見に行ってみたいと、ふと、思った・・・・

早いうちから食糧の補給が途絶え、各部隊は「現地自活」をするよう上級司令部から命じられる。
「自活」とは、すなわち、それぞれ自分の食糧を探して何とか食いつなげろ・・・ということである。
南の島にはバナナなどの果物が多く育っていて、食べ物には困らないだろうというのは大間違い。
マニラの東方高地、東方山岳地に行けばわかるが・・・何もない・・・
食べられそうなものは何もないのである。
こうなると、戦闘より飢餓のほうが怖い・・・ということになろう。
食糧探しで必死である。
特に食糧の管理を預かる「主計」は大変だっただろう。
戦友たちが次々と餓死、病死していく・・・
そういう中、食糧を探しながらの逃避行である。

本書の著者は1970年(昭和45年)にお亡くなりになっている。
本書の「あとがき」は、著者の奥様が書かれているが、この「回顧録」は、著者が捕虜収容所に入れられていた時に書いたもので、戦後、日本に持ち帰り、そのまま「筆を入れない」ままで残されたものだそうである。
それを、そのまま今回出版したそうだ。
ということは、終戦直後の記憶に基づいて書かれているわけだし、著者の感情は、その時のままということである。
戦後になって、昔を回顧して書かれた体験談は多いが、本書のような収容所で書かれたものが、そのまま・・・というのは珍しいのではなかろうか?
戦後の情報や、思想などが加わったものではない、その当時のままのもの・・・
よくぞ余計な手を加えずに出版してくれたと感謝したい。
そういう意味でも貴重な記録である。


今年の読書:54冊目

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読書 | 00:25:25 | Comments(0)
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