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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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帆足萬里の墓
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帆足萬里墓

豊後国(ぶんごのくに)日出藩(ひじはん)が輩出した偉人「帆足萬里(ほあしばんり)(1778~1852)」は、三浦梅園(ばいえん)(国東)、広瀬淡窓(たんそう)(日田)とともに「豊後の三賢人」と称される、江戸時代後期の儒学者・経世家(けいせいか)(政治・経済の論者)です。
萬里の功績は、大きく教育者・学者・政治家の三つに分けられます。
まず、教育者として、萬里は家塾(かじゅく)「稽古堂(けいこどう)」や私塾(しじゅく)「西崦精舎(せいえんせいしゃ)」などを通じ、生涯の多くを門弟の教育に捧げました。
萬里の人間性とその教えの広さゆえ、門弟の数は日出領内外数百名におよぶといわれています。
次に、学者として、萬里は和・漢・洋の学問、窮理(きゅうり)・医学・天文・歴史・政治・経済・兵制などの様々な分野に通じ、その代表的著書『窮理通(きゅうりつう)』(西洋の自然科学書)は、日本の科学史の発展に大きく寄与しました。
最後に、政治家として、萬里は天保3(1832)年より3年間、日出藩の家老に就任し、綱紀(こうき)の粛清、藩費の節減、風俗の改善、賞罰の励行など、財政的に行き詰る日出藩の藩政改革に取り組みました。
萬里の墓は、日出藩14代藩主木下俊方(としかた)の命により建立され、別府湾を眺望するように日出城に向けて建てられています。
墓碑の正面は門弟であった杵築(きつき)藩主松平親良(ちかよし)の弟親直(ちかなお)の筆、他の三面は高弟(こうてい)米良東嶠(めらとうきょう)の撰(せん)・筆(ひつ)による碑文が刻まれています。
墓碑が欠けているのは、この石片を持ち帰り、学業の向上を祈る人が多かったためといわれています。

大分県史跡 昭和33年3月25日指定
日出町教育委員会

(説明板より)


【大分県速見郡日出町佐尾】
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史跡 | 16:47:31 | Comments(0)
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