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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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日出の町を歩く
一服して一休み後、観光マップを頼りに、さらに周辺を歩くことにした。

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日出中学校が建っている場所には、その昔、藩校の致道館が建っていたそうである。
拙者が最初に向かった、あの移築された建物が、ここに建っていたのだろう。

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観光マップによれば、この道は通れるように描いてあるのだが・・・
どう見ても中学校の敷地内である。
道の両脇に建つ校舎の渡り廊下を横切る形なのである。
こちらから教室内は丸見えだし、生徒たちからも拙者は丸見え・・・(大笑)
おい、おい、本当にここを通っていいのか?(汗)
通常、学校敷地内は関係者以外の立ち入りは禁止とかって看板が出ているんだけど・・・・
この学校・・・・どこからどこまでが学校なのかがよくわからない。
門扉もないし・・・(大汗)
ええい、ここまで来ちゃったんだから、不審者扱いされてもやむをえまい・・・・突っ切る!(大笑)

しばらく歩くと、幼稚園が見えてきた。

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説明板によれば、ここが瀧廉太郎の父親が住んでいた家の跡らしい。
ちなみに滝廉太郎は、ここには住んでいない。
父親がここから転居した後に生れたのである。
ということは・・・細かなことを言うと、瀧廉太郎とは全然関係がない場所ともいえるのではなかろうか?(苦笑)
「実家」とも呼べまい?(笑)
しかしながら、それを“史跡”にしてしまうのだから、大したものである。
拙者としては、こういうのも“あり”と思うのである。(大笑)
他の地域でも、こういう“史跡”をドンドン作ったらいいと思う。
散策のいい楽しみになる。
以前、ハワイに行ったときに現地の人が笑って話してくれたことがある。
ちょうどオバマが大統領になった時の事・・・
オバマが子供の頃、ここに座ってアイスクリームを食べていました・・・・という場所が「観光名所」になってツアー客が必ず訪れるそうである。(唖然)
くだらない・・・と言えば、くだらないが・・・
それでも人が集まってカネを落としてくれれば、いいわけで・・・・「観光名所」とは、そういうものだろう。

つぎに向かったのは、すぐ近くにある「的山荘(てきざんそう)」という建物がある場所。
何のことやら、よくわかっていないが“史跡”らしいので寄ってみる。

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なにやら「料亭」みたいなようで・・・門のところに出ていたメニューを見たら、かなり高価なお食事を出すらしい。
水戸藩士の“シミズくん”と一緒というのなら、ここで食事をしてもいいが・・・・
時刻は、まもなく午後1時・・・・かなり腹が空いてきたが・・・(汗)
一人で、こんな高価な食事をするのはもったいないのでやめる。(大笑)

敷地内は見学できそうなので、中に入ってみる。(笑)

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三笠宮殿下と妃殿下が記念植樹した木があった!(大喜)
標柱には「昭和52年10月18日」と記されている。
旅に出て、史跡を訪ねて、殿下のお名前に出会うと本当に嬉しくなってしまう。
なぜなんだろ?(笑)
他にも皇室の方々の記念植樹がいくつもあるのだが・・・・拙者にとっては三笠宮様が一番なのである。(苦笑)

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建物の玄関のところまで来て、Uターン・・・・
なかなか趣のある建物で、内部を見たい衝動に駆られたが、コーヒーだけというわけにもいかぬ雰囲気・・・
断念する。(涙)

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「的山荘」を出て、さらに散策・・・・
このあたりが帆足萬里の生家跡ではないかと思われるのだが、イラストマップの「観光マップ」では正確な位置がわからない。
「イラストマップ」ほど迷惑なものはない!(怒)
いろんな町を旅して、何度、ひどい目にあったことか・・・
“史跡”の位置がおおざっぱ過ぎて、現地に行っても見つからないのである!(涙)
今回も、このあたりだと思うのだが・・・・「説明板」が出ていないのか、それとも拙者が見つけられないかったのか、結局、わからず仕舞い・・・・
この他にも、観光マップに載っていた“史跡”1か所の場所がわからず散々ウロウロした挙句、断念する。

お昼を過ぎているが、ここまで空腹を我慢したのには理由がある。
この地の名物「城下(しろした)カレイ」というのを食べてみたかったのである。
観光マップを頼りに、「城下カレイ」を食べさせてくれる店に行ったら・・・・閉まっていた!(涙)
いや、潰れているのか?(苦笑)
定休日で閉まっているのか、倒産でもして潰れているのか、区別がつかないところが悲しい・・・(笑)

やむなく駅の近くまで戻り、ラーメン屋でラーメンを食べる・・・・
無料で大盛にしてくれるそうだが、断ったら店のオバチャンに笑われた・・・(大笑)
あんたの体格なら当然、大盛でしょ?同じ値段なんだし・・・・ということか?(苦笑)
その体格でねぇ~・・・・“並み”を頼むの?・・・と言わんばかりのあきれ顔・・・(笑)
いや、いや、並みも大盛も同じ値段という方がおかしいでしょ?(大笑)
面白いお店である。

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時刻は午後1時半・・・・
今度は線路を渡り、反対側に向かう。
どう見てもタクシーを拾えそうな感じがしない・・・(涙)
食後の運動だと思って歩くしかないか・・・(汗)

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20分ほどで「龍泉寺」にたどり着く・・・
ここに瀧廉太郎の「瀧一族」の墓がある。

DSCN2508_convert_20160728165552.jpg (瀧家の墓所)


瀧家累代と瀧廉太郎の墓

瀧家の初代俊吉は紀州の人ですが、初代日出藩主の木下延俊侯に認められて、重職で召抱えられ、以来瀧廉太郎の父の11代吉弘まで、約270年間の長きに渡り、代々武頭や家老など要職について日出藩のために尽くされました。
ここには初代俊吉から10代吉彰までの墓がありましたが、平成23年3月20日に瀧家のご意向と、日出町及び有志の協力により、大分市の萬寿寺から、瀧廉太郎と父11代吉弘、母正子等の眠る瀧家の墓を移して、整備することが出来ました。
よってここに瀧家の累代の墓が揃いました。
瀧廉太郎も少年の頃遊びに来たであろう瀧家所縁の日出の地で、祖先、祖父母、父母と共にあって、安らかな中で素晴らしい曲を作り奏でていることでしょう。

日出町

(説明板より)


DSCN2510_convert_20160728165639.jpg (瀧廉太郎君碑)


記念碑

この碑は、音楽学校(現・東京芸術大学)の同窓生が廉太郎の功績に対し贈られたもので、1904年7月に学校の3年先輩の卒業生、田村虎蔵教授が代表として来県し、除幕された碑である。

(説明板より)


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瀧家・瀧廉太郎の墓

11代 父 吉弘
日出藩・武頭
1871年に廃藩置県となり翌年上京。
内務省の時、大久保利通に秘書として仕え、伊藤博文の知遇も得た。
その後、大分郡長、直入郡長を務めたのち、現在の大分市遊歩公園近くに住む。
廉太郎が逝去した翌年の8月9日に63歳で死去。
法名は「静観院心月竹軒居士」である。

母 マサ(正子)
日出藩・藩士で瀧家の親戚にあたる白井直之進の長女で、三男五女をもうけている。
左包丁で大変料理が上手だったとのこと。
1916年4月20日に逝去。
法名は「長養院正屋恵念大姉」である。

瀧 廉太郎
1879年(明治12年)8月24日に現在の東京都港区西新橋2丁目に生まれた。
11歳の時大分、13歳の時竹田に移り約2年間を過ごし、15歳で東京音楽学校(現・東京芸大)に入学。
18歳で本科専修部を首席で卒業し、研究科に入学。
1900年20歳の時、日出の情景を歌ったとされる「古城」を作詞し、ピアノ教授嘱託をしながら「箱根八里」「荒城の月」等作曲。
21歳の4月、国費留学で横浜から船で発ち、10月にドイツのライプチヒ王立音楽院に合格したが、2ヶ月後に風邪をこじらせ、1年後の1902年10月に帰国、翌年大分の父母のもとで療養したが、その甲斐なく1903年6月29日に享年23歳と10ヶ月の短い生涯を閉じた。
法名は「直心正廉居士」である。

(説明板より)



瀧廉太郎のお墓をお参りして、寺を出て、さらに奥に進む。

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『日本一の大蘇鉄』の大きな看板が目立つ、「松屋寺」に到着!
たしか、ここに日出藩主・木下家歴代のお墓があるはず・・・

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松屋寺

曹洞宗康徳山松屋寺は天台宗六郷満山寺院の一つとして建立された水月堂を最初とし鎌倉時代の文永年間、最明寺道宗(北條時頼)が水月堂に宿したことにより以来西明寺と稱したと伝えられる。
慶長6年(1601年)日出藩主木下家の菩提寺となり康徳山松屋寺と号するに至った古刹で数多くの寺宝がある。
境内には国指定天然記念物大蘇鉄、県指定有形文化財の「仏涅槃図」「松屋妙貞他肖像画三幅対」狩野常信筆、「十六羅漢図」や町指定文化財木下俊長筆、「千態観音図帳」等ある他、日出城主歴代の墓所や雪舟の築庭と伝えられる「万竜の庭」、また帆足萬里をはじめ日出藩の硯学、文化人の墓も寺城内や近くに散在している。

(説明板より)



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三笠宮妃殿下の記念植樹を発見!(喜)
百合子妃殿下がここにおいでになっていましたか!
さて・・・殿下の記念植樹が見つからなかったけど・・・殿下はいらっしゃらなかったのかな?
現在、殿下は100歳、百合子妃殿下は93歳でいらっしゃる。

お寺の方が、付きっ切りで境内を案内してくださった。
「宝物館」も見せていただき、展示されているもの一つ一つを丁寧に説明してくださった。
いやはや、その丁寧さには感謝である・・・・拙者は、それほど“偉い人物”ではないのだが・・・(苦笑)

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これが雪舟が作ったと言われている庭・・・・

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これが、国の天然記念物の蘇鉄・・・・
普通、蘇鉄というのは、ここまで大きくは育たないのだとか・・・
途中で幹が折れてしまうのだとという。
ということは・・・・これを守り育てて、後世まで残すというのは、かなり大変なことであろう。
いやぁ~責任重大!・・・・怖い、怖い・・・・(大汗)

歴代日出藩主の墓所は、この寺の裏山にあるとのことなので、行ってみる。
さらに、奥へ向かうと帆足萬里の墓もあるという。

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日出藩木下家墓所(大名墓)

日出藩木下家墓所(大名墓)は、慶長6年(1601)、初代藩主木下延俊(のぶとし)が姫路より日出に入部して以来、江戸幕府が終わる明治時代まで16代・約270年間続いた、日出藩主木下家の墓所です。
本墓所の創設は寛永年間(1630年ごろ)と言われ、当時は初代藩主延俊の祖母朝日(あさひ)(豊臣秀吉の正室・おねの実母)、延俊の正室加賀(かが)(細川忠興の妹)及び延俊の実母の4基の墓を祀る墓所として出発し、以後歴代藩主や木下家に関係のある人物の墓が建てられています。
江戸時代の藩主の菩提寺は、参勤交代制度により江戸と国元(くにもと)に設けられることが多く、日出藩主木下家においても国元の松屋寺に対し、江戸では泉岳寺(せんがくじ)が菩提寺であり、それぞれ分祀されています。
入部以来16代存続した歴代藩主のうち、13代・16代の藩主の墓碑はありませんが、そのことは神葬(しんそう)のためとされています。
藩主の墓所は各地に残されていますが、その数・大きさ・壮麗さについては大分県内随一と言われています。

日出町指定文化財 平成15年4月1日指定
日出町教育委員会

(説明板より)



こういうお墓を見るたびに思うのだが・・・
この“墓石”に使われている球形の石!
これ、どうやって作ったのだろう?
重さは何百キロもあると思うんだよねぇ~
しかも、この丸い石より大きい石を削って球形に仕上げるんでしょ?
粘土をこねてボールを作るのでも完全な球形にするのは至難の業だと思うんですけど・・・・
しかも表面を滑らかにしてあるんだよねぇ~
当時の石工さんは、どういう工程でこの球形を作ったのか、タイムマシンがあったら、この時代に行って是非、その作業を見てみたいものだと思うのである。(笑)

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墓所の奥、「3代俊長」公の墓石は大木が倒れたせいで上部が壊れていた。(唖然)
この墓所の後ろは森林だったのだが、最近、そこを切り開いて太陽光発電のパネルを設置し始めたそうで・・・・
今まで森のおかげで風当たりが弱かったものが、その森が無くなったことで、墓所のすぐ近くの古木に、まともに強風が当たったため木が倒れたのではなかろうかという話である。
お寺の方に尋ねたら、この墓石の修復は、そうそう簡単ではないそうである。
「文化財」に指定されていることもあるだろうし、誰がカネを払うのかという問題もあるだろうし・・・
落ちた石を持ち上げて乗せ直せばいいという簡単な話ではないそうである。
いやはや、なんとも困ったものである。

ここからさらに200mくらい山の中を進むと、帆足萬里の墓があると聞いていたので行ってみる。
細い山道は濡れた落ち葉で滑りやすくハラハラドキドキである。
なにせ、拙者はスーツに革靴という格好なのである!(大笑)
ふつう、そういう格好で山の中を歩くバカはいない・・・(大笑)
滑って転んだら、スーツは泥だらけになる。(大汗)
冷や冷やものである・・・・
と・・・足元に、ちょっと太めの木の枝が・・・・危うく踏みそうになった途端、その枝が動いた!
ギャッ!・・・・太い蛇の胴体だった!(大汗)
拙者は蛇が苦手である。
本来なら走って逃げたいところだが、滑って転んだらスーツが汚れる。(涙)
こっちに来るなよ・・・と言いながら、ゆっくりと蛇の横を通過・・・・
草むらに一旦、逃げ込んだ蛇が、よくぞ反転して飛びかかってこなかったものだと、後になってから思う。(冷汗)

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帆足萬里の墓は鉄柵で囲まれていた・・・・
墓石には多数の削られた跡がある。
おかげで、墓石の文字すら読みづらい状態・・・
どうやら、“ご利益”があると思って、墓石を削って持って行く人たちがいたようである。
いつの世にも非常識な連中というのはいるものである。(大汗)

帰りは、あの滑りやすい山道を歩くのは避けたい・・・蛇の一件もあるし・・・
別ルートで山を下り、再び松屋寺に向かう。

時刻は午後3時・・・・
観光マップによれば、「大神」という場所に、人間魚雷「回天」の訓練基地があったらしい。
う~ん・・・そこへ行ってみたいが、徒歩ではとてもじゃないが時間がかかりすぎるだろう。(大笑)
やむなく、お寺の方にタクシーを呼んでもらい、タクシーで「大神」に向かうことにする。
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旅行 | 14:07:20 | Comments(0)
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