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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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日出城の石垣
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日出城(暘谷城)の石垣

日出(ひじ)藩初代藩主木下延俊(のぶとし)は、慶長6年(1601)秋より約1年の歳月をかけて日出城(ひじじょう)を築きましたが、石垣の構築は細川忠興(ただおき)の家臣で築城の名手・穴生理右衛門(あのうりえもん)の指揮によってなされたといわれています。
「穴生(あのう)」は、近江国穴太(おうみのくにあのう)(滋賀県)の石工(いしく)の集団・穴太衆(あのうしゅう)を指します。
穴太衆は、安土桃山時代から江戸時代にかけて多くの城の石垣を手がけました。
穴生理右衛門もまたその一員であったと思われ、彼の指揮により築かれた日出城の石垣は、「穴太積(あのうづ)み」として呼び親しまれています。
日出城の石垣は、築石(つきいし)に自然石や粗割石(あらわりいし)を用いた「野面積(のづらづ)み」の技法で、「乱積(らんづ)み」(石材を不規則に積み上げ横目地(よこめじ)が通らない)と「布積(ぬのづ)み」(石材を一段ずつ横に並べて据え、横目地を通す)の中間にあたる「布目崩し積み」により構築されました。
日出城本丸天守台の石垣にみられるように、こうした規模の「穴太積み」の石垣は、大分県下においても大変珍しいといわれています。
日出城の歴史とともに「穴太衆」そして「穴太積み」の歴史を語り継ぐ貴重な石垣です。

日出町教育委員会

(説明板より)


【大分県速見郡日出町・日出城跡】
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史跡 | 13:09:24 | Comments(0)
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