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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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鷲津毅堂碑
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鷲津毅堂(きどう)

所在 墨田区東向島3丁目5番2号 白鬚神社内

鷲津毅堂は幕末明治の漢学者です。
文政8年(1825)尾張に生まれました。
通称を毅堂または蘇洲と号し、父、祖父ともに大変に徳望篤い人物でした。
20歳のころ江戸に出て昌平黌(しょうへいこう)に学び、嘉永6年久留米藩に仕え、次いで、尾張侯の招きに応じ侍読となり、さらに教授に進み、毅堂自身も師弟とともに学問に励みました。
時に王政復古となり、藩主徳川康勝の議定官に任ぜられ国論を一定し、覇王の思想を隣藩にまで広めました。
明治元年朝廷より権弁事(ごんべんじ)を任ぜられ、同2年大学少丞に転じます。
そして権大書記官五等判事、司法少記官、東京学士会々員に列するなど明治政府の要職を歴任しました。
明治15年司法権大書記官となりますが、同年(1882)10月5日、58歳で歿しました。
なお、毅堂は永井荷風の母方の祖父にあたります。
本碑の篆額は三条実美、撰文は三島毅、書は巌谷一六による碑です。

平成18年3月
墨田区教育委員会

(説明板より)
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史跡 | 16:57:00 | Comments(0)
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