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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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東京・向島を散策する
昨日は、我が母校(大学)の同窓会県支部の役員会・・・
来月、同窓会県支部の総会を開催するので、その打ち合わせである。
基本的には、事務的なものはすべて拙者が行うことになっている。(大笑)
式次第、総会資料、座席表、名札・・・何から何までであるが・・・(涙)
自分で意見を言って、自分でやるんだから、先輩役員さんたちからは文句は出ない。(大笑)
「どうぞぉ~」である。(大笑)
自分で自分の首を絞めていることになるのだが・・・・(大汗)
より良い同窓会の開催を考えると、どうしても意見を言いたくなってしまうのである。(苦笑)
これが、拙者の悪いところか?

今回の役員会、打ち合わせ会も無事に済ませ、水戸駅から特急に乗って東京に向かった。(大笑)
ちょっと、東京で“野暮用”があり、昨晩は東京に1泊・・・・

で・・・今日は・・・
真っすぐ帰宅するのはもったいないので・・・(大笑)
向島界隈を散策してみることにする。

向島の「白鬚神社」というのは、名前は聞いたことがあるが、行ったことがなかったので、行ってみる・・・(笑)

「旧墨堤の道」というのを歩いてみる。
と・・・・説明板があった!(喜)

DSCN2301_convert_20160704155053.jpg


旧墨堤(きゅうぼくてい)の道
所在地 墨田区東向島3丁目・堤通1丁目境

隅田川の自然堤防沿いに桜の木が植えられたのは寛文年間(1661~73)。
徳川将軍家の休息所であった隅田川御殿(現堤通2丁目、都立東白髭公園辺り)から白鬚神社の北側辺りまででした。
江戸時代中期には8代将軍徳川吉宗が護岸強化と憩いの場づくりのために堤と並木の南端を言問橋の架かる辺り(現向島2丁目、言問通り)まで延ばして人々に地固めをさせました。
以来、堤は多くの江戸市民でにぎわう花見の名所、憩いの場所へとなっていきました。
道幅は広く、道の両側には、見事な桜の並木が続いていました。
白鬚神社脇から地蔵堂へと続く湾曲した道は、今は姿を消してしまった、旧墨堤の名残りです。
春は花見、正月は七福神めぐりの人々で、特ににぎわいました。
関東大震災や東京大空襲などの復興事業を契機に墨堤通りは湾曲した道から直線道路へ、土の道から舗装道路へと整備されました。
現在、旧墨堤の面影を見ることができるのは、この場所と「墨堤植桜之碑」(向島5丁目4番先)近くの湾曲部の二ヶ所だけとなっています。

平成21年3月
墨田区教育委員会

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(説明板より)



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白鬚神社の前まで行ったら、また別の説明板が建っていた。
『西川春洞・寧住居跡』の説明板だった。
この親子は有名な書家だったらしく、その人の住居がこの近くにあったらしい・・・
こういう説明板を読んでいると、なかなか目的地に到着しないな・・・(大笑)
が・・・こういうのが大好きなのだから、どうしようもない・・・

白鬚神社の境内には『寺島ナス』の説明板もあった・・・(笑)
人の名前かと思ったら・・・野菜のナス(茄子)のことである。(大笑)
この白鬚神社の周辺は昔は寺島(てらじま)村と呼ばれていたそうで、江戸時代には田園風景が広がっていたらしい。(今では信じられない話だが・・・・)(笑)
で・・・ここのナスは江戸近郊の名産だったらしい。
へぇ~である。
今でも生産されているのかどうかは書かれていなかったのが残念だが・・・
もしかしたら、もう“絶滅”してしまっているのかも・・・

その他、境内には、江戸から明治にかけての漢学者である鷲津毅堂(蘇洲)の『鷲津毅堂碑』や佐羽淡斎の詩碑である『「隅多三絶」の碑』、『山玉向島講社の碑』などが建立されていた。
まぁ~見どころいっぱいである。(喜)

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白鬚神社は、よく聞く名前で有名な神社だろうから、さぞかしい大きい神社なのかと思ったら・・・
意外にも小さな神社だったので拍子抜けした・・・(苦笑)


白鬚神社

祭神 猿田彦大神
    天照大御神  高皇産霊神
    神皇産霊神  大宮能売神
    豊由気大神  健御名方神

由緒
天歴5年(西暦951年)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をここにまつったと、社伝の記録は伝えている。
天正19年(1592年)には、時の将軍家より神領二石を寄進された。
当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生れた。
社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が文化12年に奉納したもので、その信仰のほどがしのばれる。
明治40年には氏子内の諏訪神社を合祀した。

隅田川七福神
当社に寿老神を配し奉るのは、文化の頃この向島に七福神をそろえたいと考えた時に、どうしても寿老人だけが見当たらなかった。
ふと白鬚大明神はその御名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人にはうってつけと、江戸人らしい機智を働かせて、この神を寿老人と考え、めでたく七福神がそろったといわれる。
隅田川七福神に限り、寿老神と神の字を用いる所以である。

(由来碑・碑文)



時刻はまもなくお昼になるが、そのまま「ぶらり旅」・・・・
次に向かったのは、「墨田区立露伴児童遊園」という小さな公園。
住宅街の片隅にあって・・・目立たない・・・(苦笑)

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露伴児童遊園のこと

ここは文豪幸田露伴が明治41年から大正13年まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡です
露伴は明治26年冬この寺島町かいわいに来住しそれから約30年最も力の溢れた時期をこの地にすごし数々の名作を書かれました
当時の露伴は門弟を相手に剣道、弓道、相撲、などしてよく庭で遊んだそうです
このゆかりの地を永久に記念したいと露伴を思慕される地主の菅谷辰夫氏が区に寄贈されました
寺島の土地を愛し親しんだ幸田露伴の旧跡を子供たちの楽しい遊び場としていつまでも保存しようと児童遊園を造ったものです

昭和39年3月建立  墨田区

(説明碑・碑文)


DSCN2326_convert_20160705154208.jpg (幸田露伴文学碑)

幸田露伴という人は、この向島界隈を何度も引っ越していたようで・・・
この公園がある場所は「向島の第二の蝸牛庵」だそうである。

DSCN2336_convert_20160705154546.jpg

公園には「向島文学散歩」という案内板が立っていた。
へぇ~いろんな文学者・作家などが、この周辺には住んでいたんだと驚いた。

さて・・・・“第一”の「向島の蝸牛庵」があった場所を探してみることにする。

DSCN2342_convert_20160705155020.jpg (第一の向島蝸牛庵跡?)

このあたりが「第一の向島の蝸牛庵跡」ではないかと思うのだが・・・(汗)
それを示すような表示等は見当たらなかった・・・(大汗)
ん?・・・違うのかなぁ~(苦笑)・・・・ここだと思うんだけどなぁ~
で・・・ここに建っていた建物は、「明治村」に移築保存されていたと思う・・・
ずいぶん昔・・・拙者が貧乏でデジカメが買えなかった頃のことだが・・・“ウメちゃん”と「明治村」に行ったときに見たような記憶がある。(笑)

再び、ブラブラ・・・・

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「長命寺 桜もち」の看板が出ているお店にたどり着く・・・・
う~ん・・・どこかで聞いたことがあるような・・・・
「桜餅」で有名なお店だったかな?(苦笑)

このお店の横には、『正岡子規仮寓の地』の説明板が立っていた。
正岡子規は、このお店の2階を借りて、3ヶ月ほど住んでいたことがあったらしい。

また、『三浦乾也 旧居・窯跡』の説明板も立っていた。
この人は、陶芸家で乾山焼6代目を襲名した人らしい。
絵や彫刻もするという多芸多才の人だったそうである。
嘉永6年、32歳の時に“黒船”が来航して驚き、幕府に造艦を建白し、さらに雄藩にもその必要性を説いて回ったという。
で・・・翌年の安政元年に勝海舟と共に長崎の伝習所へ行き、建造技術の習得を幕府から命じられたらしい。
で・・・安政3年には仙台藩に招かれ、洋式軍艦「開成丸」を進水させ、一躍有名になったという。
へ?・・・・2~3年「造船技術」を学んだだけで、実際に軍艦を進水させたのか?(驚)
頭が良いというか・・・器用というか・・・(汗)
でも・・・この人、陶芸家だよね?(苦笑)
で・・・明治8年に、ここ向島の長命寺にやってきて、境内の片隅に窯を造って陶芸品の創作に励んだそうである。
明治22年、68歳でこの世を去ったらしいが、惜しいなぁ~
なんでもこなしちゃうという才能のある人に憧れちゃうねぇ~
こういう人になれたらなぁ~・・・と羨ましい・・・
「江戸焼物を代表する陶工」だそうである・・・・造船もできるという陶工?・・・(大笑)

時刻はまもなく午後1時になるが・・・・
折角である・・・・
拙者は「桜餅」が好きだし・・・ということで、ここ「長命寺 桜もち 山本や」さんで「桜もち」を食べる。

再び、ブラブラ歩くが・・・・
昼食が「桜もち」1個というのでは、さすがに空腹を癒すことはできない・・・(大笑)
たまたま見かけた喫茶店で、ちゃんとした「昼食」を食べることにする。(大笑)

で・・・・今日の「散策」は、これで終了!
結構、歩いたと思う・・・(大笑)
よし、いい運動をしたぞ・・・と上野駅に向かい特急に乗って帰宅する。
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日記 | 14:58:16 | Comments(0)
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