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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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再び博物館めぐり!(大喜)
昼食後、台北市内に戻る・・・
次に向かうのは『原住民博物館』・・・・
博物館めぐりの再開である!(喜)

途中・・・立派な建物が見えてきた!
「へぇ~すごい建物ですねぇ~・・・あれは何の建物ですか?」
「え?・・・知らないんですか?」
「はい・・・あれは何の建物なんだろう?」
「あれは故宮博物院ですけど・・・知らないんですか?」と“クウさん”の呆れた声・・・・
「へ?・・・故宮?・・・・あ~・・・・昔、何度か行ったことがある!」(大汗)
「・・・・・」(唖然)
「へぇ~・・・・あんなに立派でしたっけ?」(苦笑)
「はい、あれが故宮です・・・」(苦笑)

やっちゃった!・・・・相変わらずである。(大涙)
どうして、こうも物覚えが悪いのかねぇ~

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午後1時半、『順益台湾原住民博物館』に到着・・・・
館内は写真撮影禁止、ロビーもダメ・・・(苦笑)
内部の撮影ができなかったのは残念だが、これがなかなかの展示・・・
昔は、こういう分野に対して全く関心がなかったが、歳を取ってしまったせいなのだろうか?
結構楽しい・・・(大笑)

台湾にはいくつもの「部族」があるのだが、拙者は9族だとおもっていたが、それは日本統治時代の部族の数だそうだ。
現在では政府認定の原住民は16部族あるという。
認定の基準は、人口が300人以上いて、独自の言語を持ち、独自の文化を持っていることだそうだ。
というわけで、300人に満たない場合は政府から認定を受けられない。
そのため、なんとか300人になるようにと画策する動きもあるとか・・・と“クウさん”が言っていた。(笑)
なかなか難しい問題である。
どうしても混じっちゃうからねぇ~・・・・隣の部族と混じったら・・・その場合は、どっちの部族なのかわからなくなるだろうし・・・

それぞれの部族には、それぞれの特徴がある。
衣装や装身具、使用している道具や風習等々・・・違うのである。
こうなると、一つの種族がいくつかに分かれていったとは思えなくなる。
あっちこっちからこの島に流れ着いて、そのまま居着いて発展していったと見るほうがいいのではなかろうか?

たとえば、「パイワン族」と「ルカイ族」の2つの部族には貴族階級制があると“クウさん”・・・・
この部族は、台湾の南東地域に隣接して住んでいる。
また、「タイヤル族」と「サイシャット族」の2つの部族には顔にイレズミを入れる風習がある。
また、いずれも“首狩り族”でもある。
そして、これらの部族は台湾北部から中部にかけての山間部に住んでいる。
拙者がよく行くフィリピン・ルソン島の北部山岳地帯には「イフガオ族」「ボントック族」などがいるが、彼らは“首狩り族”である。
というわけで・・・フィリピンから台湾に一部の部族が流れているのではないかと思っていたのだが・・・
それなら、現在、「パイワン族」や「ヤミ族」が住んでいる台湾南東部(フィリピンに一番近い場所)に住み付いていいはずなのに、“首狩り族”の「タイヤル族」は台湾の北部なのである。
う~ん・・・・不思議だ・・・・
こういうことを考え始めると面白くなってくるのである。(笑)

装身具・衣服では、「タイヤル族」のビーズ飾りに驚く。
直径2~3ミリの円柱形のビーズなのだが、この中心に1ミリにも満たない穴をあけて糸を通してある。
しかも、このビーズは貝で出来ているのである!
しかも、ビーズの大きさは、すべてほとんど同じ大きさなのである!
貝殻を円柱形に加工するのも凄いが、その中心に穴を開けるというのも凄い・・・
いったいどういう道具で穴をあけたのだろう?
普通なら、こんなに肉厚が薄かったら、穴をあけている途中で割れると思うんですけど・・・
そのビーズを何十万個も使用して衣服の装飾に使っているのである!(驚)
手作業で出来ることなのだろうか?
これはレーザー光線か何かを使わないと穴は開けられないのではなかろうか?(笑)

“クウさん”が不思議がっていたのは「ヤミ族」の「銀の兜」である。
銀の板を薄く伸ばしたものを銅線で繋いで円錐形にした「ヘルメット」なのである。
が・・・・
台湾では銀は採掘されないと“クウさん”は言う。
「銀が採れないのに、なんで銀製のヘルメットが作れたのかがわからない」と言う。
確かに・・・おっしゃる通りである。
これまた不思議である・・・・

そう考えると・・・答えは一つしかない・・・
地球外生物・・・つまり、他の星からやって来た古代の宇宙人が台湾に着陸したのではなかろうか?(大笑)
で・・・高度な技術により、文化を形成していったとか・・・
それしか考えられまい?
あんな小さなものに穴を開けたり、台湾には存在しない銀で物を作ったり・・・(笑)
例えば、我が地球の宇宙船にアメリカ人とフランス人とロシア人が乗っていて、どこかの星に着陸して住み付いたようなものである。
外見は似てるが、言葉も文化も違う・・・
台湾の先住民族(原住民)も、そうだったのではあるまいか?(笑)
そんなバカなことをしゃべりながら見ているうちに、あっという間に1時間が過ぎた・・・・(大笑)

最後に1階ロビーにあるミュージアムショップで本を買う。
ちょうど、日本語で書かれたガイドブックを見つけた!(喜)
これで、また少し原住民について勉強しよう!
“クウさん”も趣味が同じ・・・ミュージアムショップでの本探しというのは楽しい・・・(笑)
彼も中国語のガイドブックを買うというので、それは私からのプレゼントということで拙者が支払う。(笑)

次に向かったのは、「台湾大学医学院」にある「医学人文博物館」!(喜)

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門柱は昔のままだそうである。
“クウさん”は事前にここを下見しておいてくれたそうである。
いやぁ~かたじけない!(嬉)
たしか、館内は撮影禁止だったと思うのだが・・・・大丈夫とのこと。
最初から写真撮影は諦めていただけに、撮影できるとは嬉しい!

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“クウさん”は「私は医学に関しては全く分からないので・・・」とおっしゃる。
「いえ、大丈夫ですよ。私は医学に関しては多少は知識があるから・・・」と拙者は生意気にも答えちゃった・・・(大笑)

幸いにも、この建物の沿革等については日本語のパネル展示があり、助かった。(笑)
この建物は、日本統治時代は台湾総督府医学校(現在の台湾大学医学部の前身)の校舎で、日本人建築家・近藤十郎によって設計されたという。
1907年(明治40年)にこの建物の西側部分が完成した。
西側部分というのは現在、展示スペースになっている場所ではないかと思われる。
この部分は建設当時は「医化学教室」だった場所だそうである・・・・
主要部分(ロビー部分等)は、1913年(大正2年)に完成したという。
戦後に、この建物は「医学院二号館」と改名され、その後閉鎖・・・・
廃墟同然となったが、1995年に修復工事が始まり、その後「医学人文館」として使用されることになったそうだ。

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ロビーに、第3代校長の堀内次雄氏の銅像がある。

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調べてみたら・・・・
明治6年生まれで、明治28年(台湾総督府が開庁した年)に軍医として台湾に来たそうで、当時はコレラが流行していたようである。
これに影響されたのか、退役後は細菌学を専攻して、再び台湾に戻ってきて台湾初のペスト患者を確認したり、デング病を確認したという。
で・・・1915年(大正4年)に医学校の第3代校長に就任し21年間ほど在任したらしい。
お亡くなりになったのは拙者が生まれる5年前の昭和30年だそうである。

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台湾の寄生虫に関する展示コーナー
日本人寄生虫学者の業績について中国語で展示されていた。(残念ながら日本語での表記はなかった)
横川定(よこかわ・さだむ)氏は、明治16年生まれの方で、台湾のアユから寄生虫を発見、この寄生虫は人間の小腸に寄生する寄生虫の一種で、「横川吸虫(よこかわきゅうちゅう)」と名付けられた。
横川定氏は、この学校の講師として赴任して、台大医学院で初めての寄生虫学講座を始め、のちに教授になる。
その息子さんの横川宗雄氏は昭和16年にこの学校を卒業後、のちに客員教授となり、やはり寄生虫の研究をされている。
そのお二人を顕彰した、寄生虫の研究に関する展示コーナーがあった。

580_convert_20160629144020.jpg (台大医学院の毒蛇の研究のコーナー)

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人間の頭骨の展示・・・・
人類の進化について中国語で何か書いてある・・・(大笑)

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このパネルは、人類がどこから来て、どこへ行ったかを示す展示パネルである。
“クウさん”が「南の島へは、この台湾から流れて行ったので、台湾は中心地、発祥の地となります」と言う。
ん?何だって?・・・・それはおかしいでしょ?(苦笑)
アフリカが人類発祥の地なのはわかるが・・・・
そこからマレー半島を通って、一部は北に向かい、フィリピン、台湾に流れていったはず。
フィリピン人の祖先(古代フィリピン人)は、このマレー系のはずで・・・
その一部が台湾にも流れていると拙者は理解している。
さらに、沖縄にも流れたかも・・・・
もう一つのグループは、マレー半島から南に下ってインドネシアに向かい、インドネシア人の祖先になったはずである。
同じマレー系のはずである。
このパネルには、マレー半島からフィリピンに向かったという矢印がない!(汗)
いきなり、台湾人が太平洋上の島々の民族の祖先になっちゃうのか?
そりゃ、ちょっと理解しがたい・・・
それでは、まるで「中華思想」のようではなかろうか?(大汗)
異論を唱えたら「私の妻は言語学の観点から南の島の民族のルーツを調べて、ハワイ大学で博士号を取ったんですから、この説に間違いはありません」と言う。(汗)
ありゃ・・・稚拙な拙者が、博士号を取った人の説に反論しちゃった!(大笑)
が・・やっぱり自説を述べねば気が済まぬ・・・(大笑)
「フィリピンから台湾へ点線の矢印がありますから、その説も間違いないということではないでしょうか?」と“クウさん”(苦笑)
う~ん・・・南方の島々の民族については知識がないから、何とも言えないが・・・(汗)
フィリピンと台湾の原住民との関係は、なんとかもう少し詳しく知りたいものである・・・・
何かあると思うんだよねぇ~

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台湾の各人種の頭骨・・・・
一番左の「台湾河洛人」の意味がわからないが・・・その右から「平埔人」「布農族」「雅美族」
う~ん・・・明らかに頭蓋骨の形が違う・・・
同じ人種・民族でも、その形には多少の個人差はあろうが、大きく根本的に違うということは、ルーツは全く別ということになるか?
これもまた興味が湧くところで面白い・・・

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これは「耳垢」の違いに関しての研究・・・
「耳垢」が“ジクジク”と湿っているか、それとも“カサカサ”に乾いているかの分布と分類である。
こういう観点からのルーツ探しというのも面白い。

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後藤新平と濱野彌四郎という二人の日本人に関しては、中国語のパネルで、その経歴のみが紹介されていた。
後藤新平は「台湾衛生環境改善及基礎建設的推手」、濱野彌四郎は「“都市的医生”水道建設者」と紹介されている。
中国語がわからなくても、この漢字から十分想像はつく・・・(笑)
後藤新平は日本でも著名な人物だが、濱野彌四郎という人は、あまり知られていない人物ではなかろうか?
「浜野弥四郎」は、明治2年生まれ、東京帝国大学を卒業した土木技師で、台湾の上下水道や浄水場などの建設計画にかかわった人・・・・
おかげで台湾の衛生状況が良くなったそうで、台湾では「都市の医師」と呼ばれているようである。
そういえば・・・その昔に訪れた岩手県の「後藤新平記念館」で、この人の胸像を見た覚えがあるぞ・・・(笑)

時刻は午後4時・・・・
ここで、ちょっと遅いが「おやつ」にしようか・・・(笑)
ロビーにある喫茶で、コーヒーとワッフルを食べる・・・
と・・・“クウさん”が、原住民博物館で買って拙者がプレゼントした本にぜひサインをして欲しいという。(唖然)
サインと一緒に何か思い出になるような一言を書いてくれという・・・(大汗)
いやぁ~・・・拙者は字が下手だし・・・・(大涙)
何度も頼まれ、やむなく汚い字で・・・(涙)・・・サインをしてあげる。
こういうの苦手なんだよなぁ~(大涙)

一休みして、今度は外から、この建物を見ることにする。

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庭の方から見た景色・・・・
ここには講堂があったが、1980年(昭和55年)に台湾大学医学院と附属病院の建物の拡張工事のため取り壊されたそうである。
で・・・・壁のところに見えるのが、その講堂の「ステージ」部分・・・
古写真を見ると、講堂は、こうなっていた・・・

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「医学人文博物館」の建物は、2階建てで、ルネッサンス後期の建築様式を採用しているという。
屋根はマンサード式を採用し、スレートと銅で葺き、斜面に小さな丸窓をデザインしていたというが、1930年(昭和5年)に館内で火災が発生し、屋根が焼け落ちてしまったという。
その後、修復はしたが、建設当初の姿ではないという。

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古写真・・・・

517_convert_20160630223955.jpg (建設当初の姿)

520_convert_20160630224033.jpg (火災後、修復した姿)

なんだかんだで、この「医学人文博物館」には1時間以上も滞在してしまった・・・(汗)
拙者が古い建物が好きということで、“クウさん”が当初の予定にない「台大医院旧館」を案内してくれるという。
博物館の近くだとのことで徒歩で向かう。

途中で「景福門」という門を見かける・・・・

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この門は清朝時代に建てられた台北城の「東門」でだが、戦後にやってきた国民党政府により取り壊されて、新たに建てられた門だそうである。
そのため、清朝時代の門とは全く形が違う。
が・・・これを国の第一級古蹟に指定しているというのだから呆れてしまう。
清朝時代のままならわかるが・・・(大汗)
太平洋戦争後に建てられたのなら、とてもじゃないが「古蹟」などとは呼べない代物ではなかろうか?
こういうところが、大陸からやって来た“中国人”の横柄なところではなかろうかという気がしてならない・・・(苦笑)

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台大医院旧館は1924年(大正12年)に竣工した建物で、設計者は近藤十郎。
いやぁ~立派な建物である。
その後、台湾大学医学部の附属病院となったが、今でも現役の病院である。(驚)

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「医学人文博物館」に展示されていた古写真は・・・・

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で・・・現役の病院なのだが、内部の見学は可能とのこと。
写真を撮っても大丈夫だという。(驚)
さすがに、“患者さん”にカメラを向けないように写真を撮るのには神経を使った・・・(大汗)

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609_convert_20160630233216.jpg 607_convert_20160630233143.jpg

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各部屋など、面白い意匠の場所もあったのだが、診察室になっていたり、受付窓口になっていたりしていて、人も多い・・・
こうなると、常識的に写真を撮るわけにはいかない・・・(涙)
かろうじてロビー部分と中庭部分のみの撮影となる、(涙)
それにしても、重厚な、なかなかいい雰囲気の病院である。
他の人は、こんな“古臭い”建物より、近代的な建物の病院のほうが好きなのだろうが・・・(苦笑)

ここを20分ほど見学して、今日の予定は終了!

夕食は市内の大衆居酒屋のような場所でとる。
ここも“クウさん”が友人とよく来るお店で、観光客などは来ない場所・・・(笑)
ワイワイガヤガヤと現地人で賑やかな海鮮料理のお店である。

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このお店の看板が面白い・・・
「生猛活海鮮」と書いてある・・・(大笑)
猛烈に活きが良いという意味か?(大笑)

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ちょうど、お店に「アサヒビール」のキャンペーンガールが来ていて、各テーブルを回って「アサヒビール」を売り込んでいた。(笑)
いわゆる“拡販”というやつだろうか?
拙者のテーブルにもやってきて「アサヒビールはいかがですか?」と言う。(当然、中国語で・・・)
なんで台湾に来て日本のビールを飲まなくちゃならんのかね?(涙)
できれば、台湾のビールを飲みたいのだが・・・・
しかし、日本人が日本のビールを飲まないとなると、さぞかし美味しくないのだろうと、周囲の人が思うかも・・・(考えすぎか?)(苦笑)
ここは「アサヒビール」さんにご協力して飲むしかあるまい・・・・ということで、「アサヒビール」を頼む。
本当は、このキャンペーンガールが可愛かったからなのだが・・・(大笑)
しかも、この“拡販”がスゴイのである・・・・
売り込むだけではなく、その後、各テーブルの間を歩きながら、「アサヒビール」を頼んだお客さんのグラスが空になったら、お酌するのである!(驚)
で・・・ビール瓶が空になったら・・・・「もう1本いかがですか?」とニコリ・・・(笑)
へぇ~・・・すごい営業である・・・(笑)
が・・・拙者は、あまり酒は飲まないので、1本だけしか頼まなかったが・・・
ちなみに、「アサヒ・スーパードライ」は100元(約400円)だった。
滅多にビールなど飲まないので、日本では1本いくらなのか、日本より高いのか安いのかは知らないが・・・(大笑)
食事全部で、2人で610元(約2400円)・・・・

さて、今日は台湾最後の夜である!(笑)
ということで・・・“クウさん”と二人で飲みに行くことにした。
彼がよく行く“日本式の居酒屋”へ行く・・・・
拙者は日本でも滅多に居酒屋などには行かないので、よく知らないのだが・・・
行ってみたら、昔懐かしいという日本の居酒屋である。(写真が撮れなかったのが残念)
日本各地の日本酒がズラリと並んでいるのには驚いた。
オーナーは沖縄出身の日本人で、従業員は台湾人だとか・・・・
で・・・お客さんは全員が現地の台湾人・・・しかも全員が若い女性である!(驚)
普通、居酒屋って“おっさん”が行くところだと思っていたのだが・・・・(大笑)
“クウさん”に尋ねたら、ここには台湾人しか来ないそうで、台湾駐在の日本人駐在員などは中華レストランかクラブにしか行かないという。(唖然)
日本を懐かしんで日本式の居酒屋へ・・・・なんてことはないそうだ。

ここでも“お勉強”・・・・メモを取りながら酒を飲む・・・・(笑)
プライベートな話や政治的な話に及んだので、ここには書けないが・・・・(苦笑)
大いに勉強になった。
店を出た時に“クウさん”から「本当はあまり政治的な話はしないほうがいいんですけどね」と後悔めいたご発言・・・
確かに、拙者も大学の海外研修団員として初めて海外に行くときに、現地では政治的な話だけはしてはいけない、マナー違反だと言われたことがあるが・・・・(苦笑)
しかし、それでは、いつまでたっても理解しあえないのではなかろうか?・・・・という気もするのである。
何が正しいとか間違っているとか、批判するとかしないとかではなく・・・・
その国の人の言動の根底に流れるものが何かということを知るのも大事ではなかろうか?
納得できるかどうかは別であるが・・・

そういう点では大いに勉強になる充実した時間が過ごせた。(喜)
感謝、感謝である。
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旅行 | 15:18:07 | Comments(0)
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